「階段がちょっと急なんだ、足元に気をつけてくれよ」
「ええ、先に行ってちょうだい」
入り組んだ路地の奥、ふたつの家のあいだの狭い通路に面した裏口のドアを開けると、肩をすくめないと両ひじが壁にふれてしまいそうな狭い階段が、明かり取りのためのいくつかの小窓にぼんやりと照らされていた。
カミュが扉をあけると、天井が斜めにかたむいた屋根裏部屋のなかで、机に向かってなにかを磨いていた少女は手を止め、ふり返ってカミュをたしかめるとにっこりと笑った。
「おかえり兄貴、はやかったじゃん。城には入れてもらえたのか?」
「ああ、なんとかなったよ。わりぃな、狭い部屋だが、入ってくれ」
カミュにうながされると、ベロニカはカミュの背後からひょこっと顔をだし、あいさつした。
「マヤちゃん、おひさしぶり。あたしのこと、覚えてるかしら」
「ん、おれに子供の知りあいなんか、いたっけ?あ、でもその赤ずきん、なんとなく覚えてる。兄貴がおれを助けに来てくれたとき、いっしょにいたか?」
「ああ、そうだ。こっちのちいさいのがベロニカ、こっちのおとなしそうなのがセーニャだ」
セーニャがこんにちは、と言いながらおじぎをすると、マヤはすこし困ったようすだった。
「えー、兄貴、双子といっしょだって言ってたじゃん。このふたりはなんなの?」
マヤの言葉を聞いて、三人は笑った。
「まあ、見えないわよね。あたしとセーニャは双子なのよ。いろいろあってさ、あたしだけ若返っちゃったの」
「へー。じゃあホントはおれより年上なのか。若返ったなら年下か?」
「難しいな……黄金になってた五年間をいれると、お前のほうがちょっと年上になるのか?」
「やだ、入れたくない。それならおれが年下でいーよ」
そう言って、マヤはにししっと笑った。
「そんなわけでね、お兄ちゃんをもう少し、借りてもいいかしら」
「マヤさまも、お兄さまといっしょにいたいでしょうけれど、お願いしますわ」
ふたつ並んだベッドに半分を占領された屋根裏部屋で、カミュは据えつけのストーブに薪を放り入れると、ベロニカとセーニャの話をきいていたマヤのそばに座りこんだ。
「事情はだいたいわかったよ。その指輪、おれにも見せて」
カミュがふところから指輪を取り出してマヤに渡すと、マヤは指輪を窓にかざした。
「ふーん、かなり古いものだな。しっかし兄貴、呪いのアイテムに縁があるね」
「言わないでくれ」
マヤは右手に指輪をはめたが、なにも変化は起こらなかった。
「マヤちゃんもはめてもなにも起こらないのね。どうしてあたしたちだけ、指輪にやどっているものを呼び出せるのかしら」
「ああ、不思議だな。おれたち兄妹は魔力がないからか?」
「違いがあるとすれば、そのくらいしか思い浮かびませんわね。もしそうなら、ロウさまにはめていただいたら、私たちと同じことが起こるのでしょうか」
マヤはつまらなさそうにカミュに指輪を返すと、頭の後ろで腕組みをした。
「事情はだいたいわかったよ。そんで、兄貴はどうすんの?」
「まずはデルカダールまで行ってこようかと思う。指輪を売ってたヤツを当たるついでに、ロウ様の行方もわかるだろうしな。マヤ、お前はどうする?」
「どうするって?」
ん、とカミュは意外そうな顔をした。
「いいのか?オレはてっきりついてくると言いだすかと思ってたんだが」
「うん、おれは行かない。デクさんから任された商売がおもしろくってさ。見てよ、もうほとんど残ってないんだぜ。おれ、こっちの才能があるのかも」
そういって、マヤはアクセサリーがいくつか入った箱をかたむけて見せた。
「お宝さがしの旅もいいけど、いつか店をかまえるのもいいかもね。兄貴が仕入れ担当ってことでさ。どっちにしても、もうちょっとお金をためて、こんな屋根裏暮らしとはおさらばしたいね」
カミュはマヤから箱をうけとって中身をたしかめると、感心したようすを見せた。
「マヤ、お前すごいな。デクのやつ、こんなに山のように押し付けやがってと思ったんだが。どうやってさばいたんだ?」
「にしし。コツがあるんだよ。旅の貴族とか、酔っぱらいに、あとは女を連れた男なんかだな。金を持ってるヤツと、財布のヒモがゆるくなってるヤツを狙うと、よく売れるんだ」
うれしそうに語るマヤを見て、カミュは腕を左右にひろげて手のひらを上に向け、苦笑いした。
「たいしたもんだが、あんまり危ない橋は渡ってくれるなよ。じゃあ、オレも旅先から手紙を出すから、城からなにか連絡があったら、頼んだぜ」
