本作は投稿テストを兼ねて、2014年にpixivにて公開していたSSとなります。幾つかあるなかから夏らしいものをチョイス。
明日からはシリーズものを定期連載していく予定です。世間の夏休みももう終わっちゃうんですけどねw
それでは、どうぞ!
波間をすり抜けて光が差し込んでいる。イクは独り悠々と海の中を泳いでいた。
散歩のような感じで、イクは非番のときによく海を泳ぐ。それは彼女の数少ない趣味の一つだった。
戦場と地続きであるこの海では敵と鉢合わせる可能性もあるため、そんなに遠くまではいかないようにとイムヤたちにも言われているが、今日は少し遠出をしている。どこが安全でどこが危険な海域かくらい、イクは分かっているつもりだ。イムヤたちはあまりにも心配性だとイクは思っていた。
海中は珍奇なものに溢れている。見たこともない魚の群れ、沈没した戦闘機の残骸。この前、イクは沈んでいた深海棲艦の姿を見た。それらに触れて、色々なことを思う。別に何も思わないこともある。ただイクは、そういう海の姿を眺めながら泳いでゆくのが好きだった。
海底付近を泳いでいる時、突然、イクの頭上が翳った。海面に何かぼやけた白い影が見える。
「なんなのね?」
気になって、海面まで急速に浮上した。飛沫を上げて海から顔を出したイクの眼が捉えたもの。それは、上空を悠々と、まるで泳ぐように飛ぶ、白くて巨大な――
「ほんとなの! クジラが空を飛んでたのね!」
「またまた~、そんな簡単な嘘に私はダマされないからね!」
急いで鎮守府に戻ってきたイクが、イムヤに先ほど見た出来事を説明しようとしていた。身振り手振りを交えて、
「こ~んなでっかい、白いクジラだったのね!」
と力説している。
「はいはい。それよりイク、身体拭きなさいよね。タオル」
イムヤがタオルを差し出す。
「むむ、ありがと……なの」
しぶしぶ貰ったタオルでイクは身体を拭いた。まだ鎮守府内に入ってもいないので、風が吹くと寒そうにイクは身体を縮める。イムヤは、イクが帰ってくるのを出迎えるために外でずっと待っていたようだ。
「まあ寒そうだし、寮の中に入ってから話しましょ」
「イクもそれがいいと思うのね。いつもありがとなの」
イムヤは呆れたように言う。
「大体、クジラが空を飛ぶわけないじゃない」
「だから見たって言ってるの~~~」
平行線をたどる二人の会話を見かねて、ゴーヤが声を掛けた。
「白いクジラって、これでち?」
その手には図鑑があって、『シロナガスクジラ』のページが開かれていた。
「白いクジラといえばシロナガスクジラでち!」
「うーん、この子だったような、そうじゃなかったような、なの」
もっと大きかったような、なんてことを言いながらイクは首をひねっている。
「もしかしたら、深海棲艦の基地だったかもしれないわね!」
ニヤリと笑ってイムヤが言う。
「どういうことでち?」
「空飛ぶ深海棲艦の空中要塞! こっちの方がありえそうじゃない?」
イムヤの発言にイクは驚く。
「もしそうだったら、イクは実は絶体絶命だったのね! 奇跡的に鎮守府に帰ってきた幸運艦なのね!」
「空中要塞なんて、そんな話聞いたことないでち! でも深海棲艦っていうのはあながち間違ってないかもしれないでち! 実はイクは幽霊を見たのかもしれないよ!」
『幽霊』という言葉にイクは身体を固くする。
「ど、どういうこと……なの?」
「白くて空を飛んでいた、となれば幽霊しかないでち! 深海棲艦の魂がたくさん集まって飛んでいたのが、イクには巨大なクジラに見えたんでち! 亡霊でち! 呪いでち!」
「ひえー! めちゃくちゃ恐ろしいのね! イク、びっくりしておしっこ漏らしちゃいそうなの!」
「それは困るでち!」
それからも、空飛ぶクジラの話は続いた。潜水艦寮の隣に位置する駆逐艦寮にもすぐにその噂が波及し、鎮守府は白いクジラの話で持ちきりになった。
空中要塞だったり幽霊だったり、妖精の王様だったり単なる白昼夢だったり、噂は形を変えて艦娘の間を駆け抜けていった。
鎮守府内を駆け巡った噂は、やがて提督の耳にも入る。
「一昨日、空飛ぶ白いクジラを艦娘の誰かが見たんですって。今、鎮守府内ではその噂で持ちきりですよ」
世間話のつもりで、秘書官の鳳翔が噂話を話題に上げた。
「ほお、それは興味深いな。一昨日か。ひょっとすると、場所は例のところかな」
執務机の前に座りっぱなしで退屈していた提督は、そんな話題に興味を示した。
「そうみたいですね。噂の出処は不明ですが、散見された話をまとめると大体その辺りみたいです」
「ふむ、クジラか……。ははっ! なるほど、それは随分大仰な誤認だな! 索敵の精度が足りていないのではないのかね!」
提督は制帽を目深にかぶり直し、愉快そうに笑う。
「それはずばり飛行機雲だよ。一昨日のヒトサンマルマル。その時間は新開発の艦載機の運行テスト中だ。きっと空に撒かれた水蒸気の塊を、クジラだと誤認したのだろうなあ」
「空飛ぶクジラの正体は飛行機雲、ですか。それはなんだか、味気のない話ですね」
「まあ現実なんて大体そんなものさ。ただ、そういう物語の存在は時にとても重要だ。特に我々のような四六時中戦いの中にいる者にとってはね。私も、空飛ぶクジラの姿を見てみたいものだよ」
鳳翔は、窓の外を仰ぐ提督の横顔を見て微笑む。
「私もですよ、提督」
飛行機雲が、鎮守府の空に綺麗な稜線を描いていた。
「ところで提督、本日の案件はどこまで終わりましたか?」
「すみません、仕事します」
イクはいつもの場所をいつものように泳いでいる。悠々と、歌うように。
影が周囲を覆い始め、それに気付いてイクは海面から顔を出す。
天を仰いで『それ』に顔を向けて、いひひっとイクは笑う。
それの正体は誰も知る由もない。ただ海だけがそれを知っていて、イクは今日もそんな海を散歩する。
「やーっぱり、イクは間違ってなかったのね!」
クジラが拭きあげた海水が、空に綺麗な虹を作った。