二つのガンダールヴ、一人は隷属を願い、一人は自由を愛した   作:裸足の王者

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エピローグ

二つのガンダールヴ一人は隷属を願い、一人は自由を愛した

 

 

 エピローグ

 

 

トリスタニアは白の国アルビオン、空に浮かぶ白の国

内戦が勃発し、国が割れ、王党派と貴族派とに別れた戦いは比較的短時間で終わりを告げた

 

また、横槍を入れてきたトリステインの敗戦

 

そして、ここでもう一つの小さくて巨大な闘いも、ここで終焉を迎えようとしていた。

 

 

 

 

主を守る盾となる。

 

 

 

 

ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔、平賀 才人

伝説の虚無の使い魔ガンダールヴ

1名で1000の軍勢に匹敵すると言われたその力も、7万という数の前には無力であった。

 

 

否、無力ではなかった。

才人の活躍のため、アルビオン軍7万の前線は崩壊し、混乱し、同士討ちまでさせられる羽目になった。

そして、あと1歩、いや半歩踏み込めば敵軍司令官の首をとれたかもしれない

 

 

しかし、どこの世界にも「かもしれない」は存在せず、そこにある結果が現実なのである。

戦場から少し離れた森の中で、野太い男の声が響く

 

「おい!相棒!起きろよ!目を覚ませよ!」

 

平賀才人に意識はすでになく、魂の残り火がかすみゆくように消えていく

手に張り付くほどに握りしめられていた柄がゆっくりと手のひらから離れ、こつりと音をたてて地に落ちた。

 

「ちぇっ、もう聞こえてねぇか…、俺ぁ寂しいぜ相棒。」

 

トリステイン軍撤退の殿を任された主を助け、その身代わりとなった語られることのなき英雄

平賀才人のすべてをかけた闘いは、ここで幕を閉じたかに見えた

だが、虚無は運命をすら捻じ曲げる。

 

 

 

■■■

 

 

 

東京都某所某マンション

 

 

「うわああああああああああっ!」

 

 

布団を跳ね上げて飛び起きた少年は、年に似合わぬ鋭い眼光であたりを見回し

続いてその目は、理解しがたいという色を浮かべて大きく揺れる

事態を把握しようとするものの、広がるのは混乱ばかりであった。

 

 

ふと目にとまったアニメキャラクターのカレンダー

机の上に置かれた幼稚園用の黄色いバッグ

名札には《あじさい組 ひらが さいと》とマジックでかかれている。

 

 

玉のように浮いた脂汗をぬぐった才人は、自分の手を見てさらにその混乱を深めた

剣だこで硬くなり、節くれ立った戦士の手ではなく

ぷにぷにとした柔らかい子供の手だったからだ。

 

 

事態の変化に思考が付いて行かず、ノイズ混じりの空白が頭を埋める

徐々にではあるが、落ち着きを取り戻し始めた才人の耳が、近づいてくる足音を聞きつけた

 

瞬時にその目は戦士のものに置き換わるものの、またすぐにその色は消えうせる

なぜなら、近づいてくる足音は、どう聞いても何も訓練されていない人間が、ただ、どたどたと慌てて走る音だったからだ

 

 

「才人!」

 

 

息せき切って扉を開けて入ってきたのは、見間違えようもない、才人の母親であった。

だが、ずいぶんと若く見える。

 

 

「かあさん!?」

 

 

その言葉に母親は柔らかな笑みを浮かべ、口を開いた

 

「そうよ、大丈夫?気分はどう?幼稚園の発表会で倒れたって聞いて、慌てて迎えにいったのよ」

 

 

母親は 熱はないみたいね とつぶやきながら才人の額に手を当てる。

そのぬくもりと柔らかさに、ひどく懐かしい感じを覚え、才人は思わず目頭が熱くなった。

 

 

「ありがとう、もう大丈夫だよ、かあさん」

 

 

その"大きな"手に両手でそっと触れると、邪魔に感じたと勘違いしたのか

母親はゆっくりと手をどけながら才人に語りかける

 

「さて、今晩のご飯はなににしましょ、才人の元気がでるメニューがいいわね、何が食べたい?おうどん?スパゲティー?それとも、ハンバーグやステーキがいいかしら」

 

 

だが、帰ってきた言葉は母親にとっては意外だった

 

 

「俺、かあさんの味噌汁が飲みたい、あとばあちゃんのお漬物も、でも、てりやきバーガーもいいな」

 

 

母親は目をぱちくりさせたが、すぐにやさしい微笑みを浮かべる。

 

「意外な取り合わせね、誰に似たのかしら、じゃあお父さんが帰ってきたら、みんなで一緒に食べましょ」

 

スリッパの音をパタパタさせながら母親が退室すると

才人はベッドを抜け出し、状況の把握に努める

 

カレンダーの日付は12年前のもの、幼稚園のバッグも、気の早い祖父が買ってくれた、戦隊もののプリントがされた学習机も

何もかも見覚えがあり、手で触れると、確かにそこに存在していた。

 

 

敵の幻術で惑わされているのだろうか

ナンセンス、自分はすでに瀕死だった。

惑わして捕獲し、利用する価値もない。

 

 

トリステインで過ごしたあの日々が夢の世界での出来事だったのか

ナンセンス、あれは確かに現実だった

ルイズの笑顔、ルイズの声、柔らかなルイズの手のひら、絹糸のような髪の毛、優しい香り、そして鞭でシバかれた時の痛み

すべてが本物だった。

 

 

「時間が、まき戻った…のか?」

 

 

平賀才人という人間は、突如異世界に呼び出されても正気を保ち、順応する恐るべき適応力の持ち主である

今自分に起こっている事も、また現実として素直に受け入れた。

 

 

 

「なら俺の取るべき行動は一つ」

 

 

 

ルイズの前に立つ時まで、修行を積み、少しはまともな働きができるようになろう

 

決意を新たに右こぶしを握り締める才人

だが、その姿はどこからどうみても完全無欠の幼稚園児であった。

 

 

その夜、一家団欒の時、いつもの姿からは想像もできないような、まっすぐな眼差しで両親への頼みごとを告げた才人を見て

両親はあんぐりと口をあけて固まってしまった。

 

 

 

「俺、剣術を習いたい、ダンスも礼儀作法も。」

 

 

 

■■■

 

 

 

