貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第76話 裕福と幸せは同等でなく

 今日は昼に歩き回ってみても何も得られず、ネットを見てもそれらしい事は書かれていない。困ったことに、手詰まりだ。何かヒントがあるわけでもなく、また明確な敵がいるという訳でもない。

 

 こういう時はゆっくりとひとりで物思いにふけるとしよう。幸いにも今日は綺麗な月が浮かんでいるはずだ。それに満月という訳でもない。夏の暑さはどこへやら、最近の外は涼しげな風が吹いている。考え事にはもってこいだろう。そう思って海音さんの家のちょっとしたベランダに行こうと思ったのだが……。

 

「………」

 

 なんともまぁ珍しいことに、ベランダでは西条さんが空を見上げて佇んでいた。まだ風呂に入っていないようで、髪型はオールバックのままだ。相変わらず服装も夜に紛れるような色をしているというか……いつまでヤクザスタイルを貫く気なのだろうか。

 

 邪魔をするのも悪いかと思ったが、なんとなく、そこまで悪い気はしなかったから、俺はベランダに続く窓を開けて外に出た。ベランダと言うよりは、テラスポートか。庭に続くような形で、家から飛び出た屋根がその部分を覆っている。

 

 窓を開けた音に気がついた西条さんは、いつもの鋭い目つきで俺を睨むように見てきた。何故か、今となってはそこまでそれを怖いとは思わなかった。軽く頭を下げて、俺は西条さんの近くまでやってきて立ち止まった。

 

「珍しいですね。いつも下を見ている貴方が上を見上げるとは」

 

「喧嘩を売りに来たのなら家の中に戻れ」

 

「いえ、考え事をしようと思っていたので。なんならちょうどいいですし、今後どうするかくらいは決めましょう」

 

「そういうのはあの天パとやってこい」

 

「あの馬鹿は今ゲームに夢中でして。さっきから、ふみふみきゃわたんとか訳の分からないことほざいてます」

 

「………」

 

 呆れたような目を向けられた。俺にとって先輩がゲームをして変なことを言い始めるのは日常茶飯事だが……まぁ、普通の人が見たらそう思うのも仕方がないことだろう。傍から見ても、携帯横持ちでニヤけながらゲームしてたら通報不可避だ。そろそろ隣にいる俺のためにもニヤけるのはやめてほしい。

 

「……呆れるな。貴様らはいつもそうか」

 

「えぇ、いつもこんな感じですよ。やる時はやりますが……ってか、ナチュラルに俺までやべぇ奴扱いするのはやめてくれませんか」

 

「十分貴様もそのヤバい奴の一員だがな。ここまで何かと言われ、特訓ではボロボロにされ、なのに泣き言ひとつもなくここまで来ている。そこら辺の連中ならもうとっくに付き合いをやめているか、俺にボロボロにされているだろうよ」

 

「……まっ、そこら辺は先輩のお墨付きですので。最後までやり抜くのは凄いんだぞって褒められてますからね、俺」

 

「……くだらんな。ホモか貴様らは」

 

「俺はノンケです。先輩は……」

 

 ……その先は言わなかった。なんとなく、こう、ケツが締まった気がする。俺はそろそろ先輩と部屋を別々にした方がいいのではないか。いやまぁ、流石に先輩でも襲いかかってこないだろうけど。

 

 でもなぁ……最近の先輩のゲーム、女の子の服が破れたりとかするゲームが多いんだよなぁ。この前も巡洋艦大破ァ!! とか言いながらスクショ撮ってたし。ヤバいな、そろそろ精神科をオススメしよう。もしくは風俗にでも行かせよう。

 

 頭の中に浮かんできた先輩のアホ面をかき消すように、俺は空に浮かんでいる月を見上げた。

 

「……貴様らは何故ここで戦っている?」

 

 突然だった。隣に立っている西条さんは、どこか遠くの方を見ながら俺に話しかけてきた。その声音は静かだったが、確かに確固とした意志を持っているような気がした。俺はその言葉に、しっかりとした理由を添えて返事を返した。

 

「俺は……幼馴染と、七草さんを護るために。あとはまぁ、生活を提供してくれますから。俺みたいな世間を知らないガキからすれば、高待遇でしたからね」

 

「……アイツは?」

 

「先輩は……俺にもわかりません。あの人、なんとなく飄々としてますからね。きっと今が楽しいからとか、誰かを助けられるからとか、そういった理由なんでしょう」

 

