――――月空園(つきぞらえん)。
園長一名。職員一名。入所定員八名。
小舎制の児童養護施設としてはやや大きい平屋建て。『ロ』の字型の構造が特徴的である。
五年前、始りの入園者である黒崎一護を入れると同時に開園。
その翌年に一名、また一名と増え続け、現在に至る。
味噌汁のほのかな香りが漂う、月空園の食堂。
長机を囲むように九人の男女が座っている。
小学生ほどの子供が六人、それを世話するようにセーラー服を着た女子と暮葉菖蒲が相手をしていた。
静かに味噌汁を啜る黒崎一護は、たまに醤油を女の子に手渡す程度だ。
今朝の騒動を気にせずに朝食を食べるその姿から、ここにとってはそれが当たり前のように考えられていることが分かる。
食堂に立てられた古びた柱時計が八時の鐘を鳴らした。
一護は空になった食器を流し台で洗い、子供たちに挨拶をして玄関へと向かう。
ふと、先週から海外へ旅行に行き空席となっている園長の椅子が目に入った。彼の放浪癖は周知のことだが、行く先々で子供を連れて帰ってくるので、今回もまた一人か二人、新しい住人が増えるのだろう。幸い部屋にはまだ空きが多く残っている。
また家がより騒がしくなると、心の中で溜息をついて食堂を出る。
■ ■
六月半ばに入り、露を迎えるとは思えないほどに日が射す通学路を一護は歩く。
炎天下とはいえないが、それなりに熱を持った太陽がジリジリと肌を焼く。
日が照らす中でも、信号機の赤はそれなりに見えるものだった。
立ち止まり、通勤の車が横断歩道を横切るのを眺めていた一護は、一瞬目を奪われた。
自分が立っている位置とは反対の歩道を二人の女の子が歩いていた。
赤と黒。
どちらも腰まで届くほどに長い髪と整った容姿に眼がいってしまう。実際に彼女たちとすれ違ったサラリーマンもOLも振り返り見入っていた。
二人とも同じ制服を着ていたので自分と同じく通学の途中なのだろう。
「……見ない制服だったな」
職業柄というか、バイト柄でそれなりに近隣の制服はボンヤリと覚えてはいたが、あの二人が着ていた制服は初めてみた。
まあ、自分もすべての制服を網羅しているわけでもないし、初見でもおかしくはないだろうと結論付け、一護は進行可となった横断歩道を歩き始めた。
■ ■
「注文入りまーす。カルボナーラが一つ、エビピラフが二つ、レモンティーが三つです!」
「はぁ~い」
午後4時を過ぎ、下校途中の学生が喫茶店内をガヤガヤと騒々しくさせる。
オーダーと料理が飛び交う厨房の洗い場に一護の姿があった。
制服とは違う白いシャツに黒地のエプロンに白字で『Cat in the tea party 猫の茶会』と猫の絵が描かれている。
カチャカチャと丁寧に拭いた皿を重ね終わり、指定の場所へ収納し終わると、一護は後ろで中華鍋を豪快に振るう巨体の男に声をかけられた。
「一護ちゃん、お皿終わったらレモンティーの用意お願い。三つね」
「……了解っス」
自分をちゃん付けで呼ぶこの店長には、一年以上経った今でもまだなれない一護は最低限の挨拶をして、カップを三つ容器棚から取り出す。
始め湯をカップとポットに注ぎ、次に計量器の上に茶葉を適まで乗せ、ポットの湯を捨ててから茶葉を入れる。
この喫茶店『猫の茶会』は店長の意向から、ティーパックを使用することも、冷凍食品を使うことも一切禁じられている。
店長曰く、「ウチは味! 外見じゃなくて中身で勝負よぉ~!」とのこと。
店長自身も名の知れた人物だったらしく、料理の手捌きは流れるように行われている。
猫の茶会の厨房は店長と副店長、従業員の三人で回しているので実質手が足りない。
味に拘る結果店長たちの納得のいく料理を作る人材がいないのだ。
キッチンバイトが来ても、店長たちのシゴキに一週間持てば見込みあり。大半は二日でやめてしまう人が多い。
一年以上働いている一護でも飲み物以外を出したことは無い。しかも、その飲み物でさえ三ヶ月以上も下積みをさせられてようやく認められたのだった。
温度計をヤカンに挿す。決められた温度まで上がったのを確認し、ポットに注ぐ。注ぎ終わると同時にタイマーをセットし、一息つく。
「……俺は一体何やってんだ」
最初は軽いノリとバイト代増しの言葉に乗せられてついキッチンの仕事をしていたはずだった。
タイマーが鳴り出し、手早く湯を捨てたカップに紅茶を注ぐ。切り出したレモンをカップに浮かせフロアのバイトに渡す。それと同時に追加の洗い物が来た。
また溜息を一息、一護は与えられた仕事へと戻っていった。
