まちがいさがし   作:中島何某

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たぶんこれノルウェイの森読んだ後に書いた気がする。うんまあそういうことなんだ。
今後のお話に関係する可能性がありますが、ノルウェイの森の男女関係に忌避感を覚えた方は3話と8話を避けるのが無難かと思われます。



3話

 

まちがいだらけ:誰かのはなし

 

 

 

 嘘だ嘘だ嘘だ! こんなこと私は信じないし、現実なわけがない。嘘だ、こんなの夢だ。そうだ、夢だったんだ。だって彼は昨日、私と彼の友達と一緒にお酒飲んで、彼女にふられた人を慰めてた。私を隣に置いて楽しそうにふられた人を慰めていた彼は「リア充爆発しろ」と枝豆の殻を投げられていた。それでも可笑しそうに笑っていた。少し酔っていたし、男子特有の付き合い方ある中でも、友達とのメンツのために私に暴言を吐かない優しい人だった。時々見せる冷たい感じも、実はドキドキして好きだった。

 

 彼は現実味を帯びている。そうだ、そんな人間くさい彼が急に居なくなるなんて現実あるわけがない。彼の存在が夢なはずがない。

 彼は大学生二年生のときにその大学と提携してる海外の大学に留学して、それで日本の大学を一度やめて海外で大学卒業をしたらしい。そのときに友達や元カノ、ご両親とすれ違ったりで色々あったらしくて、なんでも教えてくれる彼が曖昧にはぐらかすくらいだ。ここまでは、ほら、とても現実味を帯びてる。

 彼は大学で心理系を専攻していた。カウンセリングとかじゃなくて、知覚とか視覚とかの作用を調べたり、他にも心理学なのにパソコンを使ったりするらしい。難しいことは私にはよく分からない。彼との出会いだって、私が通っている偏差値もそんなに高くない私立大と彼が通っている大学院生たちとの合コンだったし。ほら、なんて現実的。こんなの夢なはずがない。

 

 彼は海外の大学を卒業して、日本に戻ってきて院生になった。彼は謙遜するけど頭がとてもいいんだろう。それに彼はとても綺麗な英語を話す。ニュースキャスターみたいなクイーンズイングリッシュらしくて、不思議な発音の綺麗な言葉。スラスラと淀みなく発せられる単語のひとつひとつにときめいた。時々外国人さんに道を聞かれることがあるけど、友達と一緒とかひとりのときは外国人さんが早口で聞き取れなくてすっごく嫌だけど、彼と一緒にいるときは内心嬉しかった。綺麗なあの言葉を聞けるから。それに彼はフランス語とドイツ語を話せる。彼が留学したのはアメリカとかじゃなくてイギリスで、他の語源を操る人達が近くに居たから勉強したらしい。勿論、アメリカに留学したってカナダの公用語のひとつはフランス語でもあるんだけど。

 これだけ詳しく説明出来るくらい彼は現実的で、なんでも出来るスーパーマンみたいだったけど優しい笑顔をしていて、時々失敗して、時々怒って。すごく、現実味のある人なんだ。

 だから、彼が、

 

「死んだなんて……」

 

 違う違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう!! 彼は死んでなんていないし居なくなってもない! 旅行が趣味だって言ってたからきっと一人旅に行ったんだ。そうだそうなんだ。彼が私に何も言わずに居なくなるなんてそんなはずがない。そうだそうだ彼が死ぬ間際に私と目があって申し訳なさそうな顔をしたなんてあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! してない彼は死んでないねえなんで私がこんなに悲しんで興奮して心が彷徨ってるのにこの場にアナタはいないの! だって泣いてたらすぐ来てくれるって言ったじゃない。「はるかは子供みたいだな」って苦笑して頭を撫でてくれたじゃない。指切りしたでしょその絡めた小指に指輪買ってくれるって言ったじゃない。あと少しで私の誕生日だからピンクのハートの指輪を買ってくれるって、少し高いけどバイト頑張るって…あ、ああ、あああああ! 知らない知らない知らない。違うよなんで彼がいないみたいに私話してるの違うよ彼は私にこの後すぐ来て息をきらして近寄ってきて「遅れてごめん」って言って柔らかいあの大好きな笑顔を見せてくれるんだ。

 

「……はるかちゃん、骨揚げに行こう」

 

「いかない」

 

 彼の友達で、私の友達の彼氏が近寄ってきて、とても悲しそうな顔で私を見た。やだな泣いて化粧が崩れた顔を見ないでよ。昨日上手く寝られなくて化粧のノリだって悪いし、それが可哀想なんだよね。そうでしょだって目の前の彼にとって悲しいことなんてなにひとつないはずで、そうだ、なにひとつないはずで。骨揚げってなあにそんなの私聞いたことない。やだ、やだ、なんて冗談を言うの。

