第10話 夢の始まり
高校の卒業式を終えた後、少しメランコリックな気持ちを抱きつつ、クラスメイトたちと歓談した。将来の夢は、一応弁護士――なれるか、分かんないけど。
最近、虫の知らせとでも言うべきか、ザワザワとした胸騒ぎがするのだ。脳裏には何度も、ローテーブルに乗っていたあの紙片が蘇る。
――"成すべき時"が近付いてきているのだろうか?
何となくの不安感に襲われて、それを誤魔化すために、家に帰ってすぐにテレビを着けた。
画面の中のニュースキャスターたちは、口々に空白の一年間――藤丸の怒涛の一年について考察し、心当たりがあるのだろう国連関係者が真面目な顔で話す英語に、和訳を付けていた。
あるコメンテーターが、笑い混じりに言った。
『幻や集団催眠では説明のつかない、これまでにない事態です。このようなことを実際に体験してみると、地球五分前仮説というものも、真剣味を帯びてきますね』
今生きているのは、全部藤丸のお陰だというのに、誰もがそれを知らないで、彼の努力を足場に、感謝もなく毎日を過ごす。
あまつさえちっぽけな五分で物事を終わらせようとしていることに、何だか腹が立った。
「……報われない物語なんて、嫌だな」
卒業式にも参加出来なかったクラスメイトの顔を思い浮かべる。彼は私を呼んだだろうか? もしそうなら、私は役に立っただろうか?
「藤丸は、本当に救世主になっちゃったんだよなあ……」
その時、私は藤丸の隣に立って――世界を救ったサーヴァントに、成れていただろうか。
つらつらと詮無きことを考えていると、ニュースキャスターが新たなトピックを読み上げる。
驚天動地の大騒ぎで取り上げられた空白の一年は、もう何ヶ月も経っていることも相まって、『新たに生まれた日本のパンダの名前』や、『辺境の島国にて新種のウィルス発見』という記事に塗り替えられていく。
『――パンダはシィちゃんとあだ名を付けられて可愛がられています。続いて次のニュースです』
コップに注いだお茶を口に運びつつ、テレビをつけたままスマートフォンを立ち上げる。何とは無しに意識を逸らせなくて、胸がざわめいた。
『このウィルスの驚くべき特徴として、なんと現地の方の証言によると、感染した方は体の末端から砂のように崩れて――』
「……え?」
――ドクン。
心臓が、おかしな音を立てた。
『感染力は極めて高く、動物を媒介に――』
――ドクン、ドクンッ。
胸を抑えて蹲る。だけど視線は画面から離せなくて、食い入るようにニュースキャスターの口元を見つめることしか出来ない。
『――現在、治療法を研究中だとのことです。では、次のニュースです』
――Do your duty.
頭の中であの紙片が鮮明に蘇ったかと思うと、視界が段々と黒く塗り潰されていく。
眠くない、痛くない。ただ自分というものが消えていく恐怖を感じながら、私は意識を失った。
目を覚ます。まるで、微睡みから覚醒したかのように、私はハッとして立ち止まった。
記憶は、薄ぼんやりとならある。でも、まるで現実味がなくて、全部が夢の中みたいなあやふやさのせいで、靄を掴もうとしているかのように、手の中をすり抜けていく。
「私……何、してたの?」
頬を冷や汗が伝って、一瞬目の前が眩んだ。手に力が入って、くしゃりと何かを握り潰してしまう。
――あっ、搭乗券がグシャグシャになっちゃう。
「って、搭乗券……?」
私は自分が搭乗券を予約した記憶を、僅かながらに思い出した。それは確かに私がした行為で、だけど、全くその行動に感情は付随していない。
まるで本を読むように。自分の事なのに訳の分からないくらい客観的で、私はその事実を識っているだけで、それは記憶というより、記録という方が適切に思えた。
「うわ、服も変わってる……いや買ったの覚えてるけど……」
黒くて、沢山ポケットが裏側についている外套を私は買った。と思う。
ポケットには到着予定の国の紙幣が幾つかに別れて入っていて、それから、試験管を短くしたようなものが八本固定されている。
到着先の国名にはまるで見覚えない。ちょっと途方に暮れていると、アナウンスが聞こえる。
「っあ、ヤバい」
自然と、自分が乗るべき便の、一つ前の便についてのアナウンスだと分かり、ぼんやり突っ立っていては飛行機に乗れないという事実に初めて思い至った。
内ポケットに入っていたパスポートを見せ、手荷物がないのを不思議そうに見られながらゲートを通過する。
番号を確認し、窓際の席に座った。手荷物がスマートフォン以外に何も無いという心許ない事実にさっき気づいて、微妙な震えが止まらない。
何、これ。着替えは? ていうかどこに泊まるの? どこ目指してんの?
