貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第71話 ヒーローの在り方

 空の月は三日月。あまり力が出ない夜だ。しかし俺達の仕事に休みというのは中々ない。最近の任務達成率やら何やらで、一般兵として名を上げてきた俺達。とうとう夜間見回りの任務まで来るようになってしまった。いつもの黒い外套を身に纏った俺と先輩は、人に見つからないように暗い道を進んでいた。隣を歩く先輩から心底嫌そうな声が聞こえてくる。

 

「……なぁ俺もう帰りたいんだけど」

 

「俺も帰りたいです。正直眠いですよ」

 

 夜間見回りは、基本的に誰と行動してもいい。まぁ、七草さんは寝かせといてあげた方がいいからということで、俺と先輩の二人だけで見回りをしていた。西条さんは嬉嬉として単独行動に走ったため、今回は放っておくことにした。どうせそうポンポンと神話生物が見つかるわけじゃない。

 

「人もいねぇし、神話生物もいねぇし。何か明確な目的がある訳じゃない。ゲームで図鑑コンプした後みたいな虚しさを感じる」

 

「違和感も何も感じませんしね。今回の担当地区は外れでしょう」

 

「お、おい……もう帰ろうぜ……?」

 

「なんだよタケシ、ビビってんのか?」

 

「そこで帰っておけばあんな悲劇にはならなかったんだがなぁ」

 

 あまりに暇すぎて、俺達の会話も自然と中身のないものになってくる。実際問題、青鬼と正面切って戦ったら勝てるのだろうか。小説版だとアホみたいに強いからなぁ、アレ。先輩が銃撃ってれば勝てなくもなさそうだが……。

 

 そんなアホみたいなことを考えていると、遠くの方から誰かの声が聞こえてきた。またいつか聞いたみたいな、女の人が嫌がる声が聞こえてくる。先輩と顔を見合わせてから走り出したが、互いにすぐさまため息をついた。

 

「……神話生物退治より、そこら辺にいるチャラ男ぶん殴る方が回数多くなんじゃねぇの」

 

「まったく人間ってのはどうしてこう短絡的かつ快楽的に生きるんですかね」

 

「相も変わらず、世の中クソだな……っと。出会い頭にキャベツでもぶつけてやろうかな」

 

「食べ物粗末にしたら農家の方と俺から怒りの鉄槌が飛びますよ」

 

「ポケットから赤い液体取り出すの本当やめて」

 

 ……その日の見回りは、絡まれていた女性を助けるということを何回かして終わった。表沙汰にならないだけで、多くの人がそういった事件に巻き込まれているのだとわかってしまった嫌な日となったが……助けられた人がいたから、よしとする。

 

 夜間の身体能力と、起源覚醒による身体能力。そしてこの黒い外套のおかげで、人の目に触れないように闇夜を走り抜けることが出来た。時には壁ジャンプをして電気の消えたビルの窓枠に足を引っ掛けて跳んで行ったりと、わりと楽しみながら広い範囲を動き回っていた。今度はビルからビルへ跳び移る遊びでもしようか、と先輩が話していたが……落ちたら死ぬということを理解しているのだろうか。

 

 俺達は蜘蛛男じゃないのだから、落ちたら死ぬのは当たり前だ。だがまぁ……ビルからビルへ跳び移ってみたい気持ちはある。いやだって、格好いいじゃん。まるで映画みたいだ。フックショットが使えたらできなくもないが……あれはどう頑張っても、現実では使えない。先輩が暇な時に試作品を作っていたが、やっぱりゲームのようにはいかなかった。ガーンだな。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

「せーんぱいっ、暇つぶしにどこか行きましょうよー」

 

 すっかり皆の憩いの場となってしまった俺と先輩の共同部屋。今日も今日とて、西条さんと加藤さんを除いた皆が集まっていた。藪雨はやることがなく暇らしい。俺達も暇と言っちゃ暇だが……休みの時は、何もしないでゆっくりするというのも大事なのだ。決して藪雨の相手をするのが面倒だと言い切るわけじゃない。

 

「……あのねぇ、俺と先輩は徹夜で外回ってきたの。そんで朝早くは特訓して、今やっと休んでるの。先輩を見てみろ、真っ白に燃え尽きてるじゃねぇか」

 

