我思う、故に我有り   作:黒山羊

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眼光紙背に徹す

 夏休み。夏ばかりの日本で夏休みも糞もあるかと言われればそれまでだが、やはり長期休みというのは良いものだ。そんな事を考えつつスイカを頬張るのはバカルテットのスポーツ担当であるトウジと、参謀を自称するケンスケ。そして、彼らが夏休みの宿題をサボって居ないか監視する、との建て前で思い人であるトウジと共に夏休みを過ごす権利を獲得した委員長のヒカリ。

 今日の分の宿題を計画的に終わらせた三人は現在、芦ノ湖のほとりでスイカ割りを終えた直後であった。湧き水の影響で常に冷たい芦ノ湖の湖水でじっくり冷やされたスイカはその甘味とスイカ特有の香りで彼等の喉を潤し、夏の日差しを忘れさせるような清々しい涼しさを提供していた。

 

 そんな中、『それ』を最初に見つけたのは、可愛らしい白い水着を来たヒカリだった。

 

 あっちへちょこちょこ、こっちへちょこちょこと芦ノ湖のほとりを忙しなく駆け回るその生き物をヒカリは最初雀の仲間か何かだと思っていたのだが、よくよく眺めてみればどうやらそれは鳥ではない。丸い身体に短い手足を生やしているその姿は、まるで丸々と太った小人といった様子であり、身体とは逆に細い手足をパタパタと振り回して駆け回るその姿は、何というか実に可愛らしくヒカリの興味を引き付けた。

 

 ヒカリとて毎日の家事のせいでちょっと所帯じみてはいるものの、まだまだ好奇心いっぱいな14歳である。どうやら何かを集めるのに夢中らしいその生き物を後ろからそっと捕獲するという思い付きを即実行したのは、年相応の可愛らしい行動であると言えるだろう。

 

 斯くしてヒカリは謎の生物の捕獲に成功し、短い手足をペチペチと叩き付けて抵抗するそれをよく観察し……ようとして最近見た何かに似ていることに気がついた。

 

 黒いボディ、鳥のような形の白い顔、妙につぶらな瞳。その姿が光の脳の中である存在と結び付き、同時に中学生の知りうる限りの生物知識と化学反応を引き起こす。その結果彼女の脳裏に去来した実に素晴らしい閃きを呑気にスイカを食べている二人の友人と共有すべく、ヒカリは小さな生物を胸に抱えて砂浜を駆け、二人の下に馳せ参じると彼女にしてはなかなかのハイテンションでその閃きを伝達する。

 

「サッキーの幼虫見つけた!!」

 

 

 その声に反応してヒカリの方を見たトウジとケンスケが、彼女のふっくらした胸に抱かれて何やらグッタリしている生物を見て、ヒカリと興奮を共有したのは言うまでもない。

 

 その興奮は、ヒカリの胸に抱かれた生き物がサキエルよりはかなり高めの声で「タスケテー」と叫ぶまで続き、振り回されてグッタリしている『幼虫』は気絶。その結果、ヒカリによってお持ち帰りされる事が決定したのだった。

 

 

 

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 さて、幼虫発見から約二時間。既に夕方となった現在、洞木家のヒカリの部屋には、一つの鳥籠が設置されていた。

 

 その中に居るのは当然ながら本日捕獲されてきた『サキエルの幼虫』。体長僅か10センチのその生き物は、まぁ、当然ながらサキエルに関係している。とはいえ、コレがサキエルの幼虫、或いは幼生体であるかと言われれば否であるのだが。

 

 この生き物の正体はサキエルの分身であり、断じて幼虫では無い。イスラフェルから強奪した分裂能力によって作り出された、いわばサキエル自身である。だが、サキエルの自我自体は本体である月の巨人に存在しており、この小さな個体には存在していない。この個体にあるのは幼児程度の知能と不死の肉体、ATフィールド、縫い針サイズのパイルバンカーらしきもの、そして母体であるオリジナルへの通信能力だけである。

 

