我思う、故に我有り   作:黒山羊

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口も八丁、手も八丁

 芦ノ湖に第三使徒サキエルが住み着いている事実は、もはや第三新東京市で知らぬ者がいない程有名になっていた。それでも街を一歩踏み出せば誰も知るものがいない、という辺りはネルフ広報部とMAGIの頑張りの結果である。

 

 幸いにも消火活動への協力や溺れた子供の救出などでサキエルは使徒にも関わらずそれ程敵視されてはいない。その上、子供たちと親しくしている、と言うか子守をしているサキエルの姿はかなり前から公然の秘密となっていたのだ。

 

 

 極めつけに子守されている子供たちの筆頭がこれまた公然の秘密であるエヴァパイロットとくれば、ネルフ関係者しか住んでいないこの街ではサキエル相手に表立って反発する者はおらず、結果としてサキエルは彼の理想である『平和でのんびりな生活』をそれなりに謳歌していた。

 

 そんな中、芦ノ湖の畔に大型コンテナを載せたネルフのトレーラー数台と赤木博士がやってきたのは、アスカとカヲルが顔見せに来た三日後の事。

 

 

 その時、ちょうどサキエルは子供たちと戯れていた真っ最中。子供たち、というのはトウジ、ケンスケ、シンジの三馬鹿トリオにカヲルを加えることで新たに新生した『バカルテット』の四人組とアスカ、レイ、ヒカリの仲良し三人組を併せた計七名。要するに何時ものメンツ、というヤツである。

 

 その中でリツコの接近に気付いたのは、アスカとレイに日焼け止めクリームを塗るという大役を仰せつかった『第一中の妖精さん』こと碇シンジ君である。その可愛らしい顔にいつも笑顔を浮かべて方々でお手伝いに勤しむその姿を収めた写真集『シンジ君の1日』シリーズはケンスケ撮影・サキエル監修の元、ケンスケの写真売場女性購入部門第一位の売上を誇っている。

 

 ちなみに売上金の一割はマージンとしてシンジの懐を暖かくしているとか、実はネルフ職員にも『シンジ君の1日』シリーズはかなり広まっているなどの細かいトリビアは今は関係ない為紹介だけに留めておく。

 

 さて、そんな彼がリツコを発見したのはより細かく言えば、アスカの背中へと日焼け止めクリームを塗り終えた時だった。

 

「よし、クリーム塗り終わったよ、アスカ」

「ん、サンキュ! じゃ、私の華麗な泳ぎを見せてあげるわ」

「あ、アスカ、芦ノ湖は湧き水だから潜ったり遠泳したりしたら駄目だよ」

「ん? 何でよ?」

「ここの湧き水、水温が六度ぐらいだから……」

「あー、成る程ね。分かったわ、浅瀬で遊んどく」

「うん、気をつけてね。僕も準備運動したら行くから」

 

 そんな微笑ましい会話の直後、さてラジオ体操でもするかと立ち上がったシンジは、視界の隅に見慣れた白衣と金髪を見つけたのだった。距離にして凡そ100メートル。充分近いと言える位置にいたその人物にシンジは駆け寄ると、人懐っこい笑みを浮かべて挨拶する。

 

「こんにちはリツコさん。何かあったんですか?」

 

 そう言ってコテンと首を傾げる仕草を違和感なく行えるのがある意味彼の才能なのだろう。普通の男子がやれば明らかに気色が悪いであろうそれが似合うということはシンジが凄まじく女顔である事を示している。本人からすれば『女の子みたいでやだな』という評価なその顔は、実のところリツコを悩殺するに充分な威力を秘めていた。

 

 クールな印象の強い彼女だが、実は案外母性愛に溢れた人物なのである。だが、それを心の内にひた隠し、リツコはシンジを抱き締めてみる誘惑を封殺。努めて冷静に振る舞いどうにか世間体を維持する事に成功した。公私の混同は組織の幹部として望ましくない事なのだ。

 

「あ、あらシンジ君。奇遇ね。……サキエルは居るかしら?」

「はい、サッキーなら浅瀬で仮面の甲羅干しをしてます。……こっちですよ」

 

 そう言ってリツコの手をサッと取りピョコピョコと歩き出すシンジの動作には一切の違和感がなく、誰からとは言わないが女誑しの遺伝子をしっかりと受け継いでいる事を伺わせる。

