まちがいさがし   作:中島何某

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15話

 

 

 オールドトムに幾度も通うようになってから、一度目の夏休みが過ぎた。長期休暇でウィーズリー家に帰るのは恒例だが、就学を終えているのに此方に居る意味があるのかと金の問題だのをあげて心中の誰かが責め立てた。必要はないだろう、だが俺自身本を読み魔法についての意義や構想を練るのは楽しいという意味だったら存在した。あと数年、心の平穏のためにモラトリアム人間の名称に縋るウィーズリー家の白アリになる逃避を選択したのである。

 

 ウィーズリー家から直接ルパートの家へは行けないため(防壁魔法云々が関係してくるしい)、居住を共にし始めた年にルパートから貰ったポートキーであるアンバディ家の鍵でロンドンの某所に出、ルパートに公衆電話で帰る旨を伝えたのは昼過ぎの話だ。バスで家の近くまで揺られる途中で見る繁雑とした人の流れにどこかほっとする。魔法界は陰気で人気がない。総人口が少ないのもあるが、市場や施設以外は魔法で移動してしまうので外を歩きまわる人々を見る機会は殆どないのだ。

 だが、彼らのあの瞳。ふと霧雨に落ちる十年前の災禍による不幸が落とされた色が、嫌でも目に入る。

 魔法界の暗く湿った雰囲気は胸の内まで染み込んでどこか自分が沈殿していくように感じられる。ずぶずぶと、ぬかるんだ泥に。口腔に耳孔に鼻孔に眼窩に泥が入り込んでいくイメージに耳の奥がキーンとする。そのまま体中の穴から泥が入り込み、脳が粘着質な泥に押し潰されようというとき、はっとした。目を見開くと斜陽が眼球に飛び込んできて網膜が視界に妙なシミを滲ませる。人々が揺れるバスの中で話す姿は、なんの暗さも見えずやや楽観的な空気に苛立ちを覚えるほどだ。

 自責の念にかられるのは被害妄想と同じであまり好きではない。しかもまだ起こり得ていない話を持ち出すのは安易な徒労だ。丁度止まったバスの停留所が目的地だったために慌てて降りて、ウィーズリー家に向かう際に通った道を逆流した。人々の顔は太陽の光を受けてか溌剌としている。俺はそれを真似るように一人笑って見せた。隣で笑う人間は一人としていなかった。

 

 

 

 

 

「ルパート」

 

 いつ見ても気味の悪いほど巨大な家のその門をくぐり、リビングに足を踏み入れるとソファにうつ伏せになってリストのマゼッパを聞くルパートが目に入った。よくこれを聞きながら寝る気になれるなと俺はそっと彼に呆れた。(しかも魔法でなんの変哲もない懐中時計に音楽を鳴らさせていることに更に呆れた)

 

「ん……ロータス、お前か」

 

 遅かったな、などと洩らしながら目頭を押さえて起き上がった彼に俺は肩を竦めた。

 

「少し寄り道していた」

 

 眠る前まで楽しんでいたのか、とっくに冷めた紅茶をたたえたウエッジウッドのティーカップの乗ったテーブルを一瞥してから俺は紙袋を彼に差しだした。土産のつもりで買ったがそういえばイギリスには日本のようなばらまき土産の習慣が無いのを失念していた。

 

「……ベノアか?」

 

「ああ、ダージリンだ。やるよ」

 

 お前の趣味だろこれはとでも言いたげな視線を受け取って肩を竦めたまま首を傾げおどけて見せた。すると彼は鼻で笑って肩を竦めた。皮肉めいた表情は年月を重ねるごとに特有の悲壮と重厚さが皺になり彼の魂に刻まれていく。そのくせ隣で同じ年月を過ごしているはずの自分はなんの変化もない。それどころか“ロータス・ウィーズリーという人格”に年々近付く自分に恐怖さえ覚えた。自分に、それが良いか悪いか判断できるはずもないのだ。佐伯暢の意識がある限り。

