貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第58話 祭りの準備

 カレンダーの日付を見る。今日の日付には赤いペンで夕方から始まる花火大会の文字が書かれていた。部屋にいる俺と先輩も、面倒なので既に甚平を着ていた。俺は真っ黒の物を。先輩は少しだけ花火柄の入っている物を着ていた。

 

 今の時刻は昼前。まだまだ時間は余っていた。いつものように、俺と先輩は部屋でダラダラと寛いでいる。先輩は積んでいたゲームが一通り終わってしまったのか、ブラック珈琲をチビチビと飲みながら何かを考えている。

 

 こういう時の先輩は決まって碌でもないことを考えている。俺は今までの経験から察して、とりあえず面倒事にならなければどうでもいいや、と甘々の珈琲を啜った。

 

「……ふむ、氷兎。俺は考えたんだ」

 

「……何をですか?」

 

「俺達のやる気向上のためにも、コードネームというものが必要なのではないか、と」

 

 また始まったよ。予想出来ていた事態に俺は頭を抑えながら辟易とした表情で返事を返した。本当に、当の本人は至って真面目に言っているのがタチが悪い。

 

「……必要ないでしょう。誰かにジャックされることもないし、聞かれて困ることもないでしょ」

 

「まぁまぁ落ち着きたまえ。よく考えるんだ……自分の名前を隠し、夜の街を駆け抜ける格好いい男達……エージェントのように仮の名を語り、颯爽と人を助けて去っていく……格好よくない?」

 

「えぇ、格好いいですね。言っている貴方が格好いいかはさて置いて」

 

「地味に傷ついた」

 

 言ってはいるものの、まったく傷ついた様子もない先輩はとりあえずコードネームの格好よさや使い勝手の良さについて話し始め、俺はそれを右から左に受け流した。今日も珈琲が美味い。

 

「それで肝心のコードネームだが……」

 

「え、マジで考えてあるんですか」

 

「当然だろう。とりあえず氷兎はTDNだろ? そんで俺はSZK」

 

「なんでそんな語録みたいに……七草さんは?」

 

「N草ァ!! だ」

 

「草ァ!?」

 

「違う!! もっと真剣になるのだ!! N草ァ!! だ」

 

「そんなコードネーム許すわけないでしょうが!!」

 

 誰がそんな巫山戯たコードネームを許すというのか。俺なんかTDNだぞ。これ本家の方に出てきてる奴だから余計にまずい。流石にこんなものを任務中に使うわけにはいかない。というか言いにくすぎてコードネームとして役に立っていない。

 

「とりあえずやめましょ。TDNは色々まずいですって」

 

「え? DT? D()T()N(なう)?」

 

「よし先輩ちょっとそこ動かないでくださいね。二倍濃縮ゲキカラスプレーを持ってきますんで」

 

「待って。悪かった、俺が悪かったからやめて本当に」

 

 土下座する勢いで頭を下げてくる先輩に、やれやれとため息をついた。下ネタに走らせるとこの人はこうでもしないと止まらない。いい加減にして欲しいものだ。俺だけ巻き込むならともかく、七草さんを巻き込むものなら俺は全力で先輩をぶん殴らなくてはならない。

 

「……しかし、花火大会ねぇ」

 

 先輩が少しだけ憂鬱そうに呟いた。学生時代は友人が多かったであろうに、何を憂鬱に思うことがあるのか。

 

「まぁ、俺の地元の奴ですから、そこまで大きくないですよ」

 

「うぅん……人が多いんだよなぁ。あとスリが多い。氷兎も気をつけろよ。甚平の袖に財布入れておくと、花火の音に紛れて財布スられるぞ」

 

「それは体験談ですか?」

 

「いや、まぁ……うん。見事にやられた。しかも甚平の袖部分を鋏かなんかで切られてた」

 

「そりゃトラウマになりますわ……」

 