剣術、と一口に言っても、現代の日本である。

大体は剣道、スポーツチャンバラ、まさかこの時代に本物の殺人術を教えてくれる道場など、そうそうありはしない。

 

 

射撃の場合はまた話が違ってくる。お金を積めば"動いて喋るターゲット"を撃たせてくれる、そういった稼業を行っている連中も外国には存在している。

むろんそんな場所に行けば、リコイルスプリングを極端にゆるくした.45オートや、フルオートに違法改造されたAR、銃身を極端に切り詰めた散弾銃等を手渡されるであろうが。

 

 

現在の才人はあくまで普通の日本人である、まさかそんな場所に顔を出すわけにはいかない。

翌日から母親と額に汗して探し回るものの、見つかるのは剣道道場ばかりである。

 

 

へとへとに疲れた二人が、最後に近所で見つけたのは、一見普通の民家であり、古めかしい玄関に、"剣、教えます"とだけ書かれた古びた木札のかかった一軒の道場であった。

中から出てきたのは80近い男性で、好々爺然とした笑みをうかべ、上がるように勧めてきた。

 

 

才人はハルケギニアで、さまざまな"つはもの"を見てきた。フーケ、ワルド、アニエス、ド・ゼッサール、そしてルイズの母親、ヴァリエール公爵夫人。

これらの人たちは、一種独特の空気を、"気"とも呼べるものを纏っていた。その眼光は貫くが如く鋭く、油断をすると身も心もすくみあがるほどであった。

 

 

だが、眼前の老人にはそのような気配は微塵も感じられず、才人は内心あきらめにも似た思いを抱いていた。

その様子を見た老人の口の端が、わずかに下がったが、母親はおろか才人も全く気付かなかった。

 

 

中に通された才人と母親は、道場へと案内された。

弟子の名を記した札は、壁に1枚もかけられておらず、そこだけが空虚な雰囲気をかもしだし、道場と呼ぶにはいささか気が引けるほどこじんまりとしているものの

床はつややかに輝いており、調度品も埃まみれな物は一つもなかった。

 

 

「ワシの名前は、緒方定兼、この道場の主じゃ」

 

 

「平賀才人と申します。」

 

 

緒方定兼と名乗った老人は、その顔をさらに皺くちゃにし、才人に笑いかけた

 

「ほほう、ずいぶんと礼儀正しい、親御さんのよい教育の賜物じゃな、まあお茶菓子でももってこようかの、子供の好みには合わんかもしれんが」

 

 

淀みを感じさせない動きで茶と茶菓子を取りに行く老人を見送り、才人と母親は目配せをした

才人はゆっくりと首を横に振り、母親は微笑みを浮かべる。だが、その様子はどこか疲れた様子であった。

 

 

「して、御用向きをうかがおうかの?」

 

 

その問いに、才人はまっすぐ相手を見て応える

 

 

「俺に、いや私に剣を教えてほしいのです。」

 

 

「私に、ときたか、こりゃ1本取られたわい」

 

定兼はそういうと、茶を一口すすり、細めた眼をさらに細くした

 

「わしの教えておる事は、学校でならう剣道等ではクソの役にも立たんぞ?」

 

 

「そうですか、ではせめて緒方先生の剣を拝見いたしたく存じます。」

 

 

才人は演武を求めた、何件も回った道場の中には、師範と高弟が演武をしてくれた事もあった

 

 

「ふ~む、修練を見せてあげればいいのか、あるいは演武かのう」

 

だが、定兼から帰ってきた答えは曖昧なものであった

 

 

 

刹那

 

 

 

才人の肌が総毛だった、そして耳に届く、何かが木の板を刺し貫く乾いた音

振り向いた才人の目に映ったのは、自分の後ろの壁に深々と突き刺さった棒手裏剣

 

 

そして顔を正面に戻した時、そこには悪鬼羅刹がいた。

 

 

ワルドですら怯みそうな鬼面、三日月を傾けたような目

そして、肌をちりちりと焼き焦がすようなあの感触

正気と狂気の間を一瞬で行き来する存在、とても一人の人間の前に立っているとは思えない。

 

「ひっ」

 

思わず才人の口をついて悲鳴が漏れ、母親は口をぱくぱくさせ腰を抜かしていた。

 

 

そして、その肌を焼き焦がすような感触は、定兼が顔に微笑みを浮かべるまで続いた。

 

 

演武など必要ない、365日24時間すべての時に臨戦態勢であり、全地球上がリングであり、刹那が攻撃のタイミングだと

眼前の老人の一刀はそれを物語っていた。

 

「これで分かってもらえたじゃろうか、わしの教えるのはこういった類の事じゃ、日常とはかけ離れておる、おぼっちゃんには必要ない事じゃ。 む?」

 

 

才人は震える足を自ら叱咤激励し、定兼と母親の射線上に立ち、両手を広げる

だが、手も足も体も震え、まっすぐ前を見据えるので精いっぱいだった。

 

 

その様子を見た定兼は、右眉を吊り上げ、口の端に笑みを浮かべる

 

「体は動かず、絶対に勝てぬ武器持ちの相手、そばには守るべき人、ゆえに自らを盾とする、か?しかし、下策じゃ、君が死んだら母上を誰が守るのかね?」

 

 

「はい、時間稼ぎですが、これしかできませんから」

 

 

「ふ~む、おぼ…、いや、才人君と言ったね?入門は認めよう、月謝などいらぬ、ただし、色々と聞きたいことがある」

 

 

その日より、才人の弟子入りは認められた。

当然の事だが、母親と父親は反対した、こんな危険な人物に自分たちの息子を預けるわけには行かないからだ。

しかし、定兼が突如凶行に及んだのは、一種のフィルターだったのである。

 

 

だが、両親の予想に反して才人の決意は固く、結局は期限付きで

音を上げるなら即中止させるとの条件を付けた上で弟子入りを許可した。

その翌日から、才人のレッスンと特訓の日々が始まった。

 

 

ダンス、作法、剣術、それに、小学校に入ってからはそこに勉強も加わった

だが、一度経験した内容にそうそう遅れを取ることもなく、才人は順調に修練を積み上げていった。

 

 

緒方定兼から教えられたのは、紛うことなき殺人術、それも貴族たちの嫌いそうな、ド汚い戦い方

戦場の混乱の中でいかに生き残るか、という術だった。

 

 

