東方チャンネル   作:佐伯寿和2

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その三

屋敷(やしき)書斎(しょさい)、薄暗い明かりの中に、バンビーノ一家(ファミリー)の当主はいた。

 

屋敷の主は取り引きや同盟を求めてくる他の一家(ファミリー)書状(しょじょう)に目を通していた。暴力と破壊で他を圧倒(あっとう)していてもなお、自分の足下(あしもと)を照らし続ける彼の几帳面(きちょうめん)さが、一家を不動の地位に置き続けていた。

それはまさに、一家の命を左右する極めて慎重を要する作業だった。

 

そこへ、完全なる第三者が断りもなく、恐れも知らずに、彼と書状の間に割って入ってきた。

 

 

クスクス、クスクス――――

 

耳にした瞬間、男はまず窓へと目を走らせた。

しかし、狙撃や襲撃に備えた堅牢(けんろう)なそれは、一部の隙間(すきま)もなく閉ざされている。

今しがた部下の出て行った扉にも、(まき)をパキリ、パキリと()(くだ)暖炉(だんろ)にも、声の(ぬし)らしい()()の姿はない。

 

クスクス、クスクス――――

 

何処(どこ)のどいつだ。しょうもねえイタズラをしやがるのは。」

男には死に別れた妹がいた。男が彼女を溺愛(できあい)していたことは他の一家(ファミリー)の間にも知れ渡っており、これをネタに脅迫(きょうはく)を受けた経験は少なくない。霊媒師(れいばいし)を使っての「妹との再会」を持ち掛けられたこともあった。

当然、男は妹を(はずかし)めた者たちを一人として生かすことはしなかった。

 

クスクス、クスクス――――

 

男は、犯罪大国『イラリア』でも恐れぬ者のいない『怪物』だった。影に目敏(めざと)く、臭いに敏感(びんかん)で。自分を狙うものは全て、それと気付かるよりも早く、海に沈めてきた。

今回もまた、男の逆鱗(げきりん)に触れる(おろ)(もの)への粛清(しゅくせい)のために目玉をギロリ、ギロリと動かし、静かに、静かに()()く牙を(つば)で濡らしていた。

 

クスクス、クスクス――――

 

ところが、笑い声ばかりが部屋に木霊(こだま)し、獲物(えもの)足跡(あしあと)一つ見つけられないでいた。

男の、狼男のように意地汚い耳も、(ドラゴン)のように獰猛(どうもう)(まなこ)も、魔法使いのように(さと)鷲鼻(わしばな)も、喰らうべき者の影も形も(つか)むことができないでいた。

「……クソッ、何処にいやがる。」

 

クスクス、クスクス――――

 

さらに、(シルク)()したかのような、(おさな)(なめ)らかな笑い声は、怪物の耳をイタズラに(ねぶ)る。

不快極まる怪物の脳裏(のうり)に、()()()()()()の影が(よぎ)った。だが()ぐに、(かぶり)を振って寄り添う寒気を否定した。

 

クスクス、クスクス――――

 

目標(えもの)も見つけられず、部屋(おり)の中で挙動不審(きょどうふしん)な動きを続ける彼はもはや、人の命を紙切れのように(ほふ)る『怪物』とは()(がた)い。

――――そう、まるで好奇の視線に命を削り続ける「見世物」のよう。

 

クスクス、クスクス――――

 

「オイッ、誰かいねえのか!?マッテオ!ジョバンニ!ルカ!」

笑い声は、まるで針飛びするレコードをように抑揚(よくよう)がない。耳を(ふさ)いだところで、指の隙間(すきま)から(もぐ)()んでくる。むしろ、外の音を遮断(しゃだん)するほどに、それは鮮明に聞こえてくる。

それはまるで、同じ(とこ)()わす男女の甘い寝物語(ねものがたり)のように熱く、深く――――

 

クスクス、クスクス――――

 

それは怪物の腰に手を当て、部屋の中を()()(まわ)す。

ドンッ!!ドンッ!!ドンッ!!