「うん、兄貴も気をつけてね。ところでさ、そっちのでっかいお姉ちゃん、貴族か王族だろ?兄貴、いつ結婚すんの?」
マヤがそう言うと、ベロニカはええ~と大声を出し、セーニャはあっけにとられた顔をした。
「しねえよ!何言いだすんだ!」
カミュがあわてて叫ぶと、マヤはいたずらっぽく笑った。
「なーんだ。1ゴールドにもならないのに手伝ってるからさ、そういう話かと思ったよ。兄貴が貴族になったら、おれも城に入れるかと思ったのに」
カミュはおおげさな身ぶりをして片手で顔を覆い、ため息をついた。
「残念だったな、この人たちは貴族でも王族でもないんだ。まあ、いっしょにあんな旅をした仲間が困ってるのに、知らん顔はできないだろ」
「ホントにそれだけ?実はちっちゃいほうのお姉ちゃんとか?まあ、兄貴らしいや。そういうことにしといてやるよ」
マヤが歯をみせながらにしし、と笑うと、カミュはベロニカとセーニャにやれやれという顔をして見せたが、ふたりはどうしたらよいのかわからない様子だった。
翌日、朝の陽射しがふりそそぐ港には数隻の船が停泊しており、男たちがあれこれ怒声を飛ばしながら、忙しくタルや木箱を積み込んでいた。
桟橋では乗船するものと見送るものたちが、おいおいに言葉や抱擁を交わし、別れを惜しんでいた。
人々の喧騒と潮の音のなか、三人は見送りにきたマヤにしばしの別れを告げていた。
「マヤちゃんごめん、だれに頼んだらいいのかわかんなくて、ここまで持ってきちゃった。これ、両親への手紙なんだけど、あたしの代わりにラムダの里へ送っておいてもらえる?」
「おう、任せといて。おれ、読み書きがあんまりできないんだよね。いつか教えてくれよ」
「ええ、かならず。次に会うときは、もうちょっとゆっくりお話しできるといいわね」
ベロニカからあずかった手紙をふところにしまいこむマヤを見て、カミュはなにかを思い出したようだった。
「ああ、そうだよ、お前たち両親にクレイモランまで行ってくるって話してたよな?予定より長い旅になりそうだけど、いいのか」
ベロニカはセーニャに目くばせすると、カミュにだいじょうぶよ、と答えた。
「こうして手紙も書いたし、なによりアンタが一緒だって知ってるからね。いまさら引き返せなんて、言わないでちょうだい」
「ええ。私たち、ふたりでイシの村まで旅したこともありますわ。危険がないことは、両親もわかってくださっているはずです」
ふたりの話を聞いて、マヤはいじわるそうににっこりと笑った。
「なんだよ兄貴、お姉ちゃんたちのご両親ともう顔見知りか。すっかり認められてんじゃねーか、妬けるね」
カミュは髪をかきむしり、両手でマヤの頬をつねった。
「だから、その話はもうやめろって。ふたりとも困ってるだろ?そんじゃ行ってくるから、あんまり無茶するんじゃないぞ」
「痛いよ、くそ兄貴。無事に帰ってこいよな」
マヤはカミュと軽く抱き合うと、同じようにベロニカとセーニャとも抱擁を交わした。
「お姉ちゃんたち、兄貴のことを頼むぜ。じゃあ、また会おうね」
三人が水夫に手を取られながらタラップを登って三本マストの船に乗り込み、甲板からマヤに手をふると、マヤは手をふり返し、寂しげに背を向けた。
クレイモランを出港した船は順調に航海をつづけ、甲板で潮風をうけて旅の気分を楽しんでいた乗客たちも、陽が昇りきるころにはすっかり飽きて、船倉へとおりていった。
三人がのりこんだ商船には客室はついておらず、乗客たちは荷物をつめこまれた船倉の入り口そばの、木箱とタルが人間のためにゆずってくれたスぺースで、おいおいにおしゃべりやカードに興じたり、荷物をまくらに雑魚寝をして時をすごすのであった。
日没からどのくらい経ったのか、波と風にゆられて船体のきしむ音だけがぎいぎいと響く船倉でカミュは目をさまし、天井からつるされたランプの頼りない灯りのなか、ほかの乗客を踏んでしまわないようにそろりそろりと歩き、きしむ階段をのぼった。
船は三方を山にかこまれた入り江に停泊しており、まだ冷たい潮風のむこう、赤みがさしはじめた東の空は、山々のあいだをぬって走る運河のシルエットを浮かび上がらせていた。
カミュはあたりを見まわすと、セーニャが甲板の手すりにつかまって海をながめていることに気がつき、揺れる足元に気をつけながら、となりまで歩いて行った。
「どうしたセーニャ、眠れなかったのか?」
「おはようございます、カミュさま。なんだか目が覚めてしまって、風に当たりにきました」
