「なんだかオレたち、その指輪に良い旅をさせてもらったのかな」
サマディー王国の宿の一角のうすぐらいテーブルで、カミュはつぶやいた。
ベロニカとセーニャがなにか答えかけたが、食事をもってきた宿の主をみて、口を閉じた。
「サーカスはどうだったかね?シルビアは見られたかい?」
「ええ、最高でした。あたしたち、前にも見たことがあるんですけど、今日はずっとよかったです」
宿の主は、そうかい、と言ってほほえみ、テーブルに皿を並べた。
「ちょっと辛いけれど、手づかみでやっとくれ。こっちの薄いパンで挟んで食べるんだ」
「ありがとうございます、いただきますわ」
三人は食前のお祈りをすませると、テーブルに置かれたひき肉と見なれない野菜の炒め物を、黙々と口に運んだ。
「辛い……んだけど、ハチミツが入ってる?甘いのか辛いのか、よくわからないわね。うん、おいしい。セーニャは、辛いの大丈夫だっけ?」
「得意ではないですけれど、これはおいしいですね。おもしろい味ですわ」
「オレ、何食ってもウマいんだよな。味の好き嫌いってやつがよくわからんよ、舌がニブいのかな」
三人はそう言って笑いあったが、その後はだまったまま食事を終え、やがてカミュがかるく息をついて、つぶやいた。
「なんか、寂しいな」
「うん」
「正直に打ち明けると、オレ、指輪をダシにして、旅を楽しんじまった。すまんな、指輪さん」
「あはは。あたしも、正直に言うと、半分はそうだわ。セーニャは?」
セーニャは首をかしげてすこし考えこむと、ゆっくりと話した。
「楽しかったことがはんぶん、辛かったことがはんぶん、はんぶんはんぶんですわ。あんな旅をしたあとですのに、わかったこと、学んだこと、知らなかったこと……そういったものが、たくさんありました」
「うん。あたしたち、自分でもびっくりするくらい、ものを知らなかったのね。まだ終わったわけじゃないけれど、いい旅だったと思うわ」
ベロニカとセーニャは、そう言ってみつめあい、うなずいた。
「オレだってそうだ。みんなのこと、わかってるようでわかってなかったんだな」
「うん。アンタも含めて、みんな色んなことを抱えながら、生きているのね」
三人はふたたび黙りこむと、やがてカミュがははっ、とわざとらしく笑った。
「すまん。こんな話はもうやめよう。せっかくシルビアさんに元気づけてもらったのにな。今日はもう休むとしようぜ」
カミュたちは宿の階段をのぼり、おやすみ、と言ってそれぞれの部屋へと入っていった。
「セーニャ、油のお皿をとってちょうだい」
自分たちの部屋に戻り、ベロニカがそう言うと、セーニャは窓からかろうじてさしこむ月明りでテーブルの小皿を見つけ、かがみこんでベロニカに手渡した。
ベロニカが指先から小さな火をぽっと出して灯心にともすと、セーニャはベッドのわきのテーブルにそっと置いた。
セーニャがベッドにそっと腰をかけ、ベロニカがベッドに登るのを手伝うと、ベロニカは赤いずきんを脱ぎ、セーニャの横にすわった。
「炎の魔法、便利ですよね。私もできればよかったのに」
「なんども言ったでしょ?資質っていうのかしら、人によって、できる魔法とできない魔法があるのよね。あれだけの魔力をもったロウ様でも、炎の魔法はできないみたいだったし」
そう言うと、ベロニカはにこっと笑った。
「でも、ずっと見てたから知ってるわよね。あたしだって、コレ、苦労したのよ。ちっちゃく火を出すのって、おっきく出すのと同じくらい、むずかしいのよ」
「ふふ。お姉さま、いろんなものを焦がしていましたね。前髪を焦がして、泣いていたこともありましたっけ」
セーニャが笑うと、ベロニカは、歯を見せて苦笑いした。
「そうだったわ。だけど、失敗するたび、セーニャに治してもらっていたわね。あたしだって、セーニャの癒しの魔法、うらやましく思っているのよ。それに、この体になって、セーニャに頼ること、増えちゃったわよね。ベッドにもひとりでのぼれないの」
「私は、お姉さまに頼られることが増えて、うれしく思っていますわ」
セーニャがそう言うと、ベロニカはうつむき、すこし考えこんでからぽつりと言った。
「ねえ、セーニャ」
「なんでしょう?」
「たとえばのはなしだから、落ち着いてきいてね。たとえばのはなしよ」
