「うーん、当たり前だが、いないよな」
デルカダール城下町のスラムで、指輪を売っていた人間をさがしていたカミュは、そう言って腕組みをした。
デルカダール城の堀にいつからか形成されたスラムは、ありあわせの材木でこしらえられたあばら家が建ちならび、そこに暮らす者たちが生み出す活気と、風通しの悪さをあらわすよどんだ空気、そして暮らしの中で生み出されるゴミの腐臭や排泄物のにおいに満ちていた。
「まえに来たときより、人がふえてない?においもキツくなってる気がするわ。ここで暮らしている人たちは、慣れきってて気にならないのかしら?」
ベロニカは服の袖で鼻と口をおおいながら、目を細めていた。
「お前の背が低いせいもあるんだろうな。においってのは、低いとこからたまっていくから。無理しないで、上で待っててもいいんだぜ」
「だいじょうぶ。アンタが指輪を買ったひとって、どんなひとだったの?」
「それが、顔をよく覚えてないんだよな。女だったのはたしかだが」
ベロニカは、口元をおおったまま肩をすくめる身ぶりで呆れたことをしめした。
「でも、見たらすぐわかるぜ。左腕がなかったんだ」
「私も目を配っておりましたが、そのような方はお見かけしませんでしたわ。目立つはずですのに」
「昨日今日の話じゃないし、どっか別の町に行っちまったのかもな」
「いないものはしかたないわ。上にもどって、お城にいきましょ」
三人がスラムから城下町へもどろうと歩きだすと、だれかがカミュの服のすそをひっぱった。
「ん、なんだベロニカ」
カミュが後ろをふりむくと、口元をおさえるベロニカのとなりで、ベロニカと同じほどの背丈の子どもがカミュのすそをつかんでいた。
すっかり体に合わなくなってしまった服をきゅうくつそうに着た少年は、カミュの顔をじっと見つめていた。
「どうしたんだ、坊主」
カミュは少年の前でかがみ、視線をあわせて話した。
「お兄ちゃんたち、上から来たひとでしょ。なにか、食べ物をわけて」
「なんだ、腹減ってんのか?たいしたもんは持ってないが、待ってろ」
カミュは荷袋からわずかにのこった堅焼きのパンと干しイチジクを取り出し、少年の手に乗せてやった。
「お兄ちゃん、ありがとう」
「いいって。お前もいつか、だれかが腹を減らしてたら、食いものを分けてやるんだぞ」
カミュがそういって少年の頭をぽんとたたくと、少年はどこかへ駆けていった。
少年の背を見送るカミュのすがたを見て、ベロニカはきまりが悪そうに口をひらいた。
「アンタって、やけに面倒見がいいのよね。気が利くっていうか。あたし、そういうことをうまくできないわ」
カミュは立ちあがって振り向くと、首を横にふった。
「今のはそんなんじゃないんだ。もしかしたら、あの坊主はオレだったかもしれない、って思ってな」
「え?どういうこと?」
「オレだって孤児だったんだぜ。もし、オレがこの場所で生まれていたら、きっと同じようにだれかに食いものをねだって暮らしてただろ。上の城下町の人間と、ここで暮らしてる人間、いったいなにが違うんだろうな。少なくとも、オレにはここにいる連中がなまけものの集まりには見えないぜ」
ベロニカとセーニャがだまってカミュの顔を見つめると、カミュはふたたび首をふった。
「いや、いまのは忘れてくれ。さて、城に行くとしようぜ」
カミュたちは下層のスラムから城下町へ上り、にぎやかな目抜き通りをぬけて城門の前へとたどり着いた。
ロトゼタシアの地でもっとも巨大な城塞であるデルカダール城の威容は、スラムから来たばかりの三人の目にはより厳めしいものにみえた。
城へと近づくと、城門を固める衛兵たちが目に入り、三人が足を止めると、セーニャが緊張したようすで口をひらいた。
「あの、今回も私が?」
「いや、ロウ様に手紙を書いてもらっただろ。こいつがあれば、オレたちでもすんなりと入れてくれるだろう」
カミュがそう告げると、セーニャはほっと胸をなでおろした。
三人が衛兵の見える位置まで歩みよると、衛兵のひとりがそこで止まれ、と大声でさけび、三人のそばへゆっくりと近寄ってきた。
