貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第五章 強さの意味と、その対価
第63話 気が付かぬ間に失ったモノ


 異世界に来た。特殊な能力を貰った。モンスターを殺した。人を傷つけた。人を殺した。俺は英雄になった!

 

 ……巷では異世界転生なんてものが流行りらしいね。いやぁ、見ていて愉快だ。ただの一般人が、モンスターや敵対した人を何の情も容赦もなく殺していくんだ。

 

 肉を斬る感覚に違和感を感じず、また己の道徳観にも何も感じず。受け取った『強さ』に酔いしれて、今日も女の子と一緒に楽しく殺し合いだ! 否、最早虐殺とも呼べるとも!

 

 そんな人間を見ていても楽しいけどね。やっぱり私はヒトの方が見ていて面白い。

 

 にしても、神様とやらは何を考えているんだろうね?

 

 生き物を殺しても何も思わない奴を転生させるなんて。神様のミスだから? そりゃ笑えるよ。いやでも、もしかしたら転生特典を与える代わりに、道徳観や倫理観を奪い去ったのかもしれない。だとしたら、神様とやらはきっと残酷な奴に違いない!

 

 そうでないのなら……異世界に転生する人達はきっと、カエルに爆竹を突っ込んで爆破するのを楽しんでいたに違いない。

 

 無償の強さなんてものは高が知れてると言ったじゃないか。それはそれは、大層強い力を貰ったのなら、知らぬ間に大切な何かを持っていかれていても不思議じゃないよねぇ。

 

 さぁ……君は私の力のおかげで少しずつ強くなっている。けどまだ足りないだろう?

 

 望めよ。ただし……今度も対価は払わないとね。安心しなよ。運が良ければ君はその支払ったものを取り戻せる。

 

 ……そんな状態にはさせないけどね。だって私はヒトの顔が苦しみに歪むのを見るのが好きな、残酷な神様なんだから。

 

 

 ───誰かの嘲笑(わら)い声が響いた。

 

 

 

───────────────────

 

 

 

 

 車の音が遠ざかっては近づきを繰り返し、田舎とは違って虫のさざめきは聞こえない。しかし今俺達がいるこの場所だけはある種の静けさで満ちていた。何も無いとわかっていても、背筋がゾワゾワとして気持ち悪い。

 

「……なんでよりによってこんな有名な墓地に来なきゃならんのよ」

 

 先輩の忌々しそうな声が響いた。東京にある墓地、青山霊園。立ち並ぶ多くの墓が存在感を醸し出すように堂々としていて、むしろ夜中に入り込んでいる俺達の方がこの場に適していないのだと言わんばかりだった。

 

「どこの誰かはわからん愚か者を恨め。罰当たりにも程があろうよ」

 

 今回の任務についてきていた西条さんは、いつも通りの堂々かつ冷静な面持ちで周りを見回していた。ここにいる全員、オリジンの黒い外套を着込み、それぞれ自分の武器を持って歩いている。

 

 西条さんの武器は刀だ。俺が配給された支給品の刀ではなく、西条さんのオーダーメイド品らしい。持ち手は浅黒く、刀身は鈍く光っていた。切れ味も中々良いらしい。

 

 本人の起源は『斬人(きりびと)』というらしい。カードには刀を構えた人物の絵が書かれており、本人の雰囲気と合わさって構えた時の彼自身の鋭さは、見ているだけで斬られたのだと錯覚するレベルだ。

 

「……夜って、こんなに怖いんだね」

 

「場所が場所だからな」

 

 いかに準備万端の七草さんと言えど、流石に幽霊は怖いらしい。理由を聞くと、殴れないからだそうだ。どこか加藤さんと似たような理由を聞いた気がする。あの人は確か、剣が通らないからとか言っていたような記憶がある。

 

 ……七草さんを脳筋だと言いたくはないが、戦闘スタイル的にも思考的にも脳筋だとしか言えないのが悲しいところ。

 

「にしても、西条はどのくらい強いんだ? オリジン兵に最も近いとか言われてたけど」

 

「……試すか?」

 

「切っ先を人に向けるなって」

 

 先輩が慌てて両手を振りながら刀の切っ先から離れる。向けた側の西条さんは、口元をニヤリと歪めて楽しんでいた。なんだかんだいって、この二人仲が良いのでは?

