ぼくのかんがえたさいこうのれいまり   作:Laplaceの悪魔

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人間は脆弱です


紅霧の行く末は如何に

 博麗神社を後にする私たちの足取りは重かった。

 草鞋に異形の血が染み渡り、人が嫌悪感を感じる色が幾十にも混ざり合ったことで、肉体的にも精神的にも重くなっていた。

 けれども、それはさほど重要なことではなかった。

 真に足取りを遅緩させているのは、博麗の巫女との対話の結果だった。

 

 妖怪に襲われかけるという不慮の出来事があったものの、凡そ予定通りに博麗の巫女との接触を果たした。

 本来の目的であった紅色の霧について、会談したまでは良かった。

 だが、あいつと私達の会話は全くと言っていいほど噛み合わなかったのだ。

 

 この霧の異常性は誰が見ても明らかなはずだ。

 自然現象とは思えない、紅い色彩を帯びた濃霧。

 それは何の前触れもなく突然この郷を覆った。

 色とりどりのパレットには、本来色毎に有るべき区画が予め定められていた。

 にも関わらず、一日にして紅が全ての色に混ざり溶け合った。

 

 龍神の加護()による水気。

 妖精の加護()による自然。

 この二つの絵の具のチューブから吐き出される青と緑こそが、幻想郷というパレットの基本色であった。

 そこに赤が混ざり合うことで光の三原色となり、そこでは無数の物語が紡がれただろう。

 しかれども、紅は赤よりも赤過ぎた。

 どこまでも留まることを知らずに赤い絵の具を撒き散らす紅霧は、原来の色、その全てを赤で引っ掻き回す。

 すなわち、緑は茶へ、青は紫へと移ろい行く。

 植物は枯れて葉が抜け落ち、川は霧に含まれる劇物を呑み込んだ。

 

 これを異常と言わずして何というのだろうか。

 日に日に悪化する現状、これ以上続けば郷そのものが転覆しうる事態。

 その危険性を訴えた結果、あいつはなんて言ったと思う?

 

 「天地開闢の鐘を鳴らすにはまだ早い」

 

 なんて意味不明な返答を寄越すばかり。

 当然首を傾げるのは私達。

 何を訴えたところで、あいつの瞳に私達は映っていなくて、私達の陳情は小煩い虫の鳴き声のようにどうでもいい扱いをされているのだと悟った。

 所詮人間はこの箱庭に生えてくる雑草に過ぎないのだから。

 

 こうして今に至る。 

 赴く際に肌身に感じた重圧は消え去っていたものの、一抹の怒りと疑問、それら全てを塗り潰しかねないほどの大きな不安が重く伸し掛っていたからだ。

 

 誰もが、前を見て足を進めていない異様な光景が広がっていた。

 

 ある者はこれから起こる災厄の前兆としか思えない、どこまでも紅く染まる異彩の空を祈るように眺め。

 また、ある者は自分たちの行く末を道として機能しておらず、道という存在価値を失いつつあるこの道と重ね見るように眺め。

 恨みがましい表情で、巫女への昏い怨讐を囁きながら、赤く染まった山頂の神社を睨み付ける者もいた。

 

 それらの不安、恐怖、怒りは心の色を蠱惑的な響きを持ちながら深く黒く塗り潰していく。

 

 最初は小さかった負の感情は、個人の器を満たし終えただけでは飽き足ら無かった。

 ここ数日に渡り、空を覆う紅い霧を愁いていた事で、私達の心の容量は、既に一杯一杯だったのだ。

 そこに硬く冷たい鉄球を押し込まれたのだ。

 精神の海の底から鈍く悲しい響きを奏で、押しのけられた重み分の浮力を受けた。

 当然のように、器から溢れでる。

 人が作り上げた、心の闇が。

 

