アレから、一週間。
ようやく、自分の中で感情を消化したシンジ。彼は今、リツコに頼みこんで、再びエヴァとのシンクロテストに挑んでいる。
エヴァンゲリオンとなったシンジの母、碇ユイ。サキエル曰く『出ようと思えば出られるのにエヴァに留まっている』らしい彼女の真意は、流石のサキエルにも分からない。
そこで、この一週間シンジが考え抜いた先の結論は、『シンクロ率の引き上げ』だった。
シンクロ率が上がれば、エヴァ内部のユイとコンタクトをとれるかもしれない。そんな思いを胸にシンクロテストに挑んだシンジは、穏やかにエヴァへと語りかける。
「……母さん。僕だよ、分かる?」
その呼びかけと共に、身体の力を抜き、エヴァに溶け込むように意識を軽い眠りの様な落ち着いた状態へと沈ませる。それと同時に小走り程度の速度でプラグ内を降下していくインテリア。何度も、ゆっくりと「母さん」という呼びかけを続けていくシンジを乗せて危険域ギリギリまで降下したそれは、ギリギリの位置で固定され、シンジに鈍い振動を伝えた後、沈黙する。
後に残るのはシンジ自身の心音と、LCLが循環する音だけが響く静かな世界。
時間の感覚が失せ、一種のトランスに近い眠りと覚醒の狭間で揺れるシンジを一気に現実へと引き戻したのは、リツコからの通信だった。
『シンジ君、あなたに召集が掛かってるわ。すぐに上がって』
「……はい」
リツコの操作で緩やかに上昇し始めるインテリアの上で、シンジは溜め息を一つ吐いて呟いた。
「……エヴァの中って、案外居心地が良いんだね。知らなかった」
――――――――
さて、シンジがシャワールームに引っ込んで身体を洗っている頃。
リツコと、そのサポートを勤めていたマヤは神妙な顔で今回のシンクロテストの結果を眺めていた。
「……常時84パーセントから90パーセント、凄まじいシンクロ率ですね」
「ええ、プラグ深度も過去最深だわ。……やっぱり、あの時ね」
「……この前の第三使徒のアレですか? 確かに、あれ以降シンジ君、キャラクター変わりましたよね」
マヤの言うアレとは、先日レイとシンジを内側に取り込んで、第三使徒が展開した強力なATフィールドの事である。音を遮断し、磨り硝子のように内部が観察できないという厄介なそれは展開から二時間後に解除された。
その内部から出て来たのは、泣き疲れて眠るシンジを抱き締めたレイ。
珍しく動揺しているらしいレイの姿を確認した諜報部がすぐさま医療班を呼び出し、シンジとレイをネルフの医療センターに護送。
その後、起床したシンジの第一声が『……姉さん』だったり、レイがナチュラルに『此処にいるわ』と返答していたりと二人に記憶の混乱と軽度の錯乱が認められるとの事で、この一週間二人とも検査入院。
そんなてんやわんやの大騒動の後、どうにか退院にこぎつけた直後のシンクロテストでこの数値となれば、サキエルを疑うのも当然、というか、疑わない方がどうにかしている。
そして、卓越した頭脳を持つリツコは、サキエルがシンジとレイに何を吹き込んだのか薄々感づいていた。
「…………エヴァの真実、かしら」
「え? 先輩、シンジ君に何があったのか知ってるんですか? 最近女性職員の間で『弟シンジきゅんハァハァ』とか、『小動物ショタぺろぺろ』とか話のタネになってるんですよ、シンジ君」
「……シンジ君自身の問題より、その問題の方がマズい気がするわね」
「皆、癒やしを求めてるんですよ。……それに、皆『YES ショタっ子、NO タッチ』とか言ってますから、シンジ君は無事かと」
「…………そう」
研究開発班は通信課の次に女性が多い。そして、全職員の七割がいわゆる『オタク』。班の休憩室にはファッション雑誌の代わりにプラモのカタログやコスプレ雑誌などが置かれ、給湯室のマグカップは例外なくアニメグッズ、研究室の壁にはゲームやアニメのタペストリーが掲げられているという魔窟である。
そんな空間の主である彼らが、声変わりもしていない14歳の少年相手に黄色い声を上げる姿を幻視したせいで痛み始めたこめかみを揉むリツコは、一種の諦めと共に珈琲を啜る。
「シンジ君も大変ね」
「ですねー」
触らぬ神にたたりなし。
自らの関わり知らぬ所で人身御供に出されたシンジは、背筋に走った悪寒に首をかしげて、シャワーの温度を少し上げるのだった。
――――――――