 俺も袖には財布を突っ込まないようにしておこう。花火大会の会場で売ってる物は何もかも高いからなぁ。先輩も財布に多めに入れていたに違いない。それをスられたとなると、まぁ意気消沈するだろう。しかも当時は学生。あまり所持金が多くない時期だというのに。

 

「しかし、今回は男女比率がヤベェな」

 

「俺、先輩、菜沙、七草さん、加藤さん、藪雨の計六人。しかも比率は一対二ですからね」

 

「絶対面倒なことになるぞ……。痴漢騒動か連れ去りかナンパか……」

 

「菜沙と七草さんは俺がつきますんで、先輩は加藤さんと藪雨をお願いしますね」

 

「えぇー、藪雨は嫌だなぁ……。あいつ多分たかってくるもん。多分、せんぱいアレ買ってーじゃなくて、せんぱい財布って催促される気がする」

 

「アイツならやりかねませんね……」

 

 互いにため息を漏らして、夜に起きるであろう事態を憂いだ。まだ何も始まってないというのにこのテンションの下がりようである。やはり藪雨はバステをかける能力を持ってるんじゃなかろうか。このままゆっくりしていてもいいんだが、先輩がチラッと時計を見た。どうやらなにか考えついたらしい。

 

「まだ時間あるんだよなぁ……久しぶりにスマシスでもやらないか?」

 

「いいですよ、暇ですし」

 

「よし、じゃあ準備手伝ってくれ」

 

 二人でゲーム機を取り出して、カセット等の準備をしていく。スマッシュシスターズ、初めて先輩と会った時に一緒にやったゲームでもある。あの時先輩は手加減をしていたようで、次にやった時は僅差で負けていた。今回こそは勝ち越さなければ。ちなみにこのゲーム、少しだけ古いもので、最新のスマシスは少し前に発売されていた。

 

 懐かしいゲームの起動音と共に会社のロゴが出てきて、そしてオープニングをカット。キャラ選択画面で好きなキャラを選び始める。先輩が懐かしそうな目で画面を見ていた。

 

「昔はよくこれで友達と遊んだもんだ……人気だったのは桃姫だな」

 

「ふわふわして戦いにくいと思うんですけど。空中浮遊使うの難しくないですかね」

 

「馬鹿野郎。空中浮遊した状態で上攻撃するとパンツ見えるんだよ!!」

 

「それこのゲームの続編で修正されたやつですよね……」

 

 懐かしい。確かに俺も子供の頃はそれを友達と偶然見つけてやっていたものだが……だからってそのキャラを使い続けようとは思わなかった。何しろ復帰も必殺技も使いにくいのだ。コンボもうまく繋がらないしな。

 

「当時は若くオカズが必要でした」

 

「若くなくても必要だと思うんですけど」

 

「最近のネタは?」

 

「やっぱり俺は王道を征く……純愛系ですかね」

 

「そうか。ちなみに俺は人妻ものだ」

 

「……反応に困るんですけど」

 

 何が悲しくて昼間っから夜のオカズの話をしなければならないのか。しかもこの人は真面目な顔でそれを言ってくるから本当にもう手に負えない。次一緒に任務に行く人が男の人で尚且つ常識人であることを願おう。

 

 くだらない話や下ネタ等もぶち込みながら、俺と先輩は時間になるまでゲームをやり続けた。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 夕方になり、俺と先輩は待ち合わせのためにビルのすぐ外で待っていた。なんで地下で待ち合わせしないのかと言うと、菜沙がこうやって待ち合わせした方がなんとなくそれっぽくて好きだという個人的な理由だった。特に反対意見もないため、こうして二人でこれから来る女性陣の浴衣姿について想像しながら待っていた。

 

「なぁ氷兎、浴衣って下履かねんだってよ」

 

「みたいですね」

 

「ちょっとそれが本当なのか菜沙ちゃんに聞いてみてくれ」

 

「嫌ですよ。なんなら藪雨に聞けばいいじゃないですか。失うものが何も無い」

 

