ターニャは、セレブリャコーフ少尉と共に司令官室へ向かう廊下を歩いていた。
先程とった夕食は十二年ぶりの日本食、もはや二度と食べられないと思っていた白米や味噌汁には感激してしまった。白米を口に含んだ時、つい、『白銀』という名は自分より、湯気を立てているつやつやの炊き立てのご飯にこそふさわしいと心の中で叫んでしまった。
ターニャは、上機嫌なまま、セレブリャコーフ少尉に声をかける。
「少尉、あの肉じゃがはうまかったな。同じジャガイモと肉を使った料理でも参謀本部のシュラハトプラットとは天と地の差だよ。」
「はい、少佐殿。おかずもですがご飯ってあんなにおいしいんですね。つい食べ過ぎてしまいました。」
セレブリャコーフ少尉も満足しているようだ。ああ、でもご飯4杯はお替りしすぎだったぞ、少尉。
「知っているか少尉、ご飯にな生卵を混ぜたものをかけて醤油を入れて食べるとうまいのだぞ。」
ターニャは卵がけご飯だけでなく納豆も試してみたいなと思った。前世ではあまり食べようと思わなかった筈だが、今は無性に食べたいと思えてしまう。
「えっ?卵を生で食べるのですか。冗談でしょう。生で食べたらお腹を壊してしまいます。」
「はっはっはっ、少尉なら大丈夫だろう。何なら、納豆という食べ物を試してみるか。日本の朝食の定番だ。大豆を発酵させた食品で独特の臭いとねばねばがあるが、栄養価の高い健康食品だ。」
「え、遠慮します。少佐殿。ほら、もう司令官室の前です。」
「では、行ってくる。司令官と話し合っている間に、FF特務機関と本国の参謀本部に提出する新型魔導具に関するレポートの準備をしておいてくれ。早急に提出する必要があるぞ。」
ターニャは、セレブリャコーフ少尉が廊下を曲がっていくことを確認してから、司令官室に入る。
「藤堂司令官殿、デグレチャフ少佐入室いたします。」
規則通りの敬礼をした先では、藤堂司令官が机で書類を見ていた。
「ご苦労、夕飯は満足いただけたかな。」
藤堂司令官は席を立ち、ソファーに座るように勧める。
「はい、軍の基地でこれほど美味しいと思える料理が出てくるとは思いもしませんでした。参謀本部の食堂も少しは見習ってほしいものです。」
「確か、常に戦場を思い起こしてくれる素晴らしい料理が出てくると聞いているが」
「ええ、あれを食べ続けるといかなる将兵も前線勤務を希望してしまうという帝国参謀本部の名物料理です。もし、機会が有れば一度是非ご馳走したいものですよ。」
「ベルリンに行く機会があれば是非、ああ、飲み物は珈琲で良かったかな。私が淹れたものだから、口に合うといいのだが。」
ターニャがソファーに座ると、藤堂司令官がトレーに乗せたコーヒーポットとカップを運んできた。
「お気遣い感謝します。ところで、小官だけが呼ばれたということは、やはり、着任挨拶の続きで。」
「その通りだ、少佐。」
司令官は珈琲を注ぎながら答えた。
「了解しました。すぐに準備します」
ターニャは再び司令官室全体に防諜術式を展開した。
「さて、少佐、私はこの世界をゲームの世界だといったのは覚えているかな」
藤堂司令官は、デグレチャフ少佐の目を見て話す。
「はい、覚えています。ですがこうもリアルな感覚があると現実感が有り過ぎて実感が湧きませんが」
ターニャは珈琲を口に含む。
「まあ、そうだろう。私もこちらに来て二日が経つがリアル過ぎて変な気分だよ。アニメのキャラクターだった少女たちが雰囲気そのままに生きた少女となって目の前にいる。しかも声音と性格はゲームの時と一緒だ。最初はゲームのやり過ぎで夢でも見てるのかと思っていたが、現状はこの通りだ。」
そこで、藤堂司令官は胸ポケットから紙を取り出した。ターニャは、そこに懐かしささえ覚えてしまう日本的なアニメ調の少女が数人描かれていることを確認した。腕を組み右肩にハヤブサを乗せた少女、長い髪が舞うセーラー服のような服装を身に着けた少女、不敵な笑みを浮かべたライフルを担ぎ魔導具を装着した少女が描かれている。