 冷たく血走った瞳を瞼に隠し、震える手を握り込むと、遠くでこんこんとノックのような音が聞こえて微かに瞳を開けた。音の正体をたぐれば、窓辺にフクロウが一匹居た。見覚えのあるフクロウに一瞬眉を顰めたが、それがすぐアーサー・ウィーズリーのものだと気付いて小さく「あっ」と声を零した。そんなときには懐中時計の音楽はバッハのトッカータとフーガに変わっていた。

 

「ルパート」

 

 窓辺のフクロウを指差すと彼は俺の指を追い、その先のフクロウを見つけて一瞬眉を顰めた。彼の家にフクロウが来ることは少ない。魔法使いはマグルの居住区にフクロウ便を送ることに慎重だ。魔法で家そのものを廃墟に見せている輩は兎も角、この家は代々土地に堂々と根差している。フクロウ便は魔法の秘匿に関するし、マグルの居住区に手紙を送る際、郵便局を介することが通常だ。今までアーサーは郵便局を介した手紙や電話、或いは職場でルパートと連絡をとっていた。

 となれば、形式を重んじた冠婚葬祭の報告や謝罪、感謝の手紙の類だろうかと判断をつける。

 

「アーサーのフクロウじゃないか?」

 

「おそらく」

 

 頷くと彼は立ち上がって懐中時計を閉じ音楽を止めた。それからフクロウを入れてやり、足に銜えた手紙を受け取った。フクロウを返した彼は手紙をペーパーナイフで開け立ったまま読み始めた。中身が気になるわけでもないので、俺はそのまま自分に託された部屋に戻り手荷物を整理した。

 部屋はいやに小奇麗で週一で来る家政婦がここまで掃除をしてくれたのだと知って少しだけ眉根に皺を寄せた。人にプライベートを見せるのはあまり好ましく思わない。やましいものなどありはしないがどうも日常生活が滲み出る私室を見られるのは羞恥心を覚えるからだ。だからいつも家政婦には俺とルパートの部屋以外の掃除をお願いしているのだが(彼の部屋には魔法に関する物が多すぎる)、長期で部屋を空けた時ばかりは仕方がないと小さな溜息をついた。

 

 リビングに戻ると懐中時計は未だ閉じたままであり、ルパートがソファに座って愉快そうに笑みを含んでいた。俺を心待ちにしていたように立ち上がり、「ロータス」と俺の名前を呼んだ。いささか不気味で睨むように彼を見詰めると彼はまた「ロータス」と俺の名前を呼んだ。俺はそれでやっと返事をした。

 まるで母親に自分の功績を早く話したくてうずうずしている子供のような彼に、俺はウィーズリー家の兄弟を思い出した。奔放で、無邪気で、熱心に独断の善を帯びた人格。子供。子供なのだ。

 だが、正反対の模範的で冷静で謙遜し得る人格というのが好ましいわけではない。俺を見ていれば分かるだろう。日本人の典型的な非積極性、その上被害妄想と加害妄想を一緒くたにして生きている付和随行じみた人間をはたして誰が賛同するか。

 誰もしない。誰も、しない。だから俺は俺だけに賛同し、少しずつ少しずつ大衆的な“正しさ”に近づいていかなければいけないのだと既に学んでいた。その結果を成長と呼ばなければ“いけない”のだ。俺の中の正義ではない。誰も彼もがキルケゴールになれるわけではない、特に儒教の教えが根付く地の人間は。

 

「ロータス、これを読んでみてくれないか」

 

 間違いなくアーサー・ウィーズリーからの手紙で、俺はわけが分からないとばかりにむっと唇を尖らせた。しかし彼はぐいぐいと手紙を押し付けて俺の意見など汲み取ろうとしない。よっぽどこれを俺に見てほしいのだろう。彼を軽蔑の視線で一瞥してからそれを受け取り、少し急いだような文体の文字を追った。

 

22 August, 1989

Dear Rupert

How are you getting along?