 そんな無力な分身の中でもどうやらかなり鈍くさいらしいこの個体。自身が鳥籠に捕らわれてしまったと若干涙目で母体に連絡し、『丁度良いからヒカリ君達の護衛をしたまえ』と言われてしまった彼は、とりあえず何をするでもなく鳥籠の中でオロオロとしている。余り賢くない彼の脳髄は『何かしなきゃ』とまでは考え付くのだが、具体的に何をすべきかを閃けない。その結果がこのオロオロ。歩き回ってアイディアが降りてくるのを促す彼だが、傍目から見ればピョコピョコと踊っているようにしか見えない。

 

 この光景を見れば多くの人間が、分身というよりも『使い魔』か『子分』といった方が正しいんじゃないか、と思うことは間違いない。まぁ、実際この分身達はサキエルの『目』の様なものなのでその評価は実に正確である。月に移住したサキエル自身に変わって人間という生物を観察するのがこの分身達の役目であり、本体はそれ以上の働きには期待していない、というわけである。だが、そんな事をこの分身君が知るわけもなく、本体からすれば冗談のつもりで言った『護衛任務』に対しても、分身自身はやる気十分であった。

 

 まぁ、やる気は絶賛空回り中なのだが。

 

 さて、そんな彼が鳥かごの中でバタバタしている中、この部屋の主であるヒカリはお風呂に入っている最中であった。常夏の島国と化した日本だが、そんな中でも熱いお風呂に幸せを感じてしまうのは最早味噌や醤油と同様に日本人のDNAに刻まれた嗜好なのかも知れない。お気に入りの入浴剤からふわりと香る柚子の香りに包まれながらそんな事中学生らしからぬ事を考えてみるのは、トウジ達との交流でその存在を知り、以降はそれなりに仲良く接している黒い巨人の影響かもしれない。

 

 彼、もといサキエルは巨大な体躯と強大な力を有する、とヒカリはトウジ達から聞いている。何しろ数ヶ月前に現れた青いミョウバンのような使徒からトウジ達を庇い戦ったのがサキエルらしいのだ。本人曰わく『友人を助けただけ』との事だが、それが本当ならあの使徒から街を守ったのはサキエルという事になる。それは即ち、音に聞くエヴァンゲリオンと同じかそれ以上の力をサキエルが保有しているということだ。

 

 にもかかわらず、ヒカリと交流するサキエルは非常に知的な存在だった。学校の宿題で分からない所があれば噛み砕いて講釈してくれるし、トウジ達が余りにバカな事をすればお説教もする。そして何より彼が時折遊びと称して出題する『クイズ』は彼自身が『こういう事を考えて頭を鍛えればいつか役に立つ。何故なら財産は奪えても知恵は奪えないからね』と言うとおりなかなかに考えさせるモノが多かった。

 

 『ヒトとはホモ・サピエンスである。では人間とは何か?』、『男女の区別なく人は皆平等であるべきだと言われている。では、男女でトイレが別なのは差別ではないか?』、『聖書に曰わく、産めよ殖やせよ、地に満ちよとある。だが、汝姦淫することなかれ、ともある。これらは矛盾しているが、後者が後付けであると仮定して、その根拠と後付けされた理由を考察せよ』などなど、様々な文献からの引用やサキエルが考えた問題について自分の意見を言い『サキエルを納得させた者』にはご褒美がある、というのがそのクイズのシステムである。それは単純だが彼の提示するご褒美は実に物欲をくすぐった。例えば、アスカが納得させた時は人工とは言えダイヤモンドやルビー、サファイアなどをあしらった洒落たブローチが贈呈されたし、トウジが納得させた時はサキエルがネット経由で購入した遊園地の年間フリーパスを彼と彼の妹併せて二人分。ケンスケの時はプロ仕様の超高級一眼レフで、シンジの時は有名ブランドのティーセット。カヲルは前々から欲しかったという電子ピアノを手に入れ、ヒカリもちょっと憧れていたドールを入手している。

 

 それらの商品は後日宅配で届くのだが、受け取ったヒカリの姉がその中身を開けて驚愕していたのはヒカリとしても記憶に新しい。完全に陶器で出来たその人形はしっかりとした球体関節を備えた大層立派な造りだったのである。後にサキエルからどうやって入手したのかと訊いたのだが、株取引やら何やらのマネーゲームで得たお金で買ったらしい。

