貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第73話 相反性理論

 車椅子に座っている女性は泣いているところを見られたせいか、涙を拭って恥ずかしそうに笑っていた。目の下にある泣きぼくろが印象的な大人しそうな女性であった。

 

 ……その笑い方はどこかぎこちなく、決して柔らかいとは言えないものではあったが。

 

「すいません……お見苦しいところを……」

 

「いえいえ、いいっすよ。それよりも、どうかしたんですか?」

 

「いえ、その……なんでもないんです。ただちょっと、足が痛くて……」

 

 女性は自分の足をさするようにしながらそう言った。だが、残念なことにそれは嘘のように思えた。まぁ、見ず知らずの人のことをそう疑ってかかる必要も無い。泣いている理由なんて言い難いものだろう。咄嗟に出た嘘というのもありえる。今は気にする必要もなさそうだ。

 

「車椅子……それだと、ここら辺キツくないですかね。俺達でよければ目的地まで連れていきますよ!」

 

 先輩特有の、人の心を和ませるような笑い方だ。初対面相手なら中々に効果的だろう。それを本人が自覚してやっているのかは知らないが……まぁ、いい機会だ。車椅子で旅行に来るわけがない。現地の人に違いないし、何か聞いてみるのも良さそうだ。

 

 先輩に笑いかけられた女性は少し戸惑いながら、俺達の持っている大荷物を見てから首を振って答えた。

 

「いいえ、大丈夫です。それに、今日ここに来たばかりの人ですよね? なら、ご迷惑になりますから……」

 

「……それなら、出来ればお話を伺いたいことが幾つかあります。なので、それについて話しながら貴方を目的地まで送っていく、というのはどうでしょうか? 自分らは全然下調べもしないで来たもので……宿すら確保出来ていないんですよ」

 

 先輩の横までやってきて、俺は女性に言った。女性が提供出来るものは、物と情報くらいだ。対して俺達は普段の仕事もあって体力もある。交渉の内容としては上出来だろう。

 

 女性は悩むように周りを見回して、俺達のメンバーの中に七草さんがいることを見ると、少しホッとした面持ちになった。それもそうだ。こんな男軍団に、しかも車椅子乗ってるのに話しかけられたら怖いだろう。七草さんの楽しそうに周りを見ている仕草や表情が、女性に安心感を与えたのは確かなことだ。

 

 ……七草さんがいてくれて良かったと、俺は心の中で感謝した。

 

「……そういうことでしたら、お願いできますか? 見ての通り、不自由な身体でして……」

 

「うっす、任せてください! それで、どこまで行くんですか?」

 

「えぇっと……ちょっと距離があるんですけど、スーパーまで買い物に行こうと思っていて……」

 

「ならむしろ好都合ですね。自分達も、ちょうど飯とか買える場所を探していたので」

 

 なんとか材料の調達はできそうだ。それさえ出来れば、民家にお邪魔することもできるだろう。更に話まで聞けるとくれば、いい事づくめだ。目敏く女性を見つけてくれた先輩の……うん、まぁなんだ。性欲辺りにでも感謝しておこう。

 

 先輩が女性の車椅子を押し、俺が変わりに先輩の荷物を持つことにした。都会とは違った広い道を歩きながら、女性は俺達のことを尋ねてきた。何をしにここに来たのか、どんなことをしているのか、といった内容だった。車椅子を押している先輩がその質問に答えた。

 

「俺達は……そうっすね、都市伝説とかそういうのを検証して回る集まりみたいなもので……」

 

 適当にはぐらかして答えていく。その質問に答えながら、俺達は各自で自己紹介を終わらせた。西条さんのぶっきらぼうな物言いには、女性は怯えたように見える。初対面でこのインテリヤクザ顔は中々怖いだろうなぁ、と俺は西条さんと初めて会った時のことを思い出した。申し訳ないが、仲間にするのはNG。そう考えていた時期が、俺にもありました。

 

 俺達の自己紹介のあと、女性も軽く頭を下げて名前を伝えてきた。

 

「私は、賀茂(かも) 海音(かいね)といいます」

 

「海音さん……いい名前っすね」

 

「ありがとうございます」

 

 先輩がやけに積極的に話しかけに行っている気がする。あれか、先輩の好みに合っていたのかもしれない。しかし見た目は俺達とさほど差がないと思う。確かに見てくれはお姉さんっぽくはあるが……。

 

「そういえば、都市伝説を探しに来たんですよね。やっぱり……あの招待状、ですか」

 

「そうそう、そうなんすよ。何か知ってたりします?」

 

「……いいえ、特に詳しいという訳ではありません。でも、結構な数の人がその招待状を貰ったらしいです。そして……そのまま、帰ってきませんでした」

 

「……帰ってこなかった?」

 

 幸せの招待状。それを貰った人は幸福になれる。どうにもまだ事件の全容が見えない。先程から後ろで携帯を弄っていた西条さんが、俺の言葉に反応してきた。

 

「招待状と言うからには、招かれる場所があるということだ。そこでその招待主の言う『万人に共通する幸せ』か『個人に合わせた幸せ』というものが手に入るのだろう。帰ってこないと言うからには……その場所でしか、その幸福を得られないということだろうな」

 

「万人に共通する幸せ……果たして、そんなもんがあるんですかね」

 

 俺は歩きながら全員に聞こえるように、自分の考えを話すことにした。これはまぁ、前々から色々と考えていたことでもある。

 

