妖精の実在を信じている人間は、《艦娘システム》に関わる者のなかでも少ない。兵装の中身や艦娘の建造などといった領域で実際に起こっていることはシステムに携わる内部の人間にも秘匿にされており、妖精はそういったブラックボックスの中に実在して、働いているという。その姿を見たことのある人間はいない。ところが艦娘の目には妖精の姿はばっちり見えている。彼女らは妖精が兵装や艦載機の内部にいたり、鎮守府の至るところで自分たちの仕事を支え共に暮していることを知っていた。
「だけど加賀くんも大変だなあ。毎週朝からこんな時間まで拘束されてさ――」
工廠施設の中でばったり会った仁蔵司令と共に、加賀は施設の扉をくぐって潮風の混じる外の空気を吸った。加賀の用事は定期検診で、建造当初から特異なスコアを叩き出したモデル艦として身体の隅から隅までチェックされ、数時間に及ぶいつもの追跡試験をこなしたあとだった。仁蔵は工廠の中にある兵装開発関連の部署からちょうど出てきたところで、奇遇なことだと二人は並んで歩く。
「いえ、もう慣れましたから」
そう言う加賀は最近では自分の方から打診して、試験の内容を変えることがある。自分の方から働きかけるのが、長い拘束時間を単調だとか退屈に思わないコツだった。
加賀は会話の中でそれとなく仁蔵司令の用事を尋ねると、躊躇もなく答えてくれた。
「長官からの頼み事でね、今後作戦に使用するだろう新しい兵器の開発要請をしてたんだ」
それは近々訪れると言われている決戦の準備だろうか、最近呉全体の雰囲気が緊張していると加賀は思う。ところが仁蔵司令の姿を見ていると、どうもその緊張感が薄れていくのだった。
工廠前は何もない平地が続き中庭のようになっている。右手側には遠く海が見え、艦娘の出港のための施設があり、左手側には艦娘寮が何楝も連なる。その道を横断する二人の軽巡洋艦が目の前を駆けていて、加賀たちに気づいた。
「あ! 仁蔵提督と加賀さんだ、こんにちはー!」
「加賀っち、ゾウさんやっほー!」
「提督、そろそろ私を夜戦に使ってくれるよね!」
軽巡洋艦
「おーい! 何度も言ってるけど僕は提督じゃないぞー。提督は長官を指す言葉」
「えーどっちでもいーじゃーん。そんなことより夜戦の方はー?」
「長官に掛け合い中」
「了解ー……ってそれ先月も使ってた言い訳! もう騙されないぞ!」
川内は片腕を胸の前で水平にする決めポーズを作る。さながら忍者のようだが、きっと深い意味はないのだろう。
「ほんとだって。川内が思う存分戦える舞台のセッティングに頭を悩ませてるところ」
仁蔵が困ったように笑っている。『思う存分』というところが川内は気に入ったようだ。
「やーっぱ分かってるなあ司令官は! 絶対だからね! 行くよ那珂!」
と単純だ。
「あれ、那珂ちゃんのオンステージはー?」
そうして川内姉妹は寮の方向に駆けて行った。
「あはは、あの二人はいつも元気だなあ」
見送るように仁蔵は言う。彼が慕われる理由は明らかだった。流石の加賀も少し微笑ましく、口元が緩む。
「……あの、司令官。先程の話で、出過ぎた真似なら申し訳ありません。新しい兵器とはどういったものなのでしょうか?」
加賀は先ほど中断された話が気になっていた。
「ああ、そうだった。新しい兵器とは《爆弾》のことだよ。深海棲艦の基地に仕掛けるためのね」
「爆弾……? いや、それより基地……ですか?」
深海棲艦の基地という聞きなれない単語に加賀は身震いがした。彼女たちが姫級を中心にコロニーのようなものを作ることは知っていたが、『基地』とは聞いたことがない。基地とは兵士の活動を支える兵站設備と医療施設、そして司令部が置かれているものを指す。それゆえに基地の存在は言葉裏に深海棲艦の知性の巨大さを感じさせた。
「撃墜されることが分かっていながらも、無人探査艇を飛ばし続けたのは無駄じゃなかった。結局奴らの秘密を探るには深海領域を明らかにするしかないからね。僕たちは姫級が作るコロニーの中心部、その五百メートル真下に基地の姿を捉えたんだ」
