「戦闘開始……! アルトリア、まず露払いよろしく!!」
「了解した、マスター!」
指示の通りに駆け出したアルトリア・オルタを追って、ジャンヌ・オルタが憎悪の炎をばら撒いていく。
雀蜂の部隊は連携を取りながら銃弾を立香へ集中的に向ける。事前にマスターについての情報を伝えられているようだ。
新宿のアーチャーがそれを魔弾で撃墜し、立香は冷や汗を拭う。ちょっと危なかった。
さて、体の内部の損傷がまだ癒えていない八百比丘尼はというと。暫くは立香に肩を借りながらじっと戦況を見ていたが、戦乙女たちが剣を振るう姿に焚き付けられたのか、不意に歯がゆそうな顔で口を開いた。
「どうか、私の体をあの戦場に投擲させてください」
「っと、投擲……!? 投げるっ? 自力で立てないのに!? なんで!?」
立香は余りの困惑に叫びまくった。八百比丘尼は煩わしそうに目を細めたが、やがて立香が新宿のアーチャーにそれを指示する様子がないのを見て取り、自力で壁伝いに歩き出してしまう。
彼女は徐に自身の腕を切り裂き、手のひらまで垂れた血を忌々しそうに眺めた。
その手を心臓に押し付けると、魔術刻印は輝いて、彼女の身体能力を強化する。
「八百比丘尼、危ないよ!!」
「私は、この身の業火から解かれたいのです。その為ならば、何度傷つこうが無いものと同じとさえ、思ってしまいます」
八百比丘尼は自分の中の異物を厭うように顔を顰める。そして自身の中にある業火――深波の魂を、早く使い切りたいと、億劫そうに告げた。
立香は少し息を飲んで、躊躇した。深波の魂は深波のもので、彼女のものではない。
しかし――どうすれば止められるというのだろう? 彼女はただ、自身を傷つけるだけで良いのだ。彼女の意思一つで、深波の残滓は消える。
彼女を拘束なんてしたくないし、そうまでしても口内を噛めば、爪で指先を引っ掛けば、彼女はすぐに炎を呼び出し、自由になってしまうだろう。かといって、サーヴァントたちに抑えてもらうのは、余力の無い今賢い選択とは言えない。
戦闘の際にはいつも何かを切り捨てて、次の何かを手に取る必要がある。立香は、今や殆ど無意識に行えるようになった、瞬間的な取捨選択を引き伸ばし、歯を食いしばって考えた。
代替案は全てリスクが大きすぎる。良い案は思い浮かばない悔しさを、拳を握って耐え立香はそれでも考え続けた。
新宿のアーチャーは、善意の呵責に苦しむ立香を見兼ねたように、優しい声で囁いた。
「マスター君、彼女はもう深波君じゃないんだ。君の知る深波君は、君をそんなに苦悩させてまで怪我を望んだりしない。違うかい?」
「……でも」
「こんなことはあまり言いたくないが、手遅れなんだよ。もし深波君の霊子を残したままにしていたら、いつか洗脳された彼女が表に出てきてしまうかもしれない。そうなったら、真っ先に傷つくのは君だよ。……色んな意味でね」
新宿のアーチャーは胸中で、"深波真昼の自意識の希薄さは、洗脳されたせいだ"という真っ赤な嘘を告白しないことを謝罪した。
アルトリア・オルタに視線をやると、彼女は小さく頷く。彼女も、不要な精神的ダメージを立香に与えるのは反対のようだった。
八百比丘尼は凪いだ顔で立香を見ていた。彼女の中で全ては決定しており、立香の決断などはそこに入り込む余地も無いようだった。
立香は臍を噛み、せめて八百比丘尼が無駄に傷つくことがないようにと、指示を出した。
「今から、ジャンヌたちに下がってもらうから、その時に……。……その時に、炎を呼んで欲しい」
「ご命令感謝します、マスター」
にこり、と浮かべられた微笑みは妙に酷薄で、冷たさすら感じさせる大人の笑顔だった。
立香はその顔を見て、そういえば、とまじまじと彼女を見つめる。
彼女は、あの"夢の中の深波"にそっくりだ。つまり、カルデアにいる深波の霊基よりも、少し歳を経ている。
ふと何かが引っかかって、ファーストコンタクトの際の凄惨な傷を負っていた彼女が、黒い外套の下に着ていた服を思い出そうとすると――炎で服が燃えたためかだろう――やたらと露出が増え、ジャンヌ・オルタが旗で庇ってやっていた柔肌が浮かんで、急いで頭を振る。注目点はそうではない。
確か、丈の短いホットパンツを履いていたはず――燃えて短くなったのかもしれないが、とにかく、衣類の切れ端から推察すると、彼女はいつもの学校指定のスカートを履いていなかった気がする。
(なんか、変だな……)
英霊は常に最盛期の姿で現れる。ブレザー姿の、それも袖の余っているような成人もしていない深波が最盛期なのは、恐らく蒼炎を使用しておらず、最も魂が十全に残っている時期だからだ、と解釈できるが……。
しかし通常では、赤焔の使い手として呼ばれるという深波。
赤焔の深波は明らかに立香よりも年上の姿で、肉体的に言えばあれが最盛期と認定されてもおかしくない。だが、青の劣化である赤い炎しか呼び出せない――魂が充足でない状態が、サーヴァントととしてのデフォルトであるならば、カルデアに居たのは……。
(カルデアに居た深波は、一体何が特別だった?)
