ブロントは深い眠りについていた。
長距離の移動。その疲労もあろうが、何よりも久々の家族との再会に心が安らいだのだろう。
そんな彼の寝顔は普段の厳しさは鳴りを潜め、少年の様に穏やかに――穏やか?
「おいィ……。おいィ……」
寝言までも特徴的なのか、いや、そうではなく。
ブロントの寝顔はとても穏やかと呼べるものではなかった。
眉を八の字に額には脂汗まで浮かべているではないか。
一体何が……? 黄金の鉄の塊で出来た彼を苦しめているのだろう。
それは巨大であった。彼の手に収まりきらぬほどの体積を誇っており、ブロントを圧倒した。
その感触は柔らかであった。柔よく剛を制すを体現したソレは正しく、ブロントとは真、対極の存在と云えよう。
「うぇへへへ……。ブロちゃぁ~ん……」
なんとその相手は幽々子であった!
幽々子はその胸にある大き過ぎる双丘で、弟の顔面を挟み込んでいたのだ。
男の欲望をついた恐るべき魔技である。
息苦しそうに呻くブロントとは対象的に、幽々子の顔は喜色に満ちていた。口の端からだらしなく涎を垂らした、だらしのない寝顔だった。
どうして彼女が弟の寝床に、という謎の前にまず解決すべき問題があった。
それは、ブロントの顔が土気色に変化し始めた事でいよいよ危険域へと突入した。
「うぅん、ブロちゃぁん……」
呑気な寝言を放ちつつ、幽々子の腕に更なる力が篭った。
ブロントは目覚めない。いや、最早目覚めるだけの力も無いのだろう。
望まぬ悲劇がもたらされようという瞬間、救いの手は舞い降りた。
「ブロント……? ブロント? いつまで寝ているのですか?」
白蓮だ。いつまで経っても起きてこない、弟の様子を確認しに来たのだ。
しかし、ノックをしても声を掛けても返事がない。不審に思った彼女は、ゆっくりと扉を開けた。
「入りますよ――って幽々子姉さん!? 何をしてるのですかっ!」
「うぅん……?」
弟の寝室。そこにいる筈のない人物を発見し、白蓮は驚きに声を上げた。
幽々子は目を覚ましたものの、状況を理解していないようだった。
ただ、隣に最愛の弟の姿を確認すると、再び抱き枕にして眠りにつこうとする。
それを許す白蓮ではない。
「姉さん! ブロントの部屋に忍び込むのはやめて下さい!」
「ふわぁぁぁ……。むにゃ、白蓮ちゃんおはよぉ」
白蓮の説教も暖簾に腕押し糠に釘。
幽々子は気に留める様子も見せず、妹の顔を見ると呑気に挨拶を交わしてきた。というか、説教されているという自覚が無いのかもしれない……。
「ブロントもブロントです! 隙を見せるから、姉さんの侵入を許すのです! 常在戦場というでしょう! そのような心構えを持っていればこの様なことには――ブロント?」
自宅にまでそのような意気を持ち込んでは、ブロントに安らげる場所はないのではなかろうか?
些か厳しすぎる叱責を飛ばす白蓮であったが、全くの反応の無い事に不思議に思った。
「聞いているのですかブロント? え――ぶ、ブロント!? 大丈夫ですか?」
ようやく、白蓮は土気色の顔で白目を剥く弟に気付いた。
突如慌て始めた妹を、幽々子は寝ぼけ眼で見詰めるのだった。
「どうすて俺まで巻き込まれてるんですかねぇ……?」
「しくしく。許してぇ白蓮ちゃん……」
二人はリビングの、冷たいフローリングの上で正座をさせられていた。
目の前には柔らかなソファーがあるのに、なしてこの様な仕打ちを受けねばならぬのか。
特に、ブロントはその気持ちが大きかった。
「ねぇ白蓮ちゃん? そろそろ許して頂戴な……?」
「いいえ! 駄目です! 朝食が出来るまではそこで反省していて下さい!」
幽々子が情けなく許しを請うも、懇願は一刀のもと切り捨てられてしまった。取り付く島もない。
そも二人にとって正座は罰にならない。
日頃から正座に慣れ親しんでいる幽々子は言わずもがな。ブロントも正座ぐらいで音を上げるようなやわな鍛え方はしていない。重しでもあればまた別かもしれないが。
その事を鑑みるに、白蓮も本気で怒っている訳ではないのだろう。
二人の為に朝食を作っている事からも、それが読み取れる。
「そういえばかな姉とりん姉は?」
無為に時間を過ごすのもなんだったので、ブロントは姿の見えない姉の行方を聞いた。
「んん~? 二人ならもうお仕事に行ったわよぉ?」
