シンジが目覚めたのはシャムシエルとの戦いから一夜明けた昼の事。眠気で惚けた頭でムクリと起き上がった彼はぼんやりと目を擦る。
そんな彼に、声をかける者がいた。
「……おはよう」
「うひゃぁっ!? ……あ、綾波さん? どうして此処に?」
「……私も入院しているもの」
「入院……?」
そう言われて初めて、シンジは自分が病院の一室に居ることに気がついた。
四つあるベッドの内二つが使われていないところをみるに、この部屋に割り当てられたのはシンジと綾波レイだけらしい。
だからといって、隣り合わせにしなくても良いだろうにと無駄な思考を巡らせるシンジに、綾波レイはポツリと告げる。
「……昨日、相田君と鈴原君がお見舞いに来ていたわ」
「ケンスケとトウジが?」
「……ええ。……連絡、しなくて良いの?」
そう言う彼女は、シンジの携帯電話を指で指し示す。
「え、でも、病院で携帯は駄目なんじゃ」
「……この病院はネルフの貸切だから」
そう言われては、断る理由もない。シンジは電話を手に取ると、メールフォームから二人にメールを送信する。
それから10分弱ですっ飛んできたケンスケとトウジに、思わず笑いを零したシンジだった。
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息子が友人と戯れているその頃、南極から帰還したゲンドウは冬月、ミサト、リツコの三人を引き連れて芦ノ湖へとやってきていた。
「葛城一尉、赤木博士、此処に第三使徒が居るのか?」
そう問いかける冬月に、リツコは書類に目を通しながら答えを返す。
「えぇ、芦ノ湖に住み着いているのは間違いありません。……ミサト」
リツコの合図に、ミサトはいつかのようにメガホンを口に当て声を上げる。
「えー、テステス。マイクのテス……」
そんな彼女がみなまで言わぬ内にザバリと水面から出現したサキエルは、呆れた声で文句を言う。
「ミサエ君、君はもう少し常識を身に付けたまえ。訪ねてくるならアポイントを取り、菓子折りの一つでも持って訪ねるのが社会人としての正しい姿ではないかね? 大体、いい大人が昼間からそんなに大声を出すのは止めたまえ。近隣住民の迷惑ぐらい察しがつくだろうに」
「……人の名前を故意に間違える奴だけには言われたくないわ」
「……常識外の存在に常識を諭されるなんて、無様ね」
「……問題無い、菓子折りならば私が準備済みだ」
「…………碇、風邪でも引いたか?」
何やらアホなことを言っているゲンドウが差し出した『ネルフ銘菓・ペンペン饅頭』を受け取ってペロリと箱ごと平らげつつ、サキエルは『成る程、コレがシンジ君の親なのか。ヒゲとメガネを無くせば瓜二つ……いや、鼻は似ていないな』などと負けず劣らずアホな事を考えていた。
そんな状況に冬月はコホンと咳払いをして場の空気を戻す。
「……話を始めよう。ネルフ本部の冬月という、念の為確認するが、君が第三使徒で間違いないかね?」
「如何にも私は第三使徒サキエルだ。……冬月君、君たちは何の目的で此処に来たのかね? 立ち退き要求なら聞く耳もたんが」
「いや、下手に立ち退かれても困るのでな、そんなつもりはないよ。今回は君の目的を訊きに来たんだ」
「……目的? 目的と言われても、君達の言う目的が何を指すのかがまずもって分からない事には返答のしようがないのだが?」
「……実に理性的な返答だな。目を閉じていれば人間と話しているとしか思えん。…………ああ、失礼。つい、思索に耽ってしまった」
「私も良くそうなるので別に構わないが、早く何の目的を訊きたいのかを明確にしてくれ」
あくまで物腰穏やかなサキエルに答えを返したのは、冬月ではなくゲンドウだった。
「我々の知る限り、使徒の目的はサードインパクトの発動だとされている。それが何故、こんな所でノホホンと泳いでいるのかが訊きたい」
「……ふむ。それは私がサードインパクトを起こしたくないからだ。後続の使徒を皆殺しにするのも厭わんよ、私は」
「……それは何故だ?」
「死にたくないからだ」
サキエルのその答えに、口を挟んだのはリツコだった。
「……あなたは死を恐れているの?」
「そうだ。死ねば何もかもおしまいだからな」
「……アダムと融合すれば、あなたはこの星の王になるのよ? 死ぬわけではないわ」
「いや、死ぬ」
「それは何故?」
「……そうだな。仮に、仮にだ。君達の保有するアダムの模造品……確かエヴァだったか。アレにリツコ君が吸収されたとしよう。……それは果たしてリツコ君であると言えるのか?」
その言葉に、リツコは息を飲んで押し黙る。
質問の答えに迷ったからではない。聞き捨てならない言葉を、サキエルが発したからだ。
そのセリフを指摘したのはサキエルの『比喩』を有る意味最も理解したであろう碇ゲンドウだった。
「待て、お前は今『アダムの模造品』と言ったな?」
「あぁ、言ったが?」
「……何故そう思う」
「は? 何故とはどういうことだ? 見たままではないか。アレは何から何までアダムにそっくりだぞ?」
本当に『何を言っているんだコイツ』と言わんばかりのサキエルの様子に、ゲンドウはふとある可能性に思い当たった。
「…………そうか、使徒はアダムを見た事があるのか」
「……? 何を今更。我々はアダムに作られたのだから見たことがあるに決まっているだろう?」
まるで『塩は塩辛いのか?』と訊かれたかのように呆れた様子で答えるサキエルにゴホンと咳払いをしつつゲンドウは次なる質問を繰り出す。
「成る程な、ならば二つ目だ。オマエは『何故エヴァに吸収される』という比喩を用いた?」
「……君がそれを訊くのか? 知っているものだと思っていたが」
「…………」
「沈黙は肯定と取らせて貰う。ならば、私が答える意味は無いだろう」
「……いつ知った」
「昨日、『彼女』が元気良く私の住処で暴れていたときだ。……君と違って随分過保護だな、とは感じたが」
「何故分かった」
「おいおい、ATフィールドを見れば分かるに決まっているだろう? アレは『心の壁』。それに込められた意志で大凡のことは判る。例えば、私の場合『死にたくない!!』という思いでATフィールドを構成している。シンジ君の場合は可愛らしいことに『独りは嫌だ!!』という叫びだ。そして名前こそ知らないが、もう一人の『白い少女』が、健気な事に『絆を守りたい』だ」
そう言ってから「よくこんな事も知らずにエヴァとやらを使っていられるな」と呟いた彼に質問をしたのは、今まで黙していたミサトだった。
「……ねぇ、サキエル。エヴァのATフィールドはどんな『心』だったの?」
その問いに、サキエルが返す言葉は一つ。
「…………『私の可愛い息子に手を出すな!!』だよ、ミコト君」