「自論ですが、人間というのは物事に差がなければ認識出来ない事柄が多く、また物事とは相反する状態がなければ存在しないとも言えると思うんです。仮に、相反性(そうはんせい)理論とでも言いましょうか。まぁ、今回はその差について話をしましょう」

 

 珍しく、西条さんも俺の事をじっと見ていた。話を止める人もいないので、俺はその話の続きを言い始めた。

 

「例えば、同じ痛みをずっと感じ続けていれば、それを普通だと認識してしまう。それを人は慣れと言います。では、同じ幸せはどうか。これもまた、慣れてしまう。同じレベルの幸せをずっと感じていたら、それが普通なのだと思ってしまう。だからこそ、俺達には『幸福』と『不幸』という言葉が存在している。言い換えれば、『幸福』と『以前よりも幸福ではない』という状態です。この幸福の差がないと、俺達はそれを実感できない。幸福度が10の人が10の幸福を感じるのと、幸福度が0の人が10の幸福を感じるのとでは、幸せの度合いが違う」

 

「……それで、何が言いたい」

 

「西条さんの言った、万人に共通する幸せ。これって絶対無理なんですよ。人間は欲深い生き物です。だからこそ、更に上の幸福を、と差を求める。ずっと幸せでい続ければ、いつか天井に当たる。そこから先、何が起きても『不幸』でしかないんです。同じ道端に一日ごとに1万円ずつ加算するようにお金が落ちていたのが、ある日千円しか落ちていなかったとする。それを見たら思うはずです。あぁ、なんだ。今日はこれだけか、と。何も無い他者から見れば幸福に感じるものも、その人にとっては以前よりも幸福ではない。ずっと毎日幸せな日々、なんてのは存在しません。だからこそ、万人に共通する幸せなんてものは、嘘っぱちですよ」

 

「ならば、個人に合わせた幸せか」

 

「それもどうかと。西条さんもわかっているはずでは?」

 

「………」

 

 何故か西条さんに睨まれてしまった。個人に合わせた幸せ。それこそ無理難題だ。十人十色の幸せがあり、そのバリエーションに合わせて提供するなんてのは、一個人では無理だ。もし仮に、それができているのだとしたら……。

 

 ……まず間違いなく、神話生物が絡んでいる。しかも上位の存在だ。まだ俺達で相手にできる者ならともかく、上位存在に関しては俺達の法則が通用しない。なんでもありな連中だ。

 

 俺の話を時間をかけて理解した先輩は、もう一つの方の話を聞かせてくれと言ってきた。

 

「んで、氷兎の言った相反性理論だっけ。そっちはどういった内容だ?」

 

「これは簡単ですよ。物事には必ず『裏』がないといけないってだけです」

 

「裏?」

 

「裏がなければ表もない。例えば幸せと不幸、楽しいと楽しくない。簡潔に言えることですけど、仮にこの裏がなくなったとしたらどうなると思いますか?」

 

 俺の質問に答えたのは西条さんだった。顎に片手を添えながら、眼鏡の奥にある鋭い眼光が俺を見据えていた。

 

「さっきの話と繋がるな。不幸、即ち幸せでない状態がなくなった途端、幸せが永久的に続くことになる。それはありえない、ということか」

 

「そういうことです。片方がなくなれば、連鎖的にもう片方もなくなります」

 

「なるほど……。中々、面白い話ではあったな。理論としては穴がありそうだが」

 

「そりゃそうですよ。俺学者じゃないですから」

 

 西条さんは話を終えると、鼻で笑ってからまた少し距離を話して歩き続けた。七草さんは頭を傾げて悩ましげな表情を浮かべている。それを見て不意に笑いがこぼれた。必死に理解しようとしている七草さんが、子供っぽくてかわいらしかった。俺の表情に気がついた七草さんは一気に俺との距離を詰めて問いただした。

 

「氷兎君、なんで私のこと見て笑ってるの?」

 

「んー、なんでもないよ」

 

「うそっ、絶対何かあるもん!」

 

 服の袖をグイグイと引っ張ってくる。また自然と笑顔が出てきて、俺と七草さんは笑いあっていた。そんな傍ら、賀茂さん……言い難いし、海音さんでいいか。海音さんは俺の話を聞いてから、どこか暗い表情を浮かべていた。そして小さな声で、ポツリと呟いた。

 

「……ずっと幸せがないのなら、ずっと不幸もないのでしょうか」

 

「……まぁ、氷兎が言うには、ないんじゃないっすかね。きっと不幸だと思っている人は、普通の人にはわからない、ささやかな幸せに気がつけると思うんすよ」

 

「……本当に、そうなんでしょうか」

 

 その言葉には、誰も答えなかった。ただ先輩が時折別の話題を振って、その空気をなんとかしようと頑張っていたが。

 

 ……生きている限り、幸せには天井ができる。では逆は。ずっと不幸というのはありえるのか。

 

 それはどうだかわからない。おそらく、ずっと不幸の行き着く先、その下限は『自殺』だ。だが、その自殺の瞬間に何を思うのか。クソッタレな人生だったと思うかもしれない。来世があるなら、幸せになりたいと願うかもしれない。

 

 もしかしたら……ようやくこの不幸から解き放たれる、と幸せを感じるかもしれない。

 

 西条さんの言う通り、俺のこの自論はどうやら穴があるようだ。まだ堂々と提唱はできなさそうだが、それでもこの考え方はきっと大事なのではないかと思うのだ。

 

 

 

To be continued……


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