一人の少年
荒宮 理央(あらみや りお)はこの社会・・・否、世界に不信感を抱いていた。
個性という力が生まれ、様々な個性持ちが現れははじめて超人社会となった。
そんな社会には二つのカテゴリーがあった。
ヒーローとヴィランである。
一般的にはヒーローは正義の味方。ヴィランは正義の敵。であろう。
時には例外もあるが・・・
しかし、理央の中ではそんなものはなかった。
ヒーローもヴィランも同じ存在・・・ともに力を持ち、ともに欲を持ち、ともに愚かだと・・・
理央の中にあるひーヒーローとヴィランの存在とはこういうものだった。
ヴィランは様々な悪事をおこない、時には他人のすべてを奪いすべてを終わらせる。
そんなヴィランをヒーローは阻止し捕まえる。
しかし、無茶苦茶だろうと云わせてもらおう。
ヒーローだってそんなヴィランの人生を奪い終わらせているじゃないか。
身を守るための攻撃、ヒーローは正義の為の正当防衛。ヴィランは破壊の暴力
結局は同じ暴力・・・それがヒーローとヴィランとでカテゴライズされている。
違いはなんだ?違いなんてないだろ。なのにどうして良し悪し分けられる?
ヒーローだから正義?ヴィランだから悪?
本当にくだらない。
そもそも・・・そもそもだ。
どんなに正義感に溢れていようと、どんなに悪意に染まっていようと。
どんなにかっこよくても、どんなにカッコ悪くても。
どんなに真面目でも、どんなに不真面目でも。
どんなに希望を望んでも、どんなに絶望に魅入られても。
どんなに正直でも、どんなに噓つきでも。
どんなに力があっても、どんなに力が無くても。
どんなに天才でも、どんなに馬鹿でも。
どんなに好きでも、どんなに嫌いでも。
どんなに異常でも、どんなに特別でも、どんなに普通でも、どんなに過負荷でも。
どんなに意味があっても、どんなに無意味でも。
どんなに関係あることでも、どんなに関係なくても。
どんなに価値があっても、どんなに無価値でも。
どんなに責任感があっても、どんなに無責任でも。
どんなにどんなにどんなにどんなにどんなにどんなにどんなにどんなにどんなにどんなにどんなにどんなにどんなに生きていようが・・・・・・・・・結局はつまらない人生を過ごして死ぬだけだ。
そもそも自分たちが何の為に生まれてきたのか考えたことあるか?
本来の俺たちは、己の欲望を満たす事でしか存在しえない存在・・・・・・
実に卑しく、浅ましく、汚らわしい存在だ。
どいつもこいつもこんなに素晴らしい様々な個性を持っていながら、何故愚かでつまらない欲望の為にのみ使うのだろうか?まさに宝の持ち腐れではないだろうか。
個性とは言うなれば希望・・・・・・・・・。
醜く穢れ悪臭を放つこの世界を希望の光で救済する力であるはずだ。
それなのにこの世界の個性持ち共はどうだろう。
つまらない欲の為にヒーロー・ヴィランというカテゴリーで呼ばれ悪戯に個性を使っているだけじゃないか。
・・・・・・気付いたところで、見直して改善していこうとしたって、やり直そうとしたって、一度腐り始めたら止まることはない。
犠牲・生贄・・・そんなものを出したところで意味はない。
すべてを壊し、何もかもを消し去り、また初めから再生させていった方がいいに決まっている。
創造は破壊からしか生まれない。
悪には正義を・・・・・・ではなく、正義と悪にはそれを超越する正義と悪を・・・・・・。
それが理央の中にある考えだ。
しかし、実行するタイミングはない。
そんな中、この後起こる出来事が理央を動かすきっかけだった。
感想・アドバイスお待ちしております。