 

「はるかちゃん」

 

「ちがう、ちがうちがうちがう」

 

「骨揚げに行こう。あと5分くらいだって言うから」

 

「ちがうちがうちがうなにがなにそれ、なにいってるの」

 

「箸を持って、四角い箱に骨を入れるんだ」

 

「なにそれきもちわるいさかなのほねでもいれるの、それともきのうたべたぶたとかのほね? しかくいはこにほねなんていれてどうするの」

 

「まず君は、箸を持つんだ」

 

「はしなんてもちたくないやめて、ちかづかないで。ちがうちがうちがう」

 

 呻く私に彼は呆然と立っていて、梃子でも動かなかった。どっかいってよ私に構わないでなによ見ないでどうしてそんな冗談言うの私冗談なんて嫌いよ。嘘はもっと嫌い。だって彼が嫌いだったんだもの。冗談も嘘も彼はよく言ったけど、どっちも嫌いだったんだもん。都合いいよなって笑ったんだもん。やだ、私なにを言ってるの『言った』って『笑った』ってなになんで過去形なの違う違う違うちがうちがうちがうちがう!! しらない、わたしなんにもしらない。ちがうの。ちがうんだってば。やだ、ちがうのほんとにちがうの。

 

「やだ、やだやだやだやだやだやだやだ」

 

「君はそろそろ、現実を見なきゃいけない」

 

「げんじつなんていらない彼がいた彼だけでいいげんじつなんていらないこのまえのはたちのわるいゆめで、そうだみんなおなじゆめでもみてたの? だからこんなことを……」

 

「はるかちゃん」

 

 彼の友人はガラス玉みたいな目で私を見た。そして、ゆっくりと口を動かした。聞きたくない、やめて、聞きたくない。

 

「暢は死んだんだ」

 

「ひッ……」

 

 顔を覆った手が湿り気をおび、頬が震えた。肺は縮小し、心臓は誰かに握りしめられたみたいに痛かった。ちがう、ちがうよ、今日はとってもあっついから。汗なんだ。こんなに汗っかきだったかな、やだなあ。

 

「はるかちゃん」

 

「はるか」

 

「……え?」

 

「はるかって呼んで」

 

 その名前はお父さんとお母さんとお兄ちゃんと彼だけに許した呼び方だった。友達にも前の彼氏にも駄目って言った。みんな、私が大好きな人以外にはあだ名とかちゃん付け以外は許さなかった。彼の友人も、それを知っている。

 私は誰にも、「はるか」を許さなかった。

 

「……はるか」

 

「手、にぎって」

 

 ぎゅ、と彼の友人は握ってくれた。彼より大きくて厚みがあって、男の子らしい手。彼は細くて白くて、実は私より綺麗だったんじゃないかなって時々思った。

 この手は、彼の手より、暖かくない。

 

「だきしめて」

 

 彼の友達は私を可哀想な物を見る目で見つめた。それでも私をぎゅうっと抱きしめた。しゃがむ私を抱きしめる彼は変な姿勢で、横を見ると彼の顔があって、彼も私の方を向いて、唇があたる数ミリ前で止まった。微かな息は私の肌にあたった。彼は、やっぱり可哀想な物を見る目で私を見ていた。

 私は彼の友達で私の友達の彼氏をじいっと見つめた。瞬きもせずに彼の友達を見つめていると、ふと顔が近づいて来て、私の唇にあたった。

 その唇はよく彼に似ていて、優しくて、心地よかった。

 私は彼を追い求めるみたいに唇をひらき、目の前の唇に舌を這わせた。反対の舌も私の口の中を這って、私は絡みついた舌に恍惚を覚えた。

 水音を最後にたてて離れた口元は光を反射していて、妙になまめかしかった。その人物はやっぱり私を可哀想な物を見る目で見ていて、私は震えて腰に抱きついた。

 背中をぽんぽんと叩かれて、その人の首元でしゃくりあげると、喪服から露出した首筋が外の空気と生温い風を私に浴びせた。ひっくひっくとしゃくりあげ続ければ、またぽんぽんと背中を叩かれる。

 きっと目の前の人は、この悲嘆にくれた生き物の上手な慰め方を知らないのだ。

 そして、私は自分がどう慰められればうまくいくのか、まったくもって知らないのだ。

 真昼の日差しのもとで、彼の一部が空に散布していた原因となる煙は煙突からもう出ていなくて、私たちは彼が煙突からのぼって、それから降り積もった中で壊れたように体温を確かめた。

 

 


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