「いや鈴華せんぱいが倒れてるのって、せんぱいがヤバイ色した固形みたいなの盛ったからですよね」

 

「だって疲れてるのにアホな事ぬかしてくるんだもん。俺悪くない」

 

 ソファでぐったりしている先輩を横目で睨みつけた。疲れてる時に家事を押し付けないで欲しい。せめて手伝ってくれ、本当に。さすがの俺も疲れてる時は沸点が低くなるのだから、仕返しにデスソースセカンドエディションの別派生として作られた個体として濃縮された赤色のキューブ。通称ソリッド・ソースを使ってしまっても誰も文句は言わないだろう。

 

「ひーくんってデスソースだけでどれだけの種類を作ってるの?」

 

「原液を濃縮して更に濃縮して、スプレー、気体爆弾、固形物……俺もわからなくなってきたな」

 

 気がつけば溜まりに溜まった失敗作の数々がゴミ箱に捨てられている。そのうち自然発火現象でも起こしそうな気がしてきた。危険物として処理するべきだろうか。

 

 まぁそんなことはどうでもいいや、っと俺は珈琲を啜った。疲れはとれないが、十分落ち着く。先輩もそのうち起きれば体力が回復していることだろう。半強制的に寝かせてあげたのだから感謝してほしいものだ。

 

「……よくよく考えたら、今この状況って凄いですよねー。美少女三人と会話してるの、せんぱいただ一人だけなんですよ?」

 

「悪いな、俺の視界の中にいる美少女は二人だけだ。背の低い子供なら見えるが」

 

「また背が低いって言いましたね。しかも美少女まで否定した!! 私だって怒る時は怒るんですよ!?」

 

「その程度で怒るとは、やはり子供だな……。ってか、お前外に友達がいるだろ。そいつらと遊んでくればいいじゃねぇか」

 

「……素の私でいられるの、ここだけなんですよ」

 

 そう言った藪雨の顔は、心做しか暗く見えた。蛇人間達との事件の時に藪雨には軽く説教っぽいことをしたが……まぁ、ここでくらい素の自分でいられるようになったらしい。それは喜ばしいことだ。

 

 藪雨はマグカップを両手で持ちながら、暗かった表情を無理やり変えるように微笑んでから言った。

 

「……まぁ、感謝はしてますよ。なんだかんだ言って、ここはとても居心地がいいですから。遊びに来ればお菓子と珈琲も出てくるし、遅くまで居座っていればご飯も出てくるし」

 

「飯目当てかこの野郎……まぁ、いいけどさ。お前が楽に過ごせるようになったって言うなら、俺があの時お前に話した甲斐があったってもんだ」

 

 思い返してみれば、中々に恥ずかしい体験だったのではないか。満月の夜にベランダで二人っきり。互いに隠し事もせずに、腹を割って話し合った。まぁ、青春の1ページと言うことにしておこう。

 

 そう思ってまた珈琲を啜ると、ジト目で俺を睨んでいる菜沙と目が合った。心做しかその頬が膨れている気がする。

 

「……氷兎君は、いろんな人を助けてるよね。行った先で、現地の人だけじゃなくて、周りにいる私達も。きっとここにいる人は、皆氷兎君に助けられてるはずだよ」

 

 七草さんの笑顔が突き刺さる。その笑顔はいつ見ても綺麗だった。汚れのないその表情を、ずっと保ち続けてほしい。その為にも、その表情を曇らせないように頑張らなくてはならなさそうだ。

 

 そんな決意をする中、七草さんの言葉に頷いた藪雨と、距離を詰めて腕と腕をくっつけるようにしてきた菜沙。感謝されているというのは嬉しいが……こうも真正面から言われると、恥ずかしいったらありゃしない。俺は頬を掻きながら視線を逸らした。

 

「ふふっ……。氷兎君は、ヒーローみたいだね。困ってる人のところに現れては、助けて去っていく。まるで漫画の中に出てくる主人公みたい」

 

 ……七草さんは、俺をヒーローだと言ってくれた。しかし、そんなことはない。それを自称するには……それを誇りのように言うには、あまりに手を汚しすぎた。

 