 零れたそれはまるで木炭と同時に精製されるタールのような粘度を帯びており、器の淵にさえ未練がましくべっとりとへばりついていく。

 そして、タールはタールによって塗擦され続け、死をもたらす悪性腫瘍へと姿を変える。

 今にも脆く崩れ落ちそうなまでに精神を抹するだけでは飽き足らず、腫瘍へと姿を変え、膨れ上がり、身体の隅々まで貪り食っていく。

 微々たる希望が心の闇を退治できたところで、再発と転移からなる負の連鎖は導火線に火がついてしまったことと同義で、止められない、止まらない。

 もう既に、何もかもが手遅れだった。

 全身を蹂躙し終えると、置き土産を残したまま再びタールへと形を戻し、遊牧民のように住まいとなる器を変えた。

 負の感情はさながらに流行り病のように撒き散らされており、私達一行を包み込むには充分過ぎる代物であった。

 

 こうして出来上がったのが今の惨劇だ。

 私達は人の姿をして、空気を吸い、吐き出し、歩いているだけの肉塊へと成り下がる。

 その足には目には映らない、大きく重い枷が付いており、夢も希望も無くなった奴隷という表現がピッタリなように思えた。

 

 感情を糧とする妖怪達には、今の私達は途方も無く不味い代物に見えるらしい。

 ただそれだけが、不幸中の幸いだった。

 これを幸いと呼んでいいなら、の話であるが。

 

 

 

 斯く言う私は、あいつのことだけを考えて歩いていた。

 私だけがあいつのことを理解してあげられるように思えてくる。

 きっと、あの言葉にも深い意味があったんだ。

 

 今すぐに動いたところで根本的な問題は何一つ解決出来ないとか。

 この紅霧自体は人体に悪影響を及ぼすものではないとか。

 特定の手順を踏むことで始めて何かを成し遂げられるとか。

 

 わからない事を無理矢理にでも分かってあげようと、あいつを理解してあげようと努めていた。

 この世界の誰よりも、あいつを知りたい。

 

 先程までの私は生きていく事に意味を見いだせなかった。

 だから、人間の最低限の権利である自由意志さえも投げ捨てて、お父様の言う通りに生きてきた。

 私にとっての幸せはお父様にとっての幸せで、お父様が喜ぶように立ち回る道具だと断じて来た。

 それこそが全てだったから。

 

 人間の生き方としては間違いなく歪んでいたと思う。

 悪くいえば中世の発展を支えてきた奴隷と何ら変わりないのだから。

 

 けれど、全てを人に委ねてしまえば生きていくのは楽だった。

 人が人たる尊厳をまるごと投げ捨ててしまえば、もう何も怖いものは無い。

 私はこのまま、楽に生きていけるはずだった。

 

 だけど、私は今何をしていただろうか。

 あいつのことを考えていた。

 それは命じられたからではなく自分自身の意思からだった。

 あいつは私に、心の自由という宝物をくれた。

 お父様の奴隷に過ぎなかった私を人間にしたんだ。

 それは未だに見たことがない輝きに満ちていて、とても眩しいものに思えた。

 それが恋心だったと知ったのは、もっともっと、ずっとずっとあとのことだ。

 

 宛も無く、明けない夜の世界を這うだけの旅人に、あいつという太陽は僅かな希望の光で照らし、闇を掻き分ける勇気を与えた。

 

 でもその命の灯火は旅人には規格外な程に遠すぎた。

 そして昇るのが遅すぎた。

 

 私は籠の鳥に慣れすぎたんだ。

 眇眇たる箱庭の中では空を飛ぶため翼も、自身を支えるため脚も無用の長物であった。

 あることは知っていても、使い方は碌に知らない。

 そんな私が闇を進むためには這うことしか出来なくて、結局イカロスにもなれないのだと悟った。

 

 こうして私の足元は崩れていき、無間地獄という闇に沈む。

 底の見えない暗い穴を重力に惹かれるままどこまでも、どこまでも。

 

 依然として私の漆黒の瞳に金の輝きは戻らない。

 

 

 

