隕石はついに概念の拘束から解放され、魔弾として装填されるという憂き目から逃れた。
新宿を中心に始まる破滅の序曲は、またも彼のマスターの手で防がれたのだ。
が、遅い。遅すぎた。星は自力では戻れないところまで来てしまっていた。
最早、巨石が地上へと落下する運命を阻止できるのは――世界を守れるのは、たったの二人のみ。
己を嗤う正義の味方は、不敵な顔で銃を投影した。
「オレが砕く。だが砕くだけが精一杯だな。
アンタが一掃しろ。堕ちた騎士王でも、星屑を蹴散らす程度はお手の物だろう?」
堕ちた騎士王は嘲りを無視し、真剣な顔で問うた。
「……砕くとは大きく出たな。できるのか、貴様の魔術もどきで」
「できるさ。オレは不出来な魔術使いだが、それだけは得意でね。
――そら、増援も来たようだ」
エミヤ・オルタの視線の先には、全身から血と火を噴き出す女が居た。
まるで地獄そのもののような光景にも狼狽えず、騎士王は躊躇いなく剣を向ける。しかしエミヤ・オルタはそれを止め、自ら女の前へと足を進めた。
「八百比丘尼、何か用か?」
「ええ、ええ! 勿論に御座います、デミヤ様!
嗚呼、私、今度こそは、今こそは言えます! どうか、どうか私の言葉をお聞き下さい!!」
「ああ、聞こうとも。言ってみろ――お前の望みはようやく叶うだろう」
エミヤ・オルタは全てを見透かしたように口端を上げた。
八百比丘尼にはもうまともな思考は残っていないように見えた。自傷により大量の魔力が漏れ出し、今も吹き出す炎は頼りなく揺れている。
それでも彼女は歩みを止めなかった。それが彼女の願いだったから。
「――嗚呼、嗚呼、嗚呼!! わたし、私は、貴方様のお名前を知りたくてっ、貴方様と共に過ごしたくて、苦しくて、愛おしくて堪らないのです――! こんな思いを抱いたままッ、置いていかれるのはもう嫌!!」
頬を紅潮させて、八百比丘尼はヨロヨロとエミヤ・オルタへと近づき、そして火の宿る腕を彼へと伸ばす。
「だからッ!! 私と一緒に――今すぐ死んでぇ!!」
八百比丘尼は陰惨に、まるで呪うように叫ぶと、自身の心臓を刺し貫いた。
そして死に体でありながらもそうとは思えない力で、エミヤ・オルタに腕を絡め、炎の抱擁をする。彼女は破滅へと近づきながら、恍惚のため息を吐いた。
「嗚呼……っなんてしあわせなの、これが、死というものなのですね……」
「アーチャー! まさか諸々死ぬ気か!!」
炎は赤く煌々と燃え上がり、エミヤ・オルタを灰燼にせんと揺れ動く。
しかし彼に焦りは無い。無言で、まるで八百比丘尼の抱擁に応えるかのように、彼女の背に手を回した。
「あぁ……デミヤ、様」
「貴様の望みは死ぬことだと思っていたが、まさか愛しい相手との心中だとはな」
「わ、私は、何人もの伴侶を得ましたが、みな、私よりも、す、すぐ、に死んでしまいました。当の私、は、不死の……っ、特性により、肉体が消滅しても、っケホ……マナを、吸収して、蘇ってしまうようになり……。
だから今回が、今回だけの、絶好の機会なの、です」
死を望む八百比丘尼が、深波真昼という英霊に合成されたのは幸運だった。
深波真昼という肉体の持つ、炎の対価として魂を溶かしこんだ魔力を、龍に捧げるという性質。
八百比丘尼の魂は肉体と強固に結びつき、僅か一つの細胞でも生きていれば、魂が肉体から離れることは決してない。一方で、八百比丘尼の肉体は、あの人魚の肉を食ってからは、九割九部が消し炭になろうとも、お構い無しにマナを食らって蘇る。
