まちがいさがし   作:中島何某

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17話

 

 

 休日に馴染みの薬屋に向かうと、老店主が黄ばんだショーケースの向こうで本を読んでいた。然程の読書家でもなければ仕事に出ているときに熱心に本を読む人間でもないことは長年の付き合いで知っていたので怪訝に主人を見ると、男は視線とその意図に気付いたようでニヤァと黄色い歯を剥き出しにした。犬歯と犬歯が唾液を引く、その光景が薄暗いこの薬屋で見るに不衛生を醸し出して、私は眉を顰めた。

 

「そんな嫌な顔をしなさんな、スネイプの旦那よぉ」

 

 厭味ったらしい喋り方に私は顎を持ちあげ高圧的に鼻を鳴らした。すると男は何が面白いのか愉快そうに肩を揺らして笑った。くだらん、私はさっさとアスフォデルの粉末とニガヨモギを買って帰ろうとショーケースの中のソレの選別を始めた。ふむ、悪くはない。

 

「気になるかい、これが」

 

 シワだらけの骨の太さだけを残す黄ばんだ指が本に乱雑に折り目をつけ、表紙をこれ見よがしに見せつける。自慢げに振る舞う店主に私は目を細めてその本を眺めた。葡萄の海にロバ……いや、ヤギか? が溺れた表紙には『あらゆる魔法における考察・前』と書かれ、そのタイトルの下にはひっそりと『エレウテリオス・リベル』と彫られていた。

 

「エレウテリオス……ギリシャ人か?」

 

 聞いたことのない作者の名にそう聞けば店主は肩を竦めた。

 

「さあな、作者の情報なんざ書いていやがらねえ。顔も歳も性別もな」

 

 店主が本をパラパラと読む気もなく捲る。裏表紙にはニンフが見えた。成程名前からも表紙からもディオニュソス――バッコスに縁深い人物なのだろうと推察出来た。

 

「だがセンセイさんにはオススメだぜ。俺も人に勧められたがこりゃあいい、魔法族の価値観の裏切り者だ。堅苦しいのが玉に瑕だが。マグルはエンドウをかぞえたり、見えないもんを数字にするのが大好きだが、これもそうだ。だが、いやぁ、俺はコレが好きだ」

 

 ダイアゴン横町で用を潰すんなら本屋で買ってきな、と下品に笑う男に、大した厚さではないし丁度考察モノも最近読んではいないしいい機会か、とアスフォデルの粉末を匙で計りながら考えた。しかし店主に同調してやる義理もなく表面上は冷たく笑うだけに努めた。

 

「俺はフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店で買ったぞ、旦那」

 

「――――ふん」

 

 笑みを銜えた男は本を置き、さも下品に笑いながら薬草の勘定を始めた。私は目を瞑ってゆっくりと書店の、その本があるだろう一角を思い浮かべた。

 

 

 

 フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店に足を向ければその本は確かにあった。前後両方を同時に引き抜いて繁々とソレを見ていると後ろで店員らしき男が「その本はそれで最後ですよ」と言った。振り向いて人気があるのかと尋ねると「初版なんで出版部数が少ないですが、はけはいいです。出版社在庫も無いですし、追加注文出してますけど、次の重版はいつになるか分からないです」と答えてさっさと足りない本の補充に戻ってしまった。

 じっと前・後の本を見る。前編には先程見た通りヤギが葡萄に溺れており、後編ではにグラスにそそがれたワインが描かれていた。一貫して裏表紙にはニンフが居たし、よく見ると絵の一部の線がシレノスという文字を描いていた。一冊1ガリオンという良心的な値段の本を、私は試しに買うことにした。

 

 

 

 結果から言って、その本は素晴らしかった。

 観点、視点が魔法界の人間から逸しているにも関わらず、作者がマグルのような印象は受けない。魔法の基礎――と言うべきか。作者の魂における土台にしっかりと魔法というものが根付いているように思えた。魔法使いの家系に生まれなければこの境地には至れないのではないかとさえ感じた。

 先人が求めてやまないものがその本にはあり、誰もが見落としていたものを上手く拾い上げ、まとめ、完結にまで一筋の糸のように真っ直ぐ伸びていた。その裏付けは魔法族としては珍しく数学的な見地からなされている。――誰が判断しようか、『魔法は精神に大きく起因する』、『同じ薬草であっても土地による魔力の堆積量の違いから配合には慎重な判断が必要である』などと。

 考えて試せば分かりそうなものだろうか? いいや、この本の評価すべき点とはその思考の展開ではなく、魔法の純系の確立方法こそを世に打ち出した点だ。似たようなことは“偉大な”先祖達が既に試し、関係無しなどと嘯いている。

 己が魔法や薬草に関して、検査対象に魔力の増減や変質の影響を与える能が無かったことが悔やまれる。その点で言えば己を含んだ殆どの魔法使いは能無しだ。そもそも、強大さを競うならば普遍的なことだが、己の魔法の質が他者と異なるかどうかを試す者が圧倒的に足りない。この点は産めよ増やせよで地上に溢れかえるマグルが勝る点だ。魔法族は研究者も研究対象も足りなすぎる。

