貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第90話 唯の探偵

 部屋から出たくない。そう思える程の暑さだった。近くの高校を選んだとはいえ、通学はやはり億劫になるものだと思う。でも、早く準備しないと彼女が来てしまうし……。

 

袴優(こう)!! もう明日香(あすか)ちゃん来てるよ!!」

 

 ……これだもの。下から聞こえてくる母さんの声に応えて、すぐに荷物を準備して下の階におりる。玄関で立って待っていたのは、幼稚園の頃からずっと一緒にいる幼馴染だ。

 

「あっ、やっときた。コウ君、早くしないと遅刻するよ!」

 

「わかってるって」

 

 いつもの事と化した日常風景だった。僕が靴を履いている間、君は立ったまま僕のことを見下ろしている。もはや見慣れた君の微笑むような顔には、薄らと汗が出ていた。やはり外はそれなりに暑いらしい。

 

「よし、行こうか」

 

「それじゃ、行ってきまーす」

 

 君は僕の代わりに母さんに言うと、玄関の扉を開けて外に出ていった。僕も追いかけるように家から出る。すると、途端に嫌な熱気が身体を襲いかかってきた。想像以上の暑さだ。

 

「あっついな……こんな中体育あるとか流石に嫌になるよ」

 

「えっ、嘘!? 今日体育の日だったっけ!?」

 

「……忘れてたの?」

 

「やっちゃったぁ……。体操服持ってくるの忘れちゃったよ……」

 

 君の家に今から走って取りに戻ったとしても遅刻してしまうだろう。仕方がないし、他の人に体操服を借りてきたら、と僕は言った。

 

「そうしようかな……。あれ、でも火曜日の体育って私とコウ君のクラスだけだよね?」

 

「確かそうだよ。ウチのクラスが終わったら、借りに来るしかないね」

 

「そっかぁ……」

 

 君は手でパタパタと首あたりを扇ぎながら、誰に借りようかなぁ、なんてスマホをいじり始めた。多分誰かに体操服を貸してほしいと連絡しているんだろう。けど、流石に汗かいた体操服を貸そうと思う人はいるのかな。

 

「あっ、そうだ! コウ君体育終わったら貸してよ!」

 

「……えっ、僕の?」

 

「別にいいでしょ? 多少汗かいてても私は気にしないからさ!」

 

「いや、別にいいけど……この暑さだしなぁ……」

 

 体育は休もうにもちゃんと休む理由を親が生徒手帳に書いて、先生に見せなくてはならないという面倒な仕様だからなぁ。そうなると体操服がないからという理由で怒られてしまうわけだし……。

 

「ありがと、コウ君!」

 

 君は確かに僕に向けて笑っていた。多分、他の誰にも見せないような、笑い方なんだと思う。それを見るだけで僕は満足だったし、心が満たされていく気がした。けど、今となっては……。

 

「……でも、いいの? 君の好きな人に変な風に思われるんじゃない?」

 

 ……口にすると虚しくなってくる。心臓がギュッと締め付けられて苦しくなる。それ程までに……僕の中では、君はよほど大切な人だったんだ。きっと君はそんなこと知らないんだろうけど。

 

「んー、大丈夫だよ。だってこういうの何度もあるでしょ? 私がコウ君に何か借りに来たりとか、一緒に帰ることだってあるし……周りも結構、幼馴染ってそんなもんなんだなーみたいな感じで見てるよ」

 

「……そっか。ならいいや」

 

 幼馴染、だもんね。昔からずっと一緒にいる、幼馴染。親友以上、恋人未満。そんな微妙な位置にあるのが、きっと幼馴染なんだ。なんで僕は君と幼馴染なんだろうって恨む時もあるけど……けどきっと、どうせ僕は幼馴染なんかじゃなかったら君との接点なんてないんだろうな。

 

「……どう? 好きな人との関係は」

 

 聞きたくない。聞きたくないけど……聞かなきゃいけない。だって君にとって僕は唯の幼馴染だから。そういうものだから。君の瞳の中には、きっと僕は日常風景のひとつでしかないんだから。

 

 僕の言葉に、君は照れたように笑いながら答えた。

 

「いやぁ、それがまだまだっていうか……」

 

 ……はにかむ君は恋に浮かされ、僕は熱に憂かされていた。

 