 

「西条の起源は『斬人』だっけ? 読み方変えたらザンニン……残忍だな! なんだお前にぴったりじゃねぇか!」

 

「貴様のその減らず口を斬り落としてやろうか?」

 

「残忍な斬人(ざんにん)とか言われて、ざんにんだにー」

 

「………」

 

 ヒュンッと刀の振るわれる音が響いた。しかし俺が見えたのは微かに残った刀の残像。そして納刀しようとしている西条さんの姿だった。先輩の天パの一部がパラパラと落ちていく……。

 

「O……Oh……抜刀術とは……」

 

「俺は貴様らとは出来が違うと理解したか?」

 

「うわぁ……速かったね。氷兎君は見えた?」

 

「……微妙だな。月が満月に近ければ完全に見えそうだけど、今の月齢じゃ反応できないな」

 

「反応されても困るがな」

 

 眼鏡をクイッと直しながら言う西条さん。一々その行動に、顔や仕草が相まって格好良く見える。これが未来を担う西条グループの息子だと言うのだから、ずるいものだ。色々と勝ち組過ぎやしないか。

 

「わかった、悪かったって。軽口叩いてねぇと、こんなおっかねぇとこいらんねんだよ」

 

「何を恐れる必要がある。どうせ神話生物の仕業だ、幽霊なんぞ怯えるだけ無駄というものだ」

 

 今回の任務。それは青山霊園で発生した死体の掘り返しから始まった。誰がやったのか、朝方になると墓が掘り返されており、遺骨等が散乱していたらしい。それを調査しに行った警察が夜間の張り込みをし……消息不明となった。一体何が起こっていたのか、その調査が俺達の任務だ。

 

「……にしても、お前さっきので俺の身体斬れてたらどうするつもりだったの?」

 

「死体がひとつ増えるだけだ」

 

「慈悲も容赦もねぇ……」

 

 ……本当、慈悲も容赦も持ち合わせていないように見える。だが、それでもきっと彼は優しさを持ち合わせている。毒舌と雰囲気がそれらをかき消しているだけのように思えるのだ。

 

 思い出すのは、先日西条さんとVRトレーニングで手合わせをした時のことだ。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 朝は基本的にVR室でトレーニングをしている。そこに、偶然西条さんがやってきて、俺の前に立ちはだかるように道を塞いできた。そして……俺に手合わせをしろと言ってきたのだ。

 

「……なんで手合わせするの俺だけなんですか?」

 

「あのメンバーで一般兵、そして近接だと貴様だけだからだ。せめて接近戦がどれだけ出来るのか見せてみろ。出来るようなら、次の任務で貴様に獲物を任せるくらいはしてもいい」

 

 VR室の扉の前に立って、西条さんは俺の事を見下すように睨みつける。少し寒気がしたが、俺も負けじと持っている槍を握りしめた。

 

「セッティングは、一対一のマッチ、一本だ。しかし……貴様がコレでトレーニングをしているとは思わなかったがな」

 

「……トレーニングをすることに何か問題でも? 強くならなきゃいけないんですよ、俺は。だから一応ほとんど毎日朝早くはコレやってますけど」

 

「……買い被りか。貴様はこのトレーニングの趣旨を理解しているのか?」

 

「現実に限りなく近い戦闘シュミレーションでは?」

 

 そう答えると、西条さんは軽く頭を抑えた。そして次に俺を見た時……その眼光の鋭さがよりいっそう増していた。俺は何か間違った答えを言ったのだろうか。

 

 いや、言っていないはずだ。これはVRトレーニング。自分の出せるだけの力を存分に振るい、自分がどれだけ戦えるのかを確認するためのものなのだから。

 

「……入れ。死ぬ覚悟だけはしておけよ」

 

「………」

 

 冷や汗が伝っていく。しかし俺には彼の考えている意図が読めない。仕方なく、震えそうになっていた足を動かして部屋の中に入った。

 

 待つこと数分……。部屋に歪みが発生する。自分の身体が徐々に情報化されていき、やがて青白いキューブで出来た空間に放り出される。そしてキューブは広がっていき、どこかの廃墟でも模したのであろう、鉄筋コンクリート剥き出しの薄暗い空間に変わっていった。窓が出来る予定であった部分からは、月明かりが差し込んできている。

 

 身体の動きを確認するように周りを見回した。鉄筋コンクリートで出来た柱、床、天井。そして……

 

「………」

 

 刀を構えた男が一人。西条さんは刀の刃を上に向け、右手で刀を引くように持ち、身体を斜めに向けている。おそらく、刺突の構えだ。

 

「……コイツが落ちたら開始だ」

 

 西条さんが左手で持っていたのは、一枚のコイン。ここからではその種類は見えないが、大きさからして500円玉だろうか。

 

