第19話 黄昏色の希望
「……立香、まさか目開けたまま寝てる?」
にょきり、と突然横から深波の顔が視界に生えてくる。驚いて身を引くと転びかけてしまったが、それを支えてくれたのもまた深波だった。
「お、起きてるよ? でもぼーっとしてたかも……」
「凄すぎるよ立香……もしかしなくても、賢王様のお話聞いてなかった?」
なんとも言い難い顔で眉を潜めながら、深波は恐る恐ると立香を庇うように立ちながらギルガメッシュの様子を伺った。
「……構わん。特に赦す。貴様の浅はかな心情も、まあ汲んでやる」
「許されるんだ……立香はやっぱり凄いなぁ」
深波は感心したように頷くと、再び席に座り直し、エミヤに用意してもらったというショートケーキを口に運び始めた。
立香も手にティーカップを持つ。澄んだ色を紅茶に、立香の不景気そうな顔が映った。ギルガメッシュ曰くの"浅はかな心情"のせいで、ここ最近立香は上の空になりがちなのである。
王様曰くの浅はかな心情は、立香にとって割と深刻だった。何せ大切な友人に関することなので。
新宿での戦いの後、立香はいよいよ深波というサーヴァントについて疑問を覚えていたのだ。
カルデアに居る深波は、他とは明らかに違う。サーヴァントという構造的に、おかしいのだ。
通常、深波真昼は、宝具を発動する瞬間を除き、青の下級、赤い炎しか召喚出来ないくらい少量の魂を持って顕現する。
それが深波真昼の正式な分霊のはずだ。だったら……だったらこの深波は何だ?
やけに気になって堪らなかった。自分が第七特異点で深波を殺させてしまった負い目からだろうか? いや、違うだろうと思う。
予感があったのだ。これが深波を救う――マーリン曰くのハッピーエンドの手がかりであると。
紅茶はとても美味しくて、口元に近づけるだけで鼻腔に豊かな香りが広がる。立香はそれを飲み干すと、また野放図に広がっていた思考を無理やり断ち切って、ギルガメッシュへと問うた。
「ええと、すみません。それでどんなお話でしたっけ……?」
「再度語るも吝かではないが、ここは敢えて止めておこう。貴様の貴様足る由縁――つまりその図太さだ――を目の当たりにした今、その小さな頭蓋は空っぽのままの方が良いと確信した」
「ッエ……」
褒められ? ている?
罵倒されているにしては声色は穏やかだ。立香は首を傾げながら、彼がそうした方が良いと言うのなら、と自分を納得させる。
「ではな、立香。お前の思うがまま動き、雑種なりに精々励むが良い」
「励む? それってどういう――」
『立香君、緊急事態ではないが急いで管制室に来て欲しい! きっと飛び上がるぐらいハッピーな悪い知らせがあるぞ!』
「……ハッピーなのに悪い知らせって何なんだ?」
何はともあれ、呼び出しは呼び出しである。立香が駆け出すと、深波はギルガメッシュにお辞儀し、彼を追って部屋を飛び出した。
今まで、特異点を走る内に磨かれた直感というやつだろうか、それとも、立香の持つ運命力というやつだろうか。
とにかく、何かしらが立香に囁きかけてきていた。
この異変は立香の人生において、とびきり大きな出来事の一つになる、と。
それこそ、世界を救うのと同じくらいに。
「藤丸立香、到着しました!」
「おおっと、思ったより早いな。相変わらずの健脚だね、我らがマスターは」
立香は管制室の辺りをキョロキョロ見渡すが、今まで特異点反応を見つけた時とは比べ物にならない静謐な空気が流れている。
人員は不思議と少なく、カルデアスにもぱっと目に付く異常はない。悪い知らせとは何だろうか。皆目検討もつかなかった。
「ダ・ヴィンチちゃん、ハッピーな悪い知らせって一体何なの?」
「ふふふふ……待ちたまえ。もうすぐモニターに映し出されるからね。それを見れば、君なら一瞬で分かるはずさ。
よーしマシュ、例の地点を拡大だ!」
「はい!」
二人は何処と無く嬉しそうだった。立香は頭にクエスチョンマークを浮かべながらも、二人の作業を見守っていた。
そして、ダ・ヴィンチちゃんの示したモニターに映っていたもの。
それは――青い炎の平原だった。
「この映像は、君の守った2016年よりも先の未来……その断片だ」
炎の燃え盛るその世界は、ブツリと不自然に途切れていた。地球平面説を彷彿とさせる歪な空間は、立香の脳裏に"あの夢"を思い起こさせる。
深波が、何かを言おうとしていた。信じられないといった様子で、彼女は真偽を確かめるためにも、一歩モニターへと足を踏み出した。
「ご覧の通り、炎の海だ。でも心配はしなくていい。これは人理焼却の火じゃなくって、もっと局地的なものだ。
というか、もうお察しだろうが――これは、深波ちゃんの炎だ」
「じゃあ、もしかして、深波はまだここで……」
声が震える。伸ばした手が液晶に触れるが、それは何の熱も立香に伝えてくれなかった。
それでも深波は立香の手首を掴み、彼を液晶から引き離した。忌々しそうな目は、青い炎へ向けられていた。
「何考えてるかわかるよ。でも絶対ダメ」
「でも、深波はまだ生きてる!!」
「そりゃ、そうだよ。だって、世界が救われてまだ一年も経ってない。この頃の私はまだ……」
そこで深波は訝しげにモニターへと視線を移した。
「まだ……龍なんて喚んでない。私が死ぬには早すぎる。ダ・ヴィンチちゃん、これって……」
「未来の映像、じゃあないんだな、これが。でもそれに近しい所ではある。深波ちゃんの炎は凄いね、本当に。