随分と早いのだな、とブロントは思った。
掛け時計の短針は7の手前である。ブロントらとて決して寝坊助な訳ではない。
ブロントは更なる質問を飛ばした。
「……ゆゆ姉はいいのか?」
「えっ!? わ、私はねぇ~?」
幽々子の目が不自然に泳ぎ始めた。
決して目を合わせようとしない姉にブロントは全てを察し、ふっと息を吐いた。
「いあy、いいんだぞゆゆ姉。誰だって走り続けることは出来ねぇべ。休憩も題字だと思った(リアル話」
「ち、ちち違うのよ!? 違うのよブロちゃん!? 働いてるからっ、ちゃんと働いてるんだからねっ!? ……一応」
わたわたと弁明を放つ幽々子を見守る、ブロントの視線は生暖か気であった。
「違うんだからぁ~! しくしく……」
「何をやってるのですかあなた達は」
丁度朝食を作り終えた白蓮が、呆れた顔で見詰めてきた。
それを機にブロントは話を切り上げてやろうとするのだが、尚も幽々子は涙目に弁明を続けていた。
余りにも弟が聞き入れてくれないので、幽々子は遂に白蓮へ泣きつくも妹も妹でまた素気無かった。
幽々子のメソメソとした泣き声をバックミュージックに、何とも辛気臭い朝食の時間を過ごす羽目になった。
「ブロント、ハンカチは持ちましたか? ちり紙は? 忘れ物はありませんか?」
「まただよ(呆れ) いつまでも子供扱いはやめて【くれませんか】? 白蓮は少しは俺を信用すべき」
「何を言ってるのですか。……あぁ、ほらっ。襟が跳ねていますよ! シャツも、こんなに出して、あぁだらしのないっ!」
「俺は不良だからよ、シャツも出せば腰パンもする」
「バカなことを! 良いですかブロント。これからは私がついていますからね、だらしのない生活は許しませんよ! 学園でも他の生徒の模範となるべく――クドクド」
「あ――そろそろいいかな?」
制服に着替えた姉弟が玄関先で言い合っていると、長くなりそうだと藍は遠慮がちながら割り込んだ。
「あぁ、ごめんなさい藍さん。まったくもう、ブロントが素直に言うことを聞いてくれないから」
「おいィ? ちょっと生まれたのが早いからって姉貴ヅラかよ。そういうの【いりません。】ストレス溜まるので^^;」
「またそうやってあなたは――!」
「はいストップ」
またも応酬のどツボにはまらんとする二人を、藍は無理矢理に止めた。
「そろそろ発たないと、二人共遅刻をするぞ?」
理を持った言葉に、白蓮は口を噤んだ。
尚も言い足りないのだろう。彼女はジトリと弟を睨んでいた。
「そういや藍は何でいるんですかねぇ……?」
「また君は、人の話を聞いていないんだな」
藍は呆れた様に溜め息を吐いたが、同時に慣れたもので直ぐに立ち直る。
「今日は早くに学校へ行き先生方に挨拶すると昨日も言ったろう?」
「ほう。経験が生きたな」
「それはどうも」
道理で。藍の横には昨日のリムジンがある訳だ。
先に藍が乗り込み手元を操作すると、後部座席の扉が開いた。
通常の乗用車に比べれば、中は十分過ぎるほどに広いのだが、それでもブロントの巨躯の前では手狭に感じた。
「うん? 白蓮は乗らねぇのけ?」
行き先は同じだろうに、乗り込もうとしない姉にブロントは首を傾げる。
「えぇ。私は歩いて行きます。他の生徒に、示しがつきませんから」
「ほむ」
先程から矢鱈と規律だとか模範だとかを気にしている。
まぁ生真面目な姉の性格である。その時のブロントは、「そういうものか」と深くは考えなかった。
「いいのか? 規律を守ろうとして遅刻をしては意味もないだろう?」
「折角のお誘い、ありがとうございます。ですが、いざとなれば走れば間に合いますから」
「そうか……。そうだな。君なら問題はないだろうな」
それじゃぁ、と藍は窓を閉めリムジンを動かす。
低い駆動音を響かせながら遠ざかるリムジンを見送り、白蓮は一度だけ伸びをした。
「さて、と。私も行きませんとね」
その言葉から焦りは一切感じられない。
白蓮は優雅に、通学を始めた。
「おはよー」
気の抜けた挨拶と共に魔理沙が教室へ入ると、クラスメイトの視線が一斉に注がれた。
そんなに心配させてしまったのだろうか。
魔理沙が曖昧な笑みを浮かべ片手を上げると、クラスメイトらはまたお喋りを興じ始めた。
何だったのだろう?