八百比丘尼を見つめながら物思いに耽るうちも、彼女は恐れ知らずに戦場を闊歩していた。
彼女は敵に攻撃されるのを避けもせず、腹や足、腕に怪我をしながら歩いていく。
やがて最も混戦状態になっている敵の多い所へ行くと、八百比丘尼は慣れたように手首を切り落とし、魔術回路を励起した。
「
いつも深波が使っていたトリガーワードに、懐かしさを覚えて目をゆっくりと閉じる。真紅の炎が勢いよく立ち上がり、瞼の裏へと赤く広がった。ジャンヌ・オルタが、巻き込まれでもしたのか大声で八百比丘尼を罵倒するのをBGMに、敵は全て灰も残さず消えていく。
「……はぁ。少し、楽になりました」
八百比丘尼は既に再生を始めている手首の断面を、立香を気遣ってか外套のポケットに隠すように入れた。それから、まるでくしゃみをした後のように、ほうと息をついていた。
痛みを消して、恐れもせずに傷を負い、さらに時間を置けば何もかもが治ってしまうその体。
八百比丘尼は現状味方である。その目的は多分、炎を行使して、深波の魂を消滅させること。
敵方に居た頃は必要以上の炎の行使を禁じられていたそうなので、彼女が敵に回ることは無い。はずだ。
だというのに、何故だろう。
もしも彼女が蒼炎を呼び出せていたら、なんて。不意によぎった思考に、背筋が凍ったように感じた。
◆◆◆
八百比丘尼は戦闘の度に身を呈して戦場を燃やす。見た目は確かに深波だというのに、明らかに異質な行動に少し混乱するが、立香は心を押し殺し、気にしないように務めた。
本当は、嫌だ。
だけどあの体は現在八百比丘尼のもので、深波の意思はもうほとんどない。だったら、仕方ないのだ。
葛藤する立香は今、エミヤ・オルタへの奇襲のため、アーラシュフライト(新宿版)を迫られていた。八百比丘尼は既に手首を切り落として、血を垂らしている。魔術回路へ魔力を通すだけで、すぐに着火できるようにするためだ。
そんな八百比丘尼へと、手を伸ばす。
アーラシュフライトは立香の中での恐怖ランキングでかなり上位を占めていて、正直トラウマである。
でも、深波が居たら、我慢出来る気がするのだ。深波は、我慢するのが良くも悪くも得意だったから、力を分けてもらえる気がする。
「八百比丘尼、ごめん。手を握ってくれないかな」
ここに居るのは、深波ではない。八百比丘尼も、立香が本当に求めているものを分かっているようだったが、無言で手を握ってくれた。
中身が違っても、体は同じものだから、目を閉じればまるで深波がそこにいるように錯覚出来た。
いや――錯覚ではなく、ここに、確かに存在している。
微かな魔力のつながりで、彼女の魂がまだ肉体に根付いているのを感じた。
懐かしさが、悲しみと共に去来する。立香と一緒に戦った深波じゃないけれど、紛れもなくこれは、立香の友達の女の子だった。
「八百比丘尼、それから――ねえ、深波。今回も、今回こそ、一緒に世界を救おうね」
「はい、マスター」
八百比丘尼は間髪入れず頷いて、その後、何故だか僅かに嫌そうな顔をした。
作戦は守備良く進み、エミヤ・オルタ率いる雀蜂はコロラトゥーラの群れに襲われる。
八百比丘尼はあらかじめの指示通りに炎を召喚し、その赤焔はコロラトゥーラを伝播して雀蜂たちへ燃え移った。
「人の後輩を随分扱き使ってくれているようだな」
エミヤ・オルタは時間稼ぎのためか、挑発するように笑って言った。
立香は一瞬返事に窮した。現在進行形の事実としてだけでなく、どんな事情があろうとも、彼は八百比丘尼を何度も負傷させてしまっていた。
「ですがデミヤ様、私はマスターのお陰で――!」
「――フン、"様"……ねぇ? 本当にどれだけの血を流させたんだ、救世主殿。いや、もしやそれさえも……」
エミヤ・オルタは、八百比丘尼のことなど些事であると言わんばかりに注意を逸らし、新宿のアーチャーを見た。彼の顔には表情らしい色はなく、すぐに逸らされた視線の意味は、ホームズでさえ今は理解出来ない。
「デミヤ様! 私は、私は八百比丘尼としてここに立っています!!」
八百比丘尼は焦ったように、顔を赤くして叫ぶ。しかしそれでも、エミヤ・オルタは寝返った彼女に何ら感慨を抱く様子もなく、無関心に他所を向く。
八百比丘尼の声など聞こえないように。まるで無価値であるように。
「私は、八百比丘尼は、貴方様のことを、貴方様と、っ、あ、なた、さま、と……!」
突然、彼女の声が途切れる。まるで何かに阻まれるように唇は震え、声は消えてしまった。不自然に閉じられた自身の口を抑えて、八百比丘尼は混乱していた。
「どうして、どうして言えないのですか。私は、どうして――どうして!!」
「流石だな、
「――なんですって?」
八百比丘尼は目を釣り上げて唇を噛んだ。その顔は――嫉妬の念に満ち満ちていた。
「また、またです、また深波、深波真昼! この霊基に残るちっぽけな残り滓の癖に!! 邪魔をしないでください! 私は、ただデミヤ様に――っ!
