エピローグではなく、第八話からのつづきです。
「ここはね、あたしたちが子供のころ、だいすきだった場所なの」
ラムダの里からつながる静寂の森の奥、ひときわ大きな樹のそばで、カミュとベロニカはそれぞれ手に持ったランプの灯りで、ぼんやりと照らされていた。
「へえ。静かでいいとこだが、夜はちょっと怖いくらいだな」
「うん。ねえ、座りましょ」
カミュはベロニカにうながされ、大樹の根本でベロニカのとなりに腰を降ろした。
「まずは、ありがとね。今回の旅、アンタがいなかったら、どうにもならなかったわ」
「いいって。そもそも、オレが指輪を持ってこなけりゃ、旅にでることもなかっただろ?」
「あはは。まあ、そうなんだけどね。でも、楽しい旅だったわよね」
「ああ、心からそう思うよ。みんなにまた会えて、指輪のことも、めでたしめでたしと」
ふたりはぼんやりと星空をながめていたが、やがてカミュが切り出した。
「なあ、ヘンなこと言っていいか?」
「なに?」
「オレ、ここには初めてきたはずなんだが……なぜか、ここですごく悲しい思いをした気がするんだよ」
「あら、アンタもなの?」
ふたりはランプの頼りない灯りのもと、じっと目を見あわせた。
「不思議なのよね。あたし、ここには楽しかった思い出しかないはずなのに」
「上手くいえないが。なんというか、誰かと辛い別れをした感じか?」
「そう。なんでなのかしら。みんなと旅にでる前は、そんなことなかったはずなのに」
カミュはふーん、とうなずき、星空に目を戻して、切り出した。
「で、ふたりで話したいこと、ってのはなんなんだ?」
「うん。ごめん、ちょっとまってね」
そう言ってベロニカは深呼吸すると、絞りだすように言った。
「たとえばよ。たとえばのはなし」
「ああ」
「たとえば……ごめん、やっぱりうまく言えないわ」
「なんだよそれ?」
「うん……あのさ」
カミュがベロニカに目を戻すと、ベロニカは泣きだしそうな顔でカミュを見つめていた。
「あのさ……これからするお話、この森をでたら忘れるって、約束してくれる?」
「ああ、わかった。ほら、指きりしよう」
「もう、そうやって子供あつかいするの、やめて」
ベロニカはそう言いながらも、カミュが差しだした小指に、自分の小指をからませた。
「誓約は果たされた。さぁ、お嬢様、なんなりとお話ください」
カミュがそういっておどけて見せると、ベロニカは袖で顔をごしごしとこすった。
「カミュ……いつか。いつかでいいわ。マヤちゃんが立派にひとりだちして、アンタひとりになったらでいい。いつかまた旅に……いえ。いつか、あたしたちといっしょに、暮らしてくれないかしら……」
カミュはベロニカをじっと見つめたまま黙りこみ、やがて口をひらいた。
「あたし、じゃなくて、あたしたち、なのか?」
ベロニカはだまってうなずき、ふるえる声で話した。
「うん。ごめん。あたしにもわかんないの。この気持ちを、どうしたらいいのか。セーニャはすごく大事よ。だから、傷つけたくない。でも、アンタのこと考えると……アンタにも、セーニャと同じように、そばにいてほしいのよ……あたし、どうしたらいいのか、わかんない。わかんないわ」
なんとか想いを吐きだすと、ベロニカの瞳から涙がこぼれおち、声をあげて泣きはじめた。
カミュは腕組みをして空をあおぎ、深いため息をついた。
「まったく、イヤんなるよ。オレ自身のニブさがな。お前がそこまで思い詰めてたなんて、オレ、まったくわからなかった」
「いいの。あたしが言葉に出さなかったんだから」
涙まじりに話すベロニカを、カミュはやさしい瞳で見つめ、ぽんぽんと頭をたたいた。
「そうだな、オレは、口に出して言われなきゃわからんらしい。だからよ、お前にどう応えてやったらいいのかも、わかんねぇんだ。バカな男だろ?」
「いいのよ。あたしにだって、どう答えてほしいのか、わかってないんだもん」
カミュはだまって、泣きじゃくるベロニカの小さな背中をさすった。
「じゃあ、整理していこう。例えばだ、オレがお前を連れて旅にでたい、って言ったら、イヤなのか?」
「……ダメよ。セーニャを傷つけたくないし、あたし、里から離れられないもん」
「そうか。じゃあ、セーニャがオレと暮らすって言いだしたら、どうする?」
ベロニカは大きな声で泣き出し、そんなの、と絞りだすように言った。
「イヤ……だけど……セーニャがそうしたいなら、そうすればいいわ……でも、あの子も、きっと、イヤだって言うとおもう」
カミュは、そうか、とつぶやき、ねぎらうように話した。
「双子ってのは、苦労するんだな。おたがいを傷つけず、ふたりでいっしょに幸せになる方法か……たしかに、わかんねぇな」