「お前が菜沙ちゃんにそれ言って、見たけりゃ見せてやるよ……って展開になるのを俺は期待していた」

 

「ないです……ない、よね」

 

 少しだけ昔の菜沙の狂行を思い出して言い淀んだ。中学に入って少ししたくらいだったか。確か保健体育で色々なことを教わった日の夜くらいに、菜沙が俺の布団に下着姿で入り込んできたことがあったような……。

 

 まぁ、多感な時期だったしね? 菜沙もそういうことに興味があったんだろう。小学生の頃は時折風呂に一緒に入ってたこともあり、下着姿を見た程度じゃ何も思わなかったが。

 

「……なんでお前はそうやって幼馴染とのフラグを尽くぶち壊していくんだ」

 

「下着姿を見ることがフラグになるのはエロゲだけですよ。ここ現実ですから」

 

「お前が一番現実から目を逸らしているような気がしてならない」

 

 なんてこった……と先輩が頭を抑えて唸り始めた。周りの人達の目線が痛い。しばらく他人のフリでもしていよう、と先輩との距離を少しだけあけた。それに気がついた先輩の悲しそうな目が俺に届けられたが、携帯を見て無視することにした。

 

 そもそも、菜沙とは唯の幼馴染なのだ。それ以上でもそれ以下でもない訳であって、彼女が俺に好意を抱いている、なんてのは有り得ない訳だ。

 

「ひーくん、お待たせ!!」

 

 そんなことを考えていると、ビルの中から菜沙達が出てきた。

 

「………」

 

 言葉が出なかった。出てきた全員が浴衣を着ていて、なんというべきか……華がある、と言えばいいのか。とりあえず頭の処理が追いつかなくて、しばし呆然と彼女達を眺めていた。

 

「………? ひーくん、どうしたの?」

 

「……いや、なんでもない。似合ってるよ、菜沙」

 

「そう? よかった……」

 

 菜沙は緑を基調とした物で、所々に葉っぱのような模様が描かれていた。元から短い髪の毛には華のような髪留めがつけられていて、ちょっとしたチャームポイントになっている。年相応で、それでいて可愛く見える。菜沙らしいと言えば、菜沙らしい格好だった。

 

 ……本当、いつからこんなにお洒落になったのか。俺に頼ることの多かった彼女の成長に、少しだけ寂しく思う。

 

「こんにちは、氷兎君。どうかな、こういうの初めて着るんだけど……」

 

「………」

 

 話しかけてきた七草さんを見れば……こちらもまた、言葉に詰まってしまった。長かった髪の毛は団子のように纏められていて、少し後ろに回れば綺麗なうなじが見えることだろう。そして彼女の無垢さを表すような白い浴衣。華の模様が至る所に描かれている。そしてそれらを更に際立たせる彼女のプロポーション。締まるところは締まっていて、大きな所は大きく見せる。

 

 これは……色々とまずいものがある。口ごもった俺を不審に思い、彼女の表情が少しだけ暗くなってしまった。慌てて俺は彼女を褒めた。

 

「七草さんも似合ってるよ。その……やっぱり白が似合うね」

 

「ほ、本当に……? よかったぁ……」

 

「……デレデレしないっ」

 

 菜沙に軽く頭を叩かれた。解せぬ。いつデレデレしたというのか。叩かれた頭を軽く擦りながら、次に皆の前に出てきたのは、胸を張って誇らしそうにしている藪雨だった。

 

「ふふーん、どうですかせんぱい方。私の晴れ姿ですよ? ほら、褒めて褒めて!」

 

「馬子にも衣装か」

 

「いや違うな。豚に真珠じゃないか?」

 

「全然褒めてくれない!! もうやだこの人達!!」

 

『冗談だ、似合ってるよー』

 

「今度は感情が篭ってない!!」

 