余りにも無茶苦茶な采配だった。嘆いても今更キャンセルは出来ない(物理的にも何かの強制力で体が動かないので)。
仕方が無く、スマートフォンで到着予定の国について調べてみると、そこは昼間見た新種のウィルスが発見されたという国のすぐ近くにあった。
新種のウィルスの国は領土が小さく、空港が無いので、主な移動手段は船らしい。
――ドクンッ、ドク、ドクン。
心臓の音がやけに耳につく。
これだ、と思った。これこそが――私の、成すべきことなのだ、と。
「成すべきことを、為す……。私も、藤丸みたいに、世界を救うのかな」
楽しみだった大学生活、仲の良かった友達。まだ帰ってきていない藤丸にも、たくさん聞きたいことがあった。
でもそれは、全部捨てないといけないモノみたいだった。
私は多分――生きて日本に帰ってくることはないだろう。
あの『805』の鍵が恋しくて、触れるだけでも、とポケットに手を入れたが、外套を購入した帰りに、自分でゴミ箱に捨てていたことを、記録を読むようにぼんやりと思い出した。
「もう、帰れないんだ……」
飛行機が滑走路を走り出す。虚しいような、寂しいような。なんとも言えない気持ちでそっと目を閉じて、眠りについた。
次に起きた時――自分は何処へいるのだろう?
■■■
夢を、見ている。
『あー、もう、痛いなぁ。毎日怪我しまくりだよ』
少女の声がすぐ近くで聞こえる。立香は自分が何処にいるのかも分からない暗闇の中、その声に耳を澄ます。
『ああ、貴女のそれは、いつ見ても痛々しい……。もしや魔術ではなく、呪術の類なのですか?』
年老いた老人の声が、少女へと問う。
立香は、眠りから覚めたばかりのようなハッキリしない意識ながらも、魔術と呪術の二つの違いを思い出す。確か孔明が教えてくれたことがあった。
魔術は、魔力を以て行われる奇跡のことであり、呪術は、術者の肉体を素材とし、それを以て外部へと干渉する行為である、と。
『あー、うん。大体そんな感じかな。血肉を捧げて炎を借りてるんだ』
『それは、それは……本当に、申し訳ない。我らでは、手助けすら出来ませんか……』
『気にしないでよ、そもそもこれだって私がやりたくてやってる訳だし。……多分ね』
少女はポツリと付け加えると、ゴソゴソと辺りを探り始めた。何かを探しているようだ。
立香はじっとして外界へと耳を澄ます。この声を聞いたことがある気がした。とても耳に馴染む声だった。
『あ! 居た!! 変なとこに隠れないでよ、ワンタロー!』
少女の声がすぐ後ろから聞こえる。立香は悲鳴を上げそうになり、小さく飛び上がると――少女に、そのままの勢いで抱き上げられてしまった。
『ワンタロー。一人で出歩かないでって、いつも言ってるじゃん。迷子になったら置いてくよ?』
立香の両脇に手を入れ、少女は目と目を合わせて話しかけてくる。
シンプルな黒い外套と、少しすっきりした頬は、彼女を大人びて見せた。
だけど、だけど! この少女は間違いなく――!
「ワンワン!! わん!」
(深波! どうして――!?)
そう言ったつもりが、立香の声は動物の鳴き声となって発せられていた。至近距離で吠えられた深波は迷惑そうに顔を顰め、立香を地面に下ろし、宥めるように背を撫でた。
『なんで興奮してんの? 玩具でもあった?』
「わんわん! わふっ!」
(何で!? 話せない?!)
立香が混乱していると、深波は思案げな目で彼の体を隅から隅まで検分し始める。終いには下半身にまで及んだそれに、流石の立香も悲鳴を上げた。
「きゃいんっ!」
『んー? 火もまだ灯ってるのに、何で?』
そう言って深波が突いたのは、立香の心臓だった。何があるのか気になって尻を持ち上げると、水の溜められた桶の中の自分と目が合って――両手両足を地に着け、所謂……四足歩行を、自然としていることに気づく。
「わふぅ!?」
(俺、犬になってる!?)