「夢であればどれだけよかったことか。まあ、これは我々の間でしか言えませんな。ああこの絵、左は、ユンカース大尉に鳩森少尉ですかな。良く描けておられる。そして右は。んんっ、え、まさか、小官でしょうか」
「その通り、忘れたかな少佐、私にとってはあなたも小説やアニメの世界の人物なのだが。ちなみに服装や装備、顔の特徴、声は、小説やコミカライズではなく、アニメのほうだな。」
「まあ、そんな世間話をするために貴官を呼んだのではない。実は、ゲームの世界といったが、ここはゲームそのままの世界ではない。かなり相違がある。今日は、我々がここで生き残るための相談というわけだ。」
藤堂司令官がこちらに来て以降に調べたという話を聞いて、ターニャは、再び頭を抱え込んでいた。嗜好品が用意可能な状況や恵まれた食事から帝国よりはるかに恵まれていると思われた世界は、最終的勝利の方法が全く見えないろくでもない世界であると知ってしまった。
ゲームの世界だということからある程度の覚悟はしていたが、はっきり言って疑問を呈するレベルではない。軍としての規律が全く取れていない女学校同然の操縦士達、対抗手段はあれど跳梁跋扈する敵FFに有効打がなく襲撃してくるフーファイターを逐次撃退していくしかない現状は変わらないまま、それなのに、現実化した世界であるがゆえにゲームとして備わっていた機能、操縦士のレベルや技能強化が地道な訓練と実戦経験でしか上がらなくなっていること、戦闘が終了すれば解消していたダメージが、戦闘後も残っていることなど条件はさらに厳しくなっている。を難易度の上昇などという生易しい言葉で済ますことのできる問題ではない。
「司令官殿、我々は出現した敵を現状の戦力で撃退する。これを繰り返していくしかないということでしょうか。」
ターニャは、冷めかけた珈琲を啜る。
「そういうことだ。ゲームであれば問題がなかったことが、今や最大の問題となっている。我々は終わりのない永遠の戦争に捕らわれたようなものだ。」
藤堂司令官は、一旦言葉を切る。
「そして、さらに問題なのは。先程説明した通り、ゲームの時であれば撃墜されても操縦士達は死にもしなければ怪我もしなかった。戦闘機だって修復の必要すらなかった。だが、この世界では、通常の整備に加え、戦闘のたびに補修が必要で連続して使用することなどできない。操縦士もだ。ゲームであればプレイヤーの気力が続く限り、同じ操縦士をいくらでも飛ばすことが出来たし、撃墜覚悟の特攻プレイだって何度でもできた!だが、戦闘をすれば当然それ相応の疲労をするし、負傷すれば治療が必要となる。もし、これで撃墜などされたら、どうなるか考えるだけでも怖いよ。」
藤堂司令官は、自らの握りこぶしを自分の足に打ち付ける。顔を横に向け苦虫をまとめてつぶしたような表情だ。
「あなたはお優しい人のようだ。司令官殿。ですがどのような形であれ戦争には違いなく、そして我々はしょせん軍人、殺し殺される存在です。覚悟はされるべきかと」
興奮気味の司令官に対し、ターニャは努めて冷静に返す。
「所詮ゲームの世界と割り切れればできるかもしれない、周りの風景がゲームのままで操縦士達もアニメ絵のままであったら、まだ、試せたのかもしれない。だがね、操縦士の少女たちは現実世界となんら変わない生きている生身の少女達だ。彼女達を私が死なせることもなるのかも知れないと思うといたたまれない。」
「割り切ってもらわなくてはなりません、司令官殿。いかに不本意な形とはいえ、この基地の司令官はあなたです。あなたは職務を放棄するというのなら、小官は軍法に則った行動を起こさなければなりません。」