 

 ……尤も、シンジに此処まで女性に対して耐性が付いたのはこの第三新東京市に来てからの事だ。それ以前の彼なら太陽のような

美少女であるアスカの背にクリームを塗るとなれば茹で蛸の如くのぼせ上がっただろうし、ネルフのクールビューティーとして名高いリツコの手を取って歩くなど到底不可能だっただろう。

 

 そんな彼を天然プレイボーイに変じさせた原因は、葛城ミサトとの同居である。

 

 見た目は一級品の美女である彼女の性格は、分類的にはズボラと言える。タンクトップにノーブラでうろうろしたり、寝ぼけてパジャマをはだけさせていたり、挙げ句の果てに酔っ払って下着のままでシンジに抱きついたりと思春期の青少年には過激すぎるスキンシップをこれでもかというほど体験する羽目となったシンジ。

 

 だがしかし。

 

 人間とは実に恐ろしい生き物であり、その適応力は尋常なモノではない。この半年でシンジもご多分に漏れず状況に『適応』し、彼の女性耐性は凄まじいレベルへと鍛え上げられたのだった。

 

 

 閑話休題。

 

 

 さてさて、リツコの手を引き彼がやってきたのは実に日当たりの良い浅瀬。彼が言うように其処ではサキエルが砂浜を枕にして仰向けに寝転がり、甲羅干しをしていた。その上に数匹のミシシッピアカミミガメが乗っかって同じように甲羅干しをしている様は何というかほのぼのし過ぎていて気が抜ける光景である。

 

「サッキー、リツコさん連れてきたよ」

 

 そうシンジが呼び掛けるとサキエルはピクリと身を震わせ、その振動にびっくりした亀達が慌てた様子で芦ノ湖へと飛び込んでいく。

 

「む、シンジ君か。……リツコ君から訪ねて来るとは珍しいな。私との接触はチサト君の仕事だと勝手に思っていたのだが」

「あれはパイロットの管理が作戦部の管轄だからよ。今回は技術部からのお願い事なのよ」

「ふむ、お願い事、とは?」

 

 ムクリと上体を起こしたサキエルが胡座を組みながら問うと、リツコはピシッとある方向を指差した。其処にあるのは、数台のトレーラーである。

 

「第六使徒ガギエルの解剖とデータ収集が終わったから死骸を持ってきたの。……これだけ長い間置いてあったにも関わらず腐る気配すらないのよ、アレ」

「あぁ、成る程。使徒の死骸は腐らない、と言うか成分的に生物が分解できるモノじゃないからね。風化するまで放置するか、超巨大な焼却炉で五年ほど燃やし続ければどうにかなるとは思うが……費用的に厳しいのだろう?」

「えぇ。……お金は無限にある訳じゃないから」

 

「了解した。私が処理、と言うか食べておこう」

 

 そう言って仮面の下からサキエルは蛇腹のように折り畳まれた口を伸ばす。口、と言うよりは舌に近い印象だが、触れたモノを問答無用でディラックの海、もといサキエルの『食べたもの置き場』に叩き込むそれは矢張り機能的には『口』と呼ぶにふさわしい。

 

 見事にトレーラーの背中に載せたコンテナ事ガギエルの死体を平らげた彼は、早速その死骸を解析する。

 

「む? かなり壊れているがS2機関が付いたままだな。研究しないのかね?」

「私達の科学じゃ修復不可能だったのよ。データは収集したから開発のサンプルにはなるでしょうけど、サンプルだけならデータがあればそれで充分だから。……けど、そこまで壊れていても使徒なら修復出来るのね。つくづく恐ろしいわ」

「まぁ、私は既に3つ持っているからね。サンプルも稼働データもそれこそ莫大なモノがある。修復程度なら容易いことだよ。……と言うか、小規模なモノならゼロから自作出来る。ミサエ君の父上が提唱した通り、S2機関は一応人類にも制作可能だからね」

 

 そんな事を言いながら、サキエルはガギエルの能力を取り込んで行く。恐ろしく硬い装甲はシャムシエル以上の強度であり、硬いくせに柔らかい不思議素材。更に、水中でより速く進むためにガギエルはATフィールドで全身を包み込みスーパーキャビテーションによって摩擦抵抗をゼロにするという荒技で超音速航行を行っていたらしい。かなり近づくまでパッシブソナーに反応が無かったのは音より速く泳いでいたからというのが真相らしい。地味に化け物じみたヤツである。水中での音速は秒速1.5キロメートルである事を考えれば、到底生物が出して良い速度ではないのはお分かり頂けるだろうか。

