第2話 乾杯の約束
最後の人類たちが乗る白い方舟、それがカルデアだった。
全方位を雪に囲まれた静かな施設。外は地獄の釜の中で煮詰められており、ここだけが隔離され、宙ぶらりんに取り残されている。
世界は燃えた。何もかも。
言葉だけでは嘘のような話だ。魔術が、カルデアスが、と噛み砕いて説明されても、普段なら実感には到らない話だっただろう。
だけど立香は心髄から理解していた。あの冬木の惨状、所長の狼狽、職員たちの悲壮な顔つき。それらを肌で感じ取って、しっかりと事態を理解している。
それでも不意に立香は、ほんの二日前に冬木のレイシフトから帰還したばかりの今でも、全てが冗談のようで、まるでフィクションの中に入り込んでしまったみたいだと、思いがこみ上げるのを抑えられない。
帰還してマシュの顔を見て、漸く生きていることを実感したすぐ後。ロマンとの問答の末、立香は自分の意思で、人類最後のマスターと成った。
事情からして引ける状態ではなかったが、確かに自分で選んだ答えだった。
ああ、元より誰かの助けになりたかったから。適性があると、代わりがいないと言うならば、素人ながらも手伝うくらいなら出来るんじゃないかと。高校生なりの一大決心をしたつもりだった。それがまさか、こんなことになるなんて、思いもしなかったけれど。
他の何人ものマスターが眠る中、立香だけが起きている。今みたいに一人で、お先真っ暗な未来のど真ん中で、起きている。
眠らないから、思考は止まらない。眠らないから、この胸の内の痛みは収まってくれない。
父は、母は、友人は。全てが全て、冬木のように燃えてしまっているのだろうか?
寂しさ、悲しみ、苦しみ。困惑や、戸惑いもあって、頭の中がパンクしそうだ。あらゆる感情の渦で、立香の体がはち切れそうになる。
魔術、サーヴァント、レイシフト。知らない言葉はきっと、今から当たり前になっていく。
命のやり取りだって、もっと上手くやれるようになるだろう。だけどそれは、いつかの話であって、今ではない。
今の立香には、何もかもが足りなかった。
暗い部屋の中、ベッドの上で頭を抱えて座り込んでいる。眠る気には、なれなかった。
ここでは、有限のエネルギーを無為に消耗しないため、夜になると消灯される。
まるで修学旅行みたいだと、まだ人類最後のマスターでなかった時のままの心持ちで思ってしまったら、もうダメだった。芋づる式に様々な思い出が蘇ってくる。
両親のご飯が食べたい。そういえばあの駄菓子屋はまだあるだろうか。また校庭でバカ騒ぎしてサッカーやバレーがやりたい。
ああ、後、気になることもあった。
(あの時、本当は何が言いたかったの、深波)
あの時に深波が、本当は何を言おうとしていたのか、知りたい。
立香と同じマンションに住んでいる友人の、深波真昼。
彼女はあの日、どこか思い詰めたような、強ばった顔で、立香の手を取った。
いつもは妙に冷静沈着なあの友人が、珍しく緊張した様子で、まるで何か大切なものを預けるように、立香の手を握ってきたことを、ふと思い出したのだ。
だけど、深波は迷うように何度か口を開いた後、結局歯がゆそうな顔で、ただ「呼んで欲しい」としか言わなかった。
立香はほとんど無意識で、ベッドから裸足で降りて、持ってきた荷物の中を漁り、携帯を取り出して耳にあてていた。
はっとした時にはもう呼び出し音が始まっていて、立香の鼓動と交互に電子音が鳴っていた。
どっどっと心臓が高鳴る。呼んで欲しいって言ったくらいなんだから、もしかしたら出てくれるかもしれないと、そんな風に、変な期待を抱いていた。甘くて胸焼けしそうなぐらいの希望だった。
呼び出し音の後に出たのは、
「おかけになった番号は現在電源が入っていないか、電波が届かないところに……」
という定型文だった。
立香の目から、ぼとんと大きな雫が落ちた。もう一粒、もう一粒、と同じように頬を伝って落ちていく。
ここへ来てからずっと堪えてきた分の涙だった。
何故か、我慢出来なくなってしまった。
「呼んでも、来てくれないじゃん……」
立てなくなって座り込む。抱えた膝に顔を埋めて、送信しても伝わらない電波を送り続ける電話を放り投げた。
顔を埋めて暫くして……誰も居ない部屋に何かの気配を感じた。体を固まらせて顔を上げる。
