「あら、アンタも起きてたの?」
「おう」
すっかり陽の落ちきった海岸で、ベロニカはカミュに声をかけた。
ソルティコの町は治安がよく、夜でも安全に出歩けるが、要所をかためる衛兵たちと、カジノで遊ぶ観光客たちをのぞけば、人影はまばらだった。
ベロニカは片手で持ったランプのともしびを揺らしながら、カミュのとなりに腰をおろした。
「マルティナさんが、付き合ってもらったお礼にって、宿をとってくれて助かったわね。それも、すっごくいい宿。ひさしぶりにたっぷりお湯をつかえて、さっぱりしたわ」
「ああ、それで髪を下ろしてんのか。いいな、オレもあとで頼むとしよう。潮風で体中べとべとだよ」
「洗濯もできたら、もっとよかったんだけど。着たきりだから、なかなかね。せっかくきれいにしたのに、潮のにおいがするわ」
そういってベロニカは服のすそを顔に押しあて、鼻をならした。
「ところで、セーニャを探しにきたんだけど、見かけなかった?」
「いや、見てないな」
「そう。すこし夜風に当たってきますって出ていったんだけど、まだ戻ってこないのよ」
「まあ、この町なら心配はいらないんじゃないか。セーニャだって、ひとりになりたいこともあるんだろ」
「それならいいんだけど。アンタはなにしてるの、かんがえごと?」
ベロニカが髪をくるくるといじりながらたずねると、カミュは頬杖をついて海を見つめながらぽつりぽつりと答えた。
「なんか不思議だな、と思ってさ。オレ、クレイモランで生まれ育ったから、夜の海が怖かったんだよ」
「こわかった?海が?」
「ああ、なんていうのか。北国の夜の海ってやつは、静かで、冷たくて、オレが死ぬときってのは、あの夜の海みたいな場所に引きずりこまれていくような感覚なのかなって思ってたんだ。でも、ここの海は逆なんだよな。おだやかで、暖かくて、いつか帰る場所は、こういうところなのかもなって」
ベロニカはランプでぼんやりと照らされるカミュの横顔をみつめながら、ふーん、と言った。
「アンタって、ときどきそういう事を言うわよね。なにかの詩みたいっていうか、なんていうか」
「変か?」
「ううん。あたしには、そういう感覚って、ないからさ。海をみても、海だって思うだけで。ニブいのかしら」
カミュは、ははっと笑った。
「オレだってニブいぜ。オレさ、みんなで旅をしているあいだ、ずっと引け目を感じてたんだよ。使命だとか、運命だとか、立場だとか、そういうものをみんな背負ってたのに、オレだけ何もなくてよ。正直、ちょっと嫉妬してたんだぜ。お前も含めてな」
カミュは、月明りにてらされた海を見つめながら淡々とした調子で話をつづけた。
「でもさ、マルティナさんの話を聞いて、思ったんだよ。重たいもんは重たいよなって。オレはなんにも背負っちゃいないが、重たいもんを持ってる人から見たら、オレの身軽さはうらやましく見えるのかな、ってな。まあ、今はオレにも、マヤがいるけどな」
ベロニカは両手をいじりながら、軽くためいきをついた。
「そうよ。あたしだって、マルティナさんほどじゃないけれど、役目があるわ。この先、ずっと里で暮らすことになるでしょうし、セーニャと離れるわけにもいかないし。もちろん、イヤなわけじゃないけど」
ベロニカはすこし言いよどむと、軽く首をふって明るい調子をつくった。
「アンタみたいにさ。もちろん、すぐにじゃないかもしれないけど。いつか好きな場所へいって、好きな人と暮らせる、そんな未来があるかもしれないってこと、うらやましく思うわ」
カミュは黙ったままベロニカとゆっくり目を合わせ、すまん、とつぶやいた。
「変な話をしちまった。悪かったな。マルティナさんから愚痴をたっぷり聞かされたもんで、影響されたかな。さて、セーニャを探しにいくか?」
「あたし一人でだいじょうぶ。お散歩しながら、探すとするわ。船でいっぱい寝ちゃったから、あんまり眠たくないのよね。アンタは宿にもどって、お湯でもつかったら」