 

 例えば幼少から魔法を習い始めた者はありふれているが、成長してから魔法を習い始めた者は非常に僅かだ。そこに個体差を加味すると、特殊な魔法を創造しない限り前提条件が崩壊し実験の有意差が証明できない。呪文の創造自体は学生時代の私が行っていたことからも、向き不向きはあるが比較的容易だ。しかしこの魔力の質の平均化をわざわざ立案した著者は、もしやロウェナ・レイブンクローと似たような体質の持ち主かもしれない。読み進めるとこの魔力の質の平均化に最も苦労したようである。

 並びに薬草は、店ごとに一種の薬草に効力に差が出ることに気付く機会にそうそう恵まれない。薬を扱う店はそれぞれ限定的な薬草を除いては詰み取り先が違う。一番新しい薬草店でも数百年の歴史があり、競合店との血の争いを避けるため新たな摘み取り先の確保が創設に最も重要であった。鮮度、個体値以外にも違いがあると思いつくことを求めるのは望みすぎだ。――それが魔法使い独特の落とし穴である。

 そう、我々は店ごとに効力が違うことをおさえるためには、その店の薬草の効力を長年煎じ続け覚えなければならない。しかし、覚えた頃にはわざわざ他店を利用する手間を踏もうとは思わない。マグルでいう中世的(旧時代的)な買い物の制度が敷かれた市場では、基本的に巨大な市場でなければディスプレイや看板、値段札などはおかれず、店側の提示通り払う。あまりに相応の値段から遠ければ値引きの交渉も必要だが、値段が一律の学生を対象にした店でなければ一見には譲らない姿勢もまま見る。地元に根付く店では未だに年四回の分割払いが行われている店舗も存在する。このような現状では、民間人が受ける苦痛は然程のものではないが、研究職の家系以外での疑問を追求する新たな学者は生まれづらいだろう。

 魔法使いの家系に生まれた者はその事実に頓着せず(マグルで言えば天動説か。権力――教会――がそう唱えるものだから地動説の可能性さえ多くは考えない)、またマグルに生まれた者は知らぬままにしておく。血統主義の魔法使いにおいて“薬草”、“魔法そのもの”においては殆どが伝統的な家々に研究と維持を占拠されておりマグルは成長しても薬草や魔法の研究には専属的に身をおけない。つまり研究に研究を重ねその結果に辿りつく、ということが極めて難しい。魔法族がマグルのようにごった返しておらず、学校そのものが少なく研究職につくのが容易でないということもある。

 この本は革命だ。コペルニクス的転回だ。体制的革命を嫌う我々魔法使いも、この唯物的革命は認めざるを得ない。生き方ではなく真実を提示されては結局首を縦に振るほかない。

 問題は裏付けが抽象的かつ数学的で能無し共が理解出来るか怪しいところだ。

 

 私は溜息をついて本をテーブルに置き、冷めかけの紅茶を含んだ。紅茶さえ気候、時期、畑によって違うのだ。魔法的効力を持った薬草が違うのは“当たり前”だろうか。

 テーブルに本を置きながら空いている左手で一から捲ると、見開きのページによくありそうな書体で「ホグワーツ生徒にこの本を」とこれまたよくある個人への思いが書かれていた。はたして生徒が理解できるだろうか、この内容を。私であればすべからくこの本の内容を理解できるが、成人もしていない学生たちが読むには難解すぎるのではないだろうか。あまり多くをマグルの立場に立ちかえって述べたくはないが、幼少のみぎりの者がマルクスの資本論を理解出来るのか、という話だ。

 作者は読んだ印象によるとここ千年の魔法、また薬草学・魔法薬学の専門書に従順だ。つまり使用される専門用語があまりに多く、場合によっては古く、その専門用語を調べたところで専門用語自体が難解なものだから途方に暮れるだろうと推測できるのだ。これは一般書ではなく専門書に普通付随する問題だ。

 勿論、学生時であっても私であればこの本の内容は理解できたろう。そう、この本が私が在学していたときに出版されていればどんなに……!

 悔しさで震える手に紅茶のカップを置き、ひとつ深呼吸をした。やれもう大人であるからには精神の統一くらい簡単に出来なくては困る。そう、この本が学生時代に存在せずとも大人になることは容易であったのだ。私はまたひとつ溜息をついた。

 

 さて、ウスノロな生徒のレポートをそろそろ採点しなければいけないなと時計を見て立ち上がる。レポートは穴埋めの宿題ではない、どれだけ個人が文献を調べ自分の頭で噛み砕き理解できているかが鍵だ。私は気に入りの本棚に二冊を入れ、この本の意見に批判的なものも後で探さねばなるまいと考えながらレポートの束を取りに部屋を出た。考察というのは批判的に見るものだと考えながらも、私室に新たな本が入ったことで私は瑣末ながら何かが満たされた気がした。

 

 

 


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