まちがいさがし   作:中島何某

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13話

 

 

 デイジー・ドッダリッジ創業のマグルのロンドンとダイアゴン横町を繋ぐパブ・漏れ鍋を潜り抜けると、そこは一種異様な格好ともとれる男女がひしめいていた。黒いロングコートや赤か緑のドレスに三角帽子だらけ。ルパートはまるでマグルを体現した服装を隠すためにコートを羽織った。俺は事前に黒い服を着ていた。しかし、それでも目立つ。いいや、嗅ぎつけるといった方が的確だろうか。どうやら純血らしい魔法使いたちはじろじろと俺を見てはルパートを見て、興味がないとでもいいたげに視線を逸らしていった。

 後味の悪い視線の残滓が肌をうろつく。

 非魔法族(マグル)と魔法族を別種族と捉えている魔法使いは少なくない。人種も魔法族も唯一性がDNA検査等の科学という暴力でお伽噺になった現代において、それは過去貴族や政党が用いたプロパガンダが修正・更新されていない名残に過ぎない。

 WASP信仰や純粋なるドイツ人然り、人種的優位を主張する活動は絶えない。その主張は高等でなく、細部が曖昧で、繰り返し聞くことによって、抽象的思考の訓練を受けていない層から世論として固定化される。これを打ち倒す最大の味方が科学であり、例えば21世紀では統計学などを証拠として民間人が比較的容易にプロパガンダを打ち破れる。しかし基本的に魔法族にとって科学は味方ではない。非魔法族の最大宗教における本尊に過ぎないのが現状だ。

 ウミイグアナとリクイグアナを比べる行為によってなにが見えてくるかを意地でも教えない宗教学校も無いことはないが、まあ佐伯暢が死ぬ数年前に英国国教会も種の起源が発行されて149年もしてから謝罪をしたことだし、21世紀前後は世界的に非魔法族が科学を生活に取り入れる流れが強いことに間違いはないだろう。……まあ俺個人の意見としては人生を豊かにするという有効性をもつ宗教は真理であるというジェームズの意見は一見に値する、とだけ。

 

 ナチが独裁した時のドイツ人然り、魔法族しかり、虐げられてきた民族が迫害の記憶から他民族を嫌悪するのは当然だ。加えてそういう過去が無くとも、今度はエスノセントリズム(自民族中心主義)が発生し得る。異なる文化に触れた時の違和感が差別や偏見を生みがちなのは、育った環境に付随する文化で常識や道徳を培うからで、例えばアフリカの部族の習慣が意味不明で無法状態に感じられる状態に他ならない。

 その時に沸き起こる感情が問題なのではない。エスノセントリズムの非寛容さは行き過ぎると受容者以外を排除する同化主義に移行することが問題なのだ。人権の土台で生きているのならば。

 

 魔法を使うマグルに反感を覚える魔法使いが少なくないことを、財産――あらゆる魔法――の侵害として憤慨しているのだと記した書籍を読んだことがあるが、これを秘匿知識の流出と認識すれば、会社や国家の研究が外に持ち出されたという怒りを覚える層は確かに居るだろう。あんなに苦労して追及・発明したのに、と。

 しかしそういった層よりも、魔法族の大衆が覚えているのは恐怖心だろう。マグルの文化的背景を理解しない者が大衆を占めるのだから、マグルという正体不明の民族が魔法を覚えたらどうなるか分からないという思想は実に想像に容易い。

 それにマグルの文化をよく知る人物でも、「一人の非魔法族の友人と魔法を学べるのは喜ばしいことだ。しかし十億人の非魔法族の他人が魔法を知るのは非常に恐ろしいことだ」と言う人物も居る。この発言の意図は母数が増えれば増えるほど、魔法を用いた犯罪や事故の多様化・残酷化が進むのだから、無理に増やす必要はなくまだ管理がきく人数である現状を維持すべきだ、というものだ。身近な例で例えると旬ジャンルや巨大ジャンルで散見される○○にはキチガイが多い、みたいなアレだ。特例が魔法を悪用するの避けたいよね、を主張した人物の書籍で見た発言だが、こういった書籍は魔法族と非魔法族を同等に扱うことを避ける世論もあってわりと稀だ。

 

 まあ、そういうものが周囲からの嫌悪の視線の正体だ。漏れ鍋の存在を知らないとマグルは確かに存在するパブを見つけることも出来ない、つまりマグルなのに魔法の存在を知っているという時点で彼らにとって充分不快なのである。

