まちがいさがし   作:中島何某

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12話

 

 

 学校は、面白いわけでもつまらないわけでもなかった。それはただ自分が安寧の地として選んだだけの場所だったからかもしれない。

 見た目だけは自分と同じ少年少女たちが駆け回る姿は、年月を経るごとに大人びていった。イギリスには飛び級制度がある。お前はギフテッドだタレンテッドだと喚く教師に曖昧に笑い、そんな教師が家に押し掛けて「優れた子供には優れた教育を」と強く主張する姿を嫌そうに眺める保護者を見て、それから適当に授業を受けていればいつのまにか自分と外見が離れてゆくのだ。学校に来てから二年で、既に同級生の年齢は10を超えていた。

 少年少女たちに驚かされ、過去を思い出すことはあったけれど得られるものはそうなかった。彼らと笑いあうことはあったけれど、一緒に体を使って遊ぶということはなかった。嫌われてはいなかったと思うが(そう願いたいだけだ)、そっと距離をおかれていたのだ。考えるより早く、脳で拒絶を覚えているような雰囲気だった。俺もそれを理解出来たから、無駄に彼らの領域を踏み荒らすことをしなかったつもりだ。

 つまり、自分から一定の線引きを引いていたのだ。ウィーズリー夫妻へ向けた説得がモラトリアウムによって精神の安寧を図るための虚偽であったように、俺は彼ら、子供たちを必要としていなかった。だから得られるものがなかったのだ。無関心は過去に装うより先に食い破ってしまった。だからこそ、得られるものなどなかったのだ。得ようとしなかったから。

 

 さて、学校に行き、家では保護者をしてくれているルパートという青年の本を読み、そこそこに勉強をして体を動かして、ゆっくり眠る。そんな生活を繰り返している内に自分は日本で言う高校課程を修了してしまった。天才というわけではない、事前に蓄えた知識と効率的な勉強の仕方というものを最初から知っていればまあこんなものだろう。精神は、体が子供だったので、決して大人になったというわけではないけれど。子供には大人である必要のある機会が用意されないからだ。時折、完璧に“大人”になったルパートを見ると自分が不甲斐なくなる。なんてみすぼらしい不完全な存在なのだ、と。

 

 まあそんな色々が過ぎて、数年自由の時間が出来た。魔法学校の方の入学届けが来るのは一応は定まったことだろうし(魔力の暴走というのだろうか、物体の浮遊や破損が幼少期に普通何回か起こるらしいものが、自分にも起きた。勿論ロナルドにも)なにをしようかとぼんやり考えているところだ。

 ルパートの本はすっかり読んでしまった。ルパートの父親、ヘクターはスクイブらしいが彼自身はスクイブではなく、詠唱呪文や魔法薬学の本も本棚を埋めつくさんばかりに持っていた。それも残らず読んでしまってから、ふと俺は気がついた。

 これでは異端児だ、と。

 幼少のときにあまりに膨大な知識を詰め込んだ存在は悪――周囲を歪ませる原因だ、と。

 ただの異端児であるならばいい。俺程度の人間など20も半ばになれば世間に埋もれて行くだけだろう。だが、俺は10代を魔法学校で過ごす。この気味悪く成長した少年は学校の中でも全寮制という閉鎖空間に赴かねばならない。加えてそこはロナルドやフレッドとジョージ、パーシーという家族の目がある空間だ。

 これは魔法を安全に制したいという俺の意思でもあるが、それ以上にウィーズリー家の人間がスクイブでなしに魔法学校に通わないなど許されない。それは彼らからすれば不登校と同じなのだ。例えマグルの学校に行って博士課程までとったとしても。義務の履行放棄を良しとする親が居てよいものか、そういう感覚だ。魔法学校は行くべくして行くもの。ウィーズリー一家は親マグルで純血主義ではないというが、魔法使いであろうと、特定の文化圏で特定の思考に偏るのは至極当然のことだ。既存の理論と生活環境に意思を左右される。キリスト教圏と儒教圏の基礎的な思想が異なるのと変わらない。まさかここでレヴィストロースをあげるほど魔法使いを憎んでいないし、安寧に停滞した文化は普遍からの改革を嫌うという解釈が可能だ。

 

 それから俺は、幼いときから魔法を覚えているという点で原作のセブルス・スネイプを思い出した。彼は一年のとき既に七年生より多くの魔法を覚えていたと記されていたのを記憶している。だが、大人になった彼は確かに物語の中心人物で世界の均衡を渡り歩き揺らがすキャラクターたちの一員にこそ成れども、異端にはならなかった。無意味にその能力を畏怖されることはなかった。学生のときからグリフィンドール寮の生徒に幼稚なイジメを受けていたように、恐れられはしなかった。少なくとも恐れない人間がいた。つまり、11歳のときにどれだけ優れていようと、この世界はその手の人間が10年に一度と溢れている可能性もあるし、危惧するべきことでもないと考え得るのも可能ではないだろうか。