敵だろうか? ――目の前に光る線が現れていた。
光は弧を描き、キャスターのクー・フーリンの使っていたような文字を刻み出す。魔法陣が一人でに出来上がっていく。
息を飲んで見つめた。魔術なんて分からないから、何が起こっているのか、分からない。
神秘的な光景に、声を上げることも忘れて見入っていると、輝きは一際強くなり、プリズムの反射光のようなものが現れる。
辺りから何かを集めるような、逆に吹き飛ばそうとするような強風が吹いている。"何か"が現れようとしていることが、直感的にわかった。
カッと光が強くなる。立香は一瞬目を閉じ――再び目を開けた。
――見覚えのある、手だった。
ほっそりとした、年頃の女の子っぽい柔らかい手。ブレザーから伸びた手は、あの日、出発前に立香の手を握った手に相違なかった。
「サーヴァントキャスター。貴方に喚ばれて来たよ。役に立てるか分かんないけど、精一杯頑張るから。だから……そんな寂しそうな顔、しないで」
「……み、なみ……?」
「うん。久しぶり、藤丸。いや、今はマスターか」
深波はあまりにもいつも通りだった。
少し微笑んで、あの冷たい手で立香が立ち上がるのを手伝って、「久しぶり」と言った。
いつも通りの、学校での会話みたいに。
「っえ? 深波、なんでいるの、っていうか、生きてたんだ、うん。そうだよな、人類が滅ぶ、とか。最後の人類が、ここだけとか、嘘だよな? 全部嘘だよな、そういうことだよなっ?」
廊下から足音が聞こえる。それすら気にならず、立香は半ば縋るように、涙を目に貯めたままで彼女の制服を握りしめ、思い立つがままに言葉を並べた。
深波は、困ったように苦く笑っていた。
いよいよ足音が近づき、声が聞こえてくる。
「先輩! 大丈夫ですか!? この辺りから異常な魔力反応が検知されました! ご無事ですか!?」
マシュが扉の向こうから叫んでいる。深波は視線を扉に向けて少し慌てている様子だったが、立香は何ら狼狽することなく、穏やかに言った。
「あー、うん、大丈夫だよマシュ。ただの同級生だから」
「は……え?」
マシュの声がひっくり返る。立香は何も聞きたくなくて、束の間の均衡を保った心が崩れるのを厭って、矢継ぎ早に告げた。
「そうそう、全部ドッキリだったんだね、びっくりしたよ、すごい迫真の演技でさ、俺本当に怖くて、」
「――嘘じゃないよ」
だけどそれも、無駄だった。
深波は立香の知らない深波だった。見たこともないような目をしていた。まるで老いた人間のような目だった。
立香の知る深波が持っていない目を持っていた。
深波は、深淵の底を覗き込む立香を逃がさないように、ゆっくりと頬を包んで、目を合わせ続けた。
「残念だけど、嘘じゃないんだよ。……それに私は、"違う"。私は、見た目はこんなだけど、藤丸の同級生じゃない。別の誰かなんだよ。私は"英雄"の深波真昼だから」
「えい、ゆう」
「そう。藤丸の同級生の深波真昼は、今人理と一緒に燃えてるの。だから、とても似ているだけのただの別人」
「なんだよ……なんだよ、それ。ハハ……深波じゃないのに、何で来るの? 俺が呼んだのは、深波なんだ。俺と友達の、同級生の――普通の、深波なんだよ……」
普通の、と口にした途端、深波は何故か悲しそうな顔をした。
それから「
血が溢れる。そこに青い炎が現れたかと思うと、一箇所に集まり、凝縮し、深波の手には――炎から転じて、タオルが現れていた。それを立香の目に、優しく宛がってくれる。
深波は、自分を傷つけて、さらには魔術を使ってまで、タオルを手の中に作り出した。そこで、立香は確信した。確信、出来てしまった。
「魔法使い深波ちゃんだよ。凄いでしょ? 私は"藤丸と友達の深波"じゃないけど、代わりに、戦ったり敵から逃げる時とかのサポートが出来るよ」
「……いいよ、そんなことしなくて」
「……っあの! マスター、私マスターのことを馬鹿にしたいとか、そんなんじゃなくて! ただ、マスターが人らしく、普通みたいに暮らせたら、って――」
「っえ? そんな風に思ってくれてるんだ……ありがとう。めちゃくちゃ嬉しいよ!」
「へ?」
深波は素っ頓狂な声を上げて手を止める。だが最早、彼女がそんなに慌てる必要など無かった。
立香は既に確信してしまっているのだから。
この深波は実質、"あの深波"であると――!