しかし、深波真昼の肉体に宿った今ならば。炎の対価、その貯蔵庫たる心臓へと、魔力を染めるなんてまだるっこしいことはせず、直接魂を焚べれば、不死などもはや意味をなさない。
よしんば肉体が残ろうとも、八百比丘尼の魂は、深波の欠片と同じく幻想の薪となり、死滅する事が出来る。
「一度、一度だけで良いのです。世界にこの消滅を観測されれば、今もこの世のどこかにさ迷う"八百比丘尼"をも、因果の渦が絞め殺してくれるはず。
愛しい人と共に死ぬ――こんな終わりを、いつか"八百比丘尼"が迎える……。嗚呼、なんて、しあわせなの」
擦り寄る八百比丘尼を退けることもしないエミヤ・オルタは、ついに炎に焼かれ始める。
アルトリア・オルタは八百比丘尼を切り捨てようとしたが、エミヤ・オルタが苦痛の声も漏らさず、冷徹な――ぞっとするほど色の無い目で女を見ていることに気づき、踏みとどまった。
彼は八百比丘尼の妄執に付き合わされながらも、それに揺られることも、あてられることも、怒りに震えることもない。
ただ、冷静に、冷淡に、まるで機械のような思考で動いていた。
彼が八百比丘尼の背に回した手は、ゆっくりと翻り、構えを作る。
「
「……っあ、ぐ?! っ、そ、んな、ことを、なさっても、むいみ、ですの、に」
八百比丘尼が傷つけた心臓を、背面からもう一度貫く。
エミヤ・オルタは抵抗のつもりでそうしたのだろうが、痛みで離れるような、柔な生き方をしてきた覚えはない。八百比丘尼は小さく苦笑して、逆らうこともせずに背を深くまで穿たれた。
「ほら、炎が強く、なった、だけ――? ……へ?」
炎が、強くなった。核となる心臓が完全に壊れ、広げられた穴から血液が噴出する。
それはたちまち龍に食われ、炎が――
「その体は血の一滴、髪の毛一本に至るまでが世界を救う為に作られたもの。どんな状況下であれ、宝具だけは発動できるよう、最低限の魂は残るように設計されている……らしいぞ?
宝具の使い方も知らんようでは、矢張りお前では役に立たんな。深波に代われ。心中ごっこは別の時、別のヤツとやるんだな」
耳元で囁かれると共に、背から刃物が抜かれる。途中肺を傷つけたのか、口から血が零れ落ちた。
八百比丘尼は、愕然としながら必死でエミヤ・オルタにしがみつく。
聞いていない、聞いていない、そんなもの、聞いていない!
「い、いや、いや、いやぁ!! 私はデミヤ様と一緒に死ぬの!」
しかし意思に反して脱力して行き、八百比丘尼は地に座り込んでしまう。
体が破裂してしまいそうだった。呼吸さえも遮る膨大な量の魔力に耐えようと、彼女は自身の体を抱きしめながら、苦しみに喘いだ。
このままでは肉体が魔力に耐えきれず、崩れてしまう。八百比丘尼は自己修復に全てのオドを宛てて、魔力の暴走を抑えた。
八百比丘尼の体からは青と赤の炎が混ざり合いながら立ち上る。彼女は苦悶の声を上げながら、それでもエミヤ・オルタの体に縋るようにして立ち上がろうとしていた。
八百比丘尼が愛に狂い、魔力に苦しむ一方で、エミヤ・オルタは冷静に考えを巡らせていた。
彼は深波が宝具を拒絶するところを見たことがなかったので、こんなにも八百比丘尼が粘るのは正直計算違いだった。
どうしたものか――と天を仰ぐと、そこには大きな星屑があった。
「深波、いい加減に起きろ。オレのことを先輩と呼ぶ限り、怠惰は許せんぞ」
「……ぁ」
エミヤ・オルタが八百比丘尼の頬を掴み、無理やりに上向かせる。八百比丘尼はそれに反抗して、エミヤ・オルタの手を掴んだが、それも今にも堕ちんとする隕石を見た途端に止んでしまった。
ドクン、ドクンと鼓動の音が聞こえる。
