車内は帰宅ラッシュとぶつかり、非常に混んでいた。霞は壁際に立ち、それを守るように提督が立っている。
放課後、友達と遊んで帰ってきたのか、2,3人で喋る女子高生、バックを抱えて暫しの睡眠をとる大学生、疲れた面持ちで揺られ続けるサラリーマン。多くの利用客が小さいながらも自分のテリトリーを作って、第三者からの干渉を拒む、倦怠に満ちたいつもの光景だ。
「……っと!?」
「おっと、危ない」
電車が揺れ、バランスを崩した霞に咄嗟に体を使って提督が支える。
「……ご、ごめ……」
「この位置からじゃつり革掴めないもんな……俺に捕まるか?」
「そ、そんな、悪いわよ」
「大丈夫だ。お前ひとりくらい支えて見せるさ」
提督の一言に霞の頬が染まるが、提督は窓の外を眺めていて、気付くことは無かった。
霞は手を伸ばして提督の腕を掴む。車内にはスキマの出来る余裕がないため、霞は提督の胸に密着する形で立つことになった。
顔を少し赤らめながらも、顔を逸らすスペースは無いので、胸に顔をうずめる。
緊張でしばらく周囲に気が向かなくなってくる。すると、提督の鼓動がはっきりと聞こえてきた。早鐘を打つ様な忙しいリズムを刻んでいる。
(―――なんだ、緊張してたのは私だけじゃなかったんだ)
霞が提督からOKを貰ってからの3日間、霞は緊張と興奮でまともに寝付けなかった。流石に前日は提督が起きられないのを見越して早めに寝たが、それ以外の日は深夜に度々荒潮からからかわれていた。
経過はどうあれ、霞にとって「……自分だけ緊張するなんて馬鹿みたいじゃない(荒潮の録音データより)」という具合に提督にからかわれるネタを出来るだけ与えたくなかったりする。
だが、緊張していたのは提督も同じだったのだ。その事実に安心するとともに、霞の胸の奥がきゅっと熱くなる。
―――しかし同時に霞の嗜虐心まで刺激してしまったらしく、
「……へんたい」
「ファッ!?か、霞さん!?」
わざとぴったりくっつき上目遣いに笑顔の即死コンボで提督がたじろいでしまう結果になった。
電車が止まり、ドアが開くと、提督と、頭にクエスチョンマークを浮かべた霞が降りてきた。
「ここって鎮守府への最寄り駅じゃないわよね?寮の最寄り駅……でもないし」
「まあまあ、ちょっと着いて来てくれ」
訝しむ霞に対して提督の表情は硬い。ポーカーフェイスに定評のある彼ですら緊張する用事とはなんだろう、と霞は首をかしげつつ、提督の背中を追う。
なじみのある潮風がどこからか吹く中、林道を進んでいくと―――
「……よし」
「ここって……海風公園?」
海風公園とは、海に面して作られた特に遊具も無い公園である。小規模な駐車場と、断崖から海を望める吹きさらしの休憩所があるくらい。休日はデートスポットとして意外な賑わいを見せるが、今日は平日なので、提督と霞以外には誰もいない。
「結構ここから見る景色が好きなんだよ。風も感じられて、仕事がうまくいかないとき(主にイベント海域)ここに来ることもある……って、この季節だとちょっと寒いか」
「ううん、いい場所ね、ここ……海が綺麗」
「そうだな……毎日飽きるほど海を眺めてる俺でもそう思う」
崖に設置された落下防止の柵に手をかけながら二人は海を眺める。遠くでは西日が沈みかけており、海に映ったオレンジのコントラストが波に合わせて厳かに、そして大胆に踊る。すぐ下では白波が打ち付け、上がる飛沫が陽光に照らされキラキラと虹色に光る。
「……」
目の前の景色に圧倒されている霞を優しいまなざしで見つめる提督。ふと、ポケットにしまっているモノに手が触れ、彼の緊張が高まる。
しばらく首の後ろを搔いたり、手汗を気にして拭き取ったりと挙動不審な動きをしていたが、やがて右手をグッと握りしめ、背を向けている霞に歩み寄る。
「……なあ霞」
「ん、どうしたの?」
振り返った霞を見て提督は息を呑む。声をかけられてちょっと嬉しそうな雰囲気を醸し出しつつ、すぐにそれを引っ込めて自然体で振り向き、クールな表情を保ち、それでいて親しい人間に向ける様な、そんな目をしているのだ。
(ああ、俺は霞のこういうところに惚れたのかもな)
そんな今更過ぎる事実に気づいて提督が苦笑すると、霞はまた訝しげな視線を向ける。
「何よ、言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「……そうだな。言わせてもらうとしよう」
提督は霞の前に立つ。そしていつも通りの自然な姿勢で、霞を見下ろした。
「霞が練度カンストしてから特にお祝いとかしてやれなかっただろ?」
「……まあ、イベント海域攻略中だったし。……この休暇がその代わりなの?」
霞が「なら私から頑張って誘わなくてもいいじゃない……」と小声で呟いたのだが、提督は聞こえないフリをした。
「んー、それもあるんだがな。俺にもやりたい事っつーか、目的みたいなのがあってだな」
「……?」
霞が首をかしげると同時に、提督は真剣な表情で霞の前で片膝をつく。ポケットから小さな箱を取り出し、それを開けて霞に向かって差し出す。
「……ここらで一つ、提案なんだが。好きだ霞、ケッコンしてくれ」
一陣の風が吹く。霞のサイドテールを揺らし、二人の視線が合う。
「……え、ちょ、その……わ、私なんかでいいの?」
一瞬にして顔を耳まで真っ赤にした霞が取り乱しつつも何とか言葉を返す。すると提督は待ってましたとばかりに霞の目を真っ直ぐに見つめ返す。
「歩いている時に揺れているサイドテールが可愛い、苺のショートケーキがデザートだった時、無意識にスキップしてたのが可愛かった、大きな作戦の前で不安だった時、自分も不安なのに励ましてくれた時なんてときめいたぞ、それに他の艦娘と話し込んだ時、後ろで拗ねてるのも最高に可愛いし、二人で作戦会議してた時なんて、真面目に編成考える時間より、横顔に見とれてる時間の方が長かったくらいさ。それから……」
「も、もういいから!分かったから!」
「えー、まだまだあるぞ?」
「結構よっ!最後まで聞いてたらこっちが持たないっての……」
ゆでだこのように顔を真っ赤にして制止する霞。提督が仕方なく口を閉じると、霞は赤みの引かない顔のまま、提督に向いた。
「……その、私なんかで良ければ……よろしくお願い、します……」
最後は尻すぼみになりながらも、霞は自分の意志をはっきりと伝えた。
提督は、嬉しさの余り顔が歪みそうになるのを抑え、うつむく霞を下から見上げた。
「これはエンゲージリング、婚約指輪だ。後日、大本営からケッコン指輪は届けられるから、しばらくはそれで我慢してくれ。給料一か月分の安物だが、霞のことを想って選んだよ」
「は、恥ずかしいこと言ってんじゃないわよ!……ばか」
霞の左手薬指にはめられたシンプルなシルバーのリング。ちなみに指のサイズを荒潮から聞き出すのに間宮のパフェを3回ほど奢らされたらしい。
「……でも、嬉しい。ありがと」
「……お、素直な霞は激レアだな」
「っ、そういう一言が雰囲気を台無しにするのよっ!」
照れ隠しのミドルキックが鳩尾に突き刺さり、提督は冗談抜きで悶絶する。
「……まあ、そう言うところも嫌いじゃないけど」
最後に添えられた一言は提督の耳には届かなかった。