「諸君ら、城になにか用事かね?」
「ええ、ここに手紙があるんです。これをグレイグさんに渡してもらえませんか」
「グレイグ様に?改めさせてもらってもよいかね」
カミュが手紙をてわたすと、衛兵は封筒を念入りにしらべはじめた。
「ロウ様と……なんと、マルティナ姫からだと?ふむ、封蝋があるので、中は読まないほうがよかろうな。すぐにグレイグ様に届けてくるゆえ、諸君らはそこで待っていたまえ」
そういって衛兵がどこかへ駆けだしていくと、ベロニカはカミュにひそひそとしゃべった。
「お手紙は、グレイグさんに通してもらえってことだったのね。あたし、グレイグさんとはあんまり話したことないのよ」
「オレなんて、相棒といっしょに命を狙われてたこともあるんだぜ。まあ、見かけほど怖い人じゃないよ」
「あはは。それはなんとなくわかったわ。シルビアさんと、よくおしゃべりしてたわよね。セーニャはなにか話したことある?」
「いえ、私もあまり。グレイグさまのほうも、私とは何を話したらよいのか、おわかりにならないようでしたわ……」
三人が話していると、衛兵が息を切らせながら戻ってきて、敬礼をした。
「お客人、失礼した。グレイグ様はただいま教練中ゆえ、練兵場へとお連れするように、とのことだ。どうぞこちらへ」
衛兵に連れられて城の廊下をなんどか曲がると、ふたたび空がみえ、巻き藁でつくられた人形や的のそばで、十余人の兵士たちがかけ声を出しながら剣を振るっていた。
案内していた衛兵がグレイグに駆け寄ってなにかを伝えると、グレイグはカミュたちに向かってほほえみ、兵士たちのほうを向きなおって大きな声で号令を飛ばした。
「よーし、そこまで。よいか、剣の基本は一に体力、二に体力だ。技も大事だが、すべてはそれを振るう体躯の強さがあったればこそ。私は所用があって外させてもらうが、各自鍛錬にはげむように」
兵士たちが、はい、と声をそろえて返事をして、ばらばらに散っていくようすをたしかめたグレイグは、三人の前で右手を差しだした。
「久々だな、よく来てくれた。ロウ様よりの手紙には、書庫を調べる手助けをされたしとあるが、いったいどういった用事なのだ?」
カミュたちは順番にグレイグと握手をかわし、すこし緊張した調子で答えた。
「グレイグさん、お忙しいところ、すみません。話すとちょっと長くなるんですが」
「おお、すまぬ。立ち話ではいかんな、客人には席を設けねば。少し待たれよ」
グレイグはそういって兵の一人を呼び、カミュたちを城の一室へと案内させた。
「ふむ、姫様の心労に気がいたらぬとは。俺は、つくづく読みの浅い男だな」
カミュたちからひととおり旅のいきさつを聞くと、グレイグはそう言って目を閉じ、腕組みをした。
「オレにも、立場の上での苦労なんて、よくわかんないです。でも、マルティナさんにはロウ様がついてますから」
「そうそう。あの二人は、もうほとんど親子みたいなものでしょう?あ、この焼き菓子、食べてもいいですか?」
「ああ、構わん。好きなだけ食べてくれ、持ち帰ってくれてもいい」
ベロニカが皿に盛られたナッツの入ったビスケットを手にとってかじりだすと、グレイグは音をたてて紅茶をすすった。
「それにしても、亡国の跡を探すとは、なんとも胸の痛む話だな。アーウィン様のことは覚えているか?」
「はい。ユグノア城の跡で、苦しんでいらっしゃいましたね。なんとかお救いできて、本当に良かったですわ」
「うむ。死して強い未練を残すと、あのように浮かばれないのだな。しかし、アーウィン様はご子息の無事をみて召されたようだが、その指輪とやらの場合、果たしてどうなるものか」
グレイグの言葉をきいて、セーニャは目を落とした。
「そうですわね……どうなるかはわかりませんけれど、せめて私たちに出来ることは、やってみようと思っています」
「そうか。俺には理解の及ばぬことだが、殊勝な行いであると思う。俺もな……」
グレイグはなにかを言いかけてすこし考えこみ、ためらいながら切り出した。