八百比丘尼の体はたちまちに彼女の制御下から抜け出してしまい、何かもっと、高位の者の命令通りに、勝手に動き出す。
アスファルトの冷たさを感じてから、自身の手がいつの間にか落ちていることに気づいた。
「もうすぐ隕石が堕ちる。さあ――世界を救うぞ」
「あ、ああぁあぁぁぁ……いやぁ……! デミヤ、様ぁ……!」
八百比丘尼の目に溜まった雫が、頬を伝ってエミヤ・オルタの指を濡らす。
涙の雫は――青く燃え上がり、エミヤ・オルタに小さな火傷を作った。
「――デミヤ先輩、私は何をすればいいですか?」
「遅すぎだ。心臓は木っ端微塵にした。宝具の準備は十分だろう。
オレは隕石を砕く。騎士王は破片を消滅させる。お前はオレたちが撃ち漏らした分を燃やせ」
「はい、分かりました」
深波はすんなりと頷き、八百比丘尼という構成要素が消え、再生どころか崩壊を始める体で立ち上がった。霊基に対して霊子が足りない。足の方から、体が金燐に分解されていく。
それでも彼女に焦りはない。どうやらカルデアのマスターは、この人形のような深波ではない"深波真昼"を知っているようだが……。エミヤ・オルタは彼女と"職場"でしか出会ったことが無いので、そんな深波の姿などは見たことがなかった。
本来の彼女とは、どんな人物だろうか?
何故か初対面でデミヤ呼び、それも先輩付けをするくらいなのだから、相当図太いやつに違いない。
エミヤ・オルタは、益体もないことをらしくもなく考えた後、八百比丘尼が消えたと同時、笑えるぐらい人間性を失った深波を小さく笑った。
この状態の深波は、後輩を自称するだけあって自分に似ている。
そろそろ時間だ。エミヤ・オルタは自嘲の笑みを収め、顔から表情を消す。それから大きな星屑を見上げ、銃を握り込んだ。
何故か鼓動が早まっていく。緊張ではない。恐れでもない。これはアラヤに呼ばれる時、そして主に――人を殺さずに世界を救う際に、しばしば起こる現象だった。
落ち着かない感覚は、気を散らすには足りないが、それでも自分の中の何かが、胸に異物感を与える。だけど、これは嫌な感触ではない。いや、寧ろ――。
「ッフ……悪く無い」
■■■
かくして、無事隕石は消滅したのであった。
助けてくれたサーヴァントたちが次々に消えていくのを見送りながら、立香は少し塔の上部を気にしていた。
八百比丘尼が登って行ったと、アンデルセンが「尼に関わるとロクなことにならん。そんな気がしてきたな!」と皮肉を付け足して言っていた。
立香は深波がどうなったのかが気がかりだったが、今はジャンヌ・オルタの生還が嬉しかった。微笑みを浮かべて心底からの感想を述べると、彼女は目を逸らし、少し決まりが悪そうに照れた。
「――サーヴァントってのは死ぬのが当たり前で死ぬようにできてんの。死んだからっていちいち悔やんでたら、アンタは毎日葬式やらなきゃいけないってーの」
「その死生観には賛成だな」
突然話に割り込んできたエミヤ・オルタに、ジャンヌ・オルタは嫌そうに顔を歪めた。が、しかし。何か言葉を吐き出すよりも先に、彼女は目を見開いた。
エミヤ・オルタの背には、消滅しかけている深波が背負われていたのだ。
「どうやら微かな記憶に引っかかるものがあるらしくてな、どうしてもと言うから連れてきてやった」
「深波……! 俺のこと分かるの!?」
「ええと、ふじ……藤、ナントカ君、ごめんね、名前も、もう思い出せないんだけど……。
この肉体に残ってた、ほんの一欠片の魂に……ちょっとだけ、入ってた記憶にさ、どうしても、君の助けになりたいって……思いが、あって……」
「人の背中で寝るな」
「うん……」