「実はずっと不思議に思ってたことがあるんだ」
「え?」
「一人暮らしなのに料理も掃除も出来ない。けど、何でか部屋は綺麗だしお弁当は美味しい」
「ウッ」
「――魔法、使ってたでしょ」
「ままま魔法じゃないし魔術だし……」
深波は不思議なところがあった。普通の高校生とは、何か違う気配があった。
カルデアに来て、魔術に触れて初めて気づいた。あの違和感は、無意識に魔術回路から漏れる莫大な魔力を感じ取っていたんだと。
そう、"英雄深波"は、同級生の深波なのだ。立香は、先程の物臭ともいえる行動で、"彼女"は深波の延長線上にある存在なのだと、強く確信したのだ。だってベッドサイドにタオルあるのに、わざわざ魔術で出した!
「やっぱりなー! 変だと思ってた! 思ってたんだよ! 時間にルーズな癖に待ち合わせ時間に遅刻したことないし! 深波が掃除当番の時だけやたらと教室綺麗になるし!」
「あ、あれは! だってテレポート使えるんだよ! 普通は使うじゃん!? そ、それに他の子がしたら偶に蜘蛛の巣とか残ってるんだよ! 普通に嫌じゃん!? 埃も無い方がいいじゃん!」
「馬脚を表したな深波めー! ズルか! ズルしてたのか! 真面目に掃除しませい!」
「あー! ごめん! ごめんなさい! だって面倒臭いんだもん! でも高校生だからセーフ(?)でしょ!」
「何ルールだそれは〜〜!!」
頬を摘み引き伸ばすと、深波は「いひゃい〜〜!」と涙目でされるがままになった。
マシュはといえば、扉の向こう側でマスターが「部屋に同級生がいる」とSAN値チェックものの発言をしたかと思えば、何故か本当に同級生らしき人間と騒いでいるので、困惑している様子だった。
「ねえ、深波は深波でしょ」
「て、哲学的な話なら他を当たって欲しいなー」
生意気にも目を逸らそうとしたので、立香はぷに、と深波の頬を摘んだ。いつでも引っ張る準備は出来ている。
「ヴゥ……。で、でも嘘は言ってないから。本当に私は藤丸の同級生じゃないし、五歳ぐらい年上だから!」
「へー、じゃあ先輩か……。先輩って未来の深波なんだ」
「まあ、ざっくり言えばそんな感じ。他にも逸話とかで色んなものくっ付いてるんだけどね」
「……ん? なら何で制服? コスプレ?」
「……色々と事情があるんですよ。まあ、サーヴァントって全盛期で召喚されるから。私こう見えても一番強い時期だし、安心して」
「全盛期若いなー。深波、若い。うん、そっか」
"英雄"深波。同級生の少女が、いつか成るヒーローの姿。
五年後の深波がここに居る。立香が人理を守り損ねたならば、儚く消える存在が、ここに在る。
立香は摘んでいた深波の頬から指を離し、手の甲を見つめる。あの日、夕日の射し込む教室で深波が握った手には無かった令呪が、ここにある。
「世界を救った後――五年ぐらい経ってから、"英雄深波"と一緒に、お酒とか飲みたいな。それから、俺も世界を救ってるんだし、お互いの武勇伝とか語り合いたい」
わざと自慢げな顔で笑ってみせる立香に対抗して、今度はしたり顔で深波も自身の功績を語る。そんな未来が見えた気がして――立香はもう、怖くも何ともなかった。
「…………」
「深波。俺と契約して――俺が世界を救うのを、手伝って欲しい」
令呪のある手を差し出して、そっと微笑む。深波は大きく目を見開いて――それからどうしてか、涙を一粒零して――あのちょっと冷たくて、柔らかい手で立香の手を握り締めた。
「私ずっと――ずっとこんな風に、藤丸の手を取りたかったんだ」
正直書きたかったところはここまでなので、あとは番外編のような感じで、散発的に原作のシーンを書きた、……か、書けるかな?
やる気と時間が出来たら書きます。生暖かく応援して下さると嬉しいです