まちがいさがし   作:中島何某

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16話

 

 

 暇だ。イヤに暇だ。俺はもう十回は読んだ気もするブロンテの『嵐が丘』を熱心に読むふりをしていた。思い返せば学業も仕事もない長期の休みというのは初めてで、どう過ごせばいいのか途方にくれているのだ。体さえ自由に動かせないゼロ才児のときであれば耐えるだけだった、耐える以外選択肢がないからだ。しかし今は目論む通りに体が動く。中途半端な自由は頻繁に俺をさいなめた。一通りの娯楽は試したクチだが熱中する時間もそこそこの自分が不甲斐ない。

 ルパートとアーサーが話し合って短期の語学留学を組んでくれたりもしているのだが時期でないし、合間に挟んだボランティアもコンスタントに週2以上で予定を組むのは正直年齢・場所・内容からいって難しい。

 ――ふ、と突然。そのときに。頭の中を奇妙な着想が駆けた。俺は立ち上がって『高慢と偏見』の隣に本を戻し(Aの隣はBと相場は決まっている)、三ヶ月に一度程度送られてくる小遣いの入った財布をズボンのポケットに突っ込んだ。窓を見遣れば冷たい風がガラス板をギシギシと押していた。

 

 足早に文具店に駆け込み、買ってきたレポート用紙とボールペンを机の上に広げた。脳味噌は貯蔵量が、紙は物事の整理が勝る。覚えきれないことは文章にしてまとめておきたい。ゲームにしてもそうだった、攻略法を全て事細かにまとめて、それからもう一周。完璧に理解し記憶出来たところで最後に最速プレイを目指す。(まあネットが普及して攻略サイトが充実してからは機会も少ないが)

 これだって同じだ。魔法も、理解しようとするのであれば理論化してしまえばいい。俺個人としての型に嵌めるのは昔から得意だ。他人の理解など元より求めていない、俺が俺のためだけに論理を組み立てればいいのだ。こんな楽しいことはない。――ただ、やはり事実無根じゃ楽しくないだろう?

 俺は隠しきれない笑いに頬肉を歪めて愉快げにボールペンを滑らせた。

 

 

 

 やれ熱中すると周りが見えなくなる性質で、気がつけばとうに日は暮れていた。好きなことだからだろう。興味がある分野において知識を吟味し蓄えることは欲にさえ似ている。加えてゲームやレポートはタスクとタスクの消化が目に見えて快楽を満たしやすい。

 食事も排泄も忘れていたことに自分でも呆れて溜息をつき、リビングに向かうと自分よりももっと呆れた顔をしたルパートがいた。仕事から帰って夕飯も済ませたという風体だ。もしかして声など掛けられたのかもしれない。

 

「死んだのかと思った。何をしていたんだ?」

 

「いや、少し――暇を潰していた」

 

 潰し過ぎだ、と彼は出来の悪い子供を見下げ果てたような視線で俺を射ぬいた。言い返そうかとも思ったが口から出るのはどうせ詭弁であろうし、結局のところ彼に口で勝てたからといって得られるものなど何もないので面目なさそうに表情をかためるだけにした。

 

「腹はすいてるか? コテージパイとスープは残してある。温めれば食えないこともない」

 

「なんだってお前の作ったローストビーフよりはウマいだろうさ」

 

「文句があるなら食うな。自分でもあのパサパサ加減には呆れるがな」

 

 日曜日の1、2時に出るいつだって焼き過ぎのローストビーフを思い出しながら俺は小さく笑った。食事は十前後のガキが円滑に作れるはずもなく、基本的にルパートが作る。通年のサイクルで魔法省が立て込んでいる時期ならば、踏み台をキッチンに持ち込んで俺が朝食に豆を煮てキッパーを出し昼食にオムレツを焼き夕食にシェパーズパイを作るような生活を送るときがあるが、あまり家事をし過ぎると虐待に成りかねないと彼は言うし、まあ折り合いが合わない時はデリが普通だ。それらについて金の問題をしようにも元領主の母方の物的資産、元魔法大臣らしい父親の遺産がすべて懐に入った彼には無用な話題らしかった(兄姉たちは家を出たこともあり、魔法で稼がれた金を受け取りたくなかったらしい)。まったくもってウィーズリー姓としては羨ましい話だ。