「よう」
「ん」
後ろの席の霊夢と簡単な挨拶を交わし席へつくと、疑問の答えの方から寄って来た。
「魔理沙さん魔理沙さん! 聞きましたか!?」
「なんだよ藪から棒に。聞いてるわけないだろ」
若干興奮気味の射命丸文が、早口にその様な事を問うてきた。
的を射ていない発言に、魔理沙の返答はおざなりである。
それでも、文に冷水を掛けるには至らず、彼女は鼻息も荒く顔を近づけてきた。
「転校生ですよ転校生! 今日、転校生が来るらしいんですってば!」
「はぁ……?」
何を言うかと思えば転校生とな? 成る程、道理で教室中が浮足だっている訳だ。
しかし――。
「転校生なんて、別にここじゃ珍しくもないだろ?」
魔理沙の反応は実にタンパクであった。
それもその筈。ここ、『私立遠野女学園』では『能力者』のみを生徒として受け入れる、という校則があり、その性質上転入してくる者は後を絶たない。
新たに『能力者』として目覚める者。ひた隠していた『能力』がバレ、その土地にいられなくなった者。エトセトラエトセトラ……。
兎角、その様な事情が魔理沙の反応の正体だった。
そんな事、改めて説明せずとも皆分かっているだろう。魔理沙は文が興奮している意味が解らなかった。
いや、思えばクラスメイトばかりかすれ違った教師も、落ち着きがなかったような……?
文は盛大に溜め息を吐き、大袈裟に肩を竦めた。
「はぁ~。わかっていませんねぇ魔理沙さんは。矢張り普通の魔法使いですねぇ」
文の物言いは、仕草も相まり大分魔理沙の気に障ったが、彼女の性格を考えれば怒ったところで効果は小さい事を知っていたので、魔理沙は短く息を吐くに留めた。
「ふぅん。つまり普通じゃない転校生ってわけだな」
「そう! その通りなんですよ! なんでもすっごいお金持ちの子が来るそうで!」
祈る様に手を組む所作は夢見る乙女のソレだが、瞳の奥にドルマークが浮かんでいる辺り俗物的である。
「あら。私は帰国子女と聞いたけど」
とは咲夜。
「えー? 私はどこかの国の王族って耳に挟んだんだけど……」
鈴仙が続いた。
というかどこかの国って、アンタ……。
「な、何よ……!」
「いんや?」
魔理沙が生暖かい視線を鈴仙に向けてやると、彼女はたじろぎ兎の耳が大きく萎れた。
「お前さんはいつまでもそのままでいてくれよ」
「何かすんごく馬鹿にされた気がするわ……」
魔理沙達の会話を皮切りに、あーでもないこーでもないとあちこちで転校生の素性について熱く語っている。
曰く、目が三つあると。
曰く、飛び級の天才だと。
曰く、札付きのワルだと。
全く、好き勝手言ってくれる。
魔理沙は律儀にもクラス中の会話を拾い集め、その姿を想像してみた。
……とんでもないバケモノが出来た所であまりの阿呆らしさに思考を投げ捨てた。
「というか、ウチのクラスに編入されるかどうか分からないじゃない」
そう、吐いて捨てたのは霊夢だった。
彼女は言葉通りつまらなそうに、頬杖をつき外を眺めていた。
「チッチッチッ。甘いですね甘すぎですね霊夢さん! チョコパンなんかより甘々の甘ちゃんですね!」
何だその言い回しは。
文はその、同年代と比べて立派な胸を逸らし鼻高々に言い放った。
「私は今朝、この目で見たんです! 我らが担任、慧音先生が慌ただしく職員室へ向かう姿を! その怪しさに後を尾けた私は耳をそばだてて聞いたのです。我らがクラスに、転入生がやってくると!」
そう言えば、今朝は校門に慧音の姿が無かったなぁ、と魔理沙はぼんやりと考えていた。
そして朝から無駄にバイタリティ溢れるやっちゃなと文を見た。
「そ。まぁ、何だっていいわ」
それすらも霊夢の興味を惹くものでは無かったらしい。
その達観した横顔は、とても花盛りの女子高生には見えない。
なんと声を掛けようか、魔理沙が考えていると予鈴が鳴ってしまい渋々彼女は黒板へと向き直った。
「おはよう皆。ちゃんと席についているな」
ほどなくして担任の慧音が姿を表した。
その姿を見て、少女達は確信した。普段は落ち着き払った、大人の女性の見本の様な彼女が、どこか気もそぞろなのだ。
「えーこほん。それじゃぁ今日の出席を取るぞ」
厳かに宣言するも、慧音の視線は生徒よりも扉を、チラチラと気にしているようだ。
生徒達に於いてはチラ見なんかではない。ガン見である。
そのような散漫、普段であれば注意するのが慧音であったが、肝心の彼女が気が逸っている様子。
唯一教室で、霊夢だけがいつもと変わらなかった。
「えー、その様子だと既に耳にしている者もいるようだが……。こほんこほん。……今日、ウチのクラスに転入生がやってくる」
キャ――!
