今日は7月1日。
段々と夏という暑苦しい日が近づいている近頃。
海の上にある学園艦では周囲が海ばかりだから涼しいと思うこともあるが、陸にいるときより湿気で暑く感じることが多い。
以前、授業ときにワイシャツ姿はみっともないと女性教師から言われ、今ではきちんとスーツを着ているから息苦しくもなる。
3時限目の授業が終わり、自分の居場所となっている社会科準備室に戻ってくるとすぐにネクタイと上着を脱いでワイシャツ姿になる。この時の解放感はとても気持ちのいいものだ。
エアコンはあるものの、冷やされた空気は好きでないために部屋の窓を開け、温まった空気を入れ替えた。
これで快適な時間を過ごすことができる。
4時限目が始まっている中で授業がない僕は、机に向かって楽な姿勢で午後の授業のために教科書を読んだりノートをまとめたりしていた。
真面目に働き、チャイムが鳴って昼休みの時間になる。
僕は教科書とノートを閉じ、腕を真上へと向けては体を伸ばしてリラックス。次に立ち上がってはコーヒーを淹れていく。
いつもは食後に飲むけれど、今日の昼ごはんにはコーヒーが必要だ。
まほに言われて健康にも気を遣うようになり、今日はカップラーメンではなく栄養機能補助食品。箱に入った固形の物だから手軽に食べれるけれど、水分が恋しくなる食べ物だ。
コーヒーを淹れ終わり、席へと戻ったところで準備室の扉をノックする音が鳴る。
いつものまほがする落ち着いたのではなく、荒々しく力がある音だった。
授業が終わってすぐに人が来たのに驚き、今日は違う人が来たのかと思ったけど扉の擦りガラス越しのシルエットにはまほの姿が。
「どうぞ」
いつものように声をかけると、すぐにまほが入ってくる。
ここまで急いでやってきたからか息が荒い。手には弁当が入っているらしい大きな布の袋を手に持っていた。
「今日も来させてもらった」
落ち着かない様子で部屋を見回し、僕と視線をあまり合わせない様子を不思議に思っていると、まほはすぐにいつもの定位置である椅子へと座った。そして大きな布の袋を置くと、まほは袋からラップで包まれたサンドイッチ4つを取り出して僕に手渡してくる。
突然渡されたサンドイッチは僕のお昼ご飯ということだろうか?
視線でまほに問おうとしたが、僕を気にすることなく自分の分のサンドイッチを取り出した。
「……まほ?」
「今日は先に食事をしよう、先生。サンドイッチは私の手作りだ。出来は悪くないと私は思っている」
いつもと違うまほへの疑問を持ったまま、僕はまほにもコーヒーを淹れてから食事を始める。
サンドイッチはパン4枚を使ったもので量は多く、男である僕にも満足できる量だった。
味はきゅうりをスライスして塩コショウを振りかけただけの物や、バターにたっぷりのベーコンを挟んだものがあって健康と満足感の両立を果たしている。
まほの料理に「おいしい」と何度かつぶやきながら食べていると、まほは嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
そうして久しぶりに手作りのお昼ご飯を食べ終えた僕は、心からまほに感謝する。
「とてもおいしかったよ。ありがとう」
「どういたしまして。……サンドイッチを食べた代わりにというわけではないのだが、先生にひとつお願いがある」
「お願い? いいよ、なんでも言ってごらん」
まほにはよく話し相手になってもらっているし、こうやってお昼ご飯ももらった。お願いを聞くのは判断してからでもいいと思うし。まほなら僕ができる範囲でのお願いに違いない。
「今日は私の誕生日なんだ。だから、その、祝って欲しいんだ。何もプレゼントをくれと言っているわけじゃない。言葉だけでいいんだ」
恥ずかしそうに早口で、そして最後のはゆっくりと寂しそうな言葉だった。時々目をそらしながらも上目遣いで僕を見上げてくる姿はとってもかわいらしい。
僕はなんでまほがこういうことを言うのかと考える。