 その日の夜、人里の住民達は未知という恐怖に震えた。 

 原来から人里には為政者という者が存在しない。

 それは団結力の欠如を意味していた。

 

 原来の人間の強みというのは、その団結力に由来する。

 三人寄れば文殊の知恵、という言葉があるように、一人でダメなら二人、三人が団結することで力を発揮して生き抜いてきたと言っても過言ではない。

 群れるという事をしなければ、今でも洞穴暮しをしていたのではないかと思えるほど、個体で見れば非力で、逆に徒党を組めばどんな困難にも立ち向かえた。

 

 それはひとえに、人間の精神は脆く出来ているからだ。

 一つの塊へと姿を変えることで、脆い体躯が堅牢になったと錯覚しているに過ぎない。

 為政者の卓越した手腕と狂気へと導く鼓舞が、民衆の思い込みを催眠へと姿を変える。

 狂うことでしか、人は纏まることが出来ない。

 とても愚かしくて浅はかな生き物だと、私はそう思う。

 

 では、為政者が居ない今はどうなったか。

 語るまでも無いだろう。

 

 始まりは一人が吐いた嘘。

 だがその問題の原因は真実を知る者が少なすぎたことに由来する。

 

 嘘に彩られた記憶という物語は、人の恐怖によって誇張され ありもしない幻想が産まれる。

 実態がぼやけていた事により、噂という非生物に命が吹き込まれ、遺伝子の海を荒れ狂わせる。

 

 為政者という麻薬が存在しない以上、疼痛は消えること無く時を経るごとに悪化していく。

 鎮痛剤になろうとした半妖も居たらしいが、異物を長に据えるほどの余裕などありはしない。

 

 

 人里という一個集団に紛れ込んだ遺伝子異常は異常を撒き散らし、さらなる異常へと。

 異常の積み重ねにより、ついには人里という組織を脅かす癌細胞へと至った。

 

 人の手では何も変えれない。

天変地異にはあまりにも無力すぎる。

 そのことに気づいた者達はただただ祈りを捧げる。

 自分達を見捨てた博麗という神に。

 幻想の他力本願に縋る、それは生きながらにして死んだ者の最後の悪足掻きだった。

 恐怖心は信仰心へと再び姿を変えて。

 原初の土着信仰がそうであったように。

 

 

 翌日の霧雨店はかつて無いほどの賑わいを見せた。

 風が吹けば桶屋が儲かる、と言いたいところだが、全くと言っていいほど売上には直結していない。

 今店先に集まっているのは、身を寄せあい恐怖に震えるだけ愚民達。

 しかしその愚民に私自らも入っているのだから、彼らを嘲り嗤う権利など生憎だが持ち合わせていない。

 

 事態が勿怪したのは明け方。

 その日、太陽は昇らなかった。

 

 ほんの数日前まで、現れる兆候すら感じさせなかった紅霧。

 広くて狭い箱庭を瞬く間に制圧しただけでは飽き足らず、今は古今東西の信仰の拠り処である太陽を覆い隠していた。

 

 今日、紅霧は暴君のように、城下に住む者達から重税を徴収しに来たのだ。

 それは、今までの当たり前の日常を過ごしてきた人間への当然の報いを受けさせるように思えた。 

 この妖怪の郷で、のうのうと生きてこれたのは全て、表面上の平和があったから。

 その平和の服飾が外された。

 

 でもそれは崩壊の序曲に過ぎない。

 

 

 この一昼夜で人間は追い詰められすぎた。

 そして信仰心と言う最後の砦も揺らぎ始めた。

 一度は飛びついた自分達の神に裏切られただけでは飽き足らず、振り捨てられたのだと考える者も少なくない。

 胡散臭い風貌で世界の終わりが近いと言い出す者も出る始末。

 