っ、どうして、声に出すことも出来ないの!?」
「滑稽だな、八百比丘尼。その体に深波が残る限り、人類、世界に反することなど口が裂けても言えまいよ。何故ならその女はアラヤの生き人形なのだから」
立香は二人の対話を固唾を飲んで見守っていたが、にわかに細い腕に体を担ぎ上げられた。
目を見開き振り返ると、アルトリア・オルタは無言で塔を指した。確かに当初の予定では、八百比丘尼が時間稼ぎをして、その間に立香たちが離脱する、という計画だったが……。
八百比丘尼の尋常でない様子――有り体に言うと今にも泣き出しそうな様子が気にかかったが、今優先すべきは時間なのだと思い出す。急がなければ、隕石が落ちてしまうのだ。
無意識に顔が歪んでしまうが、なんとか頷きを返すと、アルトリア・オルタは頼もしい細腕で立香を抱えたまま疾走を始める。立香はじっと遠ざかる八百比丘尼の方を見つめていた。
「……行ったか」
「デミヤ様……」
「八百比丘尼、お前がどうしようともオレは構わない。ただ最後に帳尻合わせが上手く行けばそれで良い。
それから――深波、まだ聞こえているなら、精々上手くやれよ。終わったら手を貸せ。俺一人では少々荷が重い」
エミヤ・オルタはそう言うと、すぐに塔へ向かって歩き始める。
八百比丘尼は追いすがろうするも、コロラトゥーラが割り込み追いつけない。彼女は悲痛に何かを言おうとして、そして結局何も言えないままに終わってしまった。
コロラトゥーラを殲滅することなど、八百比丘尼にとっては容易いことだった。赤焔は蒼炎よりも弱いが、それでも人間一人、一瞬で蒸発させることくらい出来る。
燻る炎と、タンパク質の燃える臭いに囲まれて、八百比丘尼は耐えきれずに涙を零す。
自分の願いはそんなにも傲慢なのだろうか? どうして邪魔をするのか?
怒りの余り心臓を抉り取ろうとも思ったが、そうすれば計画が狂ってしまう。まだ大切に取っておかないといけない。自身の、願いを叶えるためにも。
「デミヤ様、デミヤ様、私、私は貴方様の本当のお名前も知らないのです。私はそれが知りたい。呼びたい。貴方様のお手伝いがしたいのです。私を見て欲しいのです。共に月を見たいのです。話をして欲しい。側にいて欲しい。そして、私は貴方に――っ」
八百比丘尼の本当の――心からの願いだけは、矢張り生み出すことも出来ずに、口の中で消えてしまう。
「ああ――なんて憎らしいのでしょう」
一見何も無い場所に女一人。餌に釣られたチンピラが下劣な笑みを浮かべて声をかけようとする。
その手が触れる前に、八百比丘尼は自身の憎々しい体を切り裂き、血をこぼした。
「死になさい。早くッ、早く、死になさい!!」
半狂乱で八百比丘尼は体に傷を増やしていく。炎は感情の高ぶりに比例するように、その激しさを増していった。
人が何人も焼かれ、炎は強く燃え上がる。八百比丘尼は、何度も何度も呪詛を吐き、恨み妬みを刃に乗せて全身を刻んだ。
「死ね、消えろ、燃え尽きろ、いなくなれ!! 深波、真昼ッ!!」
――『死』ってそんなに綺麗なものでもないし、怖いものでもないと思うよ?
「――うるさいッ!!」
幻聴か、彼女の声が聞こえた気がして、怒りの炎に油が注がれる。
どうして、邪魔をするのだ。どうせ、消えるくせに。消えてしまうくせに。
「私が何もせずとも消えるなら、今消えたって構わないでしょうッ!? 邪魔を――しないで!!」
――ぶつん。
衝動に任せ、勢い良く切り落とした腕が、街の一隅を炎の海にする。八百比丘尼はその中央で、いつになくすっきりした頭で微笑み、塔を見つめた。
エミヤ・オルタの居る塔を。
更新速度落ち続けます
次で多分新宿編終わりです
まめ鈴さん、誤字修正ありがとうございます(´∀`)