『調子が良くないように見えますね……』
老人は深波へと畏まった様子で意見を言う。その動作も、何処かオドオドしたものであり、そんな彼の心臓部分は、犬になった立香と同じく――体内の青い炎が、透けて見えていた。
『うーん、これは多分、お腹空いたとかそういうやつだよ。だって火はちゃんと燃えてるもん』
深波はそう言って立香を抱き上げ、木で出来た小屋から出ていく。老人は囁くような声で「行ってらっしゃいませ」と言った。深波はそれに、片手をおざなりに振ることで返事をする。
太陽が眩しい。心無しか気温が高いように感じられて、立香は自然と舌を出してはっはっ、と細かく息を吐いていた。
建物の入口には、屋根の延長のように布が張られ、陽の光を遮っていた。
深波がそこから一歩外へ出た途端――突如、長袖長ズボンの男性二人が転がるように駆けてきて、深波の足元に倒れ込む。
立香はギョッとして深波の腕から逃げ出した。何が何やら分からない。
『ミナミさん! 駄目です、こいつもついにヤられちゃいましたっ!』
『うぁ、ああああ!! たすけて、助けてくれ! 死にたくない、ミナミ様ぁ!!』
『様付け止めてって言ってんじゃん……』
深波は手馴れたように恐慌状態の男を抑えつけ、レッグシースのナイフを抜き、自身の手首を切った。立香はその時、彼女の手首に同じような無数の切り傷があることに気づき、背筋がゾッとした。
「バウっ、ワン!!」
(深波、何やってるんだよ!? その傷どうしたの!?)
声が出せないことがこんなにも煩わしい。立香は足元の砂を苛立たしげに引っ掻き、深波が血液を男性に飲ませるのをじっと見ている事しか出来なかった。
血を飲んだ男は涙目で、右手の指先を確認する。彼の指は――半ばまで砂と化していた。
「ワン……!?」
(何だ、これ……!?)
さらに、彼がもう一人の落ち着いた様子の男性に助け起こされた際に気付いたのだが、彼の胸には、先程までは無かった青い炎が、内側から透けるように灯っていたのだった。
『ミナミ様、ありがとうございます!! ありがとう、本当にありがとうございますッ!! ああ、神様、本当にありがとう、助かった、生きてる、俺、助かったんだ……!』
『良かったな……! 俺からもありがとうございます、ミナミ様』
落ち着いている男性の方が頭を下げる。彼の片腕は虚ろに揺れており、隻腕であることが伺えた。彼の胸にも、深波の青い炎があった。
立香のサーヴァントだった深波は、少なくとも"アレ"を一度も使ったことが無い。"アレ"は一体どんな術なのだろうか?
感動に咽び泣く男に居心地悪げな顔をした深波は、頭を掻きながら立香の首を乱暴に掴み、早足で歩き出す。
『わ、私こいつにご飯あげないとだから! ちょっと行ってくる! じゃあね! あと様付けは止めて!』
深波はそのまま数歩歩き、前方にある長屋の角を曲がると、周囲に人が居ないのを確かめた後、浮かない顔で座り込んでしまった。
『ねー、ワンタロー。これで良いのかなぁ……? 私も、藤丸みたいに、人のこと助けられてる……?』
どうやらワンタローという犬と化しているらしい立香の両手を掴み、深波はブラブラと立香を踊らせた。
『何か、怖いし……。宗教みたい……というか確実に宗教だよ……あのお兄さんのこと見たでしょ? 私の方ガン見しながら"神様~"って言ってたよ。冗談キツすぎ……』
「わふぅ……」
(深波……)
『あのさ、ワンタローにはさ。自宅でテレビ見てたと思ったら、次の瞬間搭乗券持って空港に居た私の気持ち、分かる? 最悪だよ、泣いちゃうかと思った。今もそう。死ぬほど心細いよ』
「わフッ、バフッ!」
(俺が居るよ、ねえ深波、俺が傍に居るよ!)
両手を万歳させられているので、仕方なくペロリと手首の傷を舐める。深波はきょとんと目を見開くと、立香を抱きしめて叫んだ。
『あ~~~! 可愛い……めちゃくちゃまとも……好き………。
そうだよね、自分で選んだ道だもんね――多分。断言出来ないのが悲しいけど……。ちゃんと、やり遂げないと……』
犬の毛を撫でながら、深波は自身へと言い聞かせるように何度か呟いた。
怖い顔をしている。真剣で、思いつめたような顔。
彼女の目には温度が低いながらも熱が灯っていて、それはいっそ冷たいくらいの色をしているのだけれど、確かに意思の炎は、そこにあった。
サーヴァントの深波には――偉業を成し終えた深波には、立香が分火するまでは、影も形も無かった"決意"があった。
(深波、これから何が起こるの……?)
鈍い立香も息を呑み、流石に気が付いた。
これは、サーヴァントの――深波の、記憶なのだ、と。
春花火さん、誤字修正ありがとうございます!
前から面白そうとは思いつつも、実はエヴァ未修なので綾波レイがいまいちよく分からんのです……
そこで、いつの間にか展開被ってたら怖いなーと思いつつ恐る恐るウィキを見てきました。大丈夫でした!
感想返信は本日中に行う予定です。いつもありがとうございます(´∀`)