いかに相手の油断を誘うか、どのような時間帯、どのような状態のときに相手が一番油断をしているのか

剣術、槍術、棒術、馬術、体術、隠密術、手裏剣術、各種暗器の扱い方、果ては毒や爆発物の扱い方など

そして、最初に教えられたのが、それら傷の手当の方法であった。

 

 

剣は真剣、短刀に始まり、小太刀、才人が中学生になるころには大刀を握らされた。

無論、才人の骨格や体を壊すことのないように、修練には細心の注意が払われた。

かといって生ぬるい内容などでは到底なく、才人の吐いた反吐で床にはいくつかの染みが出来上がっていた。

 

 

師匠は寸止め、才人は木刀を全力で打ち込んだが、いくら振り回そうが何をしようが、師の体にはかすりもしなかった。

また、紙一重の見切りを獲得するため、師匠が眼前で真剣を振り回した時など、才人は文字通り走馬灯を見た。

 

 

時折道場には、凍りつくような青い目をした金髪の筋骨隆々とした大男たちが顔を出し

地に平伏し小さくなって師匠と話をしていた。

 

 

それが黒人の大男であったり、仕立ての良いスーツを着た日本人の初老の男であったりもしたが

彼らの共通点は、剃刀のようなその目だった。

 

 

そんな修練を毎日続けているため、上級生などから喧嘩をふっかけられたとしても、才人は決して手を出さなかった。

からまれようがすごまれようが、師匠の鬼気や、時折ふらりと現れる連中の目に比べたら赤ん坊の地団太と大差はない。

そして、殴ろうが蹴ろうが、バットを振り回そうがチェーンを振り回そうが、師匠の剣に比べるとハエが止まるようなとろくさい攻撃だったのだ。

チェーンの先端は見えないほどの速度であっても、素人なら必ず自分の体を叩かないように振り回す、ゆえに単調な軌道になるため、決して慢心せず、回避に専念すれば何時間でも避けられる。

不良たちの面子をかけた死闘も、才人にとっては、せいぜい1対多数の実践の場でしかなかった。

 

 

ある時など、狂ったように振り回したチェーンが、自分の股間をしたたかにぶっ叩き、喧嘩以前に白目をむいて気絶した大バカ者まで出た始末である。

そのため、周辺の学校の不良たちまでも才人には一目置いており、喧嘩を吹っ掛けるような事は決してしなかった。

身の程知らずにも才人に喧嘩をふっかけた連中は、ヘロンヘロンになるまで素振りを続けさせられるか、自分自身を攻撃して悶絶するかのどちらかだったからである。

 

 

そして、小さな修練も積み重ねれば日常となり、己の血肉となる。

才人が高校生になった、秋の夕方、いつものように学校帰りに道場に行くと、いつものように師匠がにこやかに迎えてくれた。

 

 

「おう、才人君上がりなさい」

 

 

「失礼いたします。」

 

 

師匠は座しており、お茶と茶菓子が並べられていた。

今日は扉が開いたとたんに訓練が始まるといった訳ではないようだ。

才人は瞬時にお茶の色と香りを精査し、ゆっくりと口に含んだ

玉露の深い味わいが口を満たし、喉は糖蜜をなめたように甘く、鼻には柔らかな香りがのぼってきた。

 

 

「ほっほ、今日は何も変なものは混ぜておらんよ」

 

 

そう、"今日は"である。このいたずらっ子のような師匠相手には油断など絶対厳禁である。

やがて師匠は表情を引き締め、しかし穏やかな口調で語りかけてきた。

 

 

「才人君、今さらながらに思うが、ようも飽きもせずわしの指導についてきてくれるなぁ」

 

 

「値千金の師匠の教えを、飽きるなどと、とんでもありません」

 

高校生らしからぬ礼儀正しさ、凛とした振る舞いで才人が答えると、師匠の目の端に少しだけ笑みが浮かぶ。

 

「わしは最初に言ったな、"色々と聞きたい事がある"と」

 

 

「はい」

 

 

師匠は道場の縁側に行き、外を眺める。才人はその師匠の背中にすら隙を見いだせないかと目を凝らしてみたが、やはりどうにもならなかった。

寺の鐘が遠く響き、茜色の空には巣へと急ぐ鳥たちのシルエットが浮かんでいる。

 

 

「もうかれこれ10年以上か…」

 

 

「はい、いまだに師匠から1本も取れぬ駄目弟子ですが」

 

 

「ほっ、100年早いわ」

 

しばしの沈黙の後、師匠はゆっくりと振り向き、才人の真正面に座りなおす。

 

「さて、そろそろ君がなぜこれほどに修業を重ねるのか、それを教えてもらえんかね」

 

 

才人は話した。今まで両親にすら明かさなかった秘密を

召喚、ハルケギニア、自らの死、時間の逆行。

師匠たる緒方定兼は、決して嘲笑うことなく、真剣な表情でそれを聞いていた。

 

 

「つまるところ、君は大切な人を守りたい訳じゃな?」

 

 

「はい」

 

 

「で、そのるいずちゃんってのはどんな娘じゃ?」

 

 

才人の正座ががくりとずれ動き、思わず前のめりにコケそうになる。

構わず師匠はまくしたてる。

 

 

「ボインボインか?ふほっほほ、小さいのも悪くないの、…まさか、今流行りの男の娘とか言いださんじゃろうな」

 

 

「ぶーーーーうっ!」

 

気を取り直そうと口に含んだ玉露が、水鉄砲のように師匠に吹きかけられる。

 

 

「きったないのう、上等な玉露を」

 

 

「げほっ!げほっ、しっ師匠!なんでそんなオタクっぽい言葉をご存じなんですか?」

 

 

「う~ん?いかんぞ才人君、非生産的なのは、生物学的に間違っている禁断の関係じゃ」

 

 

「だから違いますって!!」

 

しかし、全力で否定しながらも才人は心の中で、ルイズの容姿で男だったら、それはそれで危険な香りがするな、と考えていた。

要するに似たもの師弟である。

 

 

「ほっほ、ぱそこんといんたーねっとは便利じゃからのう」

 

 

からからと笑い続ける師匠を見ながら、頼むから見る内容を選んでくれと、才人は切に願った。

 

 

「で、"前回"はいつごろ召喚されたのじゃ?」

 

 

「はい、恐らくですが近々に…」

 

 