 

 怪獣であるにも関わらず法に則ってお金を稼ぐその姿はヒカリからすれば随分奇妙に映ったのだが、彼曰く『私が腕力で解決するとなれば、それはこの国から出て行く時だろうね』とのこと。

 

 そして、彼はもう芦ノ湖に居ない。

 

 これらの情報は、サキエルによって頭脳を鍛えられたヒカリにある閃きを与えるに充分なモノだった。即ち、『つい先日長野であったという竜巻はサキエルの仕業ではなかろうか』という事である。死亡者や負傷者はほぼ全員が軍人であると噂されているその『竜巻』の被害は明らかになるべく人が居ない場所を通っている不自然なモノであり、サキエルの関与をヒカリが疑うのも仕方がない。というか、最早疑いではなく確信に近い。

 

 『サキエルの幼虫』、或いはちっさいサキエル。それが明らかに目立つ場所で目立つ行動をしていたこと、さらに、それがヒカリ達が芦ノ湖で遊んでいたタイミングであること。その全てがサキエルの計画通りであるならば、恐らくはサキエルはこの国から完全に出て行ったのだろう。

 

 そして、恐らくは最近連絡が付かないレイとアスカ、シンジとカヲルも同行している筈。

 

 其処まで推察を進めてから、ヒカリはふぅと息を吐いて肩までお湯に浸かる。

 

 正直に言うならば、ヒカリも連れて行ってもらいたかった。それはトウジ、そしてケンスケも同じ筈だ。そして、ヒカリ達は同時に自身が連れて行って貰えない理由も知っている。連れて行って貰えた四人は、日本にしがらみがないのだ。

 

 レイはシンジ以外に家族が居らず、カヲルは天涯孤独の孤児、アスカは彼女が言うことには『試験管ベイビー』らしいし、シンジは親に捨てられている。それに引き換え、ヒカリには姉妹と父が居るし、トウジには妹と祖父と父親が、ケンスケには父親がいる。幾ら長野で大立ち回りを演じる度胸は有っても『家族を引き裂く』勇気がないサキエルは、ヒカリ達を連れて行くのを躊躇ったに違いない。その結果思い付いた策が、恐らくは自分の身代わりである『幼虫』をヒカリ達の近くに居させる事なのだろう。

 

 サキエルとは短い付き合いだが、ヒカリはサキエルが『友人』や『兄弟』、『家族』という繋がりを大事にしているのは知っている。世界に一匹だけの存在と自称していた彼にとって、その繋がりには一種の憧れがあったのだろう。彼はトウジがヒカリを連れてきたときやカヲルとアスカが初めてやってきた時には『友人が増える』と大層喜んでいた。

 

 そんな彼が家族を引き裂く選択を選ぶのかと問われれば間違い無く否。そんな事はヒカリを含めたサキエルの友人達には言われずとも解っていることだ。

 

 

 だが、それでも。

 

 

「……サッキーとの冒険、ついて行きたかったなぁ」

 

 

 彼と共に行動している四人を羨むようなその言葉は、気密の高い浴室内で少し響きながらふわりと消える。

 

 後に残ったのは、次々思い浮かぶ冒険に胸ときめかせる少女が一人。

 

 まるで童話を語り聞かされた幼女のように空想に耽るその姿は、普段のしっかり者の委員長ではなく洞木ヒカリという一人の少女。

 

 彼女の頭の中で繰り広げられるサキエルと愉快な仲間達の大冒険は大冒険という名に恥じぬスケールで進行し、あろうことかサキエル一行は宇宙にまで行ってしまう。既にちょっとしたSFになりつつあるその冒険に自分で考えたモノながら思わずクスッと笑いをこぼしてしまう彼女は、そろそろお風呂からあがるべく湯船から立ち上がる。

 

 

 まさか、自分自身の空想がそれなりに当たっているとは夢にも思わない彼女はバスタオルに身を包んで自身の部屋へと帰還する。

 

 

 

 その先で鳥かごの中で何やら騒いでいる『幼虫』を目撃し、そう言えば餌をやっていなかったなと思い出して果たしてサキエルは何を食べているのかと悩んだりするのだが、それはまた別の話である。


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