 そう伝えると、西条さんはまた、くだらないなと吐き捨てた。ふと、俺は西条さんに興味が湧いてきた。この人はなんでここにいるんだろう。顔よし、家柄よし、お金よし。俗世の女が見たら食いつくこと間違いなしだというのに。

 

「……貴方は、なぜ組織に入ったんですか?」

 

 少し迷ったが、俺は率直に尋ねてみることにした。彼は一瞬だけ俺のことを見ると、また遠くの方を見つめ始めた。一文字に閉ざされていた口が開かれ、彼は俺に言った。

 

「金と権力のためだ」

 

 吐き出された言葉は、なんともまぁ俗世的なものだった。しかし、それはおかしい。彼にはもうそれらは揃っているはずなのだから。

 

「……もう持っているのでは?」

 

「それは『西条』のモノだ。俺のモノではない」

 

「……庶民からすれば、羨ましい限りだと思いますがね」

 

「……貴様にはわからんだろうな」

 

 鉄仮面かと思われた彼の仏頂面は、今はどこか憂いを帯びているように見える。いつもの鋭さはそこにはなかった。今の彼は、言っちゃ悪いが……とても人間味があった。そしてまた、彼の口が開かれる。

 

「俺は『西条』という名が嫌いだ。いや、名だけではない。あの場所すらも、俺にとっては忌避する場所だ」

 

「……何かあったんですか?」

 

 睨まれるかと思ったが、彼はそのまま俺に目も向けずに話を続けていった。

 

「西条グループの息子だと言われているが……俺は次男だ。俺の上には兄がいる。歳もそう離れていない兄がな。そうなると、金持ちグループがどうするかわかるか?」

 

「……いえ」

 

「俺も兄も、同じ教育を受けさせられた。兄は優秀だった。学校でも人気者だったんだろう。俺は……そんな兄に追いつきたくて、必死に努力をした。兄が何かを為せば、両親は頭を撫で、褒めた。だが……俺には、何もなかった」

 

 その声は静かなままだが、そこには確かに怒りの感情が込められていた。ゆらゆらと立ち上る煙のような、燻っている強い怒りが。

 

「テストで一位になっても、何かの賞を取っても、俺は何もされなかった。ただ一言、そうか、よかったな、それだけだ。嫌でも気付かされた。奴らにとって、会社にとって必要だったのは先に生まれた兄だ。会社を継ぐのも、家を継ぐのも、全て兄だ。英才教育を施し、社会のリーダーとして兄を育て上げた。俺は……とりあえず同じことをさせておけ、というだけの存在だった」

 

「………」

 

「誕生日など、ろくに祝われたこともない。兄は様々な場所に呼ばれ、俺はずっと必死に勉強するだけの存在だった。わかるか。実の親から金の入った袋を渡され、これで好きな物を買えと誕生日の日に言われた、まだ幼かった俺の心が。好きな物を買えばいい。それが幸せだろう。そう思っていたんだろうよ……だが……違うだろうッ。一緒に選んで、一緒に買うというのが普通なのではないのかッ。せめて……何が欲しいのかを尋ねて買ってくるくらいは……普通じゃなかったのか……」

 

 ……何も言えなかった。それはあまりにも、俺達のような普通からかけ離れていて、それに対して何かを言えるような経験をしたわけでも、また知識があるわけでもなかった。

 

「……奴らにとって親の愛とは、費用だ。それまでにかけた金の額が、奴らにとっての親愛だ。俺は早い段階で、家に見切りをつけた。だが、それでもまだ俺は幼かった。どこかに自分の居場所がなければ落ち着かなかった。やさぐれてはいたが……俺は俺なりに、中学時代では頑張っていたと思う。クラスの集まりにも呼ばれた。皆で飯を食う中で、俺も混じって少しは会話に参加していた。だが……それこそも、間違いだった」

 

「……過酷すぎやしませんかね」

 

「……しばらくは黙って聞いておけ。俺が自分のことを話すなど、今後ないだろうからな。今は……少し口が滑っているだけだ」

 

「潤滑油でも塗ってるんじゃないかってくらい滑りまくってますけど」

 

「……中に戻るぞ」

 

「いえ、続きをどうぞ。茶化してすいません」

 

 今度こそ睨まれたが、西条さんはため息をついてからまた話を始めた。今度は中学時代に起きた出来事だったらしい。

 

