すべての艦たちのための艦娘解体   作:うずしお丸

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ちょうかん!

 長官室の扉が物々しく感じられるのは、そこに出入りできる者がごく少数に限られているからだろう。長官を除けば、二人の司令官、そして秘書官や艦隊の旗艦くらい。その扉の前には、いま仁蔵司令に連れられて加賀が立っている。先ほど加賀が仁蔵に尋ねた質問に対する答えは、この部屋の中にいる。小気味良く、仁蔵がノック音を響かせた。

 

「長官。仁蔵です」

 

「入れ」

 

 そう声が返ってきて、仁蔵は扉を開く。加賀は息を呑んだ。そこにいたのは芦木長官と、黒い艦娘――揚陸艦あきつ丸だったからだ。

 

「今『またか……』って思ったでありますな」

 

 ちらと加賀を振り返って、彼女は言う。

 

「……あなた、それ……!」

 

 加賀は驚愕を隠せなかった。あきつ丸はその手に拳銃を握っていた。そしてその銃口は執務机の奥で落ち着き払っている芦木長官に向いていたのだ。脅迫の場面そのものだった。

 

「お前! 何やってんだ!」

 

 仁蔵が叫ぶ。

 

「仁蔵、構わない。放っておけ」

 

 そう言ったのはまさに銃口を突き付けられている芦木長官だった。

 

「し、しかし……!」

 

 仁蔵司令が言葉に詰まるが、芦木はあきつ丸を気にしていない様子だ。

 

「どうせ撃てない。こいつにそんな意志はない」

 

 芦木が言った。仁蔵も加賀も事態を飲み込めず立ち尽くしていた。二人の目の前で、あきつ丸は観念したように銃を降ろす。

 

「はぁ、なんだかもう、色々と気分が萎えてしまったでありますなあ。初めからその気のない男と燃え上がれるわけが無かったのであります」

 

 ふてくされたように言う。

 

「何の話だ、仁蔵」

 

 あきつ丸を無視して長官が言った。問われて、仁蔵は動揺しながらも言う。

 

「か、加賀くんが二年前の話について訊きたい、と」

 

「そうか」

 

 仁蔵はあきつ丸と芦木を交互に見る。彼は状況を必死に理解しようとしていたが、結局何も分からない様子だ。それは加賀も同様だった。

 

「……と、取り込み中だったのでしょうか?」

 

「いや。全く」と、芦木。

 

「取り込んでいたでありますー無視するなでありますー」

 

 あきつ丸が長机に手を乗せ芦木に不平の声を上げた。が、誰にも相手にされないことに気付くと、がっくりと肩を落とす。

 

「やれやれ、仕方ないでありますなあ……」

 

 彼女はまた加賀に目配せをした。

 

「あとは加賀殿に任せるでありますか……」

 

「何の話かは分かりませんが、私を共犯にしないでください」

 

 何かの厄介事を預けられそうな予感を感じて、加賀は断言しておいた。

 

「白けたので……帰るであります」

 

 あきつ丸は子供のわがままのようにそう言って、長官室を出て行こうとする。

 

「おい、それは置いていけ」

 

 去りゆく黒い背中に声を掛ける芦木。あきつ丸は拗ねたように怪訝な顔をして振り返り、執務机に拳銃を叩き置いた。

 

「もう来なくていいぞ」

 

 あきつ丸は長官室のドアまで一直線に歩いて、止まる。

 

「……そんなこと言ってあとで『さっきはごめんね』みたいなスタンプを送ってくるのでありましょう」

 

 彼女はそう言い捨て、加賀の背後で扉の閉まる音がした。長官に気安く話しかけることのできる艦娘は確かに実在した。

 

「何の話だ。俺は携帯を持たん」

 

 ふてくされる芦木。二人は一体何の話をしていたのだろうか。

 

「芦木長官、あの艦はどうするのですか?」

 

「大したことじゃない。仁蔵、あの揚陸艦は不問にしていい」

 