 ……いや、今考えるべきはそれではないだろう。今なお俺に向けられているこの鋭い殺気を、どう逸らすのかを考えなくてはならない。

 

 弾く。逸らす。躱す。頭の中で数通りのパターンを考え、それに合わせて俺も両手で槍を握って体勢を整える。

 

 西条さんが指でコインを弾いた。乾いた音が響き、コインが宙を舞う。クルクルと回転しながら落ちていき……

 

 ……地面についた。

 

「────ァ」

 

 目の前に、刃があった。

 

 不思議とゆっくり流れる時間の中で、俺は思った。

 

 何故ここにある。距離はあったはずだ。一瞬で詰められたのか。そんなバカな。

 

 逸らす、弾く、いや無理だ。面ならともかく、突きは点だ。武器を当てることすら難しい。

 

 躱せ。躱せ、躱せ躱せ───。

 

「ッ、痛っ」

 

 頬の皮一枚を斬り裂いて、刃は顔の後ろへと抜けていく。顔を動かして躱したはいいが、ここからどうする。距離を取る、いや……あの速さで突きを放てば動けないはずだ。なら、ここはむしろ身体に打撃を加えるべきか。

 

「───ヒュ」

 

 ……視点は空を舞っていた。動かしていないはずなのに、何故俺の頭は動いている。

 

 ……痛い。熱い。首が熱い。燃えているのか、俺の身体は。

 

 あぁ、いや、待てよ……俺の身体はどこだ?

 

「……及第点すら程遠いな」

 

 西条さんが見える。刀をふり抜いたあとの西条さんが。そして……そのすぐ近くで倒れている、俺の身体が。

 

 首を斬られた。認識した途端、痛みが止まることなく湧き出てくる。叫びたい。しかし声すらあげられない。涙を流しながら俺は、トレーニングが終わるまで苦痛に耐えるしかなかったのだ。

 

「ッ───ハァ、ぁ、アァァッ!?」

 

 気がつけば、空間は元に戻り俺の身体も元通りになっていた。痛まないはずなのに、その場で蹲り、首を両手で締め付けるようにして俺は叫びだした。痛くないはずなのに。斬れてないはずなのに。

 

 痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ───!!

 

「喚くな」

 

「ガフッ……!?」

 

 腹が痛む。蹴られたのか。誰に……。いや、西条さん、か。蹲りながらも、俺は見下している西条さんを睨むように見た。彼は、まったく無表情であった。

 

「……首の痛みは消えたか?」

 

 その言葉に、頷いて返した。不思議と首の痛みの錯覚は消えていた。ショック療法だろうか……。だが、首を斬り落とされるなんて初めての体験だった。幻痛が生じたのは、そのせいなのだろうか。

 

「思惑通りだが、期待外れだ。こんなものをやっても貴様の言う強さには届かん」

 

「ぐっぅ……」

 

 腹の痛みを抑えながら立ち上がる。槍を杖の代わりにして立っていると、西条さんの鋭い目と目が合った。眼鏡越しの筈なのに、その鋭さは無いはずの首の痛みを再発生させる。その痛みは、耐えられないほど酷くはなかった。

 

「任務をこなすにつれ、色々な敵と相対した。それを殺すことで、自分は徐々に強くなっているのだと錯覚した。それは間違いだ」

 

「……俺、は……」

 

「……話をしてやろう。このVRトレーニングの本当の意味についてだ」

 

 VR室の壁を拳でコンコンッと叩きながら、西条さんは言った。本当の意味、とは何のことなのだろうか。部屋の中に、西条さんの冷徹な声が響き渡る。

 

「そもそも、VRトレーニングに痛覚まで付与する意味はなんだ?」

 

「……より、現実に近い体験をするため……」

 

「即戦力になる兵士が欲しければ、痛みを感じさせる必要は無い。痛みを知らぬ兵士は、我先にと敵に突っ込んで行き、戦果をあげた後に、その痛みに泣き叫びながら死ぬだろう。怖いもの知らず、ということだ。だが、それが痛いものなのだとわかった途端に使い物にならなくなる」

 

「………」

 

「では、痛みを覚えた兵士はどうだ? 日頃から身を裂く痛みを感じていて、それでも死なぬとわかっていたら?」

 

「……それは」

 

「恐れを知らぬ兵士よりもより屈強な兵士ができる。痛みや恐れを知ってもなお、敵に立ち向かう兵士が。そして、痛みとは直に慣れるものだ。慣れてしまえば……その痛みを無視して戦い続ける。これが、VRトレーニングの本当の意味のひとつだ」

 