 嫌な日差しを放つ太陽が、僕を嘲笑うように追いかけてきている気がしてならなかった。

 

 

 

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

 

 

 

 街の中を吹き抜けていく風が少しだけ肌寒さを感じさせるようになってきた。少し暑苦しい格好でも変に思われなくて済む季節になって良かった、と氷兎は少し嬉しそうに外を出歩いていた。七分袖の白いシャツの上に、これまた黒い七分袖のパーカーを羽織り、長ズボンを履いたその姿は彼の普段のスタイルだ。

 

 夏のよほど暑い時じゃない限り、彼は上に何かを羽織っていなくては落ち着かず、またズボンは絶対に半ズボンを履かない。今の時期でも少しその格好は早いんじゃないかと思えるくらいだ。周りを歩く人々は、まだ半袖が多い。

 

「………」

 

 しばらく歩いていると、ちょうどいい感じな雰囲気を醸し出すカフェがあった。中に入るとジャズの音楽が流れていて、居心地もいい。とりあえずホットカフェオレを頼み、ガムシロとシュガースティックを大量に持った彼は窓際の席に座って外の風景を眺めていた。

 

「………」

 

 やけに人通りが少ない。しかも歩いている人の多くは携帯なんて持たず、ただ真っ直ぐ歩いていた。都会ですら歩きスマホがいるというのに、ここではそんな人を見かけない。

 

 それに……見た限り、何かに怯えているような気がした。そんな印象を氷兎は覚えたが、まぁなんてことはない、と思考を逸らした。悪い事をしたらヒーローがやっつけに来るんだぞ。子供にそう伝えたとして、実際に悪い事をしたら誰か知らない人がやっつけにくるのが今のこの街の現状なのだから。

 

「……話し相手いないのって、寂しいな」

 

 ため息をつきながら独り言を呟いた。ホットカフェオレを糖尿病になるくらい更に甘くした彼は、ゆっくりと飲み込んでいき、今度はため息ではなく幸せそうにホッと一息ついた。

 

 甘いものは正義。ハッキリわかんだね。彼は今はいない相棒の姿を思い浮かべ、思考にふけり始めた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 男性店員の明るい声が聞こえてくる。店内は客が全くいなかったが、ここに来てようやく客が来たらしい。見れば学ランを着た男の子がひとりアイスコーヒーを買って、氷兎と同じように窓際の席に座った。

 

「……はぁ」

 

 仕方がない、仕事をするかと意気込んだ氷兎は頭の中で喧しく騒いでいた相棒に向けてデスソースを投げつけて思考を中断させた。そして先程座った学生の元へと向かっていき、軽く手を振りながら近づいていく。

 

「やぁ少年。ちょっといいかい?」

 

 ……訝しげな目を向けられて心にダメージを負った氷兎だったが、何も話さない少年に向かってめげずに話しかけていく。

 

「俺は探偵をやっている者でね。まぁなんだ、ちょいと話を聞かせてもらえないか?」

 

 そう言いながら財布から名刺を取り出して渡した氷兎。もちろん探偵なのは嘘だし、ただそれっぽい名前の事務所と氷兎の携帯番号だけを載せた、いかにもそれっぽく見せた名刺だが……。少年はそれを受け取ると、話を聞いてくれるのか身体の向きを氷兎に向けた。話が聞けるだけ御の字だ、と氷兎は彼に聞き込みという名の情報収集を始める。

 

「……探偵、ですか。随分と若く見えますけど」

 

 少年はまだ氷兎のことを疑っている。彼の容姿はまだ幼さを感じさせるものだった。なんともまぁボクっ子の方がキャラ的に似合いそうだと思いながら、メモ帳とペンを取り出して話を続ける。

 

「いやいや、本当に探偵だとも。この街にやってきたのも依頼されたからさ。正義のヒーローを懲らしめてくださいってね。まったくおかしな話だと思わないかい? 何の罪も犯していない一般市民が頼み込んでくるんだ。何がそんなに怖いんだろうねぇ……。まったく、警察が長い期間かけて解けなかった事件を今更解決しろとか、嫌になるよ」

 

 やれやれ、といった風に氷兎は仕草を混じえながら説明した。少年の表情は未だ硬いままで、あまり長話ができるような状態ではなさそうだった。適当に話をして切り上げよう、と氷兎は内心思いながら話しかけていく。

 