 俺は視線にうんざりしながらルパートの顔を窺った。ルパートはいつものように眉ひとつ動かさずただ前を見据えていた。数年で、この男は元々無表情だった顔の状況を更に深刻化させた。笑みを形作ることは出来るのに、楽しい時に破顔出来なくなってしまったのだ。HSBCに勤める銀行員の長男もそう言うのだから間違いない。

 教師である彼の姉はひっそりと俺に「ロータス、あなたたち兄弟みたいね」と笑った。皮肉的だと肩を竦めれば彼女は真面目な顔をして「あら、ほんとよ?」と言う。「アナタたちは数年前よりずっと似ているわ。ルパートは昔心を閉ざしてしまったのだけど、その時より顔がカチコチなのよ」と。

 どういうことかしら? というブラックジョークに久しぶりで少し笑ってしまうと、彼女は笑顔の方が可愛いわと頭を撫でてくれた。彼女はこの前二人目の子供がお腹に出来たばかりだという。

 役所の受付をしている二男が言う、「一人暮らしをしていたときより無表情になってるなんてどういうことだ!?」彼はいつもケラケラ笑って土産に安いワインとハムやチーズ、夕食の材料を買ってくるので夕食後は口が軽い。(彼はここから100キロも離れた所に住んでいるので来たときは泊まりが確定している。そして彼は兄弟の中で特別魔法を好かない)

 自立し、もう三十路に足どころか腰まで突っ込んでいる彼の兄姉たちがこの家に来る頻度は、少し異常だ。俺がこの家に居候する前から頻度を崩していないというのだから更に。長男はHSBCに勤めていて暇なわけがないし、教師だって休みがそうないのは自明の理で、彼女には家族まで居る(長女だけは移動に関する魔法を使用してはいるが)。それから100キロ離れたところから三カ月に一回は来るというのも骨が折れる作業だ。それでも誰も、文句は言わない。ルパートが切望するから訪れるのではないのは見ていてすぐ分かる。彼らが望んでいるのだ。

 多分、罪滅ぼしなのだ。自分のやりたいことを見つけてそれぞれ方々に散った自分たちが末の弟に“魔法”という厄介な存在を押しつけてしまったという過去についての。現在についての。

 

 しかしまあ、第三者としては取り越し苦労だと思わないでもない。二男のもってきたワインで口が軽くなっているルパートがこぼした「別に、魔法が嫌いなわけじゃないけどな」という言葉を覚えている。「やりたいこともなかった。元々何かに真剣になれるタイプじゃない。漠然とした目標を支えに生きるより、決まった道の方が断然楽だったさ」安酒が回ったのか穏やかに目を細めるルパートの言葉に知らないふりをして、俺は吐息も頬も赤ワインの彼をベッドへと急かしたてた。兄貴たちは馬鹿だよな、目頭に皺をつくる彼に俺は言ってやった。「それを言ってやらないお前も馬鹿さ」と。

 

 ぼんやり過去のことを思い出していると、彼の知り得るオリバンダー杖店以外の杖店に辿りついたようだ。大きくも小さくもない木看板に『Wand Wanda』と彫られていた。ワンド・ワンダ。日本語に訳するならワンダの杖、といったところだろうか。その場合英訳するとWanda's Wandになるわけだが。

 俺は作中では出てきた杖店を思い出して、皆あそこで買っているようだから(キャラクターは全てあそこで買っていたような気がする)杖専門店では食っていけないだろうと考えた。それはまったく寡占だが、魔法使いには寡占という概念が基本的にない。そもそも資本主義でもない気がする。資本家が労働者の労働力という商品を買い、労働者がそれを上回る商品を作り、余剰価値を利潤をとするのが資本主義であるとすれば、基本的に魔法族の市場は伝統か職人が多くの割合を占めている。しかしマグルの価値観や商品も輸入されているのは間違いないので、そればかりではないのだが多数派には属さない。しかし大衆が結果主義より動機主義の経済は、まあ、資本主義ではないだろう。

 

「ロータス」

 

 行きかう人々を視界の端に収めながら歩いているとルパートが腰をかがめて手で壁をつくってひそりと声をあげた。

 ルパートは店に入る前に小声でこの店の情報をくれた。Wandとあるが今は杖専門店ではないこと、Wandaというのは店主の初恋の人であり妻である女の名前であること、その夫人は十数年前に亡くなったこと。

 俺が適当に頷くとルパートは本当に分かっているのか、というように左目を眇めた。俺は左肩だけを竦めてみせた。

 店に入ると、ベルの音がからんとなった。それに伴って店内の人間が此方を見る。それは文房具を眺める兄弟らしい少年少女と、窪んだ淵に青色の目を嵌めた骸骨のように細く白い老成した男だけだった。ぎょろぎょろした目が此方を捉えた。