Thank you for all your kindness during my son stays in your house.

......

 

 読み進めていくうちに理解した内容はこうだ、『僕の息子が元気に笑えるようになりました、どうもありがとう』。なるほど、と俺は皮肉めいた笑みを自然と零した。確かに“ここ”に来なければ独りでになんの憚りもなく笑えるようにはならなかったかもしれない。確かに体と心の緊張の一部がほぐれたのは全ての権限を俺に放任してくれたルパートのおかげだろう。けれど、感謝の手紙を彼に送るまで彼らを悩ませていたのかと反省にも似た口惜しさが心臓を軋めた。

 気付かなかったわけではない。しかし、気付いたところでなんの足しにもならないと割り切ったつもりでいた。けれど目の当たりにすると慙愧を含む戸惑いで思考がままならなくなる。“生まれた”ときは未だ人間らしく、幼少期は表情を削ぎ落した人形くさい、では現在は? 人間らしいとでもいうのだろうか。佐伯暢でさえ優しい偽りが人間らしくないという評価に甘んじていたというのに、果たして俺が俺以外の人間に変われるのか。そんな問いさえ誰にも分からない。ドラマや小説のように「なろうと思わなければなれない」などという未来に希望を託す楽観的な意図を容易に行使出来るタイプではないのだ。或いはそれは陽光を浴びて脳内物質を生み出さなければいけない脳の物理的な病である。俺は俺という人間性を誰よりもよく知っていた。かなしいくらいに。

 

「ロータス、感想は?」

 

「……考えさせられる。不甲斐ないな」

 

 皮肉めいた顔で笑うと彼は笑みを深めて俺から手紙を取り上げた。

 

「冗談の通じないガキだな」

 

 今ぐらいガキでありたいと願ったことは過去に一度としてなかった。数秒前までのロータス・ウィーズリーとしての厚顔無恥が佐伯暢という年齢不詳の慚愧によって踏みつぶされてしまった。俺は素っ気なく「うるさい」と言った。しかし表情はなんだかおかしく笑ってしまったので奇妙な沈黙に包まれた。

 

「……そういえばロータス、お前家に帰る前に“あの部屋”で姿くらましは成功したのか?」

 

 沈黙を破るためにこしらえられたような台詞に俺は一瞬戸惑い、それから嘲笑を頬に含んだ。俺は左手を眼前に掲げてルパートに手の甲を見せつけた。

 

「……おい、小指の爪」

 

「“ばらけ”た」

 

 生々しく剥け肉を見せる爪を包帯で隠した個所を見せながら、肩を竦めて言うと彼は歪んだ笑みを隠すように手で口を覆い吐くような姿勢で体を震わせた。俺は極めて冷たい声を出した。

 

「…ルパート」

 

「いや、いやいや。笑ってなんかいないさ」

 

 震える体で言われても説得力がないとは思いつつ、俺は溜息だけにすることにした。その上で土産で買ってきた袋を手繰りよせ食器棚のティーカップの場所を思い出した。

 

「俺に買ってきたものを自分で飲むのか?」

 

「いけないか?」

 

「いや……好きにするといいさ。いつものジノリのカップでも使って」

 

「そうさせてもらう」

 

 頭の中でゴールデンルールを反芻し、俺は静かに笑みを乗せた。手紙の返事を書き始めたルパートを尻目に先程フクロウが叩いた窓を眺める。日差しが入り込んで柔らかな窓辺に、俺は小さく笑みをたたえながら影を伸ばすキッチンの奥に足を向けた。

 

 

「ロータス。左の小指、治してやろうか?」

 

「いいさ、戒めにするから。ありがとうルパート」

 





How are you getting along?
Thank you for all your kindness during my son stays in your house.
ご機嫌いかがですか。息子を滞在させてくれてありがとう。

くらいのニュアンスかと。原文が長いとルビにならないので後書きで。
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