その発見の重大さは加賀にも分かる。人類は深海棲艦の未知の領域に一歩踏み込むことができたのだ。
「深海棲艦はそこで誕生している可能性もあるということですか? そして海上のコロニーはそれを守るための砦……」
「そうかもしれない」
深海の基地内で、姫級が子どもを産むようにして数を増やしているのだろうか。その光景を想像することはできなかった。
「……奴らが何故か持っている『クローン技術』、そして深海棲艦のルーツ。それらの秘密が基地の中に隠されていると長官は睨んでいてね。奴らの進化の秘密もそこにあるらしい」
仁蔵の言うとおりだとしたら、長らく不明だった深海棲艦の生態に光が当たることになる。奴らが同じ容姿で大量に存在していることや、この数年の間で新しいタイプが次々に発見されていること。それらの理由に説明がつくことになる。
「あの……長官が言っていた、戦争がもうすぐ終わるというのは本当なのでしょうか」
加賀は訊く。
「敵の基地を引き揚げる、そうすることで深海棲艦の発生を食い止めるということですよね」
「……そうだね。それは奴らにとって大打撃に違いない。そして基地の存在が分かった今、他の基地もじきに見つかるだろう。もう少し、もう少しで終わるんだ……」
そう言った仁蔵の目は、ここではないどこか遠くを見ているようだった。様々な感情が目の奥で渦巻いているように見えた。そんな彼の髪の上で、何かがふさふさと動く。たしたしと、彼の頭を叩いている小人がいる。
妖精が、仁蔵の頭に乗って彼をたしなめるかのようにふんぞり返っていた。小さな右手で彼の頭頂部を叩いていた。またもう一人の妖精が、彼の肩の上に乗ってうつらうつらしていた。制服の胸ポケットの中からも、妖精が顔を覗かせ仁蔵のことを見上げていた。
「っと……少しぼーっとしてしまったよ。加賀くん、他に聞きたいことはないかな?」
「いえ……」
加賀は口ごもった。仁蔵と彼を取り巻く妖精たちを見て、一瞬言葉を失ってしまっていた。艦娘以外の人間には妖精の姿を見ることはできないため、仁蔵に妖精は見えていない。にも関わらず彼は妖精によく懐かれていた。それが、彼が艦娘に慕われる理由でもあった。
「――仁蔵司令。もし失礼でなければですが、あなたが海軍に入った理由を聞いてもいいですか?」
加賀は思い切って聞いた。瀬名司令にも尋ねたことだった。
仁蔵ははっとしてから、加賀の方を向いていつものような柔和な微笑を浮かべた。
「僕の? どうして?」
「ほとんど個人的な興味になります」
「へえー」
仁蔵は珍しいものでも見たかのようにじっと目を細めた。
「加賀くんも他人に興味を持ったりするんだね」
「それ若干セクハラですよ」
「すみません」
腕を組み、仁蔵が中空を仰ぐ。
「僕か……。僕は平和を侵す悪の存在が、どうしても許せないんだ――」
仁蔵は子供時代の記憶は語らなかった。簡潔な解答だった。
「そんな理由じゃダメかな?」
柔和な表情の内に、確かな正義感を秘めている。静かに燃える炎のような、そんな印象を加賀は抱いた。
「いえ、立派な志しだと思います」
「ありがとう。……ところで、それって僕以外にも訊いてるの?」
「え、ええ、瀬名司令には訊ねました」
「へえ……。彼女はなんて?」
仁蔵は興味津々といった風に聞く。こういった子どもっぽい面があることも、艦娘たちの間では周知だった。
「彼女の学生時代の話を訊きました。でも人に吹聴するわけにはいかないので……」
「確かにそうだね、ごめんごめん」
「あの……もう一つ訊いてもいいですか?」
仁蔵はとうとう不思議に思ったらしい。立ち止まった。
「……今日はいつもの加賀くんらしくないね。どうしたの?」
加賀は額を汗が伝うのが分かった。仁蔵が「何の話?」と聞き直す。
「ええ。呉で起こったある出来事の話です。二年前の加賀の不審死について――」
ぴくりと仁蔵の眉が動いた。
「それが?」
ここでどのような質問をするかが大事だ、と加賀は思った。
「その事件について、誰が一番詳しいですか?」
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