 仁蔵が信じられないといった顔をした。拳銃を向けるという反逆行為を不問に付す、と。取り上げた拳銃は鉛の重さを持って執務机の引き出しの中に仕舞われた。彼らの前には法律というものは存在しないのだろうか。加賀の不信感は募っていた。

 

「気にするな、ということではない。今は問題にするなということだ仁蔵」

 

「分かり……ました」

 

 仁蔵が長官の言葉を飲み込む。

 

「それで……加賀、二年前の話だったか」

 

 何事も無かったかのように芦木は訊く。

 

「この件については長官が一番詳しいと、仁蔵司令に尋ねて来ました」

 

 そうしてここまで来たわけだった。しかし芦木は種明かしをするように言う。

 

「俺が仁蔵や瀬名に言ってあったんだ。加賀がこの話をしたら俺の元に通せとな」

 

「えっ」

 

「騙したようなことをしてごめんね。そう言われていたから」

 

 横から仁蔵が後出しのように言った。あきつ丸のことがあった直後だ。警戒しないわけにはいかなかった。加賀は思わず一歩後ずさる。

 

「安心しろ、加賀。いまの呉で二年前の事件について一番詳しいのは俺だ。なぜならあの一件は俺がすべてを主導したからだ。そしてお前が疑問を抱いたそのときに全てを話してやるために、こうやって根回ししてあった。これは前の加賀との約束でな」

 

 芦木は真っ直ぐ加賀を見据えていた。加賀のほうも目を逸らすことはなかった。二年前の加賀と約束をしていた、そのことが何を意味するのか知りたかった。

 

「悪いが、仁蔵は退出してくれ。二人きりで話がしたい」

 

「分かりました」

 

 言われるまま仁蔵は長官室を出る。扉の閉まる音が一時の静寂を作った。

 

「ふう……」

 

 加賀は少し思考を整理する時間が欲しいと思っていた。あきつ丸の言葉が頭の中で回っていた。『いったいクロは何人で、誰なのでありましょうか』。自分はいったい誰を信じたらいいのだろうか。そんな加賀の迷いが見えているかのように、芦木は笑った。

 

「迷ったら、誰も信じなければいい。海には指針がないからな。信じられるのは、自分自身だけだ」

 

 それはその通りだと、言われて加賀も思うのだった。結局正しい答えなんて無いのかもしれない。その中でやれることなんて、そう多くはないのだ。加賀は芦木の話を改めて聞こうと思った。

 

「一日に二回も同じ昔話をすることになるとは思わなかったが……先ほど、あの揚陸艦にも加賀の話をしていた」

 

「そうなんですか」

 

 あきつ丸も、芦木に訊きにきたのだ。

 

「おおかたお前も奴に唆されて、俺や仁蔵たちを疑っているのだろう。まあいい。上官が部下に殺されるなんてのは戦場ではありふれすぎた話だ」

 

「いえ、そんなことは……」

 

「それでいい」

 

 そう芦木は言う。

 

「俺たちを常に疑っておけ。それは背中を預けるのとは別のことだ。弦を張って備えておくんだ」

 

 芦木は執務机の抽斗(ひきだし)から、一冊の手帳を取り出した。白い装丁。オリジナルの加賀の日記。

 

「二年前、あいつは俺に視力障害を打ち明けた。酷く悩んでいたようだった」

 

 そうして芦木は語りだした。解体制度がまだ存在しなかった、二年前の呉の話を――

 

    ◆

 

「いま、どれほど見えている」

 

「……長官の顔の輪郭も、ほとんど分かりません」

 

 加賀は掠れたような笑みを浮かべていた。

 

「信じられんな……。よくその眼で戦っていた」

 

 海戦は視野が命である。正確に距離を測るものが無ければ、どのような行動も取りえない。しかし加賀は言う。

 

「戦艦などと違って、空母の戦闘は目測が占める割合が少ないですから……」

 

 艦砲を主力武器とする艦による戦闘では、夾叉(きようさ)を中心に戦術が組み立てられる。標的艦を着弾範囲内に入れ、砲弾を撃つたびにデータを取り、修正して徐々に着弾界を狭めていく。周囲の環境を五感と経験で読む。戦艦クラスの長距離射撃となると、地球の自転すらも含めた綿密な計算が行われるのだが、それらのデータ収集のうち最も重要なのが『見ること』であった。