ターニャはソファーから立ち上がり司令官を見下ろす。
「小官も理不尽な転生をした身、あなたの境遇に同情を禁じ得ませんが、責任を放棄なさるおつもりですか。」
「申し訳ない、私はまだ自分の立場に慣れていないようだ。司令官の責務からは逃げることはない。この世界にいる限り司令官の職務を全うする。それは信じてほしい。」
藤堂司令官は、デグレチャフ少佐の顔を見上げながら話す。ぎこちなくい笑い不安を打ち消そうとしている表情だ。
ターニャは、少し脅しが過ぎたかなと思った時、司令官は深く息を吐くと、言葉を続けた。
「見ての通りこの基地にいるのは軍隊的な規律とはほぼ無縁な少女達だ。志願してきた動機、経歴、国籍、能力、姿勢すら全てがまちまちだ。軍隊というよりただの集団としてのまとまりすら欠いているかもしれない。だが、彼女たちがこの世界における数限られた対抗力でもある。要するに我々は限られた人的資源の価値を高め、有効に活用しなくてはならない。」
そういうと、藤堂司令官は書棚に向かいファイルを取り出す。
「私だけだったら恐らく無理だった。だが、今日、貴官が着任した。この基地に所属する操縦士は四七名、デグレチャフ少佐、貴官を加えると丁度四八名、偶然にも貴官の率いた増強大隊である第二〇三遊撃航空魔導大隊と同数だ。大隊長、私は貴官が彼女達をうまく指導できるものと信頼している。最前線で戦いながら戦死者を出さなかった貴官の大隊と同じレベルまで高めてくれることを期待している」
ファイルを開き、藤堂司令官はデグレチャフ少佐にその中身を見せる。
「これには、基地に所属するすべての操縦士の各種ステータス値やスキル効果、特殊技能、プロフィールが記載されている。これは、当基地の技術顧問でフーファイター研究者であるDr.エリノアがそれぞれの操縦士を検査して作成したものだ。今日までの戦闘で、少なくとも操縦士達はゲームと同じ能力を持っている。まあ、これは、敵であるフーファイターも同じだがね。」
ターニャはファイルを受け取るとソファーに座りなおす。
「司令官殿、小官に丸投げなどということはないでしょうな。」
「戦闘は極力今までいる操縦士達で対応するようにする。少佐、貴官の主たる任務は教育と訓練、まあ、人材育成だ。扱いにくい個性的な操縦士達だが、私もフォローする。あと、検証会に参加した二人とあと一人足して三人ほどに協力してもらおう。後、一人は、真面目なものがいいだろう。八洲島准尉が適任だな。」
「エミリア・ユンカース大尉と鳩森少尉がフォローに入っていただけるとは少しは楽になりそうですね。あと、八洲島准尉とはどのような人物で」
「丁度、開いているページの操縦士だ。彼女は操縦士となる前は剣術道場の師範代を務めていたし、朝昼の鍛錬も欠かさない。指導教官に丁度いいだろう。」
「悪くなさそうな人選ですね。訓練はいつから開始すべきでしょうか。」
「そうだな、明日の朝礼点呼で貴官の着任を皆に知らせる。ああ、Dr.エリノアにも会ってもらわなくてはならないな。それから、打ち合わせとなると、早くて明後日か。」
「了解しました。生き残るためにもしっかりと規律というものを叩き込んだ差し上げましょう。」
ターニャは、口角を上げた笑みを浮かべた。基地での教導任務ならある意味後方勤務に等しい、今日のような突発的な不意遭遇戦でもない限り、戦闘は避けることが出来るに相違ない。
「少佐、珈琲は希望する量を必ず手配しよう。私は定年退職より先にヴァルハラへ行くのは御免だし、誰も死なせたくない。訓練の件、よろしくお願いする。」
藤堂司令官はそう言った後、焙煎された珈琲豆の入った袋をデグレチャフ少佐に渡した。
本物の珈琲も十分に手配してくれるか、素晴らしい。司令官のご希望に叶うようしっかりとした訓練を行おう。ターニャはそう決意した。