 ――それにしても。ルパートの作るローストビーフは本当にマズイ。珍しくもティータイムをとって貧しくなった舌を慰める真似さえ二人してするのだから。

 

「それにしたって本当に何をしていたんだ? お前が時間を潰せる趣味なんて珍しい」

 

 趣味もない身分な上、本に没頭するにしても今まで時間を忘れた経験はないだろう。そう含まれた言葉に返事を考えあぐねた。冷蔵庫から彼の兄のお土産のハギスをちょろまかし、皿にパイもよそってテーブルに置く。それから冷めたスープを器に満たした。

 

「……少し、レポートというか。いや、考察と在り方をだな。あーむ、その、」

 

「落ち着け、まるでガキみたいだ。内容をまとめてから言葉にしてくれないか」

 

「まるでじゃない、俺はガキだ。――いやなに、あの“酒場の奥の部屋”でしたことについて色々書きまとめてみたんだ」

 

「それはいい。学校に行くのと同じペースで足繁く通ったんだ、収穫はあったろう?」

 

 なにを隠そうウィーズリー家からの小遣い以外にも俺に金を与えているのはこの男で、しかも使用頻度が確認できるロンドンとここらを結ぶポートキーを俺に預けたのもこの男だ。このポートキーは犯罪等を避けるため認識阻害の魔法も施されている。傲岸なパトロンのような井手達にさえ見えて来た男に俺は左右に引っ張った線のような笑みを見せ肩を竦めた。

 別に成果と言えるほどのものはない。ただ当然の事物を纏め推してはかったまでだ。

 

「まあ今はゆっくり食え。食い終わったらそのレポートを見せてくれ」

 

「楽しんでもらえればいいがな」

 

「お前自体が愉快なんだ、そこそこ楽しめるだろうさ」

 

 皮肉めいた笑みを見るたびに俺は彼が二十代であるような錯覚を起こし、呆然と絶望するのだ。もう修復は不可能なまでに彼は完璧な“大人”になり、俺もまた修復不可能なまでにやっと“子供”になった。わざわざ自分で埋めた道を眺めては、恨みがましいと思うのだから卑小な存在だ。

 俺は無理やり“むかし”みたいに笑って彼と目を合わせた。

 

「お前の存在だって愉快さ、ルパート」

 

 絡み合った瞳はまるで友人に向けるような同等のもので、俺は少しだけほっとした。涙が出るほど嬉しくてかなしい事実だった。だからこそ俺は、正負どちらも抱かせる男がいたからこそ“この世界”で矛盾と羞恥、自己嫌悪、他者からの評価をすべて胸に抱えて生きていくことが出来るような気がした。

 ロータス・バッコス・ウィーズリーの誕生だ。

 

 

 

 

「Here you are. This is it.」

 

「ユアウェルカム……………………おい」

 

「なんだ」

 

「今すぐ羊皮紙に羽根ペンで清書しろ。出版社に持っていく」

 

「落ち着けルパート。突拍子もなさ過ぎて理解できない」

 

「大発見なんかひとつもないが、これだけは認めてやる。お前の観点は天才だ。お前本当にギフテッドだったんだな」

 

「……そんなわけがあるか」

 

「いいや。魔法の概念を理解している上でこの観点だ、お前は正真正銘の天才であることを誇るべきだ。なるほど、大衆は価値観に支配されてきたし、俺もその大衆でしかなかったか。これは本当に20世紀の文章なのか? というかお前ほんとに生まれながらの魔法族か? ……それにしても、魔法薬学の調合までやってやがったのか、このガキ」

 

「は、ははっ」

 


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