師匠は才人の心の揺らぎを敏感に感じ取り、今回のように話を持ちかけてくれたのであろう

才人は心の中で師匠に感謝した。

 

 

「はっきり言って君はまだまだ修行の途中じゃ、免許皆伝なんぞ到底できん。当り前じゃ、10年そこそこで免許皆伝なんぞしたら先達に申し訳がたたんわ」

 

 

「はい、心得ております」

 

 

「よし、わしからの餞別じゃ、まっておれ」

 

師匠はそういうと、ごそごそと奥のほうへ引っ込んでしまい、何やら布に包まれた棒のようなものを手にして戻ってきた。

 

 

「これは?」

 

問うまでもない、漆塗りの立派な鞘に包まれ、金象嵌の鍔をはめられた小太刀である。

 

 

「知らん、銘なんぞ忘れた、切れて折れず、曲がらなければいいんじゃよ、なにせ人切り包丁じゃからの」

 

 

才人は師匠に許可を得てから刀を拝見する

小太刀ながら十分に厚い身幅、長さ2尺、反りは浅く、刃文は三本杉

すらりと優美な刀身は、どことなく女性的な香りが漂っている。

その美しさもさることながら、実用十分な強度を誇り、まさしく人切り包丁であった。

 

 

「こんな高価なものを…」

 

 

「うん?恐らくわしがその刀じゃったらこう言うじゃろうな"眺めるだけではなく、本来の使い方をしてほしい"とな」

 

 

「…はい」

 

 

すこし顔色が曇った才人を見て師匠は助け船を出す。

 

「才人君、わしは君に殺人を楽しむ男になってほしいと思って剣を教えておるわけではない」

 

 

「おっしゃる通りです。」

 

 

「じゃが、戦場とは甘い場所ではない、殺らなければ、こちらが殺られる。大切なるいずちゃんを本気で守りたいのなら、どの瞬間にでも己の手を汚す覚悟だけはしておけよ」

 

 

「肝に銘じておきます。」

 

 

才人と師匠が話し込んでいる間に外は宵闇に包まれ、虫の鳴く声がかすかに響いていた。

 

「さあ、今日はもう遅い、どれ、たくすぃー代を出してやるから急いで帰りなさい。」

 

 

「いえ、走って帰りますので、大丈夫です。」

 

 

その言葉に、定兼は呵々と笑い声をあげる

 

「そうかそうか、まあご両親にも今のように丁寧に説明すれば分かってもらえるじゃろう!」

 

 

「はい、ではこれで失礼いたします。」

 

 

「才人君!」

 

 

道場を出ようとした才人の背中に師匠が声をかける

浮かんでいるのはいつものいたずらっ子のような笑みだった。

 

 

「職質を食らうとマズいぞ」

 

 

才人は歯をむき出しにし、野性的な笑みを浮かべる

八重歯がまるで獣の犬歯のようにすら見える

 

 

「師匠の弟子で、その程度の穏形ができない人間っていましたっけ?」

 

 

近所にも響き渡るような定兼の大笑いが響き渡り、才人も腹の底から笑った。

 

 

「おお?今日は満月かの?」

 

 

「そのようですね」

 

 

外には"一つしかない"月が輝き、ススキの穂が揺れる。

 

 

「達者での」

 

 

「お師匠様もお元気で」

 

 

深々と礼をし、走り去っていく才人の後ろ姿が見えなくなるまで、師匠は見送り続けた

孫を見る祖父の目で、ゆっくりと手を振りながら。

 

 

 

■■■

 

 

 

さて、本当に才人にとって大変だったのは、家族にどう打ち明けるかという事だった。

 

「ぬぁ~っ、もう、絶対信じてもらえねーだろうな。」

 

ばりばりと髪の毛を掻きむしりながら身もだえしてみても、フケが落ちるだけで全く埒はあかない。

その夜、いつにもまして真剣な表情の才人が、ついに両親に秘密をうちあけた。

 

 

父親はビールを一瓶全部床に飲ませ、さすがの母親も開いた口がふさがらなかった。

当り前である、そこらの一般人に召喚がどうのこうのとか、ハルケギニアがどうのこうのと言ったところで

休みを取り、精神科医にかかるように必死に説得されるのがオチである。

 

 

父親は、熱でもあるのかと才人の額に触れてみるが、平熱である。

あまりにハードな毎日に、ついにプッツンしたのかと母親もおろおろしていた。

 

 

しかし、才人の目には狂気の色など微塵も見えず、ただただ固い決意がきらめいていた。

父親ははたと膝を叩き、こう言った。

 

「才人、俺はな、お前に恋人が居たからといって決して驚かん、たとえそれが外国人の綺麗な娘さんだったとしてもだ。だから正直に言いなさい、そうすればそのルイズちゃんという娘と付き合っても俺は文句は言わない!!」

 

 

「お父さん、信じてくれと言ってもそりゃ無理なのは分かる、だが全部本当の事なんだ!」

 

 

「馬鹿も休み休み言いなさい!」

 

 

「でもあなた、それにしては全部筋が通りすぎていると思わない?」

 

母親が疑問をさしはさむが、すでにビールである程度酔っていた父親は止まらない

 

「お前もそうやって才人の肩を持つ!大体がだな」

 

 

「あなた、少し静かにしててくださる?」

 

 

「はい…」

 

才人は何となくその情景に、既婚男性の悲哀と、ヴァリエール公爵の苦労を垣間見た気がした。

 

 

「さて、才人、こちらを向きなさい」

 

母親が静かにこう言った場合、素直に従うのが最善だ

才人はそれを"前回"の記憶から確信していた。

もっとも、このセリフを聞いたのは"今回"ではこれが初めてだが

 

 

「才人、お父さんと私はね、才人が私たちの目の届くところにいて、健康で普通の生活を送って、いっぱい恋愛して、幸せに生きてほしいのよ

 異世界へ行って戦争に巻き込まれてほしいなんて、微塵も思わない」

 

母親は続ける、意を決したかのように

 

「でもね、それはあくまで私たちの希望、それであなたを縛ろうとは思わないわ」

 

 

才人はうなずく、この言葉にどれほどの重さがあるのかを、何となくだが分かるのだ。

 

 

「才人の覚悟を教えて、でも命を捨ててその娘を助けるなんて、安っぽい台詞を言おうものなら、絶対許しませんからね」

 

