バロンの城内は喧騒に包まれていた。常駐する兵士も多いバロン城が人々の声に溢れてるのはそう珍しい光景ではないのだが、どこか不穏な空気を感じる。セシルはバロン王国飛空艇団――「赤い翼」の詰所へ向かいながら、兵士たちの様子を確認した。
どうやら、慌てている様子なのは海兵団員のようだ。
「よう、赤い翼の団長さん。随分と呑気なようで」
一定のリズムで歩を進めながら辺りを見回しているセシルの足を止めたのは、海兵団長フェリーレ=ギュミルだった。
否定はできない。城壁に併設された塔の最上階の自室で任務の報告書を作成していたとはいえ、この騒ぎに気が付かなかったのだから。
自分たちが忙しいというのに平然としている相手がいたら、イヤミの一つでも言いたくなる気持ちもわかる。
「これはフェリーレ殿。一体どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもあるかよ!風が止まっちまったんだ」
フェリーレの言葉で、セシルは海兵団が騒がしくしている理由を理解した。
海兵団は飛空艇団の設立により軍事縮小の対象となった。その上、風が止まったとなれば帆船で海に出ることすら叶わない。海兵団の不満が爆発してもおかしくない程の事態に思えるが、フェリーレが部下の不満を上手く抑えているのだろう。
セシルは状況を概ね理解したが、まだ理解できていないことがある。風が止むことなどはそう珍しい話ではない。飛空艇団の設立に伴って海兵団が縮小されたのは、動力となる風が人の手に負えないものであるからだ。そんなことは海兵団ではない人間ですらわかっている話だ。それでもこの騒ぎようということは、そういうレベルの話ではないのだろう。
「ああ、本当だセシル。上手くは言えんが、風が止まったというよりは風がなくなった、そういう感覚だ」
セシルの疑問に答えたのはフェリーレではなく竜騎士団長カイン=ハイウインド――セシルの親友でもある男だ。
飛竜に乗って空を翔ける竜騎士――その長であるカインはバロンで最も風とともに生きている人物だと言っても過言ではない。その彼が言うのだ。やはり、ただ事ではないのだろう。
「おかげで飛竜の調子が悪くてな。このままでは竜騎士団もお役御免になるかもしれんな」
フッ、とカインはいつものようにキザに口元を歪める。
竜騎士団も飛空艇団の台頭により煽りを受けた部隊の一つだ。生物である飛竜より安定した航空戦力である飛空艇の登場に加え、バロン国内の飛竜がその繁殖と訓練の難しさから数を激減させたがために、空戦部隊としての立場を飛空艇団に譲ることとなってしまい、それに伴いバロン王国最強部隊の地位を明け渡すことになった。
役割を変えた竜騎士団が大きな部隊再編も行われずに存続し続けているのは、長らくバロン王国最強の部隊として軍事力の要となっていたという功績もあるが、竜騎士の飛竜とのコンビネーションを可能とする跳躍力が単純に白兵戦で強力な武器となるからだ。事実、バロン王国軍内に一対一の戦いにおいてカインの右に出るものはいない。
つまり、先程のカインの発言は自嘲ではなく、セシルに絡んできたフェリーレへの皮肉だった。
「けっ、騎士様は気楽でいいねぇ」
バロンは封建制を取る国であり、バロン軍で騎士階級を持つものは殆どが貴族の出身である。カインの家名であるハイウインド家は竜騎士の名門であり、彼は典型的な貴族出の騎士である。
だが、例外も存在する。今、大貴族カイン=ハイウインドの隣に立っている男――セシル=ハーヴィがその例外の1人である。
セシルは貴族ではないどころか生まれすらもわからない孤児である。たまたま現バロン王に拾われ、その庇護の下で育った。ハーヴィという家名もバロン王家の旧家名を王がセシルに与えたものである。この事実を知るものはセシルとバロン王を除けばほんの数名程度であり、なぜ王の寵愛を受けているのかはバロン王当人しか知らぬことだ。
妻を娶っていないバロン王が平民の女との間に設けた隠し子がセシル、そういう噂がバロン王国では一番有力となっているらしい。さらに、セシルの並外れた剣の才能もあってか、その噂はバロン王国に爆発的に広まった。
バロンの各軍団は大まかに騎士団と一般兵団に分けることができ、軍団間の確執――とは言っても、本格的に対立するほどのものではないが――の原因は兵団間に存在する厳然たる身分の差が大きい。
「フェリーレ殿程の実力者であれば、騎士号を取るのもそう難しいことではないのでは?」
「あー、まあそうかもしれんが…俺はあの黒い鎧に身を包む気にはなれなくてね。竜騎士や近衛兵にはそもそもなれやしねぇし」
黒い鎧、とはセシル等暗黒騎士が身に着けている鎧のことである。
現在のバロンで平民出身の者が騎士となるには暗黒騎士になる以外の方法はない。噂はともかく実際はバロン王の実子ではない――そういうことにされていると国民の殆どは思っているが――セシルも暗黒騎士となることで騎士の称号を得たのだった。
バロン王国軍で唯一海上を戦場とする海兵団の長であるフェリーレは、その特殊な環境を戦い抜く中で様々な武器の扱いを習得しているバロン随一の芸達者である。白兵訓練では暗黒騎士の力の使用が禁じられているとは言え、セシルが1対1の訓練で最も苦手としている相手である。
思えば、フェリーレとこういう風に会話をしたのは初めてかもしれない。
セシルは軍学校を出てから初めは陸兵団に配属された。そこで小隊長を務め、実力を認められたことで王の勅命を受け、暗黒剣の修行のため数ヶ月ほど暗黒騎士団に在席。晴れて暗黒騎士となり――つまり騎士号を取得し――期待の新設部隊「赤い翼」の初代団長に任命された。そのような経歴のため、若いながらにバロン軍でもトップクラスに顔が広いのだが海兵団とは何れの所属部隊とも活動領域が異なるため関わりが薄かったのだ。
「それにしても、風が止まったか…」
いつまでも騒ぎをそのままにしておくわけにはいかないが、自然の力ばかりは人の手に負えるものではない。今は下手に悩むよりは自分の責務を果たす方が賢明だ。海兵団達が騒いでるのもおそらくフェリーレなりに団員へガス抜きをさせてるつもりなのだろう、と勝手に海兵団長へ期待を寄せながら、セシルは二人に別れを告げて「赤い翼」の詰所へと向かった。
バロン八軍団長はカイン以外北欧神話にちなんだ名前になってます。全員出てくるかはわかりませんが。