さて。シャワーから上がり、ミサトによってミーティングルームへとやってきたシンジは、レイと共に何やらマイクとカメラが置かれたテーブルの前に座らされていた。そのテーブルの前にはスクリーンが設置され、シンジとレイの着席と共に画面に二人の少年少女を映し出す。
『グーテンターク! アメリカのがフォースで日本の二人がファーストとサードで良いのよね?』
『ああ、そのようだね。……けど。いきなり大声を出すから碇君と綾波さんが驚いているよ、ラングレーさん。……あ、僕は渚カヲル。日系アメリカ人で、フォースチルドレンをしている。宜しくね』
いきなりの事にびくりとしている二人に、後ろからミサトが声をかける。
「あー、説明する前に繋がっちゃったわねー。……まあいいわ、今テレビ電話でドイツ支部と北米支部に繋がってるの。この銀髪の子が北米のフォースチルドレン『渚カヲル』君。それで、金髪の子が……」
『ドイツのセカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーよ!』
「……というわけ。わかったかしら?」
「……私は大丈夫」
そう言ってレイが持ち直した横で、シンジは未だに惚けたような表情で画面を眺めている。その姿に、少々心配になったミサトはシンジの前でひらひらと手を振りながらもう一度呼びかける。
「シンちゃん、大丈夫?」
「あ、はい、大丈夫です」
「ボーっとしてたわよ?」
「いや、その、惣流さんがモデルさんみたいだったのでついびっくりしちゃって」
「あー、アスカ可愛いもんねー」
『あら、サードはフォースと違って案外見る目あるじゃない』
『…………フッ』
『フォース、アンタ鼻で笑ったわね!?』
『フフフ、御想像にお任せするよ』
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるカヲルと、可愛らしくふくれるアスカ。
そのじゃれ合いをみて漸く普段通りに戻ったシンジは、ミサトに向かって疑問を投げる。
「ミサトさん、惣流さんと渚くんがエヴァのパイロットなのは分かりましたけど、何で僕達とテレビ電話を?」
「あー、それね。この二人、来週日本に来るのよ。カヲル君のエヴァ4号機とアスカのエヴァ弐号機と一緒にね。今日はその前の、パイロット同士の顔合わせってわけ」
「へー。……って、ええええええっッッ!?」
思わず席から立ち上がるシンジと、そこまでではないものの眼を見開くレイ。そんな二人にカヲルは同情するような視線を投げ、アスカは何かを悟った様な顔でミサトに突っ込みを入れる。
『……ミサト、もしかして連絡忘れたでしょ。ウチの支部からは一ヶ月前に書類送ったわよ?』
「あー、ごめんごめん。先週伝えようと思ったんだけど、シンちゃんもレイも気絶とか入院とかしてたから、つい言い忘れちゃったのよ」
『……入院とは穏やかじゃないね? やっぱり使徒戦はそれだけ危険なのかい?』
画面越しに問われるカヲルの疑問。それに答えたのは同じく画面越しのアスカだ。
『フォース、あんた馬鹿? 安全で余裕綽々ならアタシとアンタが行く必要無いじゃない』
『……確かに。しかし、ラングレーさんも意外に全体を見ているんだね、見直したよ』
『意外で悪かったわね!! これでも軍人で大卒なのよ!』
『む、という事は……君は見た目より随分と加齢している事に』
『飛び級に決まってるでしょ!! あたしはあんたと同じ14歳よ!』
『ハハハ、残念だけど僕は2000年生まれの15歳だよ』
『…………あたしより年上でそのおちゃらけた性格なの?』
『僕は普通の9年生だからね。大学生と比べられても困るよ』
完全にアスカをからかう魂胆丸出しのカヲルと、からかわれている事を悟ってか頭を押さえてため息を吐くアスカ、驚きから立ち直って二人のやり取りにクスリと笑いをこぼすシンジ、そしてそんなシンジを保護者っぽい眼差しで眺めるレイ。
そんな四者の交流は年齢が近い事もあってか比較的スムーズに行われた。
シンジとカヲルがプラグスーツのピッチリ感が気持ち悪いという話で盛り上がったり、その話から派生した女子のプラグスーツは目のやり場に困るという話にアスカが突っ込んだり、そこから如何派生したのかは分からないがシンジとレイが姉弟だという話に移ったり、レイが語った『シンジの豆腐ハンバーグ』にアスカが喰いついたり、と充実した会話を行った四者がかなり打ち解けた事で成功に終わった顔見せ。
そんな美少年と美少女のじゃれあいにほっこりする『大きいお友達』達。
そんな諸々の事象を要約すれば、今日もネルフは平和であった。