取り乱し、荒れ狂う怪物は其処彼処(そこかしこ)に火を()き、(おど)(つづ)ける。

少女の吐息(といき)が部屋の中を()(まわ)せば、掻き回すほどに、怪物の狂気は高まり続けた。

「どこだ……、どこだ、クソッ、クソックソォッ!」

 

 

クスクス、クスクス――――

 

 

「止めろ……、止めろ、止めろ――――、」

 

 

クスクス、クスクス――――

 

 

「ヤメロォォォオオオオッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――こんばんは、オジサマ

 

翠緑(すいりょく)双眸(そうぼう)が、男のそれと重なっていた。小柄(こがら)な鼻先が、脂汗(あぶらあせ)で濡れた男の鼻筋を(なぞ)った。少女の甘い吐息が男の(かわ)いた唇を湿(しめ)らせる。

「オッ、ウッウワアァアァァ!!」

前触れなど無かった。足音はおろか、気配や空気の(よど)みさえも、一切感じられなかった。

しかし、目の前に現れた瞬間、少女からは咽返(むせかえ)るほどの香草(ハーブ)の臭いが男の五感を襲った。それがまた、男の混乱を誘った。

 

男の声は裏返り、乱れ撃つ。しかしその一つとして、少女を捉えることはない。

一歩、男が後退(あとずさ)れば、一歩、少女は前へ進む。少女の瞳は男の瞳を逃さない。少女の微笑(ほほえ)みは男の恐慌(きょうこう)を逃さない。

男は窓に飛び付く。しかし、唯一の出口は雨に()(かた)められ、怪物の爪を寄せ付けない。

逃げ場を失い、男の足は彼の体を支えるの力さえ()くしてしまう。

 

少女の細く(うらら)かな両の指が、怪物の(あぶら)(まみ)れた(ほお)の上をユックリ、ユックリと()う。下から順に、()めるように、唇に触れ、鼻に触れ、目玉に触れる。

(まぶた)は閉ざせない。(やわ)らかな乙女(おとめ)の指先が、男の目玉の上を(いと)おしそうに這い回る。

 

 

「あぁ、オジサマ。オジサマはこの目で今まで何を見てきたのかしら。」

 

 

「私はね、もぅ、何も見えないの。だから――――、」

 

 

針孔(はりあな)のような深淵(しんえん)に、柔らかな(ゆびさき)が差し込まれていく。

「――――私に、教えて下さるわよね?」

                     (けたた)ましい怪物の咆哮(ほうこう)が、窓を静かに震わせる。




※逆鱗=中国故事に由来する言葉。天子、目上の人間の怒りを買うこと。(目下には使えないらしいです)
初め、「琴線に触れる」と書いてしまいましたが、これは良い意味での感動でしか使えないのだとか……知らなかった(@_@;)

※針飛び=レコード再生時に、瞬間的に音が途切れたり、同じ場所を繰り返し再生し続ける状態のことです。今回は後者の意味で使ってます。

※寝物語=男女が同じ寝床でする会話。

※翠緑=緑色。「翠緑玉」は鉱石のエメラルドのこと。

※香草(ハーブ)=薬草。強めの芳香を放つ食材。ローズマリーやセージなどのこと。
本編では「古明地こいし」の服(スカート)に描かれたラナンキュラスの花の香りを書こうと思っていたんですが、一概にラナンキュラスと言っても、品種改良のおかげで、沢山の種類のラナンキュラスがある訳で、その分、匂いも色々ある訳で……。
レモンのような清涼感のある匂いが多いようですが、レモン?柑橘系?……なんとなく雰囲気に合わないような。でも、せっかくの「こいし」特徴だから使いたい……。そんなこんなで「香草(ハーブ)」という曖昧な線を選んでしまいました。(^_^;)

※針孔=糸を通すために開けられた針の穴。「めど」や「みぞ」とも言うそうです。
本編では「瞳」の比喩で使っています。
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