「話したいことがあるから、練習の後で部屋に行ってもいい?」
姉さんが誰にも聞こえないよう小さく耳元で囁いてきたのは、私が直下たちとの昼食を終えて教室に戻って来てすぐのことだった。
姉妹でしっかりと話し合う。
心の中でしっかりと決意を固め、あとはいつ話し合おうか決めるだけと思っていた直後だっただけに、姉さんの言葉は嬉しくもある反面出鼻を挫かれてしまったように感じてしまい、愚痴や軽口の一つでもこぼしたいぐらいだった。
でも、私を見つめる姉さんの珍しい真剣な表情を前にそんなことが言えるはずもないし、どのみち話がしたかったのは私も同じだ。
わかったわと了承の意思を伝えたところ、安心したのか姉さんはいつもの柔らかい表情に戻る。
そして、また夜にねと手を振りながら自分の席に戻っていった。
「お姉さんと何か内緒話ですか?」
姉さんとの会話を終えて自分の席に戻ったところ、先ほどのやり取りを目にしていたのか、隣の席の小梅がこっそり耳打ちしてくる。
そんなところよ、と答えると小梅はどこかホッとした仕草で、「それなら問題無さそうですね」と励ましなのかよくわからない返事を返してきた。
その言動にどこか引っかかる点はあったものの、今優先すべきは夜に姉さんと会話する機会に他ならない。
ただ、意気込んでおきながら、話し会いの機会を作るきっかけを姉さんに先を越されてしまったのは少しだけ悔しかった。
◇◇--------------------------------
「話を始める前にこれだけは約束して」
戦車道の練習後、約束通り姉さんを部屋に招いた私は姉さんが指示通りベッドに腰かけるや否やこう持ち掛けた。
「お互いに隠し事は一切無し。本音だけ話しましょ。約束できないなら話はおしまいよ」
予期していなかったであろう一言に驚愕した表情を見せる姉さん。
そんな姉さんをしり目に、口を挟ませまいとそのまままくし立てる。
「昔から思ってたけど、姉さんは何でも直球で話すくせに中途半端に隠す時があるじゃない。そういうの逆に気になって仕方ないのよ」
今まで決して伝えてこなかった言葉を姉さんにぶつける。
これは『ちゃんと本音を言うから姉さんも同じようにして欲しい』という宣言に他ならない。
この1週間弱、どうにもモヤモヤした状況が続いていたのは姉さんが本当に気になるところだけ話してくれなかったのも勿論だけど、私自身がその気になってしょうがないところを教えてほしいと素直に言わず、あれやこれやと考察ばかりして正直に話すことを避けていたことにある。
素直に聞くという選択肢を最初に排除してしまったあたり、直下たちが言うように、私は面倒な性格をしていると思う。
「……私だって姉さんのこと言えた義理じゃないけど、今日はさっきみたいに正直に話すわ」
だからお願い、と姉さんの目を見て訴えかける。
「うん、いいよ。私もちゃんと話すつもりだったから」
姉さんは私の目をしっかりと見つめ返し、柔らかいながらも真剣な面持ちで頷いてくれた。
「ありがとう、姉さん」
「でも、驚いちゃった。まさか、エリちゃんがそんなこと言い出すなんて思わなかったから」
「私も驚いてるわ。きっと、どこかのお節介な子たちのせいかしらね」
お昼の会話が無ければおそらく今でもグダグダと終わりもしない考察を続けながら1人悶々としていたに違いない。
そういう意味では直下と雛芥子が背中を押してくれたことにはとても感謝している。
姉さんにお願いして、2人が欲しがっていたツーショット写真を送ることもやぶさかではない。
「そっか、じゃあ私と同じだね」
本当に嬉しそうに微笑む姉さんにどうしてと尋ねると姉さんは実はねと理由を話してくれた。
今日のお昼。姉さんが待ち合わせていた昼食場所に向かう途中で小梅に私が悩んでいることを教えてもらい、『エリカさんは悪い意味で考え過ぎちゃうところがありますからちゃんと伝えてあげた方がいいですよ』という助言を貰ったらしい。
教室で小梅が気なる仕草を見せていたのは私と姉さんがちゃんと話す機会を持てたということを安心してのことだったに違いない。
まさか直下や雛芥子もグルで、3人が3人示し合わせて私と姉さんのお膳立てをしてくれたのではという考えが一瞬頭を過るも、今はそれについては考えないことにした。
3人の厚意を無駄にしないよう、今は姉さんとの話し合いに集中しないといけない。
先に聞いて悪いけど、と前置きした上で私は姉さんにお昼に感じた疑問をぶつけた。
「教えて。姉さんが黒森峰に来たのは私が心配だったから?」
「うん、それも理由の1つ。エリちゃんのこと凄く心配だったから」
一週間前だったら絶対にはぐらかされたであろう質問に姉さんは素直に答えてくれた。
約束しておいて良かったと内心胸をなでおろしつつも、そんなに心配されるようなことした?と問いかけたところ、姉さんはあきれ顔で心配もするよとため息をついた。
「だって、エリちゃん副隊長になってから全然連絡してくれなかったじゃん。何度か心配して連絡したのに今忙しいからとか、子ども扱いしないでって言って切っちゃうし」
私なんかじゃ力になれないくらいエリちゃん大変なのかなって凄く心配してたんだからねと悲しそうな顔する姉さんに私は申し訳なさでいっぱいだった。
「……ごめんなさい。それに関しては全面的に私が悪かったわ」
以前は姉さんと2週間に一度くらいは電話で連絡を取っていたのに、それが去年の全国大会決勝のゴタゴタで月に1回あるかないかに変わり、私が副隊長に就任してからは多忙なこともあってさらに回数は減ってしまった。