母親の目が赤い、それを見て才人は少し胸が痛んだ

だが、決意が揺らぐことは決してなかった。

才人は座っていた座布団を下り、手を顔の下につき、しっかりと頭を下げた。

 

「俺は、ルイズと共に生きる、たとえ何があろうとも二人で生き抜く、だから、お父さんお母さん、俺を行かせてください!」

 

 

沈黙と、すすり泣く声、異様に長く感じたその時間を終わらせたのは、父親の落ち着いた声であった。

 

 

「顔をあげなさい、才人、本音を言えばお父さんも反対だ、だがな、これまでの才人のひたむきな努力を無視することは男としてできない」

 

 

その時ほど威厳に満ちた目をした父を才人は知らない。手は母親を優しく抱き、家のことは心配ないから思いっきりやってこい

父親の目は、そう語りかけているかのように見えた。

 

 

「どうせなら、とことんやってこい!」

 

 

「はい!」

 

 

一度話しが決まってしまえば平賀家の行動は極めて迅速だった。

なにせ、一世一代の息子の旅立ちである。

召喚されなかったら、などということは微塵も頭になかった。

 

 

母親はのりのりで才人の服をあれこれと選び、さらには、ルイズちゃんへ、とアロマチックなシャンプーとリンスを買った。

父親は何かの役に立つだろうと、トランシーバー一式をプレゼント。

最低限のサバイバルキット、そして、師匠から餞別にと譲り受けた小太刀、手入れ道具。

暗器一式、稽古用の鉄芯入り木刀。

 

そして、師匠から、命を捨てる必要がある時以外開けるなと、渡された桐の小箱。

全部を大振りな背嚢に収めると、これはまた大変な重量である。

だが、全身を鋼のように鍛え上げた才人には大して苦にはならなった。

 

 

そして、運命の朝は訪れる

 

 

大きな背嚢をしょって玄関を出て行く才人を両親が見送る。

 

 

「いってきます!」

 

 

「いってらっしゃい」

 

「しっかりやるんだぞ才人!」

 

 

あまりにも日常的なので、だれもこれが親子の今生の別れとは思わないだろう。

そして、才人は、予定通り現れた銀色の鏡を見つけ、嬉々としてそれに飛び込んだ。

 

 

■■■

 

 

 

時を同じくした、東京都某所、一人の草臥れた男が、自室で虚空を見つめていた。

男の名前は津神翔兵、30代前半だというのに、初老と言われてもうなずけるようなその容姿

 

 

働いていた会社は倒産し、身寄りも無し、妻もおらず、仕事が忙しいと恋愛を避けていた自分を罵っていた。

だが、結果としては良かったのかもしれない、妻と子共々に路頭に迷わせるよりは、あるいは良かったのかも知れない。

 

 

しかし、会社が倒産しただけならばまだ良い、務めていた会社は、社員に自社株を購入させ

会社が倒産寸前になっても、株の売却を許可しなかった。

 

 

ほぼ全ての財産を一度の事件で失ってから、職を転々とし、食いつないできたものの、翔兵の心はすでに限界に来ていたのだろう。

壁に貼ってあるアルバイトの勤務表は、今日が翔兵の出勤日であることを語るものの、通話料未払いの携帯はかすかな音すら立てない。

支出は容赦なく収入を上回っていき、明日にもネットは止まってしまうだろう。

 

 

そして、そう遠くない未来にライフラインも

 

 

そんな男の部屋に突然、銀色の鏡のようなものが現れる。

 

「なんだろう」

 

ぼそりと呟いた男は銀色の鏡が完全に空中に浮いていることに気き

手を触れようと手を伸ばすものの、考えられる危険性に、思わず手をひっこめる

そして、試しにポータブル音楽プレイヤーを放り込んでみる、だが、反対側には何も存在しない。

今度はタブ譜の本を数冊投げ込んで見るが、やはり反対側には、なにも見つからなった。

 

 

すこし興味をそそられた男は、手近にある物を適当に放り込んでみる。

あまりの安値に手放すことをためらった、ギターのアンプ、古いエレキギター、エフェクター

だが、いずれも戻ってくることは無かった。

 

 

「うそだろう、これは嘘だ、多分俺は夢を見ているんだ」

 

 

だが、男の目には、かつての光が徐々に戻って来ていた、そうだ、俺はこの鏡、いやゲートを知っている、

それに、俺にもある程度の科学技術や知識はある、この日本よりも、まだ異界で何かできる事があるのではないだろうか。

そこでふと、鏡に映る自分の姿を目に止め、男の目元に哀愁が漂い、自嘲気味なつぶやきが漏れる。

 

「ゼロのおっさんの使い魔、か…」

 

 

だが、ここで座して死を待つよりは良いだろう、男は意を決して、鏡に飛び込んだ。

 

■■■

 

 

「あんた誰?」

 

 

才人の目の前にいる美少女が怪訝な顔を浮かべている、そして間違いなくこの顔は不機嫌な時の表情だ。

才人は召喚される前から考えていた、杖でも持って、ローブでも着て現れてやろうか

それとも、何かもっと派手な登場の仕方をして、ルイズを馬鹿にしている連中を黙らせてやろうか

 

 

だが、”前回”と違うポイントと言えば、服のセンスが少し良くなり、シルバーのアクセサリーをつけ

首には男物のプラチナネックレスを下げている事ぐらいだった。

才人は荷物を地面に下ろし、ルイズの前に進み出ると片膝を着き、右手を胸に当ててこういった。

 

 

「お初にお目にかかります、私の名は平賀才人、トリステイン風に呼べばサイト・ヒラガとなりますか。改めてお聞きします。貴女が私の主ですね?」

 

 

ほぼ全員が口をあけたまま固まってしまう、召喚しました、礼儀をわきまえた人間が出てきました。

これを異常事態と言わずしてなんというのか。

”前回”は大いにヤジが飛び、ルイズは真っ赤になって反論していた。

だが、今回は違う、あまりの事態の進展に、タバサを除くほぼ全員が、固唾を呑んで事の成り行きを見守っていた。

 

「えっと、あの、そ、そうよ!」

 

ルイズは思い出したかのように胸を張り、精一杯の威厳を保とうとするものの、動揺は隠せなかった。

一体なんだってのよ、ドラゴンやマンティコアとまで贅沢は言わない、猫でも犬でも良かったのに

なんで人間が出てくるのよ!