■ ■
日が落ち夜の暗幕が慣れ始めた頃、猫の茶会もドアにCLOSEDの看板を掲げる。
一通りのフロア清掃を終えたアルバイトたちは一通り帰宅し、店は電源を落とす。
そんな猫の茶会のキッチンにはまだ明かりが残っていた。
メガネをかけ、ココアシガレットを咥えた茶髪の女性と熱心にフライパンを振るう一護だ。
一護はガスコンロの火を消し、置かれていた皿に料理をのせる。
出来上がったばかりで湯気が立つパエリアを女性、秋宮関菜はスプーンで掬うとシガレットを外した口に何のためらいもなしに含み、
「!?」
スプーンを咥えたまま一護に拳骨を振っていた。
「米炒め過ぎ、油混ぜたり無い、野菜芯まで火が通っていない。50点だな馬鹿たれ」
行動と点数がかみ合わないと蹲りながら一護は目で訴える。
「食えるには食えるがあくまでも一般的にだ。料理人としてなら点数もつかんわ」
「いいんだよ誰に食わせるわけでもねえんだから」
「ほぉーう」
「……なんすか」
含みある笑みを浮かべニヤニヤと笑う関菜に一護は嫌な予感がした。
「黒崎が持ち帰った料理を毎回ガキ共が楽しみにしていると前、菖蒲に聞かされたんだが」
「なっ――!?」
「前々から料理のレパートリーを増やそうとしてるとは気づいていたが、それとは違うのかー?」
「っち」
分が悪いと悟り、一護はタッパにパエリアを無造作に突っ込む。
「おや帰るのか?」
「いいだろバイトも終わったし、器具もちゃんと固唾ける」
ぶつくさと言い訳がましく言う一護に関菜は入り口を指差し、
「迎えもきたようだしな」
は? と見る先、雨が降る中に雨合羽を着た双馬が傘を持って立っていた。
■ ■
雨の中、二人仲良く帰っていく姿を見送ると関菜は店に入る。
「どう?」
店のときとは違う黄色いエプロンを付けたマッチョ店長であり、亭主でもある、秋宮剛賢が話し掛けてきた。
どう、とはあの料理のことか、一護自身のことか。恐らくは前者なのだろう、関菜は言葉を選びながら、
「可も無く不可も無くだ。ようやくまともな物が作れる様にはなったが……あれを食っていたガキ共がよく平気だったもんだ」
言葉を選んだつもりだったが、主人の顔を見るに違ったようだ。
「まあ、仕方無いでしょ。一護ちゃん最初は大雑把だったもんねぇ」
懐かしむように言うが、当初は本当にひどいものだった。
何度あのオレンジ頭を殴ったか分からないが恐らく顔を見るたびに殴っていた記憶がある。
料理のさしすせそを知らないときは眩暈がしたと漏らすのも剛賢は笑って返す。
「やっぱり良かったみたいね。料理を持ち帰らせるようにしたのは」
一護がアルバイトを初めて約半年後、ようやく店に馴染んだことをいいことに、関菜と剛賢は元々人手が足りなかったキッチンにバイト代増額を条件に呼んだ。
そこから三ヶ月間、拳骨と叱咤に襲われながら一護はようやく飲み物を任せられるようになった。
秋宮夫妻としては、調理までは任せようとは思っていなかった。
そこは自分たちの戦場であり聖地だ。面白半分で手を出させるわけにもいかない。一護も洗い場を担当として雇ったので彼の性格もあってそれで終わりだと考えていた。
だから一護のほうから教えてほしいと言ってきたときは何かの冗談かと思った。
が、頭を下げた彼の姿を見ては本意であることが分かった。
「あいつは今、埋めようとしているのかもしれないね」
一護の出自を少なからず関菜は知っていた。九歳のときに自身の記憶を持たず何も分からないまま月空園の最初の入居者になって今まで生きていた彼の中には、まだ空っぽのままなのだろう。
だから今、必死になってその空に何かをつめようとしている気がする。
それは剛賢も少なからず見えてはいるのだろう。
料理はその作った人の心を写す。
他人はどうかは知らないが自分はそう思って作っている。
さっき一護の作ったパエリアは味はどうあれまともになった。
まだまだとは思うが少しは地に着こうとしているようだった。
別に料理であいつの隙間を埋めて貰おうとは思っていない。
これは彼自身の問題だ。
それが分かっているから剛賢も触れずに教えている。
菖蒲たちもそうであろう、家族がどうとかではなくこういった問題は自分一人で悩んで解決しなくてはどうしもない。
だから手を出すことは出来ても、誰もあいつを助けられない。助けられるのは一護自身なのだ。
自分たちにできることはいつもと変わらずにバイトとしてこき使い料理を教えるだけだ。
「まったく、男ってのは面倒くさいね」