「ホメロスのことを覚えているか?」
「大樹様のところで、あたしたちに襲いかかってきた人ですか?」
「ああ。奴と俺は、子供のころから無二の親友だったのだが。今となっては逆賊扱い、語ることはおろか、墓も立ててやれんのだ」
無念そうに語るグレイグの様子をみて、カミュたちはうつむいた。
「奴がどうして道を踏み外したのか、もはや知るすべもないが、いまでも翻心に気づけなかった自分を責めているよ。俺になにか止められたことはないのか、なにか聞いてやれることはなかったのか、と」
グレイグはそう言って目を伏せ、部屋にしばらく沈黙がながれた。
「私たちにははかり知ることのできない事情ですが……グレイグさまのそのお気持ちがあれば、ホメロスさまもきっと浮かばれると思いますわ」
「ああ、そうであるように祈っているよ。すまんな、君たちにとっては命を狙われた敵の話だ。もっとも、俺もそうだが。もし、俺が君たちにした所業を許してくれるのなら、奴のことも許してやってはくれまいか」
グレイグがそういって深々と頭を下げると、カミュたちはあわてて立ちあがった。
「やめてください、グレイグさん。もう過ぎたことですから、オレたち気にしてないです」
「そうですわ、グレイグさま。私たち、恨んでなどいません」
「グレイグさんが王様、いえ、ウルノーガにだまされていたように、ホメロスさんもきっとなにか事情があったんだって、あたし、思ってます」
グレイグはゆっくりと頭を上げ、つぶやくように、ありがとう、と言った。
「……さて、個人的な話などしてしまって、すまなかったな。書庫に案内するよ」
グレイグはそういって立ちあがると、すっかり空になった皿に気がついて、ベロニカにほほえんだ。
「菓子が気に入ったか?ほら、俺の分も持っていくがいい。あとで書庫にも茶を届けさせよう」
グレイグはカミュたちの前に立って広大なデルカダール城の廊下を歩き、一角のつきあたりにあるドアを、ぎいぎいときしませながら開けた。
「鍵などはかかっていないから、好きに出入りしてもらって構わない。ここはホコリっぽくてかなわんな、窓をあけるか」
グレイグは片手で口をふさいで部屋の奥へと入り、窓をあけると、吹き込んだ風があちこちでホコリを舞い上げた。
広い書庫に並ぶ無数の本棚たちは、だれも触れないことに抗議をしめすかのように大量のホコリを積もらせ、床と山積みにされた本も同様の主張をあらわしていた。
「ううむ、近ごろは立ち入るものが増えたはずなのだが、だれも掃除をせんのか、まったく。すまんな君たち、汚いところで」
「いえ、いいんです。しかし、ずいぶん広いとこですね」
「ああ。書庫はもうひと部屋あるのだが、古い本はこちらの部屋にまとまっているはずだ。悪いが、俺は兵たちに稽古をつけに戻らねばならん、なにか困ったことがあれば、城の者を呼んでくれ」
カミュたちがお礼をいうと、グレイグは片手をあげてあいさつをし、部屋を出ていった。
「さてと、思ったより大変そうだな。とりあえずは、オレたちが読めない文字の本を探していけばいいのか?」
「うん、地道にやっていくとしましょ。あたしじゃ上のほうは見えないから、アンタとセーニャで頼むわね」
「わかった。なあ、ちょっと気になることがあるんだが」
カミュが床をじっと見つめながらそう言うと、ベロニカとセーニャはそばに寄って、同じように床を見つめた。
「あら?ここだけあしあとがいっぱいあるわね、奥に続いてるみたい」
三人があしあとをたどって部屋の奥に進むと、つきあたりの本棚の周りだけ、床のホコリがすっかりなくなっていた。
「いちばん下の段のここだけ、きれいになってるわね。なにか、人気の本でもあるのかしら?」
「そうみたいだな。お、ここらへんの本だけ、ホコリが全然ついてないぞ。なになに、『子供の遊び図鑑』『家庭の薬草学』『歴王による詩篇集』……なんでこんな本が?」
「この『竪琴のための独奏曲』という本、気になりますわ」