「……それなりに、俺は居場所があった。ハブられていたわけではなかった。だが、やはりあの時代というのは頭の足らん阿呆ばかりだ。自分がよければ何もかもいいと思っていたんだろう。教室に忘れ物をして、仕方なく道半ばで学校に引き返した時だ───

 

 

 

 

 

 教室に近づくにつれ、まだ教室内で誰かが残っているのか、話し声が聞こえてきた。誰に聞かれているとも知らず、その声はかなりの大きさだった。本人達は、さぞ楽しかったことだろう。

 

「なぁなぁ、次の集まりのメンバーどうする?」

 

 聞こえてきた声は、野球をやっていた男子生徒だ。そしてソイツの取り巻きの声も聞こえてきた。

 

「とりあえず西条だろ」

 

「えぇ……アイツ態度悪いから一緒にいるとたまに空気が悪くなるんだよなぁ」

 

「でも、金持ちじゃん? 頼んだら断らないからさ、いくら食ったってアイツ足りない分払ってくれるしいいじゃん」

 

「確かに。返さなくても何も言わねぇもんな!」

 

「俺わざわざ金少なめにして持ってってるし、集まりでそこまで金かかんないのっていいわー。アイツが同じクラスでよかったぜ」

 

「ッ────」

 

 ……確かに、俺は打ち上げで金が足りなかったと言った奴に金を貸したことはある。それも、何度も。困っているから、俺は金を貸してやった。返ってこないのも、中々まとまった金が入らないからだろうと思っていた。奴らは結局それを返さなかったが……あぁ、なるほど。金か。結局金なのか。

 

「フッ……ククッ、ハハハハッ……」

 

 思いがけず、乾いた笑いが零れるように出てきた。教室の外に俺がいることを悟ったアイツらは、必死に言い逃れようとしていたが……当時の俺は、もうそんなことはどうでもよかった。

 

「貴様ら……俺は、貴様らの財布じゃない。俺は……俺はッ……」

 

「ま、待てって西条!」

 

「今のはホンの冗談だって……」

 

 荷物を持って逃げようとする。入ってきた扉を閉め、俺はとうとう……生まれて初めて暴力を振るうという手段に出た。

 

「ッ、ア゙ァァァァァ───ッッ!!」

 

 それはもう言葉としての体をなしていなかっただろう。学校側にそれはバレたが……西条グループは、それを揉み消した。結局は金だ。全部全部、金だった。

 

 高校に入り、勉強にだけ励んだ。クラスの出し物なんぞ知ったことではなかった。東大に行き、そして俺は……どうするべきなのか途方に暮れた。家からは、政略結婚の話も出ていた。昔から決められていた許嫁だとか、くだらんものを押し付けられた。俺はもう、奴らにとって会社を大きくするための道具でしかなかった。

 

 そんな時だ。何もかもが嫌になり、夜の街を歩いていた時に……俺は一人の神父に出会った。明らかに外人で、肌は浅黒かった。ナイ神父と名乗った男は、俺にこの組織のことを教えてくれた。そして、俺は……半ば家出の形で、この組織に入り込んだ。家が俺を連れ戻さないということは……つまり、そういうことなんだろう。見限ったか、それともこの組織すらも会社に取り込もうというのか。それはまだわからんがな。それに、ナイ神父はこの組織にはいなかった。奴が何者なのかもわからんが……だが、だからこそ今俺はここにいる。

 

 

 

 

 ───俺は決意した。この組織なら、金なんてものは普通に働くよりも手に入る。神話生物を殺していれば、いずれか社会の明るみに出た時に、それ相応の立ち位置を手に入れられると思っている。そして何もかもが揃った暁には……俺は自分の会社を建てる。それを大きくして……俺の手で、西条グループを潰してやる。俺の目の前に奴らの哀れな姿を並べ、言ってやるのさ。貴様らの教育のおかげで、俺はこうして成長することが出来た、とな。泣いて助けを乞おうとも、俺は手を差し伸べはしない。それだけが……俺がここにいる理由だ」

 

 ……それはあまりにも過酷で、凄惨な話だった。子供の頃から親の愛に飢え、しかし与えられず。彼に貼られたレッテルは、周りに利用され、やがて彼は人を信じることをやめた。自分をこのような目に遭わせた家を恨み、それを潰すことだけを生きる理由とした。

 