光がキラキラと綻んで、深波から溢れ出る。彼女は今にも消えそうになりながら、必死で何かを言おうとしていた。
「あのね、八百比丘尼が自己再生に魔力を使ったから、破裂しなくて済んで……あと、デミヤ先輩たちが頑張ってくれたお陰で、宝具使わなくて済んで……。
この体、珍しく龍に食べられずに、真っ当に座に戻れるみたいだからさ、今なら記録を、持ち帰れる、から……どうしても、聞い、て、おきたい、ことが……」
「なに、何でも聞いて? ちゃんと答えるよ、答えるから、ねえ――まだ消えちゃダメだ!!」
立香は思わず叫んだが、霊基の消耗が激しすぎるのか、彼女は半ば眠っているような顔で、ついには瞼を殆ど下ろしてしまう。
それでも眉根を寄せて眠気に耐え、彼女は問うた。
「ねえ、わたし――ふじまるの、やくにたてた?」
不安そうな声とその表情は、いっそ残酷なまでに真っ白で、本当に何も知らないようだった。
彼女の座に刻まれた記録に、立香と冒険した深波の記録は、ほんの僅かにも残っていないのだと。
再召喚した深波には存在しない空白の、人理救済の旅路の記憶が、座に持ち帰られることもなく、龍に食われてしまったのだと。
あの欠けた記憶が、座に戻っていたと信じることさえ許されないのだと悟った。
「――とっても、助かったんだ! 深波が居なきゃ、人理を修復出来ないぐらいだったんだ!!
本当に、本当に……深波のお陰で、っ俺……! 深波が、信じてくれたお陰で、最後まで走って――救世主に、なれたんだよ……!!」
「……そ、っかぁ……よ、かっ、たぁ…………」
深波は心底安心したような顔で、涙を流す立香を見つめた。
それから緩慢な動きで手を持ち上げると、そっと立香の涙を拭おうとして――自身の指先が透けていることに気づき、諦めたように笑った。
「もう、時間切れ、かぁ……」
「――ちょっと、待ちなさいよ」
ジャンヌ・オルタが、目に涙を滲ませて、ツカツカと深波に歩み寄る。彼女は……突如深波の両頬を引っ張ると、涙目で吠えた。
「わ、私のことも! 覚えて行きなさいよね!! トランプで私が負け続けた時に、アンタがわざとイカサマして負けてたなんて、後から聞かされてどんなに屈辱的だったと思ってるの!?」
「え……ご、めん?」
「そういうワケだから! 次会った時は正々堂々勝負よ!! 情けは無用!
だって私とアンタって――友達なんですもの!! 空っぽの座に、精々くっきり刻んでおくといいわ!」
フン、と言いたいことを一通り言うと、ジャンヌ・オルタは背を向けて、ぐずぐずと鼻を鳴らした。どうやら泣いているようだ。
「毎日が葬式になるから、サーヴァントの死なんてどうってことないんじゃなかったのか?」
「っるさいわね!! ソイツは別枠よ! 何で、記録すら持ち越して無いのよ! 有り、得ないっ、んですけど……っ!」
立香は自分の涙が後から後から何度も零れるのを感じていた。拭っても止まらなかった。さっき、深波が拭っていてくれたら、きっとあっという間に止められていたのに、と思った。
深波は本当に眠っているような穏やかな顔で、完全に目を閉じてしまった。光は一層強くなり、いつもサーヴァントが消滅する時と同様、美しく儚い音を立てて彼女の霊基は崩れ始める。
立香はそうっと近寄って、あの日夕焼けに燃える教室で、深波が握ってくれた――今は令呪がある方の手を伸ばして、眠るように穏やかな彼女の涙を、そっと拭ってあげた。
年内更新は無理かもしれませんすみません……
次はオリジナル特異点で伏線回収してハッピー? エンド? になる感じです
書いてる途中で気が変わらなければ