セーニャが不思議そうな顔でうなずくのを見て、ベロニカはつづけた。
「たとえば……ごめん、やっぱりやめるわ。なんでもない」
「お姉さま?」
「いいの。忘れて」
ベロニカはベッドの上をもぞもぞとたどり、枕にばふんと頭を落とした。
「ねえ、セーニャ」
「はい……」
「あの旅でさ、大樹様をのぼる途中でキャンプしたとき、アンタと話したこと、まだ覚えてる?」
セーニャはベロニカのとなりに背を向けて横になると、いじわるっぽく言った。
「お姉さまは、忘れてほしいのですか?」
「そうじゃないの。あやまろうと思って」
「……」
「あたし、うれしかったわ。でも、あたし、セーニャみたいに、素直になれないの。だから、アンタのこと、グズだからなんて言って、ごまかしちゃった」
「……」
「セーニャ、ごめんね。今は……あのときのセーニャの言葉、そのままあなたに言いたいわ。覚えてる?」
「芽吹くときも、散るときも……」
「芽吹くときも、散るときも……」
ふたりの声がうつくしく重なり、ふたりはそこで口を閉ざした。
どちらのものか、あるいはふたりのものなのか、どちらともつかないすすり泣く声が部屋にしずかに響いた。
「セーニャは知っていましたよ。でも……いえ。おやすみなさい、お姉さま」
セーニャがゆっくりとそう言うと、ベロニカはおやすみ、と小さな声で答えた。
「水はたくさん持っているな?磁石は?」
翌朝、サマディー王国を出たカミュたちは、関所の衛兵に引きとめられていた。
「ここにあります。地図も」
「よし。オアシスの場所に印をつけておく、こことここと、ここだ。もし野営をするハメになったら、陽があるうちに急いで向かうんだぞ。夜具はもっているか?」
「はい。ちゃんと毛布をもってます」
ベロニカがくるっと回って、衛兵に背中の荷袋を見せると、衛兵はうなずいた。
「うむ。砂漠の夜は冷えるからな。万が一方向を見失ってしまったら、まっすぐ南に向かえば、ここから続く岩山が見えてくるはずだ。左手でつたって進めば、ここに戻ってこられるからな」
衛兵の忠告を聞いて、カミュたちがだまってうなずくと、衛兵は念を押すように続けた。
「口うるさくてすまんが、ここに関所がある理由を理解してほしい。軽い気持ちで入り込んで、戻ってこなかった者を私は何人も見てきた。どんな用事があるのか知らないが、くれぐれも慎重にな」
「はい、ありがとうございます。それでは、行ってきます」
衛兵がゆっくりと扉をひらくと、向こうには一面の砂の海がまぶしく輝いていた。
カミュたちが一歩を踏みだすと、照りつける日差しと、ゆるく流れる熱風が、砂漠の厳しさを教えていた。
「ねえ、カミュ、アンタ砂漠の進みかた、知ってるの?」
「あんまり自信はねえが、まあ、なんとかなるだろ。とりあえず、あの輪っかの遺跡を探せばいいんだろ?」
カミュがそう言うと、ベロニカは足元の砂をばんばんとふみつけた。
「ここで干からびて、砂漠の砂になっちゃうなんて、ゴメンだわよ」
カミュは不安そうなベロニカのかたわらにかがみこみ、地図をみせた。
「いいか、いまオレたちがいるのはここな。輪っかの遺跡はここ。右手にそって岩山を進んで、ここのオアシスからまっすぐ北に向かえば、西に遺跡がみえるはずだ」
カミュが地図を指さして説明すると、ベロニカは片手でずきんを深くおろして言った。
「ごめん。アンタがそういうなら、大丈夫よね」
カミュが不思議そうな顔をして立ちあがり、セーニャを見ると、セーニャはにっこりとほほえんだ。
三人はひたすら砂漠を歩き続け、オアシスで太陽のてっぺんをやりすごすと、勇者の星を観測していた遺跡のわきを通りすぎ、海が見える場所にたどりついた。
あたりは砂の海からまばらに岩が顔を出しているだけで、大きな石碑などは見当たらなかった。
「場所はここで合ってると思うが、なにか探すのは骨が折れそうだな。もしかしたら、すっかり砂に埋もれちまってるかもしれないし」
「うん。でも、ここまで来たんだから、やるしかないわ」
「はい。手分けをして探しましょう」
カミュたちは太陽の照りつける砂漠の岩をひとつひとつたしかめ、砂を払ってみたが、石碑らしきものを見つけることはできなかった。