 

「ルパート。ヘクターのところの末息子だな」

 

 随分しわがれた声だった。しかし小さなわけではなく、この店全体に円満に響いていた。

 

「ああ、そうだ。スクイブでありながら魔法大臣までしたバカの末息子だ」

 

 俺は初めて聞いた事実に驚きながらも外面的にはまたたきを幾度かするだけだった。どこかでルパートという精神的にはそう年の離れていない存在にみっともないところを見られるのは嫌だという幼稚な考えが、少なからずあった。俺そこで、俺が安心してルパートの家に自分が住んでいることを自覚した。俺自身は“大人しい”とは言われるが“大人”ではないのだ。

 そう考えると少し肩の荷が――それが具体的になんなのか分からないが――下りた気がした。

 勿論、ウィーズリー家が悪だとか、気分が悪くなるとかは言わない。第二の故郷のような心情であるし、あそこに夏休みや冬休みに帰るとほっとするのも確かだ。俺はウィーズリー家の血縁者には深く感謝している。

 ただ、フレッドを見ると時折吐き気がする。彼にではなく、自分にだ。人非人だと指差されてもいい、俺は彼を助ける気はないのだ。今から詫びる方法を考えている俺にはきっと救えやしない。彼を救ったときに他の誰かが換わりに死んだら、どうやって詫びればいいのかなんて言い訳している自分には。

 俺は、フレッドの方にはあまり辛辣な口を利かないことにジョージが不満に思っていることを知っているけれど。

 だって、もし、フレッドを助けたとする。それでもしネビルが死んだら、お前はどうする?

 それ以前の話で、シリウス・ブラックを助けて“最も忌むべき魔法”に対抗する精神が出来あがらなかったハリー・ポッターをつくってしまったら、お前はどうする?

 嗚呼、なんて世迷いごと。繰り言ばかりを吐いて、読者はきっとうんざりしているだろう。最も、俺が主人公なんかの小説があったら俺はきっとツマラナイと言ってその本を捨ててしまうだろうけれど。ああ、もっと、自虐に辿りつかない生き方をしていた、考え方をしていた頃があったはずだ。前は、前はもっと――

 どうして俺はこうなったのだろう。

 

「ルパート、知り合いか?」

 

 こきり、首を傾げて世間話をしていた2人に声を掛けた。ルパートは頷いた。

 

「父親の友人だ」

 

「アイツと友人なんて冗談じゃない」

 

「だ、そうだ。父親の友人改め知人で、俺の持っている杖もここで買った」

 

 一年に数回しか使われない杖を思い出してへえ、というふうに頷くと「興味がないなら聞くな」と言われた。俺が苦笑すると彼も苦笑した。そんな俺たちをしげしげと観察していた店主はカウンターから出て来て「杖を見るなら別室だ」と歩きだした。

 俺はその背を追いながらハリー・ポッターが杖を選ぶシーンを思い出した。確かに、破壊されるなら一振りで直せるとは言っても物が少ない部屋の方がいいだろう。

 ついて行った部屋は、先程の雑貨と見本の杖が飾られていた所とは異世界のように薄暗かった。カビの匂いはしないが妙なシミがあり、遠くの喧騒を聞いているだけでここはノクターン横町ではないかとさえ思った。

 

「ユグドラシルにユニコーンのたてがみ、30センチ」

 

 言われて手を差し出すと、しっかりと持たされた。「振るんだ」ルパートに耳打ちされ振ると、その杖が入っていた箱にヒビが入るだけだった。店主はさも当たり前のように杖をヒビの入った箱に納め別の杖を取り出した。

 

「ユグドラシルは、トネリコ?」

 

 他の杖をふりながらルパートにそう聞くと店主の方が「そうだ。だが違う」と言った。(ちなみにこの杖は杖自身が勝手に一回転した)

 

「ユグドラシルは希少な世界樹として認められているが、トネリコは確かにその形をとっていても普遍的だ。あれはただの落葉樹。名前が違えば力も違う。呼ばれ方が違えば持つ力も違う。日本で言うところの“コトダマ”だ」

 

 店主は一回転した杖(箱に柳と書いてあった)をしまうと「ふむ、日本か」と呟いて再び他の箱を取り出した。

 

「ユグドラシルは好きか?」

 

「人並みに」

 

「ふん、お前はワシが見た中で一番つまらんガキだ。ユグドラシルに白鯨の髭、27センチ」

 