「そうか。じゃあ、気をつけてな。何かあったら、部屋に知らせにきてくれ」
カミュは立ちあがって服についた砂を払い、ベロニカに片手であいさつをして宿へと戻っていった。
朝のかたむいた陽射しがさわやかに差しこむ部屋に、トントン、とノックの音がひびいた。
「カミュ。もう起きてる?カミュ?」
「ああ。待ってくれ、いま開ける」
カミュがドアのわきに下げられている鏡をみて、軽く髪をととえてからドアを開けると、ベロニカが不安げなようすで立っていた。
「どうしたんだ?きのうの夜、セーニャは見つかったんだろ?」
「うん。ちょっと、中に入れてもらっていいかしら」
ベロニカはささっと部屋のなかに入り、いそいでドアを閉じると、テーブルのそばのイスのひとつをベッドのそばまで押し、飛びのった。
カミュがベッドに腰をおろすと、ベロニカは小声で話した。
「ねえ。どうしてセーニャに指輪をわたしたの」
「指輪?指輪ならオレが持ってるが」
カミュはふところをさぐり、指輪がないことに気がついた。
「ああ、そうか。船で、セーニャに貸してほしいって頼まれたんだが、そのままあいつが持ってるのか」
「船で?あたしが寝てるあいだに、なにかあったの?」
「オレにもよくわからないんだが、指輪を渡すなり自分ではめてさ。指輪のヤツが、この者は何もしゃべりたくないようだ、とかなんとか言ってたぞ」
ベロニカは両手で顔を覆い、大きなため息をついた。
「あの子ね、きのうの夜も、指輪をはめていたみたいなのよ。指輪が、話を聞いてくれるんだって、言ってたけど」
「うーん、そいつはちょっと心配だな。オレたちの前でならともかく、ひとりだと何が起こるかわからんからな」
「うん。あとで、セーニャから返してもらっておいてよ」
ふたりが話していると、ドアからふたたびノックの音と、セーニャの声が聞こえた。
「カミュさま、お目覚めになられていますか?ロウさまとマルティナさまがおいでくださいました」
マルティナがベッドに座るカミュたちと向き合うようにイスを用意し、ロウがよっこいしょ、と腰をおろすと、マルティナはその隣にイスを置いてしずかに腰かけた。
「久しぶりじゃな、三人とも元気そうでなによりだ。昨日は姫がずいぶんと世話になったようじゃな」
ロウがそう言うと、マルティナはきまりが悪そうに三人に笑ってみせた。
「きのうはごめんね。久しぶりにあなたたちの顔をみたら、なんだかタガが外れてしまって。でも、いろいろ聞いてもらえたおかげで、なんだかすっきりしたわ」
「いいえ、気にしないでください、マルティナさん。あたしたち、マルティナさんの苦労をわかってなかったわね、って、あのあと話していたんです」
「ありがとう、ベロニカさん。やさしいのね」
ロウはひげをなでながら、目を細めてほほえんだ。
「姫は、わしや城の者たちには話せんことを、いろいろ抱えておったのじゃろう。わしらは良き友を持ったな。さて、用件は姫からおおまかに聞いたぞ。国の名前を、もう一度聞いてもよいかの」
「はい、ニザーナとハスダール、です。エッケハルトさんにも調べてもらってるんですが、おそらく今のサマディー地方、砂漠のどこかにあった国だろう、といってました」
ふうむ、とうなりながら、ロウはしばらく考え込んだ。
「すまんが、わしも覚えがない。じゃが、君たち、デルカダール城にも書庫があることを知っているかね」
ああ、とマルティナが笑った。
「あの、ホコリに埋もれた書庫ですね。武を重んじる国ですから、仕方のないことですけれど」
「うむ。わしは今、姫のお目付け役としてデルカダール城で世話になっているのじゃが、書庫をひととおり調べていたらな、わしにも読めん古い文字で書かれた本がかなりあった。おそらく、だれも寄り付かぬゆえ古くから残されたままになっているのじゃろうな。あまり期待は持てんが、調べてみればなにか手がかりが得られるやもしれんぞ」