 

 空母にはそういったものがほとんど要らないと加賀は言う。確かに艦載機に乗る妖精たちによる戦闘の補助はあるだろうが、見敵し、自らを動かすには目が必要であるはずだ。視野を失うことはやはり、頼れるものを絶対的に失うことであった。そしてその状況に自らを追い込むことで加賀は、経験と勘、状況判断、そして《視野外の敵の心理を読む力》を鍛えた。

 

 加賀はその点が特化して優れていたのだ。敵に発見される前に、敵を殲滅する。先手必殺の戦法を絶対の得意としていた。そうして呉の旗艦の座に収まっていた。

 

 視力障害をも武器に昇華した加賀の執念にようやく気付いた芦木は、にじむような畏怖の念を抱いていた。

 

 それは既に心眼の域に達している――

 

 このとき抱いた畏怖が、後に芦木の心にある疑問を浮かばせる、最初のきっかけとなった。しかしここでは芦木は、自分が正しいと思ったことを言った。

 

「加賀、お前は既に呉にとって欠くことのできない存在だ。それを明かされたとしても、今まで通りに戦えるのならそう簡単に一線から引かせるわけにはいかない」

 

「…………はい」

 

 加賀は言った。

 

「この症状は、悪化しています」

 

「…………そうか」

 

 その答えは芦木も予想できていたことだった。そうでなければ、加賀は一生それを秘密にし通しただろう。加賀はずっと考えていただろうことを口にした。

 

「もうすぐ私は完全に視界を失います。そうなったら本当に戦えなくなる。そのとき私はこのことを皆に打ち明けなければならない。それは他の艦娘たちにとって重荷となります」

 

 加賀はそう言った。芦木は疑問に思う。

 

「それでいいじゃないか。……まさか気を遣わせてしまうことを気に病んでいるのか?」

 

「いえ、おそらく、気を遣わせるなんてものではない。罪悪感すら、あの子たちなら抱いてしまう。…………そう、分かるんです」

 

 加賀は呉の艦娘のことをよく知っていた。皆、根の優しい艦なのだと。芦木は加賀が思いつめていると思った。

 

「ならば前線から引いて、後輩の指導をしたらいい。お前のその技術は、他の空母にとって助けとなるだろう」

 

「はい…………。それが正しいと、思っています……」

 

 加賀は言葉を濁す。なにか腑に落ちていない様子だった。

 

「納得していないようだな」

 

 加賀は言いづらそうに話す。

 

「…………私はこの技術を、視力を失っていく気の狂いそうな日々の中で身につけました。その覚悟を他の空母や艦娘たちに問うのは酷だと思うのです……」

 

 芦木はうろたえる。それは加賀の曲解だった。

 

「おいおい、俺はそんな真髄じみたことをいきなり教えろだなんて言っていない。ただ今のお前にこそ、他の奴に技術を教えることが良いと思ったのだ。指導艦になれ、加賀」

 

「そうでしょうか…………」

 

 代案を立ててもなお納得をしぶる加賀の真意を、芦木はずっと測りかね、ふと加賀の容姿をその目に捉えた。

 

 目の前に立っているのは前線を切って深海棲艦と戦い続けた艦。歴戦の空母。しかし今の彼女は酷くやつれた面影を残す。傷ついて打ちひしがれ、気丈な白百合のようだった(つよ)さは今の彼女には無かった。加賀は戦いの中で、何かをすり減らしていた。何か、大事なものが先細っている。芦木はそのものについて考えていた。

 

 そうして芦木は当たり前のことに気づく。とても当たり前のこと。彼女が艦娘であるということ。艦娘である前に、《彼女である》ということ。そう、いくら艦娘システムのクローン技術が優秀だったとしても、それによって彼女たちが人外の身体性能を有し戦闘に必要な知識のすべてを持って生まれてきていたとしても、それ以前に、彼女たちはみな一人の女性なのだ。艦娘とは人間なのだ――芦木はそう痛感した。

