夢を見ていた。
それは私にとっての最悪の日々。
暗くて湿っぽい寝床に、寝返りもうたせてくれない首輪と鎖。
朝になれば、格子の隙間から石のように硬いパンをぶつけられて、痛い思いをしながら起こされる。
食事は、そのパンと1杯の塩水だけ。それだけで太陽の沈むまでの間、勝手に動き回るぼろ雑巾か何かの様にこき使われる。
ああ、思い返すだけで悲しみと怒りがこみあげてくる……でも、その気持ちはどちらも相応しくはない。
これは夢だ。終わった事だ。痛快に、劇的に。
これが悲劇だというのなら、その舞台が土台そのものからひっくり返る。そんな出来事があった。
鳥かごも壊れてしまえばその用を為さない。
笑おう。嗤おう。済んだことだけれども、私の苦しみはなかったことにはならないのだから。
日付の感覚が分からなくなるほど――短かった筈の白い髪が肩に届く程の――時間が経ったある日の夜。
変わり映えのしない日が終わって、明日も同じような日が始まるのだと思っていた。
それに異を唱えるかのように、私の牢の傍の窓が不意に開いた。
女の人だった。ちょうどその日は満月で、いつもより強い月の光が昼間の太陽のようにその人を照らしていた。
黒い帽子に、黒いマントという明らかに疑ってくださいという服装に、不敵な笑みを浮かべながら窓から入るというきちんとした客人にあるまじき行動。
――ちゃんとした奴隷ならばここで大声の一つでも挙げるべきだったのだろう。
だが、私はそうはしなかった。
月に照らされた彼女はとても綺麗で、この世の物とは思えなかったからだ。
「女神様……?」
「うん?」
私の呟きを聞いて、彼女は私の姿を認めた。それと同時に浮かべていた笑みが歪む。
「ああ……ここは奴隷房か、夜中とはいえ適当に入るものじゃないね」
歩くたびに揺れる紫色の髪が月の光を受けて輝く。
「あれ?」
髪に見とれているうちに、いつの間にかその人は私の牢の中に入り込んでいた。
訳も分からず戸惑っているうちに、彼女は私の前に屈んで――鎖を切っていた。
「流石に首輪をどうこうするのは、ちゃんとした開け方じゃないと危ないからね……これで我慢して欲しいな」
「それは……どういう」
「ああ、君はここにいる必要はもうない――だって、今日限りでこの家はなくなるからね」
「え、えっ?」
私の察しの悪さに呆れたのか、それとも別の理由があったのか(そうだといいな)彼女は困ったような笑みを浮かべて言った。
「そうだよね、いきなり君は自由だって言っても困るよね……家とかないだろうし」
「家?」
「ここじゃない、ちゃんとした家……いや、そもそもその家がちゃんとしてないからこんな事になっているのか」
困った笑みのまま、彼女は私に被っていた帽子を被せてきた。
「わっ!?」
「ちょっと持ってて、汚れるといけないからね」
「……私に被せてる時点で汚れてると思うけど」
「あっ……あ、いや、とにかく君はそれを預かっていてくれればいい。コトが済んだら戻って来るからそれまでソレを持って待っててくれ」
そう言い終わるか、終わらないかのうちに彼女の姿は格子の向こう側にあった。
「そういえば、この屋敷にどれ……君のような扱いをされている子は他にいる?」
「……私だけです」
「そっか、孤児院の真似事はせずに済むかな」
かちゃりと、鎖の鳴る音がする。
目蓋を開ければ、もう日が昇っていて、外から鳥の鳴き声や市場の騒めきが聞こえてくる。
「おはよう」
「おはようございます、ゆかりさん」
体を起こせば、夢で見た――いや、夢よりも柔らかい笑みを浮かべたあの人がいた。
「それで――本当にいつまでソレをぶら下げているつもり?」
ご飯を食べて、食休みを兼ねての団欒の時間。
話題の切れ目にゆかりさんは顔をしかめながら言った。
「ソレって?」
「……何度もしたやり取りなんだから、今更とぼけないでよ。首輪だよ、首輪!」
鎖が音を立てる。
「……何度言われても私の答えは変わらないよ、ゆかりさん」
「あのね……本当にね、ご近所様からあらぬ疑いと探られると痛い疑いが掛けられてね、おねーさん大変なの。気持ちは……分からないけど、本当に外させて。ちょっと大人しくしててくれれば終わるから」
「そんなに邪魔ならお伺い立てなくても、寝てる間に壊しちゃえばいいじゃない?」
「……ちょっとのズレが命に関わるかもしれないのに、そんな事」
「じゃあ、これは首にはまったままだね」
鎖を撫でる度に音が鳴る。
あの頃は嫌でしかなかった音だけど、鎖がこの長さになってからはこの日々の象徴のようで、とても素晴らしい音色のように感じられる。
ゆかりさんが困っているというのは本当だろうし、このワガママがゆかりさんのやっている事の邪魔になりかねず、いつか大変な事になるかもしれないけれど……こればかりは譲れない。
それに普段カッコいいゆかりさんがこの話題の時だけは困り顔を見せてくれる。
それだけでも、ワガママを言う価値はあるの。