瞬間、教室内でまるで爆弾でも爆発したかの様な黄色い悲鳴が沸いた。
「静かに! 静かにしなさい!!」
ドンッ、と。慧音が教卓を叩きながら言うと、教室は水を打ったように静けさを取り戻した。さすがだなー憧れちゃうなー。
「ん、んんっ。よろしい」
慧音は自らの生徒らを満足気に眺め、今一度扉の元へと向かった。
生徒らの視線を、一心背中に感じながら慧音は緊張した様子で扉の向こうへと声を掛ける。
「そ、それでは入ってきて貰っていいかな?」
そんな教師の姿に、ある者は首を傾げた。
何故先生は、あんなにも緊張しているのだろうか?
そこまで考えて、矢張り噂――随分眉唾も多かったが――は正しかったのだと期待を膨らました。
――乱雑な音を立てながら扉が開かれた。
ゴッ!
そうして転入生は、鈍い音を響かせ扉のへりに盛大に頭をぶつけた。
一瞬、生徒らは目の前の光景を受け入れられなかった。
いや、目の前で起きた一連の出来事とは、端に転入生が扉のへりに頭をぶつけただけなのだが。扉のへりに?
正確な高さは不明だが、2メートルは無いにしても、180センチ以上はあるだろう扉のへりに頭をぶつけた?
その、有り得ぬ事が、現実の認識を遅らせていた。
「……天井が低すぐる不具合。修正されテ」
男はぶつけた頭を擦りながら、何事も無かった様に扉を
男――そう男である。男子生徒である。
「えっ!? ちょっ、嘘でしょ!?」
「え、えぇぇぇぇぇ!? なんで!? どうして!? 男の人が!?」
「hai?」
いち早く理解した女生徒が信じられぬと声を上げた。
それを皮切りに、動揺が波紋となって広がってゆく。
先程の騒々しさなど、比ではない喧しさである。
ブロントはそれを不思議そうに眺めていた。
「れ、霊夢! あの人、あの人だよっ! 昨日私を助けてくれたのはっ!」
魔理沙は興奮気味に声を上げた。その声量足るや大層大きかったが、クラス中が騒いでいる中、それは喧騒の一つでしかなかった。
しかし――。
「なぁ霊夢! ……霊夢?」
親友の声も、霊夢は聞こえていなかった。
ただ彼女の瞳には教壇に立つ、浅黒い肌をした青年だけが映っていた。
いや、だって。そんな筈――!
「こらっ! 静かに! 静かにしないかっ!」
慧音が一喝するも、先程とは異なりピタリと動揺が止む事はなかった。
しかし何度か注意を繰り返すと、徐々にではあるが静寂を取り戻していった。
「こほん。そ、それでは早速自己紹介をしてくれない、か……?」
チラリチラリと。どこか恥じらった様子で慧音はブロントに言葉を進める。
それに応じて全く物怖じする事なくブロントは一歩前に出、誇らしげに名乗りを上げた。
「うむ。俺の名前は
「――ブロントさん!?」
そして最後の最後の時である。一人の少女に美味しいところを被せられてしまった。
「おいィィィ!? 人の事故紹介ちyうに割り込むとか、おまえ絶対忍者だろ! 汚いな流石忍者きたないこれで俺は忍者のことを嫌いになった余りにも卑怯すぐるって――――んん?」
少女は席を立ち声高に叫んだ。その勢いの余りに椅子はひっくり返ってしまっている。
だが彼女はそれすら気にする事なく、眼前の青年に目を奪われていた。
霊夢に注目が集まる。勿論、ブロントも。
そうしてブロントは目を細め、じっと何かを考え込むように瞑り、静かに口を開いた。
「おもえ――もしかして霊夢か?」