 

そこへ、引率のコルベールが歩み出てくる

 

「驚いたね、まさか人間を召喚するなど、前代未聞だ」

 

 

才人は危うく、ご無沙汰しております先生、と言いそうになるのを堪える。

 

 

「しかし、いかなるものが召喚されようとも、それが君の使い魔だ、ミス・ヴァリエール」

 

 

「しかし…!」

 

 

「これは伝統なんだ、例外は認められない」

 

 

「そんな」

 

 

コルベールは、才人の方に振り向くと、やや警戒の色を含んだ目で観察をしている。

 

「君は、どこかの国の貴族かね?なかなか仕立てのよい服を着ているね」

 

 

「いいえ、私は貴族ではありません。ただ、剣を左右に動かす事を覚えたばかりの者です。」

 

コルベールは警戒する一方、内心感心していた、自分が教えている生徒などよりも、余程身のこなしが洗練されており

礼儀正しい、何よりも目の輝きが違う、明確な目的を持ち、それに向かって邁進する人間の目は、男女の別なく美しいと呼べるものだ。

 

「ふむ、剣士か」

 

ならば、ある程度富裕などこかの平民を召喚してしまったのだろう、コルベールも必要以上に心配することをやめた。

仮に貴族を召喚してしまったとしても、オスマン学院長の手練手管の一つ、政治的な手段を講じればよいだけのことだ。

 

 

「さて、ミス・ヴァリエール、知っての通り、春の使い魔召喚の儀式のルールとは、すべてに優先されます。彼を使い魔としなさい。いいですね」

 

 

ルイズの頬がぴくぴくと動き、片目は見開かれ、口がへの字に曲がっている、言葉で表すならば”うげぇ”といったところか

 

 

「えー、彼を?」

 

 

だが、困惑と否定と怒りとのないまぜになったルイズの抗議も虚しく、コルベールの表情はまったく変わらない

 

「そうです、儀式を続けなさい。まったく、早くしないと次の授業が始まってしまいますぞ、君は一体どれだけ召喚に時間を費やしたか理解していないのかね」

 

コルベールのその言葉を待っていたかのように、今まで沈黙していた同級生たちが口々にはやし立てた。

 

「はやくしろよゼロのルイズ!」

 

「平民の旅人を召還してどうすんだよ!」

 

「早くうがいをしたいのよ!あんたのせいで口の中にまで砂がはいっちゃったじゃない!」

 

才人は思い出す、ルイズの魔法は失敗すると爆発する事を、いや、1つの例外もなく、とにかく爆発するのだ

そして、爆発が発生する場所は完全にランダム、地面が爆発すれば砂塵が巻き上がり、被害者は否応なしに文字通り砂を噛む思いをさせられる。

さらに、もしも、もしもコルベールの後頭部が爆心地になってしまえば、その結果は考えるまでもない、哀歌と慟哭が響き渡るだろう。

 

ゆえに、ルイズが召喚を行うために使った魔法により、少なからぬ犠牲が出ていたのだ

だが、さりとて本人といえども、どうしようもない事なのである。

 

「ねえ」

 

昔を思い出していた才人にルイズが声をかける。

そうだ、11年ぶりになるのだ。

 

「あんた、感謝しなさいよね、普通は貴族にこんな事されるなんて、一生ありえないんだから」

 

ルイズが杖を振りながら近くに歩み寄ってくる、才人の心臓が跳ねた。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。」

 

制服とマントの擦れる微かな音すら聞こえる。

 

「五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

細い指が才人の頭を持ち、その濡れた宝石のような唇が近づいてくる。

 

 

(ああ、俺は帰ってきた)

 

 

思わずその手でルイズの肩を抱きしめそうになり、必死の思いで自制する、以前の才人ならば考えられない事だ。

 

 

「終わりました」

 

 

ルイズは平静を装っているが、顔が耳まで真っ赤だ。

そんなルイズに平然とコルベールが声をかける、さすが先生、スルーするのも大人の優しさか

と、思いかけて才人は思い出す。コルベール先生にそういった類のものを期待するのは酷かもしれない。

 

「サモン・サーヴァントは失敗続きだったが、コントラクト・サーヴァンとは成功したようだね、おめでとう、ミス・ヴァリエール」

 

笑みを浮かべたコルベール先生は本当にうれしそうな表情だ。

 

「そいつがただの平民だから、契約できたん…」

 

「そうそう、そいつが高位の幻獣だった、ら…」

 

口々にはやし立てようとした生徒の口が止まる

才人の目を直視してしまったためだ。

 

 

底冷えのする、据わった目。温室育ちの貴族は、修羅場をくぐった喧嘩自慢にガン飛ばされてビビってしまったのだ。

気合の入った喧嘩師相手では、単なるおぼっちゃんでは目を合わせる事すらできない。

屈辱と悔しさに歯を食いしばるが、顔を上げることもできない。

 

 

だが、そこは才人、彼がずっとかっこいいままなわけがない。

フンと鼻息を吐き出した才人は、次の瞬間、左手の甲に走る痛みに顔を引きつらせる

 

「ぐあっ、結構いてぇなやっぱ!」

 

 

「我慢なさい、使い魔のルーンが刻まれてるだけよ」

 

腰に手を当てたルイズが眉をしかめる、この程度で騒ぐなといった所だろうが

ルーンを刻まれる方は結構な痛みに耐えなければならないのである。

 

そして、才人の左手に再び隷属の印が刻まれた。

 

 

ガンダールヴ

 

 

一騎当千の神の盾

 

 

(そうとも、俺は帰ってきた)

 

 

アルビオンの貴族派7万を前に1歩もひるむことなく戦った、その力の源

 

 

(このルーンは俺のものだ、そしてルイズの使い魔とは、ゼロの使い魔とは俺の事だ!!誰にも譲らねぇ!)