 ……まぁ、弄ってはいるが藪雨も元が良いからか普通に浴衣が似合っている。女の子らしく薄いピンク色の浴衣で、ちょっとした模様が入っていた。いつものように華の髪飾りをつけ、化粧が少しだけ気合いが入っているような気がした。

 

 残念なのはその背丈か。もう少し背が高ければ、もっと見栄えたものを。

 

 藪雨の披露が終わって、最後に前に出てきたのは加藤さんだった。一目見ただけでわかる、お淑やかさが全面に出ていた。

 

「なんだか前もこんな感じだったな……最後は私だ。それよりも、誘われたことが意外だったがな……」

 

「っ……!! これは……やばい。すごい綺麗っすよ加藤さん!!」

 

「そ、そうか? いやそう言って貰えるのなら着てよかったよ」

 

 先輩の年上のお姉さん好きが発動しているようだ。いやまぁ、発動していなくても加藤さんは綺麗だった。

 

 菜沙のような可憐さでもなく、七草さんのような無垢さでもなく、藪雨のような可愛さでもなく。加藤さんは年上としての尊厳を損なわず、それでいてその年齢を上手く使った綺麗さを醸し出していた。

 

 青色が基調の浴衣で、花火のような柄が少しだけ入っている。菜沙よりも少しだけ長い髪の毛にも、どうしてか艶があるように見えた。化粧も薄く、少しだけ赤く染まった唇は、口紅でもつけているのだろう。

 

「ひーくんは、誰が一番似合ってると思う?」

 

 気がついたら横に来ていた菜沙がそう尋ねてくる。言われて皆のことを見回したが……特に優劣はつけられない。皆がそれぞれ自分の持ち味を使ったものだから、否定する場所も見当たらない。

 

「……難しいな。強いて言うなら、加藤さんかね。あの人が一番浴衣を着こなしているよ。年の功、かね」

 

「唯野君何か言った?」

 

「いえ何も。似合ってますよってだけです」

 

「そ、そうか……。こうも褒められるとどうも照れるな……」

 

 先輩に褒められた時と同様に頬を染めて照れだした加藤さん。立ち振る舞いとか見てると本当に歳上なんだなと思うけど、こういった子供っぽさも持ち合わせているとなると、本当になんでこの人に彼氏がいないのかわからない。

 

 そんな俺の対応を見てか、菜沙が訝しげな目で俺の事を見ながら聞いてきた。

 

「……ひーくんって、年上好きだっけ」

 

「いいや? どちらかというと年下……いや、やっぱ同い年だな。それが一番気負わなくて済みそうだ」

 

「……そっか」

 

 何故だか少し嬉しそうな菜沙が俺の手を握ってくる。そろそろ夕日が傾き始めてきた。会場に向かった方がいいだろう。先輩にそう伝えると、俺達は並んで会場に歩き出した。

 

「鈴華せんぱい、歩くのだるいです〜」

 

「はいはい頑張ろうな。リンゴ飴くらいなら買ってやるから」

 

「そういうのは年上に任せるべきじゃないか?」

 

「いやいや、加藤さんには……ってか、女の子にお金払わせるのはなんとなくはばかられるからいいっすよ!」

 

「氷兎君、お祭りって綿飴あるんだよね? 私食べてみたい!」

 

「はいよ。俺も久しぶりに食ってみたかったしね」

 

「ひーくん、今年も射的やろうね」

 

「今年は負けねぇからな。これでも射撃訓練してるんだから」

 

 仲良く話しながら、目的地に向かって歩いていく。

 

 今年の花火大会は賑やかになりそうだ。こうやって気兼ねなく誘えて一緒に過ごす仲間ができて、良かったと思う。これから先もこんな感じで続いていけばいいのにな、と俺は空に浮き出ていた星に向かって願った。菜沙が握っている手が、少しだけ強く握られた気がした。

 

 

 

To be continued……




前回の林田 扶持について何も反応がなかったのが、私は悲しい。

割と皆さん知らない人が多い? H.P.ラヴクラフトさん。

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