やがて陽がゆっくりと傾きはじめ、三人が諦めかけたころ、南のほうを探していたカミュが、大声でベロニカとセーニャに呼びかけた。
「なあ、来てくれ。なにか刻んであるものを見つけたんだ」
砂に沈む明らかに人が削った岩のまわりを、三人が息を切らしながら掘り起こすと、平らに刻まれた石碑らしきものと、きざまれた文章が浮かび上がった。
「この文字、見おぼえあるよな。デルカダールの書庫で見たやつだ」
「まちがいないわ。指輪さんに読んでもらいましょう」
ふたりがセーニャを見ると、セーニャは決然とうなずき、ふたりが背を支えることをたしかめてから、ゆっくりと指輪をはめた。
うなだれたセーニャは、すぐに顔を起こすと、ゆっくりとあたりを見回した。
「……ここは……」
「あんたたちの故郷、があった場所らしいぜ。見覚えあるか?」
「……いや……わからぬ……だが……懐かしい……」
「指輪さん、ここに石碑を見つけたのよ。読めるかしら?」
セーニャは石碑の正面へと進み、ゆっくりと読みあげた。
「……我……大陸を……統べし……ハスダール王……なり……永久に続く……我が栄光……ここに刻む……踏み砕かれ……砂塵と……なりても……讃え……慄け……」
セーニャは碑文を読み終えると、やがて乾いた笑い声をあげた。
「……はは……我らの……血を吸い……築いた……王国も……いまや……はは……ははは……」
カミュとベロニカはただ立ちつくし、空が赤く染まりはじめた砂漠には、風の音と、セーニャの慟哭だけが響いていた。
「……ありがとう……若者たちよ……」
セーニャが重々しくそう言うと、カミュは苦々しい顔でこたえた。
「いや、すまねえ。もうちょっと、なにか痕跡が残ってると思ってたんだが。まさか、敵さんが作ったこの石碑だけとはな」
「……良いのだ……諸君には……感謝しても……しきれぬ……」
カミュとベロニカは、だまって顔を見合わせ、うつむいた。
「……最後に……ひとつ……頼みがある……」
「なんですか?」
「……指輪を……砕き……祖国の砂と……しては……もらえまいか……」
ふたりはだまって考え込み、うなずいた。
「……わかりました。じゃあ、これでお別れですね」
「……ああ……諸君らの……未来……我らと……同じ道……辿らぬよう……祈っている……ぞ……」
「ありがとう、指輪さん……どうか、やすらかに眠ってくださいね」
ふたりの言葉を聞いて、セーニャはかすかにほほえむと、深々と頭をさげ、指輪をはずした。
カミュたちがだまってセーニャを抱きかかえると、セーニャはいそいで指輪を拾いあげた。
「お姉さま、ごめんなさい」
「え?」
セーニャは強引にベロニカの手をとり、指輪をはめると、ベロニカは力を失い、その場にぺたんとへたりこんだ。
「おい、なにしてんだ、セーニャ!?」
セーニャはカミュを無視して、ベロニカを強く抱きしめた。
「……なんだ……どうしたのだ……」
「ダメです」
「……」
「ダメです!」
セーニャはベロニカを抱きしめたまま、涙まじりに叫んだ。
「指輪さまの無念、ちっとも晴れていないじゃないですか!私にはわかります!」
「……だが……」
「探しましょう」
「……」
「あなたたちだって、生きていたかったんでしょう?生きていたかったから、指輪に宿ってまで、こうして」
「……」
セーニャは声をあげて泣き出した。
「探しましょう。いっしょに、どんな形でも生きていてよかったと思えるなにかを」
「……」
「私がかならず探します。探してみせます。あなたたちの命に、意味があったと思える何かを」
「……」
「ですから、お願いです……指輪さま……私のことだって……励ましてくださったじゃないですか……」
セーニャがベロニカを抱いたまま泣き崩れると、カミュも横から、ふたりを強く抱きしめた。
「なあ、こうまで言ってくれる人なんて、いないぜ。指輪さん、オレがアンタの気持ち、わかるって言ったらウソになるが……こんな人たちがいるんだ。オレだって協力する。いいだろ?」
ベロニカは、力なく伸ばしていた腕を上げ、ふたりを抱きしめた。
「……ありがとう……」
ぽつりとそう言って、ベロニカはふたつの大きな瞳から涙を流し、やがて力を失った。
ベロニカはすぐに力をとりもどしたが、三人は強く抱き合ったまま、いつまでも声をあげ、泣きつづけた。