 彼の家は普通ではなかったから。許された者のみが得られる高級階層。しかし……彼が望んだのは、普通の家だった。普通の家族。普通の兄弟。普通の環境。俺らにとって普通であるものを……彼は欲しがった挙句、得られなかったのだ。

 

「……同情の言葉なんぞいらん。だが……なんとなく、貴様には話していいと思った。それだけだ」

 

「……そうですね。俺が何を言っても、慰めにもならないでしょう」

 

 そう言うと、西条さんは片手で額を抑えてため息をついた。

 

「……何をやっているのだ、俺は。こんな意味の無い事を、つらつらと話し込むとは……」

 

「……いいえ、無駄ではないと思いますよ」

 

 振り返って家の方を見れば……そこには窓ガラスにへばりついて涙を流している気持ち悪い先輩がいた。今の話が他の人に聞かれていたと知られた西条さんは、驚きその場で固まっていた。先輩は、俺達の会話が終わったと知ると窓を開けて涙声のまま西条さんに近づいていって無理やり肩を組み始めた。

 

「西条ぉ……お前、本当はそんな辛い過去があったんだなぁ……。嫌な奴だって思ってたけど……仲良くなれそうにないとか思ってたけど……お前、お前ぇ……」

 

「やめろ離れろ鬱陶しい!! 貴様いつから聞いていた!?」

 

「ふみふみきゃわたん辺りから……」

 

「最初の方からではないかッ!!」

 

「西条ぉ……俺は、お前を見直したぞ……。任せろ、俺がお前の友達になってやるからなぁ……!」

 

「貴様を友とも呼びたくもない! いいから離れろッ!」

 

 がっしりと肩を組んでいる先輩を引き離そうと西条さんはもがいているが、先輩は意地になって離れようとしない。それを見て俺は、少し離れた場所で笑っていた。

 

「えぇい何を笑っとるのだ貴様ッ! さっさとこの馬鹿を引き離せ!」

 

「先輩、月が綺麗ですし写真撮りましょうか」

 

「おっ、いいなぁそれ。じゃあ西条、後で連絡先交換しようぜ!」

 

「誰が貴様らと一緒に撮るか!」

 

「はいじゃあ撮りまーす」

 

 俺はポケットから携帯を取り出して、自撮りをする形で三人収まるように位置を整えた。ちょうど三人収まり、月もちゃんと映る距離ができたので、俺はカウントダウンを始めた。

 

「はい、3……2……1……よし、撮れた」

 

「よーし、じゃあ連絡先交換しようぜ! ほら西条さっさと携帯出せよ!」

 

「鬱陶しい! やめろ、腕を掴むな!」

 

 西条さんは逃げようとするが、先輩は全身を使って逃げないように拘束している。相変わらずの先輩の変わりようのなさに俺は感謝しつつ、西条さんを見た。彼は嫌がっているが、どこか違ったように見える。

 

 ……きっと、西条さんにとっての大切なものになるんじゃないか。そう思って俺は撮れた写真を見た。

 

 肩を組んで笑っている先輩と、肩を組まれて鬱陶しそうに顔を歪めている西条さん。そして携帯を持って撮影している俺が写っている。うん……いい写真だ。俺は一人で微笑んだ。

 

「わかった、わかったからさっさと腕を離せ!!」

 

「よっしゃ! 氷兎も西条のやつ交換しようぜ!」

 

「はーい」

 

 渋々と言った様子で携帯を取り出し始めた西条さんの所へと俺も向かっていく。

 

 ……ようやく、俺達はちゃんとしたメンバーになれたような気がするのだ。

 

 これからよろしくお願いしますね、西条さん。願わくは……今までの不幸を塗り替えられる幸福が得られますように。

 

 

 

 

To be continued……




 ナイ神父

 浅黒い肌の神父。どこの出身かもわからず、またどこの言語でも話せるようだ。ふと気がつけば、それは貴方の前に現れる。どこぞの宗教の神父らしいが……詳細不明のヤベー奴。


俺、100話達成したら皆に感想と評価をよろしくって催促するんだ……。気軽に推薦だっていいんだぜ。
とまぁ、なんだかんだいって長く続いてきましたこの作品。とうとう、西条が主人公格にランクアップ。
暗い過去を持ち、圧倒的な力で敵をねじ伏せ、イケメンで物怖じしない。
氷兎より主人公じゃない……?
ぶっちゃけ作者は西条が一番好き。
早いとこ西条を好きに動かせるようにしたかった。なんせ今の現状すごい書きにくいからね。

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