セーニャはちらりとカミュの顔をたしかめると、うつろな表情でまた遠くの空をぼんやりと見つめた。
「そうか。まあ、もう船はここまで来てるんだ、今夜はソルティコの町で眠れるだろ」
セーニャが遠くをみたまま軽くうなずくと、ふたりの間に長い沈黙がながれ、やがてセーニャはカミュのほうを向きなおり、しずかに口を開いた。
「カミュさま、指輪をすこしお貸しいただけますか」
カミュがああ、と返事をして指輪をセーニャの手ににぎらせると、セーニャはその場にかがみこみ、そっと指輪をはめた。
「おい、急にどうしたんだよ?」
カミュはあわててセーニャの肩を抱こうとしたが、セーニャはすぐに立ち上がり、カミュと目を合わせたあと、ゆっくりとあたりを見わたした。
「……立派な……船だ……それに……海は……いつの世も……変わらぬのだな……」
心配そうに見つめるカミュを横に、セーニャは黙って海を見つめていた。
「……ふむ……この者の身に……なにか……起こったのか……」
「いや、そんなことはねえけど。いまんとこ、順調に旅をしてるよ」
「……そうか……深くは解らぬ……が……この者の……迷いが……伝わってくる……」
カミュは首をかしげ、あごに手を当てて、迷い?と聞きかえした。
「……この者は……何も語りたく……ないようだ……」
ふたりはすっかり黙りこくり、長いあいだ海にむかって立ちつくしていた。
波の音に混じって水夫の足音が聞こえると、セーニャはふたたびかがみ込んで指輪をはずし、ゆっくりと立ちあがって指輪をふところに入れると、黙ったままなにかを訴えるようにカミュの目をみたが、すぐに背を向けて船倉へと降りていった。
太陽がてっぺんをすぎてほどなく、船はソルティコ海岸に停泊し、乗客と荷の一部を小舟で砂浜へ降ろすと、ダーハルーネへ向けて旅立っていった。
三人は船をおりると広大な花畑のなかを小半時ほど歩き、入り江にかかる巨大な石橋をわたって、半島の先端につくられたソルティコの町へとつづく門をくぐった。
「もうついちゃった。眠っているあいだに運んでくれるんだから、船旅は楽でいいわね」
「お前みたいにいくらでも眠れるやつは、そうはいないよ。寝る子は育つってやつか?」
ベロニカは荷物をおろし、階段に腰かけると、カミュをからかった。
「もう子供あつかいされるのも、すっかり慣れちゃったわよ。船のあの揺れかたって、なんだか眠たくなるのよね。セーニャはちゃんと眠れた?」
「はい、お姉さま。ですが、私、お腹がすきましたわ。船での食事は、ビスケットや干した果物、乾いたものばかりでしたから」
「あはは、セーニャがそんなこと言うの、珍しいわね。でも、そうね、あたしもお腹がすいたわ。カミュ、アンタは……ん、どうしたの?」
心配そうにセーニャを見つめていたカミュは、はっと我にかえった。
「いや、なんでもないんだ。そうだな、なんか腹にいれるとするか。しかしオレ、この町はちょっと苦手なんだよな。場違いというか、居場所がないというか」
「私は好きですわ。私たちは寒いところで育ったので、お話に聞く楽園とはこのような暖かでうつくしい場所なのではないかと、はじめて足をふみ入れたときに思いました」
ソルティコの町は、入り口から砂浜にむけた斜面に整然とつくられており、町のどこからでも海が一望できる風光明媚な場所だ。
あたたかい気候にも恵まれ、世界中からかたとき日常をわすれ、羽根を伸ばしにおとずれた観光客や長者たちでにぎわっており、あまり生活のにおいが感じられない。
建ち並ぶ家々は一様に純白の塗装がほどこされており、あちこちに咲きほこる花々との抑揚が、陽の光をよりまぶしく感じさせた。
三人はうつくしく整備された石畳と階段をすすみ、砂浜へとたどりついた。
「あったわ、あれあれ。あのわらの家で、海を見ながらのんびりしてみたかったのよ」
「へえ、ここって酒場だったんだな。まだ陽も高いし、宿をさがすのはあとにするか」
ベロニカが荷物をおろし、布張りのイスに飛び乗ると、カミュはガラスでできたカップをテーブルにみっつ置き、となりに腰をおろした。
「あら、お水かと思ったら、あまずっぱい。なにこれ?」
「レモネードだってさ。世の中には、まだ知らないものがいっぱいあるな。うまいか?」
「うん、いいわね。これ、たぶんセーニャの好きな味だとおもうわ。あら、セーニャ、どうしたの?」