君は、死の間際に呼び出した龍に何を命じたんだい? 教えて欲しいよ――まさか、"時"と"空間"なんてものすら、焼き尽くすなんてね。このノリで因果も焼却出来るのかい?」
「……宝具発動したら、出来るかもね」
少し和んだ様子で微かに笑いながら、しかし深波は眉をしかめた。彼女はまるで戦場にいる時のように、体を強ばらせて状況を油断なく見据えていた。
「何処からも切り取られた世界。炎は時を焼却し、この空間は燃え尽きるまでの間、全てから分断されている亜空間だ。
何処でもない世界、何処でもない場所。そんな特異点でも、シバなら観測することが出来る。そしてここは、未来だけど未来じゃない。つまり?」
「まだ生きてる深波を、助けることが出来る!」
「その通りさ。どうも、深波ちゃんは不本意なようだがね」
水を向けられた彼女は、怒りに眦を釣り上げながら吠えた。
「あったりまえじゃん!! 最早死んでるのと同義だよそんなの! そもそも! こんな規模の炎呼び出しといて私の心臓が無事なわけ無いから! もう死んでるから!」
「心臓なんて、時間が止まってるんならどうにでもなるよ。それに、ダ・ヴィンチちゃんはハッピーで悪い知らせって言ったんだ。これはハッピーな部分でしょ? まだ続きがあるはずだ」
明らかに深波を助けに向かうことが前提の立香の言葉に、深波は唖然として言葉を失っていた。
心臓なんてどうにでもなるよ? 彼女の人生において一度も聞いたことのないフレーズである。開いた口が塞がらなかった。
「鋭いなー、立香君。正解だ。悪いお知らせも勿論ある。
そもそも、幾ら特異な隔離された空間と言えども、こんなに極小では、通常、我々では感知できない。もっと大きくなってくれないとね。
では、何故気付けたのかというと――」
ぴこん、と赤いランプが灯る。カルデアスの、南西の小さな島に浮かぶ小さな小さな、本当に小さな赤いランプは即ち、特異点の反応を意味していた。
「残念だけど、ここには極微細で不安定ながら、聖杯の反応がある。まだ誰の手にも渡っていないようで、本当に僅かな反応だけれどね。
これを放っておけば、恐らくは人理は崩壊へと繋がるだろう。聖杯は無色の願望器。魔力だけはたっぷり詰まってるから、炎の薪になって豪快に世界を焼き尽くしてくれるに違いない」
パチン、と弾けたウィンクは深波へと向けられていた。怯んだ深波は口を噤む。
立香は汗の滲んだ手の平を拭い、モニターを見つめた。
この手に、何億人の命を握ったこともある。だけど今、たった一人の友人の命がこの手にかかっているのかと思うと、立香の背筋にぞくぞくと恐怖が走っていくのを感じた。
「……深波、絶対助けるから」
そんなことしなくていい、と言いかけたのだろう深波は、けれど世界がかかっていることを思い出したようで、物言いたげながらも小さく頷いた。
◆◆◆
「ねぇ、過剰装備すぎない?」
旅支度を始める立香を見ながら、深波は言った。彼女は身一つでそこに立ち、スカートの裾を弄りながら、ふらふらと足を揺らした。あからさまにやる気がなかった。
「もっと適当でいいのに……。何でそんなに治癒系の概念礼装ばっかなの。戦闘系の、もっとちゃんとしたの用意しなよ。
私の為になんか準備しなくていい。自分の命の保証もないんだから、私のこととか、とりあえず忘れてさ……」
「深波ー、それ以上言うなら置いてくよ?」
立香はいっぱいに荷物を詰められたカバンを見ながら、さらに追加の回復礼装を入れる為のスペースを考える。
うん、これ以上は入らないだろう。最後に着用している礼装の確認をして、立香はいよいよ立ち上がった。
「ほら、レイシフト始まるよ。ブーブー言ってないで持ち場向かって」
「……ねぇ、やっぱりヤだ。危険すぎる。今からでも止めて欲しい。もうちょっとでいいから様子見よう!? お願いだから、友達の言うこと聞いてよ!
も、もし私の炎で、り、立香がしんだら? そんなの、絶対嫌だよ!」
深波はいっそ涙目で立香の服を掴んだ。英霊である彼女が本気を出せば、足止めどころか足の骨を折ってしまうことも出来る。
だが、彼女はそうしない。出来ない。当たり前だった。だって立香は深波の大切な友達だから。
そして立香にとってもそれは同じだ。大切な友達である深波の言うことだけれど、それでも聞けない理由があった。
「俺のことを大切に思ってくれてる深波なら、きっと分かるはずだよね。
俺は友達を助ける為なら、命を懸けてもいいって思ってる。深波だって、そうでしょ?」
否とは言わせないと強く見つめると、深波はゆるゆると手の力を抜いた。
お互い様だ。いつか言った通り、立香は本当は深波には怪我の一つも拵えて欲しくはない。深波が言いたいのは、多分立香のこの気持ちと同じことだろう。だったら、立香だって我慢している。
泣きそうな顔の深波が視界に入る度、なんとも言えない罪悪感が湧き上がるが、それでも歩みは止めはしない。
ぎゅっと握りしめたカバンの中、
立香の顔はきっと引き締まっていて、内の決意が滲み出るようだった。深波は諦めた様子でマスターである彼に付き従い、後ろを歩く。
色々と忘れたことは多いが、彼が一度決めたことを決して覆さないことは、骨身に染みて覚えていた。
年内更新できました!
でも次の更新はいつか分かりません! どうか気長にお待ち下さい……