 

 その技術はサキエルが水中を高速移動する際にも応用出来る事間違いなしな技術である。そんな機会があるかは不明だが。

 

「ふむ、なかなか有意義なデータを得られたな。……水中に特化しているのが残念だが」

「あら、やっぱり使徒の能力は死骸が暫く放置されても吸い出せるのかしら?」

「あぁ、コアとは別に使徒同士のリンクというか、サーバーのような器官があるのだよ。使徒が死亡した際には其処に蓄積されたデータのコピーが次の使徒に送信される。私には送信こそされないが、サーバー自体を取り込んでしまえばデータは手に入る」

「……使徒は、経験を引き継ぐというの?」

 

「ああ。ほら、私の次に来たシャムシエルは私とあまり変わらない、というかビームが無い分だけ微妙だっただろう? アレは私が死んでいないからだ。だが、シャムシエルは死亡したため『近接戦闘では分が悪い』と学習し、ラミエルがやってきた。そしてラミエルも狙撃で死亡した結果、『有利なフィールドで戦う』事を考えて進化したのがガギエルというわけだな」

「確かに、エヴァは陸戦兵器である以上水中戦闘は苦手だものね」

「うむ。だが、ガギエルも倒されてしまった事だし……。次辺りは今までの使徒がほぼ一撃で死んでいる事を考えて『一撃で死なない』ヤツが来るんじゃないか?」

 

 あっさりとそう言うサキエルに、リツコは何やら閃いたようにメモを取る。

 

「使徒はスタンドアローンな兵器だという概念が覆される理論ね。つまり、MAGIで前回までの使徒の弱点を考えさせれば其処を補強して来るであろう次の使徒が予想できるかも知れないのね?」

「まぁ、理論的には正しいね」

 

 そんな事を言ってから、サキエルはふと思い付いたように呟く。

 

「まぁ、私が死んだ場合、私をより強化した化け物が現れるわけだな」

 

 その発言は、リツコの額に冷や汗をかかせるに充分な威力を持っていた。また一つサキエルを『倒せない』理由が出来たのである。

 

 現状のサキエルの経験をすべて引き継いだ挙げ句に弱点を補った使徒など、流石のリツコでも想像すら出来ない。仮にそんな使徒がいたとしたら問答無用で周囲の生命体を死滅させる能力ぐらいは持っているのではないだろうか。

 

「……恐ろしいわね」

「真実は実に便利な毒薬だからね」

 

 そう言って肩を竦める辺り、この会話の流れもサキエルの『生存戦略』なのだろう。かつてリツコが予想した通り、サキエルはネットによって内面的に凄まじい成長を遂げているらしい。搦め手と舌鋒と超兵器を駆使する使徒など厄介の極みである。

 

 さて、そんな厄介者ことサキエルはあらかたガギエルの解析を終了させたらしく、リツコに向けて何かを差し出した。

 

「実に有益な物を貰った事だし、等価交換と行こう。……お土産に持って帰りたまえ」

 

 そう言って彼が差し出した指先には、上下左右どこからどう見ても『単三乾電池』としか言えない何かが一つ乗っている。黒っぽいその物体を見たリツコは『爆弾かも知れない』という不安を少し抱いたものの、サキエルならば爆弾など使わずにネルフを消し飛ばせる事を思い出し、思い切ってそれを受け取ってから当然の疑問を投げかける。

 

「何かしら、コレ」

 

 それに対するサキエルの回答は、相も変わらず凄まじかった。

 

「S2電池だ。小さい上に簡易タイプでかなり効率は悪く、電気エネルギーしか出力出来ない微妙なモノだな。1.5ボルトの電流を永久に生み出すだけの装置だ」

「…………」

 

 手に持った電池を眺めながら絶句するリツコと、とんでもないモノをのほほんとした雰囲気で渡しやがったサキエル。

 

 

 

 そんな状況に対して、芦ノ湖中にリツコの「あなた馬鹿でしょう!! 馬鹿なのね!! 馬鹿に違いないわ!!!!」という魂の叫びが響くのはそれから十分後の事である。


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