姉さんの指摘通り、電話をかけてきた時の対応がよろしくなかったのも覆しようがない事実だ。
でも、決して姉さんが鬱陶しかったとか、頼りにして無かったというわけじゃない。
「姉さん、私が戦車道やるのをお父さんたちに反対された時、自分も一緒にやるからって説得してくれたの覚えてる?」
「忘れるわけないよ。あの時のエリちゃん、本当に辛そうだったから」
懐かしそうに微笑む姉さん。
小さい頃の私は何かあればすぐ姉さんに泣きついてばかりだったし、泣きつくまでいかなくても私が困っていれば姉さんはすぐに助けてくれた。
その中でも戦車道を反対された時に力を貸してくれた時の姉さんは本当に頼りになって、まさに私にとってのヒーローだったと思う。
でも、嬉しかった反面、幼いながらにこのままじゃいけないという気持ちが生まれたのもその時だった。
「あれで気付いたの。いつまでも姉さんに頼ってばかりじゃいけないって。少なくとも、戦車道に関することぐらいは姉さんに頼らないようにしようって決めたの」
いい歳をして小さい頃みたいに姉さんに頼ってはいけない。
自分でやりたいって言った戦車道のことなんだから自分で解決しないと意味が無い。
電話で姉さんにぞんざいな答え方をしてしまったのも、戦車道に関する問題は自分で解決するという決意を崩したくなかったという考えが出てしまったのが一番の理由だと思う。
でも、そんな安易な考えが結果として姉さんを傷つけ、心配させてしまったのだからこればかりは反省以外の何物でもない。
「遊ぶ時だってそうよ。我侭言っていつも姉さんを外に連れまわしてたし、無理させてたのかなってようやくわかったの」
「別に無理なんかしてないよ。エリちゃんと一緒に遊ぶの楽しかったし」
「そうかしら? だって姉さん、昔から外より中で遊ぶのが好きだったじゃない?」
図星をつかれたであろう姉さんは私の問いに対して「それは」と言葉を濁す。
「本音で話す約束でしょ」と念を押すと少し辛そうな顔をして「エリちゃんの言う通りだよ」と項垂れた。
昔から姉さんは本を読んだりして家の中で過ごすことが好きだった。
なのに私は我侭を言ってほとんど自分のやりたい遊びに連れまわし、挙句の果てにはインドアからかけ離れた戦車道にも付き合わせてしまった。
ここまでしてもらっておいて気にしないほど小さい頃の私も鈍感じゃ無い。
「姉さんには自分のやりたいことを安心して出来るようになって欲しかった。だから私、戦車道以外のことも自立できるよう頑張ってきたの」
今まで隠していた想いを告げる私に姉さんはただただ耳を傾けてくれていた。
全部聞き終わると姉さんは「やっぱりエリちゃんは優しい良い子だね」と頭を撫ぜてくる。
「だから子どもじゃないんだから」と不貞腐れると、姉さんははいはいと言いながら手をひっこめた。
「でもねエリちゃん、私戦車道は大好きだよ。最初はちょっと苦手だったけど、やってるうちに凄く楽しくなったの」
だから今でも続けてるんだよ、と微笑む姉さんに、なら良かったわと息をつく。
実際のところ、姉さんが別の学園艦に行ってからも戦車道を続けていると聞いた時は、姉さんも戦車道が好きになってくれて良かったと思うと同時にもしかしたら、私に話を合わすためだけに無理やり続けているんじゃないかという考えも少しはあった。
でも、今の言葉を聞いてどうやらそれは私の杞憂だったと分かって少し安心した。
「なんか不思議だね、凄く短い時間なのに今まで会話の中で一番色々話した気がする」
「そうね、私も正直驚いてるわ」
生まれてからこれまで、姉さんとここまで本音を隠さずに語り合ったことは無かった。
そのせいかはわからないけど、今までに無いようほどの濃密な時を過ごしていると思う。
事実、ふと目にした壁の時計は部屋に入った時と比較してかなりの時を刻んでいた。
「……じゃあ、次は私が話していいかな。私もエリちゃんにちゃんと聞いて欲しいから」
姉さんの願いに私は勿論よと了承して姿勢を正す。
本当なら姉さんが西住隊長を見ていた理由も続けて聞いておきたかったという気持ちも僅かながらあった。
でも、姉さんから先に勇気を出して誘ってくれたのに私が連続で聞き出すのは悪いし、何より姉さんが今まで話してくれなかった本音を明かしてくれることが嬉しくて、後でゆっくり聞けばいいとしか思えなかった。
「私が黒森峰に来たのは……まあそのエリちゃんにもう伝えたことも含めて色々理由があるんだけど……」
よほど言いづらいことなのか、姉さんは私から目を逸らし、体をモジモジさせながら少しずつ言葉を紡いでいく。
「エリちゃんともう一度戦車道をやりたかったのも、心配だったのも本当。でもね、どれもたぶん、言い訳なんだと思う」
口調は重く、私が今まで見たことも無いような悲しい顔をしていた。
「あのね、つまり……その……うん、わかりやすく言うと……こういうことなの」
なんとか言おうという意思は見えるのに最初の一言を出す決心がつかないのか、姉さんの口から出るのは不明瞭な言葉ばかりだった。
私はそんな姉さんをまっすぐに見つめながらただ黙って言葉を待ち続けた。
――数分以上経過したかもしれないぐらい長い沈黙の後、姉さんは意を決したのか、私の目をしっかり見つめながら重い口を開いた。
「私、ずっと寂しくて寂しくて、もう耐えられなくなっちゃった……ただそれだけなの」