「まぁともかく、ちょっと話をしようじゃないか。なんだか外の人達はどうにも話しかけづらくてね」

 

 窓の外を指し示しながらそう言うと、ちょうど歩いていく男性の姿が見えた。前を見ているが、やはり動きに硬さがある気がする。それ程までにヒーローという存在が大きいのだろう。

 

「……君はヒーローについてどう思う? やっぱり、正義の味方って感じ?」

 

「……どうなんでしょう。俺にはわからないです。けど、学校でも色々と話題にはなりますよ。学生からの人気は高いと思います」

 

「なるほどねぇ。君達はそういう年頃だしな。俺も若い時は教室に入ってくるテロリストをボコボコにする妄想をしたもんだ」

 

 軽く頷きながら氷兎は言った。無論若い時とは彼が中学生の頃である。誰だって若い時はそんなもんだ、とどこかオヤジ臭さを匂わせながら言う氷兎に、少年は少し笑っていた。

 

「若い時って、今でも随分と若いじゃないですか」

 

「いやいや、働き始めたらもうオッサンよ。上司にこき使われる毎日だ。仕事したくねぇなぁ、なんて思ったりする訳よ。君はバイトとかやってる?」

 

「いえ、やってないです」

 

「そうかい。進学とかは考えてる?」

 

「……そうですね。一応大学には行こうかなって思ってます」

 

「そうした方がいいよ。まだまだ働くには若すぎるってもんだ。でも……いつかは思うんだぜ。働きたくないでござるってな」

 

 冗談を混じえながら話していると、少しずつだが少年の表情が柔らかくなってくる。わざわざカフェで暇を潰すくらいだ。時間は有り余っているだろうし、このまま聞けるだけ聞いていこうと氷兎は話を続ける。

 

「まぁ身の上話はここまでにして。なんかヒーローについてわかることないか? なんだっていい。探偵ってのは情報と足が頼りだからな」

 

「……そうですね。ほとんどネットとかに載ってるような情報ばかりだと思います。俺が知ってるのは、手口が不明なことと、粛清されるのは悪者だということくらいでしょうか」

 

「……ふーん。なるほど、君は結構ヒーロー保持派かな?」

 

「えっ……?」

 

「ネットには粛清されるだなんて書かれてないからなぁ。粛清ってのは、悪者が倒されるってことだろ。ヒーローが悪者しか倒してないと思ってるってことじゃないか?」

 

 氷兎の目が少し細められ、少年を逃がさないような雰囲気を醸し出す。しかし少年は、最初はドキリとしたようだが、すぐに手元のアイスコーヒーを少し飲んでから答えた。

 

「多分ネットでも言っている人がいると思いますよ。掲示板とか……そういうので。こんな奴粛清されて当然だ、とか」

 

「そうかい? まぁ確かにやられて当然の奴はいるさ。けど、そこに明確な悪意があったのか。善意の裏返しではないか。誰かに命令されていたのではないか。詳細も確かめず、証拠も得ずにネットの書き込みだけを信じて悪者退治をしているとあっちゃ……そいつは、探偵や検事にもなれんな」

 

 言い終わると、氷兎はカフェオレに口をつけた。残念なことに、少し冷めてしまっている。それを気にせずに氷兎は飲み続けるが……反して少年はどこか悩んでいる様子であった。

 

「……ヒーローの目的って、何なんでしょうね」

 

「目的? そりゃ本人に聞かんとわからんさ。もっとも……善意で人助けをしているのだとしたら、とんだ阿呆だな」

 

「善意で人助けって、凄いことじゃないですか」

 

「そりゃすげぇよ。うん、両手放しで拍手してやりたいくらいだ」

 

「なら、なんで阿呆だなんて」

 

「……いやいや、善意で助ける奴なんてのはいないよ。誰だって、根底にあるのは欲望だ。達成欲、自己顕示欲。ロクなもんじゃない。しかも手を汚してるんだぜ。赤の他人の為に喜んで何度も手を汚す人間がいてたまるか。もし仮に、本当の本当に善意でやってるのなら……そいつぁ、君よりも若い子供だよ」

 

 高校生ぐらいになれば、世間の汚さなんて知ってるだろう、と氷兎は苦々しく言う。しかし少年は氷兎の言葉に首を振って、訂正をしろと言ってきた。

 