セーニャがそういって本棚から一冊をとりだそうとすると、中から数冊の小冊子がばらばらと飛びだし、床に散らばった。
「ん、なんだ?……ああ、そういうことか」
カミュはそう言うと、片手で顔をおおって大笑いした。
「えっちなほんがいっぱい……あー……まったく、男って、どうしてこうなのかしら」
「これって、ネルセン様にもらったやつだろ?ロウ様のしわざだな」
カミュがそう言って一冊をとりあげ、ぱらぱらとめくりはじめると、ベロニカは何かを思いつき、いじわるっぽくカミュをからかった。
「ふーん、アンタ、ちゃんと覚えてんだ。いっつもすました顔してるクセに、みんなとおんなじね」
「そりゃあ、オレだって男だからな。なにか悪いのか?」
堂々と開き直るカミュにベロニカはたじろいだが、すぐに不機嫌そうな顔をしてカミュのすねを蹴飛ばした。
「痛ってえ!なんだよ、なんで怒るんだよ?」
「うっさいわね!遊んでないで本を探すわよ!」
ベロニカはそう叫ぶと後ろを向いて歩き去り、セーニャはカミュの顔をみておかしそうに笑った。
三人があちこちの本棚を探すうち、ときおりドアが開いては兵士たちが顔を出したが、カミュたちの姿をみるや、皆あわてて退散していった。
「とりあえずは、こんなものかしら?ここの本棚も本がバラバラにならんでて、どこにまぎれてるか、全然わかんないわね」
ベロニカはそう言ってスツールの上に本を積みあげた。
「ああ、どこまで探したか、覚えとく必要があるな。そんじゃ、指輪さんにたしかめてもらうか。どっちがやる?」
セーニャが私がやります、と答え、本の山のそばにもうひとつスツールを置いて座った。
カミュとベロニカがそっと背中を支えると、セーニャはゆっくりと指輪をはめ、うつむいた。
「……うむ……事情は……理解した……確かめて……みよう……」
セーニャはそう言うと、ふたりが見守るなか、一冊づつ本をたしかめ始めた。
「……この文字は……我々にも……わからぬ……この本もだ……」
「うーん。どれもあたしたちにはわかんない文字だけど、全部ばらばらの文字だもんね」
セーニャはゆっくりと本の山をくずし、数冊目の本の表紙をじっとみつめた。
「……『プレミュト』……これは……我々の……文字だ……」
「お、当たりか?何が書いてあるんだ?」
セーニャが重々しい手つきでページを繰るようすを、ふたりはかたずを飲んで見守った。
「……これは……叙事詩……ある英雄の……物語だ……おそらく……事実では……ない……」
「うーん、そうよね。古い本だからって、歴史の本とは限らないわね」
「でも、これと同じ文字の本を探せばいいってことは、わかったな。指輪さん、残りの本はどうだい?」
セーニャは残りの数冊もたしかめたが、歴史について書かれたものはなく、最後の一冊を調べおえると、だまって首をふった。
「……残念だ……だが……感謝する……」
「いいって。調べてない本棚は、まだいっぱいあるんだ。あとでまた頼むぜ」
カミュがそう言うと、セーニャは指輪に手をかけ、はずす間際にうっすらと笑みを浮かべたように見えた。
指輪をはずしてうなだれたセーニャはすぐに顔をあげ、両手で軽く顔をたたき、口をひらいた。
「残念でしたけど、すこし手がかりが得られましたわね。また、探しましょう」
陽がすっかりかたむきはじめ、書庫の中もうす暗くなってきたころ、ドアからノックの音が聞こえ、すぐにグレイグが入ってきた。
「どうだ、陽も暮れてきたが、なにか見つかったか?」
カミュたちはすっかり疲れた顔でグレイグの前に集まると、ベロニカはくたびれた笑顔でグレイグをからかった。
「グレイグさん。あたしたち、見つけちゃいましたよ。えっちなほんの山を」
グレイグは、片手で顔をおおって苦笑いした。
「ははは。あれは、ロウ様の計らいなんだが、いつの間にやら城の者に広まって、おまけに本がどんどん増えていってしまってな……まあ、見なかったことにしてはくれんか」
「いいんですって、グレイグさん。でも、オレたちがここにいるのを見て、兵隊さんたちがみんな困ってるようでした」