今の時期は戦車道大会の2回戦がもうすぐだから、精神が不安定になってるのかもしれない。
それに加えて、学校でのまほはまわりから何をやってもできて当たり前というように見られているし、戦車に関連することがうまくても西住流なら当然と思われているはずだ。
教師などのまわりの大人たちの褒める言葉は少なそうで、褒めたとしてもそれはまほという人間だけを褒めるものじゃないかもしれない。
そう考えると寂しい高校生活かもしれない。最もそれは僕の想像で、まほから戦車道に関する話は滅多に聞かないし、僕は戦車道について知ってることは新聞で書かれていることぐらいだ。
でもまほについて細かく聞くのは教師としても踏み込んではダメそうな一線とも思う。
それらのことを思うと、たくさんの言葉が必要そうだけど僕には思いつかない。
16歳になった女性を励ますようなことを。
ベテランの教師なら心に響くようなことを言えるかもしれないけど、僕は人としても教師としてもまだまだ未熟。そんな僕ができることなんて多くはない。
だから複雑なことを考えず、素直に祝いたい気持ちだけを言葉にする。
「誕生日おめでとう、まほ」
優しく言う言葉と共に、つい無意識で僕の手はまほの頭を丁寧に撫でてしまっていた。
他の教師からすれば、厳重注意になりそうなほどのよくない行動でも、今はこれがいい選択だと思った。
あぁ、でもまほ自身が嫌がるかもしれないか。もうやってしまったから遅いけれど、嫌がったらすぐに謝ってしまおう。
でもまほは嫌がる様子もなく、静かに黙って撫でられていた。僕も撫で続けていて、まほのさらさらとした髪の感触を楽しんでいた。
2分ほど時間が過ぎたところで撫でるのをやめる。
「先生は生徒に優しい、いい先生だな」
「今のは問題ある行動だけどね」
「私は問題だなんて思わないぞ? 生徒に対して優しくしただけだからな」
「そう思ってくれてありがとう」
僕がまほを祝い、褒めているはずが逆に褒められてしまっていた。
教師として褒められることが少ない僕はそれが嬉しいけど。贅沢を言うなら、授業がわかりやすいとか面白いと言ってもらいたい。……そういうのは教師を続けていれば自然と身につくと信じよう。
「僕は生徒を大事にする教師になって、まほ以外にもよい先生だと思われ続けたいね」
「教師というのは皆が生徒を大事に思い続けるものではないのか。教師を続けていくと変わるものなのか?」
不思議そうに首を傾げて言うるまほに、僕は天井を少し見上げたあとに言いたいことを整理する。
「最初の理想は誰だって立派なものなんだ。歴史的に見て、最初のうちは名君と言われた人でも時間が経つに連れて暴君になってしまうんだ。それは当初の想いが変わってしまったからかもしれない。僕はそうならないように理想を忘れないようにしていきたいね」
教師として2年目になると段々と仕事に慣れてしまって油断が増えていくいく時期。人に物を教えるという仕事だから、雑にならないように注意していきたい。
この仕事はやりがいがあり、生徒が試験で良い点を取ったりするとかなり嬉しくなる。
そういう良いこともあるけれど、でも教師になって職業に対して嫌になったこともある。
特に嫌なのが生徒の卒業だ。教師と生徒という関係で仲良くなっても、すぐにいなくなってしまう。はじめての卒業式では涙をたっぷり流して悲しみ、脱力感がしばらくのあいだは続いたものだ。
その時のことを思い出し、暗く深いため息が出てしまう。僕は沈んだ表情を見せないために顔はうつむかせ、体ごと方向を変える。
まほも少しは放っておいてくれるだろうと思った。けど、まほは椅子から立ち上がると僕の頭を撫でてくれた。それは僕がまほを撫でた時と同じか、それ以上の優しさで。
8歳も年下の生徒になぐさめられるなんて。……きっと将来はいい女になるに違いない。今から相手のことをちょっと羨ましく思う。たとえるなら、妹が結婚式に行くのを見送るような心境だろうか?