セーニャはテーブルのそばに立ったまま、テラスで砂浜を向いて座っている客のひとりをみつめていた。
「お姉さま、あの方に見覚えはありませんか?ほら、あの黒髪の女性」
「あのすっごく髪の長い女の人?青いパンツの?うーん、わからないわね」
ベロニカが言うが早いかカミュは駆けだし、テラスの女性に声をかけた。
「マルティナさん?ですよね?」
女性はカミュの顔をたしかめると、ゆっくりと立ちあがり、ほほえんだ。
「あら、カミュくん。久しぶりじゃない」
マルティナが腰まである長い髪をイスに挟まないようにかきあげながら三人とおなじテーブルにつくと、ベロニカはにっこり笑いながらあいさつをした。
「マルティナさん、こんにちは。髪を下ろしているから、あたし、わかんなかったです」
「ふふ、お化けみたいでしょ。本当は、うっとおしいから切っちゃいたいんだけどね」
「マルティナさま、お久しぶりですわ。こんなところでお会いできるなんて。こちらへは、遊びにいらしているのですか?」
マルティナはテーブルのカップに口をつけ、中身を半分ほど飲み干すと、右腕で口をぬぐった。
「ごめんね、飲んじゃった。また頼んで。私はね、ロウ様がジエーゴ様に、あらためて旅の助力のお礼をしたいとおっしゃるから、同行させていただいたの」
「ああ。ジエーゴ様にはいろいろ、お世話になりましたからね」
カミュが真面目な顔でそう言うと、マルティナは吹き出すように笑いだした。
「ウソだけどね。本当はね、私がおねがいしたの。ソルティコの町で、しばらくのんびりしてみたいって。ロウ様は口実を作ってくださったのよ」
「お気持ち、わかりますわ。私も旅でこちらへ立ち寄ったとき、いつかゆっくり過ごしてみたいと思いましたから」
「でしょ。あなたたちも遊びに来たの?」
「いや、ちょっと事情があって。デルカダールへ向かう旅の途中なんです」
マルティナは三人からひととおりいきさつを聞きおえると、いいなぁ、とつぶやいた。
「ロウ様との長い長い旅、それにあなたたちとの旅は、もちろん辛いこともあったんだけど、終わってみるとなんだか寂しくてね。自由に旅ができることが、今ではうらやましく思うわ。あ、イヤミじゃないのよ。もちろんあなたたちの今の旅だって、大変なのはわかっているわ」
「ええ、あたしも、旅のことを思い出すと、辛かったこともあったはずなのに、楽しかったことばっかり、思い出しちゃいます」
「本当にね。実はね、マルティナさんなんて呼ばれたの、ひさしぶりだったのよ。みんな姫、姫って、誰も私の名前なんて呼んでくれないの。もちろん、自分の立場はわかっているわ。イヤなわけでもないし。でも、先のことを考えるとね、まだ、しっかり受け入れられているとは、いいがたいわ」
饒舌に語り続けるマルティナにあいづちをうち、笑顔を見せながら、三人はひそひそと話した。
「なあ……マルティナさん、かなり酔ってるだろ?」
「うん。こんなにおしゃべりな方だなんて、知らなかったわ」
「ふだんは疲れや不満を表にださず、耐えていらっしゃったのですね」
マルティナがわざとらしくテーブルにカップをがたんと打ちつけると、三人はビクッと向きなおった。
「聞いてる?こんなふうに息抜きに来てもね、お忍びだから、こんな格好しなきゃいけないわけ。見える?この地味な恰好。だれかと仲良くなろうにも、相手のほうから逃げていくわよ。あ、あなたたち、お腹すいてない?なにか頼みましょうか」
「はい……ところで、ロウ様はまだこの町におられるんです?」
マルティナは給仕に手をふって呼びよせると、メニューの文字を次々と指さした。
「いるわよ、ロウ様。ロウ様に用事?」
「ええ、あたしたち、ちょっとロウ様におたずねしたいことがあって」
ベロニカの言葉をきいて、マルティナは不機嫌そうにふーん、とうなった。
「私に用はないってわけね。そりゃそうか。ロウ様に比べたら、私なんかお飾りみたいなものだしね」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ」
あわてて謝るベロニカを見て、マルティナは大声で笑ってみせた。
「冗談よ、冗談。ごめんね、ちいさな赤ずきんさん。でもね、ロウ様は今日はお忙しいの。明日でもいいんでしょう?今日はゆっくりと、わたくしめの話に付き合ってくださいませんか、お嬢様がた。そちらの精悍な紳士どのも」
そう言って大げさな身ぶりでかしこまって見せるマルティナに、三人は渋い笑顔ではい、と答えるしかなかった。