 ……確かにと納得させられるモノがあった。それが例え、西条 薊という一人の男の演説力であったとしても、俺の頭は正常にそれを認識し、噛み砕き、理解した。そしてまだ、西条さんの話は続く。

 

「貴様はいつから生物を殺すことに嫌気を感じなくなった?」

 

「……は?」

 

 嫌気? そんなものは毎回感じている。何かを殺す度に手に残るあの気持ち悪さ。罪悪感も、俺の中には残り続けている。

 

 ……しかし西条さんは、俺の事を鼻で笑ってから言った。

 

「なら何故、俺と手合わせをした? 死ぬ覚悟をしろとも言ったはずだ。それはつまり……殺し合いをすることを許容したということだろう?」

 

「────」

 

 何か言おうにも、喉に何かが詰まって言葉が出なかった。違う。俺は殺し合いなんてする気はなかった。だが、勝ち負けの判定は、死亡判定と同義であって……。

 

 ……それを理解していてもなお、俺はそれをやったのか。

 

「この組織に入る前の貴様なら、俺の手合わせを受けたか? 死ぬとわかっていてだ」

 

「……受けない、です」

 

「それこそが、このトレーニングの意味のひとつにして、最大の目的だ」

 

 

 

 

 

 

「何かを殺すことへの拒否反応を薄れさせる。それはすなわち、貴様が今まで培ってきた道徳観や倫理観の崩壊を意味する。貴様は強くなったのではなく……『人でなし』になったのだよ」

 

「武器を人に向けて何を思った。武器を向けられて何を感じた。その槍が何かを突き穿ち、貴様が血で汚れた時に何を想像した。貴様は着実に、人として崩れ落ち、やがて『殺人鬼』に成り下がるのだ」

 

「これを続けていれば、貴様は神話生物を嬉嬉として殺し、その手に罪悪感なんてものを抱かず、やがて人殺しも躊躇しなくなるだろうよ。貴様は元より戦えたのだ。ただ、邪魔をしていた躊躇いがなくなっただけだ。強くなりたければ勝手になるといい。その内……俺の刀が貴様の首を撥ねるだろうがな」

 

 

 

 

 

 

 その言葉に何も返す言葉もなく。俺はただ痛む腹を抑えながら立っていた。視線が逃げ場を探して動き回る。

 

 俺が神話生物を吐きもせずに殺せるようになったのは……慣れではなく、躊躇いの喪失だった。そうだ。あの蛇人間との戦いの時、俺は何を思っていた……?

 

 『手に残る感覚が気持ち悪い』

 

 その感覚が気持ち悪いのであって、俺は殺すことに関して何も躊躇いがなかったのではないか。いや、どこかにはあったのかもしれない。しかしそれはここに来てからのモノとは大きさが違う。俺の心は……生物を殺すことに関しての躊躇いが、殆ど無くなってしまっているのか。

 

 視界が揺れる。地面が揺れていると錯覚するほどに。腹を抑えていた手を離し、額を抑える。目の前には……俺をただ無表情で見下ろしている男がいる。

 

「……貴方は」

 

 疑問が漏れた。それは聞くべきではないだろうに。しかしその言葉を抑えつける術を持ち合わせていなかった。

 

「何かを殺すことに、躊躇いがないんですか」

 

 あの首を撥ねた一振り。そして顔面を貫かんとした鋭い突き。そこには殺気しか感じなかった。

 

 西条さんの表情は変わらない。ただ俺の質問を、くだらない事だと吐き捨てた。

 

「俺には俺の目的というものがある。それを果たす為ならば、俺は何でも斬り捨てよう。躊躇いなど不要だ。元より俺は、道徳観が邪魔をしてくるほどできた人間ではないからな」

 

 西条さんが扉に向かって歩いていく。そして扉を開き切ると、顔だけを振り返るようにして俺に言った。

 

「所詮強さとは、何かを犠牲にせねば得られんのだ。俺のような強さを得たければ、取捨選択くらいは自分で決めるのだな。躊躇いも、友人も、何もかもを捨てれば……強くはなれるぞ。貴様のような未来を見据えぬ小僧が、それをしたところで結末は壊滅的だろうがな」

 

 西条さんが部屋から出ていく。残された俺は、その場に倒れるように崩れ落ちた。

 

 強くならなくてはならない。大切な人を護るために。

 

 そのために、俺は何を捨てれるのだろうか。

 

 それに……本当に、強さとは何かの犠牲の上に成り立たなければならないのだろうか。

 

 俺には何も答えが出せなかった。

 

 

 

To be continued……




作者には異世界転生モノを中傷する気は毛頭ございません。

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