「うん……」
「じゃあ、こうしようか。ちょっと立ってくれ」
ベロニカが真っ赤になった目をごしごしとこすりながら立ちあがると、カミュもいっしょに立ちあがり、ベロニカの頭に手をおいた。
「お前の背丈が、ま、このへんか。オレの首のあたりな。このへんまで伸びたら、この場所にもう一度、お前の気持ちをたしかめに来るよ。お前はどうしたいのか、それまでに考えておくこと」
カミュはかがみこんでベロニカの顔をのぞくと、ベロニカは顔をこすりながらうなずいた。
「だが、いいのか?そのころにはオレ、すっかりおっさんになっちまってるぜ。グレイグさんみたいに、ひげを生やしているかもしれない」
カミュがそう言って笑うと、ベロニカは無理矢理に笑顔をつくった。
「あたしがセーニャやマルティナさんなんて目じゃない、とびきりの美人に育っても、アンタ、そんな口を叩けるのかしらね」
「はは。やっぱり、お前はそれがいいよ。泣いてるところなんて、似合わないぜ。ところでよ、この話は忘れるって約束しちまったが、どうする?」
「あ……もういっかい、ゆびきりする?」
ベロニカがそう言うと、カミュはにっこりと笑った。
「いや。こいつをオレの約束の証としよう」
カミュはそう言ってベロニカのずきんを取りあげ、額にくちづけをすると、強く抱きしめた。
ふたりは長く抱擁を交わし、やがてカミュが離れてずきんをかぶせると、ベロニカの瞳には、また涙があふれていた。
「ありがとう、カミュ。ありがとう」
「オレは必ずここに会いに来る。忘れんなよ」
「うん」
「そんじゃ、戻るとするか。もうすっかり夜更けだ」
「……ごめん、先にもどってちょうだい。あたし、落ち着くまでここにいるから」
カミュはだまってランプを取りあげ、いつものように片手をあげてあいさつをし、立ち去った。
カミュが里へと戻る林道を足元に気をつけながら歩いていると、ランプをさげて近寄ってくる人影が見えた。
カミュは身を伏せて警戒したが、人影の正体はすぐにわかり、ほっとため息をついた。
「おい、セーニャだろ?どうしたんだよ、こんな遅くに」
セーニャは何も言わずにカミュに近づき、真正面に立って向き合った。
「カミュさま、お願いがあります」
「ん、いきなりなんだよ?」
「そのまま、だまって目を閉じていただけませんか?」
カミュが言われた通りにすると、セーニャはすこし背伸びをしてカミュの頬にくちづけをし、そのまま抱きしめた。
カミュもセーニャの背に手を回し、かたとき抱き合うと、セーニャは離れ、深くおじぎをした。
「なにも、言わないでください。お姉さまのところに行ってまいります」
セーニャはそう言うと、カミュのわきを抜け、森の奥へと歩き出した。
セーニャは森の奥にたどり着くと、ランプをわきに置いて座りこむベロニカと、だまって抱きあった。
「お姉さま」
「うん」
「私たち、同じですね」
「うん」
「お気持ち、伝えることができましたか?」
「……うん」
「なにか、言ってらっしゃいましたか?」
「うん……ごめんね、セーニャ。あとで、教えるから」
「ありがとうございます……お姉さまは、勇気がおありですわ」
「なにも言わないで、セーニャ。なにも言わないで」
ふたりが黙りこむと、静寂が森をつつみ、夜が更けていった。
まだ薄暗い明け方、三人はラムダの里の入り口に立っていた。
「もう、行っちゃうのね」
そうつぶやくベロニカの瞳は、まだ赤みが残っていた。
「お前、ひどい顔だぜ。人に見られない時間でよかったな」
カミュがそういって笑うと、ベロニカは歯を見せて笑った。
「あはは。ほんとだわ。じゃあ、マヤちゃんによろしくね。楽しい旅だったって、伝えておいてちょうだい」
「ああ。世話になったな」
「カミュさま、こちらこそ、ありがとうございました。カミュさまがいなくては、成しえない旅でした」
「いいんだ。オレも楽しかったよ」
カミュはそう言って右手をだそうとしたが、思い直した。
「いや、いいよな。ここで別れを惜しまなくたって」
「ええ。それじゃあ、またね」
「またお会いしましょう、カミュさま」
片手を上げてあいさつし、背を向けて去っていくカミュを、ふたりはじっと見守っていた。
「お姉さま」
「なあに?」
「私、カミュさまがつぶやいた言葉で、印象に残っているものがあるんです」
「どんなの?」
「自分の人生がどうなるのか、最後までただ見届けたい、だそうです」
「あはは。アイツらしいわね。でも、いまは、すごくわかる気がするわ」
「私もです、お姉さま」
ふたりはお互いをたしかめ、ほほえむと、真っ赤に染まる朝焼けの空を背に、ゆっくりと歩き出した。