東方チャンネル   作:佐伯寿和2

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その二

―――― 一つ目の雨粒は、誰の目に()まることもなく、屋敷の窓を叩いた。

 

「ドン・バンビーノ。お疲れ様でした。」

2000を()える部下を従えるまでに(のぼ)()めたイラリアの怪物は、(つか)()安息(あんそく)を迎えようとしていた。

「ああ、ご苦労。……いや、待て。」

「何か?」

「今夜は少し見張りを多めに立たせとけ。」

「と、言いますと?」

怪物は、記憶にこびり付いた無数の憎たらしい面々(めんめん)を思い返し、肉迫(にくはく)する危機(リスク)を感じ取った。

「マリッジオの野郎が、裏切るかもしれん。」

怪物は人の顔を注意深く観察し、次の行動を予想する。それは、(バンビーノ)家長(バンビーノ)である(あかし)の一つであり、一家(ファミリー)がイラリア(いち)と名を()せるまでに(いた)った根拠(こんきょ)だった。

「……承知(しょうち)しました。」

 

男は部屋を後にすると、手近な若い連中を呼びつけ、非番(ひばん)の仲間を呼び寄せるように指示を出した。

バンビーノ一家の家長を支える男もまた、只者(ただもの)ではない。

幾多(いくた)組織(ファミリー)壊滅(かいめつ)に手を貸し、政治家を暗殺してきた。だからこそ、彼は密猟者(ヒットマン)裏切り者(ゲリラ)たちの手口をよくよく心得ていた。

 

その彼の目が窓の外を一瞥(いちべつ)して映したものは、

「少なくとも、今夜、連中が仕掛けてくることはない」

「――――だが、雲行きは良くないな」

家長(かちょう)が見ている景色とは別のものだった。

 

その慧眼(けいがん)称賛(しょうさん)するように、()()()()()()()()彼の下へと挨拶(あいさつ)(おもむ)くのだった。

 

 

 

 

 

―――― 二つ目の雨粒が男の(ほお)に落ちる。

 

「どうかしたんですかい?」

「……いいや、何でもない。」

 

男は寒気を覚えていた。

たった一滴(ひとしずく)の雨が頬を(なぶ)っただけだというのに、それは(またた)く間に身体(からだ)の中へと(もぐ)()み、全身に冷たい足跡(あしあと)を残していくような不気味さがあった。

 

「俺は少しここを離れる。」

何処(どこ)まで?」

「気にするな。すぐに戻る。」

「ハァ」言葉を(にご)す上司に、経験の浅い青二才は気のない返事しかできない。それがまた、男の不安を(あお)った。

「お前らはそこいらの窓をよく見とけよ。怪しい影を見たら迷わず撃て。ポリだろうと女だろうと(かま)うな。とにかく殺せ。……気ィ抜くんじゃねえぞ。」

戦争や抗争(こうそう)(みが)()げられた男の眼光は、小鳥のように(さえず)ることしか知らない若人(わこうど)の顔に平手打ちを食らわせ、気を()()めさせる。彼に逆らう者はいない。

そんな歯応(はごた)えのない部下を見せられる(たび)に、男が(かか)えるもう一つの不安は(ふく)らんでしまうのだった。

 

 

「……(じき)に荒れるな。」

シトシトと、無数の雨粒たちを連れてきた装甲車(そうこうしゃ)のような重厚(じゅうこう)な雲は、ゴロゴロと、今にも爆発して一帯(いったい)を焼き尽くしてしまいそうな(いや)らしい(またた)きを繰り返していた。

 

 

――――アナタ、もしかして焼かれたいのかしら?

 

男が、耳に届いたその声を最後まで聞くことはなかった。

()らなきゃ()られる」それは犯罪組織(マフィア)の世界に限らず、人間という生き物たちの間で()わされた『暗黙の了解』だと男は知っていた。

……しかし、それは所詮(しょせん)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……何だ…、テメエ。」

男の左手は電光石火のごとく(ふところ)へと走り、鉛色(なまりいろ)凶器(きょうき)を取り出したまでは良かったが、それが結果に結びつくことはなかった。

 

「アンタ…、アタイのご主人に何をしようってんだい?」

男の背後をとった第一声に導かれて振り返ると、男の瞳に真っ先に飛び込んできたのは、人語(じんご)(かい)する――――黒猫だった。

黒猫は、英国の使用人が着るようなモノトーンの、しかし、そこかしこにフリルで(かざ)られたドレスを着て、場違いな乳母車(うばぐるま)()()っている。

 

雨の中、フードも(かぶ)らずに(さら)してなお、煌々(こうこう)と燃えるように赤い髪は、その(おさな)い頭を動かす度に幽鬼(ゆうき)のように揺れ動いた。

瑞々(みずみず)しい唇が開くたびに(のぞ)く牙は吸血鬼のように鋭く、飼い主の言葉に忠実な耳は風を(はら)んだ(マスト)のように生気(せいき)に満ちていた。そして、スカートの(すそ)からはヘビのようにウネウネと動く二本の尻尾(しっぽ)があった。

しかしそれは間違いなく、12、3の少女の姿をしていた。

 

数秒間、常軌(じょうき)(いっ)した光景に男の目は奪われてしまう。だが――――、

「小娘が……」

驚きこそすれ、(ひる)むことはない。例え、引き金を引くはずだった人差し指が180度、逆方向に()()()()()()()()()()()、男は人差し指を中指に()えるだけだった。