「ですが、ロウさま。ロウさまに読めない文字は、きっと、あたしたちにも読めないですよ」
ベロニカがそう言うと、セーニャがふところから指輪をとりだし、手のひらに乗せて皆にみせた。
「お姉さま、指輪さまなら読めるかもしれませんわ。指輪さまが読める文字なら、指輪さまの時代に記された本、ということではありませんか?」
「あっ、そうよね。冴えてるわね、セーニャ」
「ふむ、これが件の指輪か。どのようなものか、わしらにも見せてもらってよいかね?」
セーニャがうなずき、指輪をはめようとしたところで、カミュがセーニャの手を取って引きとめた。
「すまん、ちょっと待ってくれ、セーニャ。ロウさま、マルティナさん、この指輪、オレがはめても何も起こらなかったんですよ。お二人にも試してもらって、いいですか」
「いいわよ。じゃあ、まずは私からね」
マルティナはそう言ってセーニャから指輪をうけとり、ゆっくりと右手の人さし指にはめたが、とくに変わったようすはなかった。
「なんとなく、マルティナさんならと思っていたのだけれど。やっぱり、魔力がある人じゃないと、ダメなのかしら?」
「ということは、ロウさまならいけるんじゃないか?」
マルティナは不思議そうな顔をして、手のひらをくるっとひっくり返した。
「やっぱり、私にはなんの変哲もない指輪にしか見えないわね。次はロウ様に?」
「はい、お願いします」
「わかったわ。それではロウ様、手を出してください。ふふ、せっかくだから左手の薬指にしましょうか」
マルティナに手を取られ、ロウは顔をだらしなくゆるめた。
「ほほ、これはとんだ役得じゃ。まさか姫から指輪を授かる日が来ようとは。指輪のあとは、誓いのくちづけもちょうだいできるのかね」
マルティナがだまって指輪をはめると、ロウは座ったまま、力をなくしてがっくりとうなだれた。
「おお、そういうことか。魔力がないとダメだったんだな」
「ね、あたしの推理、当たってたでしょ」
うれしそうに顔を見合わせるカミュとベロニカを横目に、マルティナは慌てたようすだった。
「ロウ様?ちょっとあなたたち、これってどういうこと?ロウ様、大丈夫ですか?」
マルティナに支えられて、ロウはむくりと顔を起こし、ゆっくりとあたりを見回した。「……なんだ……この者は……何者か……」
「ごめんな、指輪さん。ちょっとした実験なんだよ」
「ごきげんよう、指輪さま。指輪さまには、魔法の力が必要だったのですね」
「……そうだ……指輪に宿した……魔力は……残り少ない……借り受ける必要が……ある……」
カミュたちが話しかける様子をみて、マルティナは呆れて苦笑いした。
「ああ、びっくりした。呪いってこういうことだったのね。しかしあなたたち、慣れているわね……呪いに慣れているって、どうかと思うわ……」
「えへへ。見てのとおり、体を借りてしゃべるだけで、悪意はないみたいです」
「まあ、どんなものなのかはわかったわ。指輪をはずしたら、元に戻るのね?」
「ええ、そうですわ。指輪さま、体をお返しいただいてもよろしいですか?」
セーニャがロウにたずねると、ロウは無表情のまま目をとじた。
「……すまぬ……この者と……少し対話が……したい……通じ合う……ところが……ある……」
ロウの言葉をきいて、カミュたちは怪訝な表情で顔を見合わせたが、やがてカミュが、そうか、とつぶやいた。
「ロウ様、辛い目にあったんだものな」
そう言ってカミュが目くばせすると、ベロニカとセーニャは何かに思い当たったようすで目を伏せた。
「カミュくん、どういうこと?」
「マルティナさん、すいません。なにも聞かずに、ロウ様についててあげてもらえませんか。オレたち、軽い気持ちで気の毒なことをしてしまったみたいです」
「ロウ様は大丈夫なのね?」
「ええ、保証します」
マルティナが心配そうにぶつぶつと何かをつぶやくロウの肩を抱く様子を、カミュたちは苦い顔でただ見守っていた。