 

 

才人は感慨にふけりながら、背中の小太刀に手を伸ばす

即座にルーンが光り輝き、小太刀の最も効果的な使用法を教えてくれる。

だが、才人はさらに深く、深く集中し、目を瞑る。周囲から音が消える。

 

 

そして、闇の中の灯火のように、わずかな情報が送られてくる。この無銘の業物がいかにして作られたか、その想いとも呼べるものを

稀代の名工が、己の娘を守るために作った守り刀、その想いは、ルイズを守るためにこの地に帰ってきた自らにも通じるものがある。

 

 

だが、その静寂はコルベールの警戒を促す声によって破られた。

 

 

「ミス・ヴァリエール!」

 

 

「なんでしょう、ミスタ」

 

 

「見たまえ!召喚のゲートがまだ閉じていない!これは一体」

 

 

確かにおかしい、才人が出てきたゲートは未だその場所にありつづけている。

そして、突如ゲートが学院の壁を越えるほどに広がり、異様な気配が辺りを支配した。

 

 

銀色の表面から、黒く染まった闇が滲み出してきた、いや、それは黒い鱗に被われた巨大な、あまりに巨大な、6つの赤く燃え盛る目を備えた頭だった。

さらに、その頭部の巨大さを裏付けるかのようにして長い長い首がゆっくりと、召喚ゲートから現れてくる。

蛇のような頭は、その顎を大きく上下に開き、ついでその外顎は左右に別れ。

 

 

そして、世界から音が消え去った

 

 

外側に面した学院のガラスは木っ端微塵に打ち砕かれ、雪のように地面に降り注ぐ

その場にいたものは、今何が起こったのかを全く理解できなかった。

突如衝撃波のようなものが襲いかかって来て、耳が完全にバカになってしまったからだ。

 

 

そして、朦朧とした頭でその蛇を見たものは、ぼんやりと理解する。

ああ、さきほどの衝撃波はこの蛇が放った怒りの咆哮だと。

 

 

爬虫類独特の縦に割れた虹彩が、光を検知して細く狭められる。

そして、ギョロリと動いた瞳をのぞき込んだものは、心臓を握られるがごとき恐怖に動きを束縛された。

 

 

サーペントの類かと思えるほど長い首の後に、巨大な前足と、折りたたまれた翼の先端が姿を表す

それはその巨大な存在が、食物連鎖の頂点に君臨する王である事を雄弁に物語っていた。

 

 

ズシン

 

 

腹に響く重低音を轟かせ、前足が地面を踏みしめる

前足のサイズは優に5メイルはあるだろう、そして、先端には2メイルほどの大鎌のような爪がついており、舗装された地面を粘土のように引き裂いていた。

 

 

現存する竜種に、このような巨大な存在はおらず、また目が6つもある竜など、聞いたこともない。

 

 

不幸なことにその竜が進む先にはキュルケとタバサがいた。

全身は未だにゲートから抜け切っておらず、方向を転換してくれと、この巨大な存在に頼むことなど考えられない。

人間が歩くときに、靴の下にアリがいないかと気を使わないのと同じく、この古代竜が人間ごときを気にかけて歩いてくれるとはとても思えないからだ。

 

 

コルベール身振り手振りでキュルケとタバサに、落ち着いて退避しろというジェスチャーをしている。

だが、その額には玉のような脂汗が浮いており、その心の中を物語っていた。

 

 

一方、竜が向かってくる方向にいたタバサとキュルケは、絶体絶命の状況に置かれていた。

キュルケは先程の咆哮で腰を抜かしており、思うように動けない。

 

 

キュルケを庇うように前に踏み出したタバサも、腰こそ抜かしていないものの、そのほっそりとした足は、子鹿のように震え、マントの下の制服は

冷や汗によって、肌が透けるほど濡れていた。

 

 

「タバサ、逃げて!」

 

 

親友の叫ぶような声が後ろから叩きつけられる。それは一時的難聴になっているタバサの耳にも十分届いた。

タバサは後ろを振り返らず、ゆっくりと後退し、キュルケの手を肩に回す。

だが、反対側の手はしっかりと杖を構えていた。

 

 

「一体なんなのよ…」

 

 

「恐らくは古代竜、見た事もない大きさ、ここから逃げなきゃ」

 

 

シルフィードに乗って急速離脱したいものの、シルフィードも、キュルケのサラマンダーも地面に伏せてただガタガタと震えているばかり

タバサは内心舌打ちをしながらゆっくりと後退する、もしこの竜が空腹で、下手に動く事によって自分たちに興味を持ってしまったら命はない。

 

 

竜はゆっくりと歩いているが、1歩1歩の歩幅が半端な広さではない、地面を揺るがす地震の震源地が少しづつ近くなっていった。

地面は足の形に4メイルほどの深さに踏みしめられており、もし踏まれたら、確実に命を失うであろう事は、容易に想像がついた。

 

 

だが、目をつむって寄り添う二人の上には、いつまで待っても衝撃は襲って来なかった。

古代竜が、あろうことか二人を避けて歩いたのだ。

 

 

「え?」

 

 

タバサの小さな唇から、驚きの声が漏れる。

そして、依然として古代竜の巨大な腹は頭上にある

竜は頭を傾けて下を確認し、わざわざうずくまっている2人を避けるようにして歩いたのだ。

 

そのうち、ついに古代竜の全貌が明らかになる。

 

 

全長80メイル前後

全高25メイル前後

 

 

爛々と輝く紅玉のごとき6つの目、2つは他の4つより大きく、縦に割れた虹彩はまさしく爬虫類のそれ。

はちきれんばかりの筋肉を覆い尽くす黒黒とした鱗の重厚さは、重装歩兵のプレートメイルが紙細工に見えるほどだ。

そして、頭部はまるで古代の恐魚を思わせるさらに分厚い装甲に覆われており

4つに分かれる大あごは、獲物を噛み切る巨大な鋏の役割を果たす。

内側にも上下に開く顎があり、比較的"小さな"牙がゾロリと並び、その口に一度捕らえられた獲物に逃れる術は無い。

 

 

300トンを優に上回る総重量を受けて、地面が頼り無さげに沈み込む。

折りたたまれた6つの巨大な翼は、古代竜がただ大地を這いずり回るだけの存在ではない事を示していた。

 

 

やがて古代竜は頭を巡らし、その巨大な瞳が才人を捕らえ、一瞬その目が大きく見開かれる。

 

 

「やべぇ、こっちに来るぞ!」

 

才人は尻もちをついてしまったルイズの前に出、小太刀を抜き放つ

だが、巨大すぎる敵に対して、業物の刃とガンダールヴのルーンの力強い輝きは、あまりにもちっぽけに感じられた。

コルベールも己の生徒を護るため、杖を構え才人と並び立つ、だがその顔色は悪い。

 

 