 年中無休を豪語している以上、開店した霧雨店には誘蛾灯に寄せられる蛾のように寄り集まってきた。

 人の心という翅は微風を浴びただけでひらひらと揺れ動く。

 羽ばたきは新たな風を産み、風向きも変わっていく。

 風はこの場所を中心として霞のように取り巻きながら、拡大する。

 真実を知る私は口を噛むばかり。

 

 時刻にして夕刻頃だろうか。

 微かな光も陰り始めた時に、現れた人影は闇の使者のようにも映ったのだ。

 既に客を暖かく迎え入れる、という感じではなくなっている霧雨店に一人の少女が訪れる。

 

 最初に目に映ったのは紫色に染められた瞳。

 元々は寒冷的で人を寄せつけない青が、この紅霧の赤に暖められたようでいて。

 つまるところ、彼女はこの紅霧に何一つ恐怖を向けていない。

 寧ろ、共に歩み寄らんとする者の目をしていた。

 

 人里でも稀有な存在である銀の髪の持ち主は、紅に沈んだこの人里の中では視線を集めていた。

 だが、それと同時に人に寄り添おうとする気概を微塵も感じさせない。

 彼女は人でありながら人の味方では無いらしい。

 どうやらあちら側の人間ということのようだ。

 遠目から見つめるだけでも、人でなしという言葉がぴったりだと思うほどだった。

 

 店に入るや否や、機械のように効率良く、重きを置いた動きでテキパキと買い物かごに物品を詰め込んでいく。

 いつの間にやら雑多に詰め込まれたかごを、店全体が見渡せるような奥まった場所にいた私にそれを差し出し会計を促した。

 

 その時の声には、やけに怒気が含まれていて、彼女の瞳はそれに呼応するように激憤の深紅を成していた。

 

 まるで周囲の時間が止まってしまったような静けさがこの空間を支配している。

 

 だからここは私と彼女だけの世界。

 刻を刻まない時計は黄昏時を示していたのは、ただの偶然ではないのだろう。

 

 親の仇を見るような。

 いや、それ以上に大切なものの仇を見るような凍える視線からは火を噴きかねないほど。

 促されるように憎悪に満ちた表情を見せる。

 感情を押し殺してきた分を吐き出すようでいて。

 十字架を象った西洋風の剣のようだった。 

 力の象徴である剣という十字架を逆さに持ち、私に、もっと言えば私の奥に潜む何かに向けている。

 それは本人は知ってか知らずか、神への反逆を示す行為だった。

 その行為を見て、誰かが笑った気がした。

 

 声を掛けるべきだったのだろう。

 覚えの無い憎しみをぶつけられているのだから。

 けれども、私からの解答を待っているという様子ではない。

 鮮やかな銀の髪は、自分という存在以外全てを遮断する鉄格子のようでいて、私という存在を拒絶している。

 独りよがりな奴だ。

 それが彼女への私の印象だった。

 だから談判することも無く、得体の知れぬ罪の色を受け入れた。

 

 諸用を済ませた彼女が立ち去ると同時に、固く氷結していた時間に名も知れぬ雑草が芽吹く。

 種々雑多なそれらは花をつけることなく枯れていく運命にあるのに、どうして恐怖を嘆くのだろうか。

 誰も見向きもしないし心動かされることも無い。

 きっと何も変えられないのに。

 でもそんな中で、私の手に収められた一通の手紙は赤い輝きに満ちていた。

 人々を魅了して止まない花のようで、荒れ果てた庭には不相応な美しさを振り撒いている。

 この手紙には不思議な魅力があり、私はそれの美しさに囚われていた。

 

 差出人に心当たりは無いが、件の少女から手渡された物であるからして、人間では無い異形の者という事だろう。

 ここ数日で見飽きた赤色の紙で綴られた手紙は、行動を促すような勇気を与える印象を与えた。

 まるで勇者を送り出す母親のような。

 少なくとも悪意を感じさせるものでは無い。

 衝動に突き動かされるまま、私は蝙蝠を象った封蝋を外し、中身を取り出した。

 

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