4話
生まれてからそう何年もたっていない、言葉だってまだ柔らかな英語しか喋れない子供が、最近よく我儘を言う。いつもは我儘を言わない子なので叶えてやりたいと思う気持ちは山々だが、それがとても現実的に考えて難しいのだ。
これはきっと夫のアーサーのマグル好きの所為だと、私は知らず知らずの内に溜息をついた。
「まぐるの、学校にいきたい。ぷらいまりスクールに」
ふにゃ、と幼子特有のまろみを見せるロータスに癒されながらも、私はお金やこの子が住む所を考えて、ああ駄目だと首をふる。その動作を見せると、子供は少し悲しそうな顔をしてから、よくわからないとでもいうふうに首を傾げて微笑むのだ。積もりに積もるのは罪悪感だけだ。
「でもね、ロータス。ロータスは魔法使いの学校に行くのよ」
「ホグワーツ!」
きゃっきゃと笑う子供に頷くと、子供はひとまず笑い終えた後に首を傾げた。
「でも、ホグワーツにいけるまえに、いけるよ!」
年齢的なことを言っているのだろう、この子はビルが学校に通っているのでホグワーツに憧れ、魔法使いになることを当たり前として捉えているが、どちらかというとアーサーの持ってきたマグル用品の方に興味を示す。
やっぱり親子だ、と私は溜息をついた。子供は首を傾げたが、遠くでロンが泣きだしたのが聞こえたのでこの子を抱えてそのこともおざなりにロンのもとへ走った。
もう、言われ続けて数年めのことなのだが、この子が4、5歳に、つまりホグワーツに入る前に入学したいというなら本気で一度考えてみたほうがよいだろうか。
ロンに聞いても別段マグルのプライマリスクールに通いたいとは言わなかったし、双子でも個人差があるのかと私は唸った。フレッドとジョージが似すぎていたのかしら、と私は小さく呟いた。
子供が、まるで分かったように首を縦にふっていた。この子は、子供のうちから大人すぎると一度も夜泣きをしたことのない子供を撫でて私は悲観にくれた。
マグルの学校は、ホグワーツや他の魔法学校とは違い、5歳から義務教育という形で始まる。無償の就学前教育、ナースリースクールやインファントスクールも存在するが、今回ロットが行きたい行きたいと駄々をこねて数年目の学校は、プライマリスクールらしい。
ホグワーツにも11歳になったら行きたいらしい彼は、けしてGCSEを受けるまで行きたいというわけではなく、キーステージ2まで通いたいらしい。賢いあの子は我が家の金銭事情を心得てか、インデペンデントスクール、ましてやパブリックスクールではなく公立学校に行きたいと言う始末。賢いことはいいことだが、そういった俗世間的なところまで察するあの子は、生みの親の私でさえ一抹の恐怖を覚える時がある。ぞっと冷たくなるような冷たさ、あの子にはそれがあるのだ。
ビルやパーシーは小さい内は賢くともそういったところまで察しなかったからかもしれない。チャーリーはいい子だが、ビルやパーシーと違って運動に重きを置いている節がある。フレッドとジョージは論外、まだ遊びたい盛りだ。いつになったら落ち着くやら。
「ロン、ロット。ちょっとおいでなさい」
「なに? ママ」
チェスの真似をしていた二人が(年齢が年齢なのでまだルールをきちんと覚えていない)とことこ歩いてきた。この前まで泣きはらす赤ん坊だったのに、今では時に生意気を言うくらい成長した。……はて、今頭に浮かんだ赤ん坊はビルだったかチャーリーだったか、それともパーシーかフレッドかジョージかロンか。頭の中の子供は赤毛だったので、ロットであることはないだろう。それに私は終ぞあの子の泣く姿を見たことがない。それが私を慄かせるひとつの原因だろう。
私の前で話を待つ第二の双子に、こほん。と隣の男が咳払いをした。アーサーだ。アーサーと昨日話し合ってロットの我儘をどうするか決着をつけたのだ。
「ロン、お前はマグルの学校に行きたいか?」
「マグルの学校って、だってパパ、後で役に立たない勉強をするんでしょ? ボクやだよ」
ぴくり、とロットの眉が痙攣を起こした気がしして、私は慌ててロンに声をかけた。
「将来役に立つかどうかはアナタ次第よ、ロン」
「ふーん」
物臭に、きちんと理解していないで頷くのはこの子の悪い癖だ。失敗して後でへそを曲げるのに、ちゃんと理解しようとしない。まだ他人のせいにしようとする。それを直すのが私の仕事だ。
「話ってそれだけ? なら、ボク遊びに行ってもいい?」
「ええ、かまわないわ」
頷くとロンは駆けだした。遠くなる彼と交換に、視線を感じて私は微笑んだ。役者は此方と言えば此方だ。
「ママ、話ってなに?」
我が子は可愛らしく小首を傾げた。赤毛の我が家では黒髪はぽつりと目立つが、どこかビルに、つまり昔のアーサーに似ているこの子はやはり我が子だ。
「ロット、お前はマグルの学校に本当に行きたいか?」
ロットはイエスと頷いてもう一度小首を傾げた。
「本当にか? この家とも離れることになるし、勿論私たちともだぞ? それでも行きたいか?」
「イエス、ダッド」
アーサーは私と顔を合わせ、やれやれと肩を竦めた。しかし、少し喜びが混じっていることは長年連れ添ってきた私には分かる。アーサーは無類のマグル、マグル用品好きで最近なんて公衆電話という物に夢中だ。息子がマグルとの関係を繋いでくれるのが嬉しいのだろう。私は溜息を押し隠して頭をふった。
「ロット、よく聞いて。お父さんの知り合いにアンバディという男の人が居るの。ルパート・アンバディ。その人が、住む所と食事を提供してくれるって言うの、ただし、貴方が本気ならね」
「奴は魔法使いのことを知っている。父親がスクイブで、そのあと彼の息子達、つまりルパートは魔法学校には行っていないらしい。ルパートは一応、魔法を使えるが」
ロットは黙って話を聞いていた。喜びも見えず、これからの未来への楽しみも見えない。ただじっと聞いている。もしかして、感情を表情として臆面もなく出すのが恥ずかしいのかもしれない。
「だが、もう一度聞くぞ。行きたいのなら、それはお前が本気のときだ。ルパートはマグルの世界に遊び気分で来たお子様なんてほっぽり出すぞ」
ロットは頷いた。私は畳みかけるように質問をした。子供の我儘だと思っていたが、本人が本気なら私たち親も真摯に受け止める。
「でもロット、どうしてマグルの学校に行きたいの? それだけは教えてちょうだい」
この子は随分と、大人である私たちでさえ煙に巻くくらい口達者なので、私は率直に聞いた。今思えば、親として一番に聞くべき質問だった。この歳でもまだ至らぬところがある事実に赤面しそうになった。
「魔法を使わない人達と、魔法使いを、結ぶ人間になりたいんだ」
恥ずかしげに、ゆっくり笑うロットの頭を撫でて、私もにっこりと笑った。
「いいわよ、行っても」
「本当? 今度の秋から入学できる?」
「勿論。ねえ、アーサー」
夫はしたり顔で「勿論」と頷いた。ロットははにかんで、照れを隠すように「ありがとう。ロンと遊んでくる」と立ち上がった。貴重な息子の笑顔というのも、悪くないものである。私は隣のアーサーと微笑みあった。