まちがいさがし   作:中島何某

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10話

 

 

「ロータス、部屋で荷物を広げたらどうだ?」

 

 俺がにっこり笑ってそう言うと、少年もにっこり笑って「そうしてきます」と頷いた。

 それから俺はアーサーに向き直る。コイツが何か話したそうにしていたから気を使ったが、気を使った人間の数が二人だったりしないだろうな。

 

「それで? アーサー、何か話したそうだったが」

 

 俺は首を傾げてそわそわしている赤毛の男に声をかけた。思えば初めてアーサーの息子に会ったときもこの男はそわそわして忙しなかった。

 確かアーサーの妻が風邪で寝込んでいる際に双子を連れて来たのだ。上の兄弟は学校に行っていて、下の兄弟は外に出すには幼すぎる。そして当局が横領品を大量に送られてきてきりきり舞、俺は当日休みだったがアーサーの部署では出勤から逃れられない時分だった。親族の殆どが都合が悪く、身重の親戚で一人だけ融通がきいたらしい。さすがに全員は見きれないという事情で、俺は半日あの双子を引き取った。奴らはマグルの世界に来たことについて「行きたかったからついて行ったまでさ!」と豪語しているらしいが。

 

「あ、ああ。ロットのことなんだが……」

 

「オーケー。取り敢えずリビングに移動しよう」

 

 そう促して歩き出すとアーサーは曖昧な返事を返し俺についてきた。リビングに入りソファに座ることをすすめ、俺はコーヒーの用意をする。

 

「ロットは、ああ見えて繊細な子なんだ。夜によくうなされている。だが、人に見せたがらない性質だ、出来ればそっとしておいてほしい」

 

「そうか」

 

 奴の目の前にもコーヒーを置き、俺はひとつ頷いた。元から住ませて飯を出すだけで後は関わるつもりなど一切ない。アーサーから受け取る彼の生活費に色はついていないが自分で頷いた慈善事業だ。餓死をさせる気も虐待をする気もないが、俺自身が子供……それ以上に人間を愛す性質にないから情操教育にはかなり不安がある。(いや5歳であの性格だったらもはや矯正にシフトした方がいい気もするが)

 けれどアーサーは安心したように、ほっと息をついた。……コイツ、熱血漢の善人だとは思っていたが、本当に大丈夫か? 協力してくれた俺のことも善人だと思っているのだろうか。いい人というのは、人がいいという悪口と表裏一体だ。

 普通児童の情操や犯罪などの危険性を考えると子供が1~2人いる夫妻に預けるのがいいと思うのだが――あの子供のことを思い出せば、もしや縮こまらず日常生活を送れるよう、わざと俺のような独身のつまらなそうな男を選んだのだろうか。

 そういえば兄弟がたびたびこの実家に訪れることも話してはいるが――

 

「荷物、広げて来ましたが、あの本棚使ってもいいんですか?」

 

 背後から現れた少年は首を傾げた。あまりの早さに驚きながらも、そう大きな荷物でもなかったなと思い出す。

 

「ああ、ここにある物は好きに使ってくれ」

 

「有難うございます」

 

 言った後、少年の頭が少しだけ動いた。まるで日本人が頭を下げるように。俺は不審に思いながらも「気にするな」と言う。少年は曖昧に右目を眇め、口元を一切動かさない苦笑を体現した。

 

「本はよく読むのか?」

 

「ええ、まあ」

 

 五歳にして大層な御趣味だ、と思いながらも俺は無表情に努めた。こんな性格をした少年がまさかディック・ブルーナを愛読している筈もあるまい。勿論それが普通ではあるのだが。

 

「最近は何を読んだ?」

 

「時計じかけのオレンジを」

 

 俺は聞いたことを酷く悔やんだ。そんな本を読むようだったら大人に気を使える精神年齢になっていろ、グズ、と内心少年に罵声の嵐を浴びせ始めた。口外出来ないような罵声やスラングを俺はよく好んで頭の中で使うが、少年はタイトルになんてことはないという顔をしているので更にそれは激化した。

 しかし、好きなだけ脳内で罵声を浴びせた後には、読んだものを正直に答える誠実で純粋な性格になろうという努力があるのかもしれない、と少しだけ気使いの気持ちを持った。

 

「……他には?」

 

「サリンジャーの僕は狂ってる(、、、、、、)、を偶然兄の友人から頂いて読みました」

 

ライ麦畑でつかまえて(、、、、、、、、、、)、だ。次からはそのタイトルを一番に口にした方が賢明だよ」

 

 顔を手で覆い頭をふると、少年は「そうですね」とやや申し訳なさそうに答えた。ああ、そうだ。とは流石に俺も返せなかった。

 一人アーサーだけがきょとんとしているのを見て、この男はマグルが好きなくせにマグルについて何も知らないとぼんやり思った。確かに、魔法使いからすればつまらない小説かもしれないが。

 俺はアーサーに苦笑いを寄こし、少年に自身が持っている本を貸すことを少しだけ算段に入れた。

 

 

 

「ロータス、グレート・ギャツビーとユリシーズ、どっちを読みたい?」

 

「ユリシーズは、少年に薦める本ではないような気がしますが……」

 

 内容を知っているなら、結局同じじゃないかとは、優しい俺は言わないことにした。そして俺は、そんな少年の父親にも何も言わないことにした。(そういやユリシーズの妻の名前は“モリー”だったか)

 

 


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