「バカだね。」

今度こそ、鉛色の凶器は目前の黒猫に向かって火を()いた。しかし、その凶弾(きょうだん)が彼女を(とら)えることはなかった。

黒猫は、何事もないかのように、一歩、一歩と足音も立てずに男へと近付いていく。男は構わずに後退(あとずさ)りながら荒れ狂ったドラゴンのように火を噴き続けた。

 

ところが、奇怪な黒猫はその(ことごと)くをまるで風のようにヒラリ、ヒラリと(かわ)してしまう。

「アハハハ、どうしたのさ。当たらないよ。」

ドラゴンの肺が()れると男はそれを捨て、鈍色(にびいろ)の牙を引き抜き、躊躇(ちゅうちょ)なく黒猫の懐へと飛び込む。

当然、男の牙が彼女に届くことはない。

牙を()けた黒猫は、柔らかく、幼気(いたいけ)な指先を男のそれに添える。そして次の瞬間には――しかし、あくまで優しく――、明後日の方向へ曲げているのだった。

 

だが、それは男の(おとり)だった。

黒猫の視界から隠していた反対側の腕が、(つい)に彼女の腰を掴む……はずだった。

「こっちの人間はこんなにもドンくさいから、アタイは面白(おもしろ)くないですよ。」

男が腕を伸ばした瞬間に、エチケットを知らないその腕は完全にへし折られていた。

そうして身軽な黒猫は、そこに(たたず)むもう一人の女児(じょじ)(もと)へ駆け寄っていた。

 

「アナタにとっては()まらないことなのかもしれないけれど、私やあの子にとって、これ以上の『喜劇(きげき)』はないのよ。」

外套(ロングコート)羽織(はお)った少女が立っていた。

黒猫とは対照に、雨に濡れた毒々しい菖蒲(あやめ)色の髪は、その白くホッソリとした顔に張り付き、少女の生気を奪っているように見えた。

少女は黒猫の頭を()でながら(さと)すと、待機を命じて男へと向き直った。

 

2、3歩、男へと歩み寄ると少女は小さく会釈(えしゃく)をした。

「ごめんなさい、マナーのなっていない子で。でも、仕方のないことよね。だって……、猫なんですもの。」

薄く開けられた目は表情に(とぼ)しい。言葉を吐き出す薄い唇は(ほとん)ど動かない。まるで水死体のようだが、「喜劇」と口にした時、男の目には確かに彼女が笑ったように見えた。

その微笑(ほほえ)みは、男に微塵(みじん)の逃げ場も与えない『死』を受け入れさせるためだけに作られた仮面(マスク)のようだった。

 

少女は血の涙を(たた)えているのかもしれない。脈打(みゃくう)つ第二、第三の心臓のような真っ赤な瞳から、男は目を離すことができないでいた。

「テメエらか?近頃、この国の重鎮(じゅうちん)ばかりを(つぶ)して回ってるっていう化け物は。」

男の中にある不安は最早(もはや)、その命を(ささ)げた家族の末路(まつろ)にしか残されていなかった。

 

「あら、自分の命よりも、そんなことの方が気になるのかしら?」

言いながら、菖蒲の少女はドブネズミのような男の姿を改めてその目に映して、また薄く笑った。

「……本当にごめんなさい。私のペットがやり過ぎてしまったのよね。」

自分のせいにされた黒猫は抗議の声を上げた。

「アタイのせいじゃないですよ。コイツが弱過ぎるんです!」

菖蒲の少女がまた、飼い猫の不機嫌を()()すと、ようやく男の質問に答え始めた。

 

「アラ・クポネ……それと、シャッキー・レチアーノだったかしら。まずまず悪くなかったわ。でも、私には少し(くど)かったかもしれない。あの晩、少し胃がもたれてしまったもの。」

男は、少女の言葉が()()()()()()()を直感的に(さと)った。

「そりゃあ、そうだろうよ。アイツらは生粋(きっすい)(きた)()だ。毎日、毎日、マンマのオッパイがなきゃ満足しねえような野郎の肉なんて、俺なら臭いを()いだだけで胸焼けを起こしちまうからな。」

男は(つば)を吐きながら、()らず()らず少女を挑発(ちょうはつ)していた。しかし、死体のように無表情な少女がそれに乗ることはない。逆に、彼女を満足させていた。

「お上手(じょうず)。だからこそ、今回はアナタを選んだのよ。」

「……まるで、サンピン(あつか)いだな。」

男は『死』を覚悟してなお、『死』を待つしかない身体になってなお、少女たちを「殺す気」でいた。

すると少女は、息を吹き返すかのように恍惚(こうこつ)の表情を浮かべながら、その小さな両肩を力一杯に抱き締めた。

「そうなのよ。その矛盾の(したた)るような赤身(かんじょう)が、私の大好物なの。」

薄い唇が、仮面(マスク)からハミ出るように、狂気の三日月を描いた。

 

 

 

――――食卓(しょくたく)は、少女たちの無作法(ぶさほう)を隠すように、雨足を強くする

 

――――何も見えない

 

――――神も魔も、頬を叩くその正体を確認する(ひま)もない




※慧眼=物事の真理、真実を見抜く鋭い洞察眼。

※幽鬼=人魂。死者の魂。幽霊。

※菖蒲色=少し薄い紫。植物の菖蒲のような色。
余談ではありますが、「食わず女房」という昔話で菖蒲という花は、「魔除け」の効果を持っているとされていたらしいです。

※執り成す=なだめて機嫌良くさせる。

※北っ子=仮想ではありますが、舞台はイタリアで設定しています。北イタリアの人たちは、寒い時期を乗り切るためにバターや生クリームを大量に使った料理を好んで食べている。……というイメージがあったで、ジョークとして使わせてもらいました。

※サンピン=三下。格下のものを見下す時に使う言葉。
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