長い沈黙がながれ、やがてロウはマルティナにむかって、ありがとう、とつぶやくと、指輪をはずし、がっくりとうなだれた。
「ロウ様?お気をたしかに、ロウ様?」
マルティナの呼びかけに応えるように体を起こしたロウの顔からは、嗚咽と、とめどない涙があふれていた。
「ロウ様、ごめんなさい、あたしたち」
ロウはベロニカの言葉をさえぎるように、嗚咽まじりの声をしぼりだした。
「いいんじゃ、君たちは何も悪くない。だが、少しそっとしておいてくれ。姫もすまぬ、このまま抱いていてはくれんか」
そう言って泣き続けるロウの肩を、マルティナはしっかりと抱き寄せた。
「亡国の民の無念か……立場は違えど、わしも国を亡くした時の、エレノアとアーウィンを失った時の、あの噴き上げるような気持ちを思い出したわい。わしとて決して無念を忘れたことはないが、感情とは風化するものなのじゃな」
落ち着きをとりもどしたロウは、しみじみとそう語った。
「ロウ様、マルティナさんも、本当にすみませんでした。思い出したくないこと、でしたよね」
深々と頭を下げるカミュに、ロウとマルティナはほほえんだ。
「いいんじゃよ。むしろ、思いださせてもらったことを感謝したい。わしらは、無念を新たに世に産まぬため、努力せねばならぬ立場じゃ」
「はい、ロウ様。我ら決して忘れてはなりません」
カミュに続いて、ベロニカとセーニャもなにか言おうとしたが、ロウは片手をあげて静止し、にっこりと笑った。
「いいんじゃ。何も言わなくてよい。だが、わしからも頼む。その指輪の無念、是非とも晴らしてやってくれ」
ロウの言葉を聞いて、ふたりはにこやかに、しかし決然とした調子で言った。
「はい、ロウさま。うまく言えないんですけど……あたしも、不思議とその気持ちを知っている気がするんです」
「私もですわ、ロウさま。お姉さまとおなじで、かけがえのないものを失った気持ち、わかる気がするんです」
「うむ、わしらも助力は惜しまん、助けが必要な時は遠慮なく言ってくれ。さあ、この話はこれで終わりにしよう。実はな、君たちに頼みたいことがあるんじゃよ」
ロウは荷袋の中から手のひらほどの包みを取り出し、カミュに手渡した。
「すまんが、イシの村に立ち寄って、これをわしの孫に渡してはくれんかな?」
「相棒に?これはなんです?」
カミュがたずねると、ロウはいたずらっぽい笑顔をみせた。
「ないしょじゃ。だが、君たちから手渡してほしいのだよ。孫といっしょに包みを開けてくれたまえ」
「わかりました、イシの村ならちょっとした寄り道です、任せてください。それと……すみません、さっそくお願いがあるんですが」
「なにかね?」
「オレたち、クレイモラン城に入れてもらうときに苦労したんですよ。王族でも貴族でもないもんで。おまけに、オレが相棒と出会ったのはデルカダール城の地下牢なわけで……」
ロウとマルティナは顔を見合わせ、大声で笑った。
「もう行ってしまうのね。せっかくだから、何日かゆっくりしていけばいいのに」
ソルティコの町の門の前で、マルティナは寂しそうに言った。
「はい、まだ陽も高いし、ちょっと急げば陽のあるうちに着けそうなんです」
「そうよね、酔っぱらいの愚痴を聞くのはもう、うんざりよね」
マルティナがわざとらしくスネてみせると、カミュたちは笑った。
「ふふ。マルティナさんがあんなにおしゃべりだなんて、あたし、知らなかったです」
「私たちでよろしければ、また、いくらでもおうかがいしますわ」
マルティナは髪をかきあげ、照れくさそうにはにかんだ。
「ありがとう。私も勇者クンと会いたかったな。いつか、四人でそろってお城に来てちょうだいね。話したいことは、いくらでもあるわ」
「はい、必ず。マルティナさんも、いつかクレイモランに来たらオレのこと訪ねてください。それじゃ、また会いましょう」
「あたしたちも、旅を終えたらお手紙をだします。また会いましょうね、マルティナさん」
カミュたちはマルティナと抱擁を交わし、町を後にした。