 

 今にも壊れそうな加賀をその目で見なければ、気づけなかったことだった。

 

「そうか……。お前は戦いの日々に疲弊しきってしまったのだな」

 

 そう芦木は言う。

 

「い、いえそんなことは決して……! そんなこと……艦が思うはずがありません……」

 

 加賀は尻切れるように否定した。艦としての存在意義を失うわけにはいかない。そうなったら生きていけない――そう思い込んでいる、艦娘たちがそこにいた。

 

 芦木は、そこに呉の未来を見たと思った。思わず息を呑む。今も昔も繰り返してきた、人類の、歴史の背負ってきた責という鎖が、自分たちの道を縛りつけている未来だ。

 

「加賀。お前に《艦娘システム》の真実を教えてやる」

 

 芦木はそう口走っていた。

 

「長官……?」

 

 驚いてそう返す加賀に、芦木は言葉を突きつける。

 

「そして加賀、『艦娘解体』のために――どうか死んでくれ」

 

    ◇

 

「それで、どうなったんですか?」

 

 二年の月日を越えて、《加賀》は再び芦木に向き合っていた。

 

「《艦娘システム》の真実、つまりお前たちクローンと歴史上の軍艦の関係についての話をした」

 

 加賀は訊いた。

 

「……長官、艦娘っていったい何なんですか?」

 

「ああ。二年前も、加賀はそう訊いた。教えてやろう」

 

 芦木は真実を語る。

 

「お前たちは、生物学上はただの人間のクローンにすぎない。自身を軍艦だと思い込まされている人間のクローンなのだ」

 

 そう言い放った。加賀には一瞬その意味が分からない。

 

「どういうこと……ですか?」

 

「言葉の通りだ。加賀も知っているように、艦娘は深海棲艦との戦争のために作られたクローン兵士だ。製造過程で体組織の性能は強化され、戦闘に関する知識は意識が覚醒する前にインプットされている。そして、《反逆を起こさないように》あるいは《余計なことに悩まないように》自身が軍艦であるという刷り込みがなされている。そうしてお前たちは生まれてきた」

 

 芦木は事実をただ繰り返す。足元がぐらついていた。とても立っていられなかった。すべての常識が塗り替えられ、天地が逆転したかのような衝撃が脳髄を突き抜けていく。

 

「兵器は感情を持たない。兵器は敵を殺すためだけに在る。兵器は使用者の意図に沿う。兵器は世界を疑わない。お前たちは自身をそのような存在なのだと思っている。個体差はあるがな。そして兵器としての適正が高い者ほどその傾向は顕著で、『艦である』という思い込みが強い。みな、胸の裡ではそれで納得している」

 

「ど……どうして……」

 

 加賀は、今すぐ無抵抗になって身体をその場に投げ出したく思った。そうでもしなければ自分が狂ってしまうのではないかと思った。芦木の声が、全て呪いの言葉のように聞こえた。今まで拠り所にしていた家が急に消えて、世界の中でただ立ち尽くすしかないような孤独にさらされていた。

 

『他者の情緒を理解する数値ゼロ。人間性の欠如。兵器としてはこの上ない適正だね』言葉が飛んでいる。

『私は鉄でできている――』どうして私たちは戦っている?

『やっぱり……加賀さんは強いね。私は耐えられない時がある……。何が真実で、何を信じたらいいのか……まったく分からなくなるの……』

 どうして私たちは生まれてきた? どうして? 加賀は深い疑問に包まれていた。

 

「何故……どうしてそんなことを…………私に、二年前の加賀にも言ったのですか……」

 

 ようやく絞りだした意味のある質問を、芦木は他人事として片付けたり、無関心な態度を取ったりせず、真正面から聞き届けた。

 

「お前たちが《人間》だと思うからだ」

 

 加賀は長官室の床に呆然と座り込んでいる。その窓からは切り取られた曇天が見えて、雲間に光の筋が走っていた。

 

「安心しろ。人はそんなに簡単には狂えない」

 

 加賀は、芦木が笑ったのを初めて見た。

 

「変われるんだ、お前たちは」

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