春の使い魔召喚の儀式は危険な側面を持つ、だからこそオスマン学院長は、最も戦闘能力の高いコルベールにのみ引率を任せているのだ。

だが、此度の出来事は、下手をすれば学院の危機どころか、トリステインそのものの存亡の危機であった。

 

 

強者が持つ圧倒的な威圧感、それに加え、生物そのものがもつ存在感、氣とも言うべき気配に、才人は押しつぶされそうな錯覚を覚える。

こんなところで終わるわけにはいかない、才人は、ルイズを護るために即座に己の命をチップに変えた。

だが、全部賭けてなお足りぬ、そんな思いから才人は歯噛みする

 

 

隙を見て、全力で退避する

だがまずはルイズからこの巨大竜を遠ざける必要がある。

才人とコルベールの目が合い、同時に力強く頷く。

 

 

目の前には大鎌のような爪のついた前足がゆっくりと、地響きを立てて確実に迫ってくる。

ただ走って逃げるのはバカの所業だ、おそらく数歩で追いつかれ、確実に息の根を止められるだろう。

 

 

コルベールは杖を風車のように振り回し、吠え猛る

 

「はああああーーっ!!!」

 

そして、大げさな動作で左右にステップを踏み、ルイズと才人から離れた方角へダッシュした。

だが、古代竜はそちらには目もくれず、まっすぐにルイズと才人の方角へ歩いてくる。

 

 

「ウオオオッ!!」

 

 

才人もまた、獣のような咆哮を放ち、ルイズやコルベールと離れた位置にダッシュする。

すると古代竜は一瞬歩みを止め、ルイズと才人との間で視線を迷わせた。

だがそれも一瞬で、古代竜はたったの半歩で、才人との間合いを詰める。

 

 

「いかん!」

 

コルベールは叫ぶと、全身が陽炎のように歪んで見えるほどの膨大な魔力を練り上げ始める。

 

 

「フレイムボール!」

 

 

直径3メイルはあろうかという巨大な青い火球が、古代竜の足に炸裂する

本来なら鉄すら融解させるほどの一撃にもかかわらず、その黒黒とした鱗には、傷一つつけられない。

 

 

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース」

 

 

氷でできた鈴を転がすような、澄んだ声が響き、あたりの気温が急激に低下する。

 

 

「いかん、やめたまえ!危険だ!」

 

鬼気迫る表情で制止するコルベール、彼は自分の生徒が傷つく事を決して許さない。

だが、思惑は外れ、タバサの魔法は完成する。

 

「ジャベリン!」

 

 

極限の集中を持って放たれ、鉄の鎧にすら穴を開ける氷の槍は、やはり虚しく弾かれ、砕けた欠片が粉雪のごとく降り積もるのみ。

自らの渾身の一撃をもってして一瞥だにされないという状況に、わずかにタバサのプライドに傷が入った。

 

 

そしてついに、古代竜は才人を巨大な前足の射程圏内に捉える、だが予想に反して伸ばされた前足の動きはのろく、引き裂くというよりは掴もうとしているように見える。

だが、才人は目一杯飛び退き、古代竜の前足を回避する、確かに遅いが、そのあまりの大きさのため、のんびりしていたら捕捉されてしまう。

 

 

竜が前足を伸ばす、才人が躱す、そういった攻防を幾度か繰り返した後、やがて古代竜がじれたのか、才人の近くの地面に前足を叩きつける。

大地は波打ちめくれ上がり、バランス感覚を鍛え上げた才人をしてよろめかせる。

やがて土煙が晴れた時、才人は古代竜の巨大な前足に捕らえられていた。

 

 

「くうっ!」

 

 

腸が口から出るのではないかと思わせるほどの圧迫感に、思わず才人の口から苦悶の声が漏れる。すると不思議なことに、圧迫は弱まった。

だが、両手を万歳した形になっており、もはや逃げることはおろか身動き一つ取れない。

 

 

「このぉお!!」

 

 

いつもの温厚なコルベールからは考えられないような怒号があたりに響き渡り

青い炎の槍がコルベールの前に現れ、それは少しづつ巨大化していく。

 

 

フレイム・ランス

 

 

範囲攻撃が多い火メイジの中にあって1点特化型の貫通魔法

 

火×火×火

 

火の三乗

 

 

そして、呪文は完成する。

 

 

「くらえ!フレイム・ランス!!」

 

 

鉄をも容易に溶解させる炎の槍は、狙い過たずに古代竜の後足を捉え

それも鱗がもっとも薄く見える場所に命中し、爆音が轟き、大気が震えた。

 

 

だが、それほどの魔法をもってしても、古代竜の黒光りする鱗には、焦げ跡すら付いていない

当然だが、古代竜はコルベールのほうを一瞥だにすることはなかった。

 

 

「くそっ!一体どうすれば!むっ?!」

 

 

空を見上げたコルベールの表情が曇る

なぜなら、夜の帳を切り取ったかのような巨大な翼膜が空を覆い隠し始めていたからだ。

 

 

「いかん!みんな外壁の内側へ避難したまえ!急げ!!!」

 

 

切迫したコルベールの声が生徒の耳朶を叩き、我に返ったかのように生徒たちが避難し始める。

タバサはキュルケを抱えたままフライで飛び、コルベールもまたルイズをその腕で抱えて飛ぶ。

 

 

「先生!まだコントラクトサーバントが!」

 

 

コルベールの腕の中でルイズがもがき、降りようとするが、まるで万力にはさまれたかのようにルイズは動けなかった。

 

 

「気持ちは分かるが、今はおとなしくしたまえ!あれほどの存在、あれは君の手に余る!」

 

 

「しかし」

 

 

「私には全生徒の安全を確保する義務がある、今はこらえなさい!」

 

普段のコルベールからは想像もつかないほどの覇気が吹き付けてくる。

これにはさすがのルイズもおとなしくならざるを得なかった。

 

 

そして、コルベールのローブの裾がまだ城壁の内側に入らないうちに、辺りを暴風が支配した。

 

 

人の頭ほどの岩がまるで木の実のようにあちこち転げ周り

植林されていた樹木は折れ、千切れ、バラバラになりつつ飛来する。

 

 

それはまるで散弾、仮に2秒でも避難が遅れていれば全員の命はなかっただろう。

荒れ狂う突風と、小規模の竜巻は、蒼空の覇者が自らの縄張りに戻るまで続いた。

 

 

 

■■■

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