「……手を汚していないじゃないですか。手を汚すというのが殺人だというのなら、ヒーローは殺人を犯していない」

 

「一般的に手を汚すってのは、好ましくないことを自分からやっちまうってことなんだが……。まぁいいや。ヒーローが殺人を犯していないって話だが、このままだといつかやるよ。それは確信してる」

 

「……どうしてですか?」

 

「俺は警察の方とも連携してるからな、写真を見させてもらったんだよ。ありゃ酷かったな。血は出てるし、青アザできてるし、まぁ集団リンチくらった後みたいな状態だった。でも、生きてる。だから手を汚してないって言いたいんだろう?」

 

「……はい」

 

「なら、その後は? あんだけボコボコにされてりゃ、下手すると後遺症が残る。そういうレベルだ。医者によればヒビどころか骨折してる奴もいたらしい。その後の人生を奪っちまうのは重罪だぜ。まして、そいつが悪党じゃなかったらそれまたとんでもない罪だ。冤罪だよ、冤罪」

 

 もうカップの中にはカフェオレがない。もう少し甘いものが摂取したかったと嘆いた氷兎だったが、目の前の少年からはもう情報は得られなさそうだった。むしろ、いらぬ議論までしてしまう始末。次の情報を得るために少年から別な伝手を得た方がいいと判断し、氷兎は黙ってしまった少年に再度話しかける。

 

「まぁ変な話はここまでにしよう。君はよくこの店に来るのかい?」

 

「……えぇ、まぁ」

 

「そうか。ブラックなんて苦いもん飲んじゃってまぁ……。美味いか、それ」

 

「砂糖三本とガムシロ二個入れたそれは、珈琲なんですか?」

 

「いや君、これは立派な珈琲だ。頭が冴えるぞ」

 

 到底理解できないとでも言いたげな少年に、氷兎は笑いかける。そして名刺を数枚取り出すと、それを少年に渡した。

 

「なぁ、君学生だろ。なんか情報通とか、そういった面で強い子いない? できれば紹介してほしいな」

 

「……はぁ。学生を当たるより他を当たった方がいいと思いますけど」

 

「いやいや、俺の予想が当たれば……ヒーローは若いよ。うん、とても若い。これで髭生やしたオッサンがヒーローだったら俺は探偵を辞める」

 

 元から探偵じゃないんだがね、と内心零しながら氷兎は笑う。名刺を受け取った少年は、とりあえず誰かしら探してみますと言って名刺を鞄の中にしまい込んだ。

 

「そういえば、君の名前を聞いてなかったな。俺の名前は名刺を見りゃわかるが……唯野 氷兎だ」

 

「……俺は、藤堂(とうどう) 袴優(こう)です」

 

「なるほど、藤堂ね。じゃあ後は……そうだな。連絡先交換してくれない? 人生相談くらいなら乗るよ。役に立つような経歴ないけど」

 

「……そうですね。彼女が出来た時の、浮気調査でも依頼します」

 

「……君、ちょっと未来に明かりがなさすぎないかね」

 

 苦笑いを浮かべながら互いに連絡先を交換し終えると、氷兎はカップをかたしてから店を出て言った。出る直前に少しだけ少年……藤堂を見たが、彼はアイスコーヒーを飲みながら勉強を始めたようだ。

 

 情報源を確保し、ここから少しずつヒーローについて調べていこうと思っていた氷兎だが、懸念に思うことがあった。ヒーローの手口だ。姿を見せないアサシンのような手口。普通なら迷宮入りとして放棄したいが……氷兎は魔術師だ。当然頭に浮かんでくる可能性として、ヒーローが魔術師の類であることも考えていた。

 

「……面倒な任務だねぇ、まったく」

 

 今も尚暗躍しているヒーローに向けて、愚痴を零した。強すぎる力を持つと、人はそれを恐れる。それが例え、ヒーローであってもだ。古今東西、英雄(ヒーロー)ってのは……誰かのために死ぬか、民衆によって殺されるんだぜ。そうなる前に、早いところ自首してくれ、と。

 

 

 

 

To be continued……




今回ちょっと酷いかな……?
主人公が氷兎しかいないのってすごいやりにくい。

Q.なんで書きにくいって言った恋愛をまた書いてるの?

A.書きたかったから……。

Q.筆の進み具合は?

A.ボロボロでございます……。

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