そういってグレイグと笑い合うカミュを見て、ベロニカはおおげさに呆れてみせた。
「まったく、バカなんだから、もう。そんなことは置いといて、今からまた、指輪に見てもらうところです」
ベロニカはそう言って、片手で本の山をしめした。
「ふうむ、それで全てか?ずいぶん集めたものだな」
「はい。見落としがなければ、ほかに同じ文字の本はなかったと思いますわ」
セーニャはそう言ってスツールに腰かけ、カミュとベロニカが背中をささえるのを見て、指輪をはめ、すぐにうなだれた。
セーニャは顔を起こすと、ゆっくりとあたりを見回し、グレイグをたしかめた。
「……貴兄は……おそらく……武人と……見受けるが……」
セーニャに問われたグレイグは、片手でこぶしを作って背筋をのばし、胸をたたいて敬礼した。
「はい。某は、当デルカダール城にて将を務める、グレイグと申す者です」
「……お目にかかり……光栄だ……だが……貴兄のような……者が……まだ必要な……世で……あるのだな……」
グレイグはセーニャの言葉を聞いて、寂しげな表情を浮かべた。
「残念ながら。ですが、我らのような者が剣を打ち棄てられる世のため、尽力しております」
「……すまぬ……余計な……話をした……助力に……感謝する……」
セーニャはそう言うとゆっくりと本の山へと目をおとし、ふたたび一冊づつ確認しはじめた。
「……『アラミヤ』……これも……英雄譚だ……『天文』……これも違う……」
カミュたちがじっと見つめる中、セーニャは数冊目の本をゆっくりとめくりはじめた。
「……『スーシャナ』……はは……おそらく……この者は……目にしたく……ないであろう……」
セーニャは乾いた笑い声を発し、カミュに本を差しだした。
「ん、なんだ……ははは、まったく、人ってやつは変わらないもんだ」
「どういうこと?なにが書いてあるの?」
カミュが手わたされた本を開いてベロニカに見せると、ベロニカはだまって後ろを向き、じだんだを踏んだ。
「どうしたのだ?ああ……はは、春画というものは、古来より変わらず存在するのだな。例の場所に収めておくとしよう」
カミュから本をうけとるグレイグを、ベロニカは思い切りにらみつけた。
「はぁ……もうなにかを言う気もおこらないわ。勝手にして。で、指輪さん、見つかった?」
「……『本草』……これも違う……『歴史』……ふむ……」
セーニャは重々しい手つきで、だまったまま次々とページをめくると、やがて手が止まり、一節を読みあげはじめた。
「……かつて……大河の……流域には……多くの国が……存在した……タプアハ……シェマル……ニザーナ……」
カミュたちが静かに見守るなか、セーニャはふるえる声で続けた。
「……数々の小国を……ハスダールは……平定し……版図を広げ……繁栄した……しかし……」
読みあげるセーニャの手はふるえだし、絞りだすように言葉をつづけた。
「……やがて……大河は枯れ……すべては……砂に還った……民は方々へ散り……伝承は……」
すっかり押し黙り、うつむくセーニャの肩を、カミュがぽんぽんと叩いた。
「どの国も、すでに地上にないのはわかっていたことだ。辛いだろうが、場所についての手がかりを探せるかい」
セーニャはだまってうなずき、ふたたびページを繰ると、ある一節に目を止めた。
「……かつて在りし……ニザーナ……その領の……大河が海へ……注ぐ地に……ハスダールの……王は……海を臨むよう……石碑を……打ち立てた……」
セーニャは続けてページをめくったが、やがて手を止め、目を閉じて言った。
「……我ら……故国の……記述は……それで……終わりだ……」
「そうか……ご苦労さん。あとはオレたちに任せてくれ」
カミュがそう言うと、セーニャは黙って指輪をはずし、うつむいた。
「セーニャ、だいじょうぶ?」
ベロニカが心配そうにセーニャの顔をのぞき込むと、セーニャは黙ったまま、ベロニカを両手で抱きしめた。
グレイグがすっかり陽の落ちきって暗くなった書庫からの退出をうながすまで、四人は一言も話さなかった。