 肩を竦めながら杖を振ると先程の箱にはいったヒビが直った。その箱の周りには半透明のオーブのようなものが浮いていたが、いつの間にか消えた。しかし店主は「中途半端」と言って箱にしまった。それから何本も変えたが杖が決まることはなかった。ルパートは「難儀な性格だな、ロータス」と言って壁に凭れかかった。店主も時間が経つにつれて顔を顰める。

 何十本も試している内に、店主が幾つか同じ杖を差し出していることに気付いた。痴呆か、という言葉は口にしないでおいた。余計なことは言わないに限る。それに大なり小なり先程とは違う反応を見せるものばかりだ。柳の一回転した杖は、今度は部屋の窓を叩き割った。ユグドラシルに白鯨の髭も今度はオーブではなく人型に近い気がした。

 その内店主が大きな溜息をついてルパートに言った。

 

「お前のガキは難儀な性格どころか難儀な体質だぞ、ルパート」

 

「俺の子じゃない。それで、なんだって?」

 

「体の中の魔力が変動する体質だ。魔力の量は一定だが質が変わっとる。時間による変化は微弱だが、柳は振り易いからこそソレが顕著だ」

 

 ルパートは眉を顰めて「つまり?」と言った。

 

「もし自分にピッタリあった杖を御所望なら、数年に一度杖の買い替えが必要だ」

 

「それは、魔法の習い始めの内は上手くいかなくてもそこそこ上達すればどの杖でも適当にふれると、いうこと?」

 

 二人の間に割って入れば店主は嫌な顔はせず小さく頷いた。だが多分、習い始めの内は自分が思った効果と発揮される効果に差があるから上手くはいかないだろう。

 どの杖でもそこそこ使えるというのはそう珍しいことではない。そんな内容が以前読んだ文献にもあったし、作中でも他人の杖を使うシーンは七巻でよくあった。ロナルドだって7年でよく杖を変えていた。

 

「学校に入る前に買っておくのは進めんが。どうせ入学してから習うんだ。その時には杖に魔力が合わなくなっとる。つまり最初の授業で物を浮かせるのにクラスで最も苦労するだろう」

 

 「どの学校でも最初はウィンガーディアムレビオーサから始めるんだ」説明したルパートに頷くとルパートはまた聞いているのかとでも言いたげに左目を眇め、それから店主と向き直った。

 感情表現はしているつもりだが、やはり人に伝わりにくい。元来の自分の性質を憎むばかりだ。

 

「今使うんだ、今あう杖をくれ」

 

 イタズラっぽく笑ったルパートに店主は一瞬驚いたが独り言のように「あそこか」と言って溜息とも鼻で笑っているともとれる息をついた。

 

「入学前にまた買え。これだけは譲らん。ガキのときに買った靴は、成人してからも踵を潰せば履けるだろうがそんなものは醜くてかなわん。それから、そのとき柳は買わんほうがいい」

 

 そう言った店主は箱を重ねて元の場所に戻していった。最後に残った箱にはユグドラシルと書かれていた。

 

「ユグドラシルに白鯨の髭、27センチ。これが今一番あっとる」

 

 中身を渡されルパートを見ると、彼はバッグから取り出した杖を入れる皮の袋を俺に渡した。それに杖をいれてから「ありがとう」と店主に言うと、「杖選びに時間を食ったのは久しぶりだ」と少々嬉しそうに言った。

 

「15ガリオン」

 

「割高だな」

 

「ふん、適正価格だ」

 

 笑ってジャラリとなる袋を手渡したルパートに、中身を確認した店主は「結構」と言ってポケットにそれをいれた。ルパートは「買ったことをアーサーに伝えようと思ったが、この際入学前にまた買ってやる。これの分は黙っとけ」と言って、我々はその薄暗い部屋を出た。

 部屋を出るとやはりそこはダイアゴン横町の明るさを持っていた。店の棚に並ぶ商品を目で追っていると背後でルパートがインク瓶に長い羊皮紙(パーチメント)とベラムを買っていた。ベラムを見て本でも書くのか? と言えばいい笑顔で頭を鷲掴みにされた。

 店を出るときに店主に声をかけられる。

 

「お前らはここからどこに行く?」

 

「酒場、オールドトムだ」

 

 もう分かっているような顔で聞いた店主に、にっとルパートは笑った(彼も笑顔の表情は出来るんだけどもなあ)。店主は鼻で笑って「お前は公務員をやめちまえ」と言って我々に背を向けた。ルパートは「なに、やましいことがないか調査だよ」と喉を鳴らし、我々はその場を後にした。ポケットに入った杖が、少しだけ邪魔で歩きにくかった。

 

 

 


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