「……そんなヒーローに、なれたら良かったけどな。俺にはもうなれないよ。誰も彼もを助けるヒーローなんてのは、きっともっと凄い奴だ。何の汚れもない手で、何もかも救っちまえる奴なんだ。俺は……助けられた人よりもきっと、助けられなかった人の方が多いよ。そんな天秤で数を競う訳じゃないけどさ……」

 

「……ひーくんは、そんな皆を助けられるヒーローになんてならなくていいんだよ」

 

 すぐ隣にいる菜沙が俺を見上げながら言ってくる。相変わらず、その瞳には揺らぎがない。真っ直ぐと俺を見据えて、偽りのない彼女の本心を伝えてきた。

 

「ひーくんはね、優しいから色々なものを背負っちゃう。皆を助けられるようなヒーローを目指したら、きっと倒れちゃうよ。だから、ね……私達のヒーローでいてくれればいいんだよ」

 

 俺の右手に彼女の左手が重ねられた。昔から変わらない柔らかさ。そして彼女の暖かさが、俺の心を満たしていくような気がする。

 

「ひーくんの正しいと思ったことをして、それで助けられない人が出たとしても……仕方ないと割り切ってほしい。私はそれを責めるようなことはしないよ。私がいつも思っているのは……ひーくんが、無事に帰ってくることだから。ずっと、私の隣で護ってくれるヒーローでいてね、ひーくん」

 

 重ねられた手が握られる。真っ直ぐな瞳が俺を貫く。その言葉に俺は……ゆっくりと頷いた。それを見て満足そうに笑った菜沙は、そのまま身体を傾けて俺に預けてきた。彼女の温もりが、身体と心を癒してくれるような気がする。長い付き合いの賜物なんだろう、きっと。

 

「……唯野せんぱいは、唯野せんぱいらしく生きていけばいいんですよ。菜沙さんの言ったように、誰かに何を言われてもいいから……自分の意思をちゃんと持って、頑張っていけばいいと思いますよ」

 

「いつだって、私は氷兎君のこと頼りにしてるんだよ。だから……氷兎君も、私を頼っていいんだよ。そうやって、これからも一緒に頑張っていこう……ね?」

 

 藪雨のどこか照れたような言い方と、七草さんの首を傾げた微笑みのせいで……体温が一気に上がった気がする。多分傍から見てもわかるくらい、顔が赤くなってしまっていることだろう。恥ずかしさを紛らわすように、俺は珈琲を口に含んだ。すると、ソファの方からゴソゴソと動く音が聞こえてきた。ようやく先輩が起きたらしい。恨みがこもってそうな声が聞こえてくる。

 

「うぐぉぉ……辛さと甘さでイカれちまいそうだ……」

 

「天パせんぱいおはようございまーす」

 

「起きて早々お前の声を聞く羽目になるとは、今日は厄日だな……」

 

「おいそれどういう意味だ天パ」

 

「後輩の口が悪くなる。やっぱ年上のお姉さんが至高だって、ハッキリわかんだね」

 

「あったまきた。唯野せんぱい、デスソースください」

 

「そこの失敗作なら使っていいぞ」

 

「氷兎ッ!?」

 

 数秒後、明らかに近所迷惑になるだろうと思われるくらいの悲鳴が響いた。辛さに悶える先輩と、それを見て笑っている俺達。こんな平和な日々が、毎日続けばいいのに。そう願って止まなかった。

 

 勇者(ヒーロー)。それは俺が夢見ていたもの。しかしそれは決して叶わぬものなのだと、実感してしまったもの。けれど特定の誰かの味方という意味でのヒーローであるのならば、なれるのかもしれない。

 

 俺にとってのヒーローは、きっと……そこで悶え苦しんでいる、格好悪い相棒(ヒーロー)なんだろうなぁ。

 

 地面に横たわった先輩をニヤニヤと眺めながら、俺は心の中で先輩に感謝した。心の支えや、戦う理由となっているのは菜沙や七草さんだけど……。

 

 いつも隣や後ろで俺を護ってくれてるのは、やはり先輩だったから。だから……これからも、よろしくお願いしますね、先輩。

 

 

 

To be continued……


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