 なにをしても特別で終わり、異端にはならない。優劣はつけども跳び抜けない。これほど素敵な事態があるだろうか。

 

 ぱらり、と俺は古書の独特の感触を指に馴染ませページを捲った。過去の、じとりと滲む汗を思い出した。あの湿気の籠った夏。偏西風の影響を受けて冷夏なイギリスは俺にとって哀愁を呼び起こしそうな道具で、俺は無視するようにそれを抑えつけた。いらない。もう郷愁にもなりはしない思いなど無駄なだけだ。記憶に縋りつくことさえ許されてはならないと知っていながらも尚もあの東の島国を思うなど、馬鹿げている。望みは俺の意思であろうと、望郷はもうロータス・ウィーズリーに許されていないのだ。

 俺は別のことを必死に考えた。

 そういえば、と閃いたように思い出した。ルパートの他の兄弟も魔法使いになろうと思えばなれたらしい。ふとそう聞いたことが頭の中で再生される。けれど、マグルの世界で育ち魔法使いの教養を持つ父親を持つ彼らは魔法使いの政治形態や人種差別・隔離政策に疑念を抱いた、と。まだ、こちらでもアパルトヘイトが法で完璧に撤廃されていないような時期ではあるが。

 彼らはそれぞれ役所の受付や銀行員、教師などになってマグルの世界にちりぢりになったらしい。ただ、末っ子のルパートだけは損な役回りを母親の実家と共に押し付けられた、という話だった。魔法は好きだと、だけれど魔法使いはあまり好きではないと言う。同意したい意見ではある。

 

「ロータス、買い物に行くぞ。ロンドンだ」

 

 永遠にロットと呼ぶ気のないらしい彼に俺は本を棚に戻して是と返事をした。

 

「ダイアゴン横町に?」

 

「ああ、お前に杖を買ってやる。初めてのプレゼントだ」

 

「クリスマスの朝、枕元にバカ高い羽ペンがあった覚えがある、ルパート」

 

「あれは必要備品をファザークリスマスがくれたまでだ」

 

 肩を竦めた彼は小さく「ファザークリスマス万歳」と言ったので、俺も小さく「万歳」と返した。恥ずかしがる様子が分かりにくい男だ、と俺は思いながら薄く笑った。ここに来てから、あまり笑っていない気がする。

 この空間がつまらないというわけではなく、俺自体がそうそう笑わないからだ。同じような歳で同じように時を過ごしてきた連中とツルんでいるときならばまだしも、俺は肉体と精神の年齢が噛み合っていない。肉体だけでも、精神だけでも感情の共有と共鳴は難しい。だから、ロータス・ウィーズリーはあまり笑わない存在なのだ。

 悲しくはない。この人生が羞恥と懺悔と絶望だけに染まっているわけではないからだ。ただ、大声で笑う回数が少ないというだけなのだ。笑いは寿命に密接な関係があるが、今更寿命をどうこう言うつもりはない。死ぬときは死ぬんだ。マグルだって、魔法使いだって。そもそも魔法使いはマグルとの存在を区別しようとしすぎている。肉体の細胞は六十兆個だし、DNAも47本目があるわけでもないのに。

 

「オリバンダーの老舗は使わない」

 

「何故?」

 

 魔法使いという主張をしない服を羽織った彼の隣で俺はトレーナーを履いた。

 

「あそこでは杖の芯にユニコーンの毛、ドラゴンの心臓の琴線、不死鳥の尾羽のどれかが使われている」

 

「……ああ。ドラゴンの心臓の琴線、嫌いなんでしたっけ?」

 

「どうしても欲しいなら入学祝いにまた買ってもらえ」

 

 ドラゴンの杖は非常に強力だが老練した魔女など強い者に殊更忠誠を誓う。つまり主人が殺されても、殺した本人にさえ忠誠を誓い得るということだ。その上気まぐれで事故が多い。そういう性質がルパートの過去にひとつの影を落としたらしいことは彼の兄姉達の口ぶりから察し得た。

 しかし言い放った彼にの言葉に俺は目もとだけで苦笑をした。一度決めた杖が変わることはそうない。俺は確かにそのときまでそう思っていた。

 事実は小説より奇なり、その言葉をこれほどまでに実感する世界もそうないだろうと思うのは、もう少し後の話になる。

 

 


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