「まほは将来、いいお嫁さんになるね」
「そうだといいが。でも先生だっていい夫になれそうだ。生徒である私に親身になって相談に乗ってくれたりもする。私が保証しよう、先生は夫としても先生としても素晴らしい人になると」
「いい先生になるには僕の努力でなれるけど、相手が必要な結婚はどうなるかわからない。結婚しないかもしれないし」
「戦車道をやっている女性なら、男性と対等に渡り合える精神の持ち主が多い。先生が好きそうな人だっているに違いない」
僕がまほを妹として見てしまっているように、まほは僕を兄として見ているような気がする。
だとしたら、少しはかっこいいとこをそのうちに見せたいと思う。結婚を心配されるのは男として悲しくもあるから。
「僕のことよりもまほ自身のことだ。相手のことを考えるよりも自分からだよ」
「そのあたりは大丈夫だ。あまり自由に喋れる相手がいない私にとって、先生と会うのも私自身の成長にもなっているからな」
「妹さんは?」
「……仲良くできている。たまに意思疎通がうまくできないときがあるが、そういう時は戦車を通してわかる」
わずかに言葉に時間が空いて変に思ったが、まほは嘘なんて言わない子だから言葉で関係性をあらわすのに悩んだのだろう。しかし、戦車なのか。普通なら素手の殴り合いや言葉での言い争いになるものだけど。
「あー、操縦や砲手とかの繋がりで?」
「いや、1両ずつ指揮しての戦いだ。あれは姉妹喧嘩のようなものだったかもな」
姉妹喧嘩。戦車道で有名な西住流ともなると、戦車を持ち出すんだなんて物騒だなとちょっと怯えてしまう。
そんな僕を見て、過去を懐かしむように遠くを見て優しげな笑みを浮かべた。
「私が中学生の頃、小学生のみほと戦車で勝負をしたことがあったんだ。西住流の門下生を連れた私が三突。みほは小学生たちだけで四号に乗っていたな」
「一方的な勝負としか思えないんだけど」
「それがいい試合だった。辛うじて私が勝てたほどで、みほはなかなかに良かったぞ?」
妹の話を終え、僕へと顔を向けたまほの笑みは魅力的だった。それほどまでに妹が好きで、大事にしているんだなと僕に伝わった。
「まほの妹さんに会いたくなったよ」
「いくら先生でも妹はあげないぞ?」
「そういう意味じゃないって。まほがそれほどまでに言うから興味を持ったんだよ。決して女性という意味じゃない」
「……みほは素敵な女の子だ。とても魅力的なのに女性としての興味を持たないとは」
笑みから一転し、まほが無表情で僕を見つめてくるのがとてつもなく怖い。
まほは妹への愛情が強く、妹関連の話をするときは十分に気をつけるべきだと学んだ今。
ここで返事をするのはとても慎重にしなければいけない。
「僕はまほに夢中になっているから、他の女性のことはあまり意識できないんだ。教え子であるまほは、とてもかわいいからね」
緊張しながらも言った言葉は我ながら高評価だと判断する。まほのことを考えた笑みを浮かべてまほを褒めつつ、教師と生徒という関係を逸脱しない表現は素晴らしいはずだ!
僕の予想どおりにまほは無表情をやめ、目を見開いて驚いた様子になった。なにか文句でも言おうとしたのか、口を開きかけたがすぐに閉じて僕から顔をそらした。
「そろそろ授業開始が近い。今日はこのあたりで帰ることにしよう。それではまた、先生」
慌てるように早口で言い、机の上に置いてあった大きな布の袋を持つと僕の返事を待たずに部屋から出ていく。
そんな慌てる時間だっただろうかと腕時計を見るが、まだ十分に授業開始まで時間はあった。
急に出ていくのは不思議に思ったけど、おそらくは僕の教師らしい言葉に感動したんだろう。そして感動してしまった顔を見られたくないから出て行ったはずだ。
ちょっとずつ、自分が教師として成長していくのを実感できる。
まほが部屋を出ていってから少しのあいだ、出ていった扉を見つめる。そうして自分に満足してから、昼休みが終わるまでぬるくなったコーヒーを静かに飲んだ。