世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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第30話 恐怖の化け物

 静まり返っている森の奥深く。聞こえるのはサワサワといった多くの葉が風に揺れる音のみで、森特有の獣の鳴き声や動く音すら聞こえてこない。

 この周辺では独りしか存在しない木の妖精(ドライアード)のピニスン・ポール・ペルリアは、自身の本体である木の幹に凭れ掛かりながら、ずっと周りへと耳を澄ませていた。

 必至に周辺の音を探る彼女の胸の中には大きな怯えと小さな期待がぐるぐると忙しなく渦巻いている。

 周りの木々はまだ大丈夫だろうか? あれ(・・)に生命力を吸われて、悲鳴を上げてはいないだろうか?

 彼らは約束を守ってくれるだろうか? 今まさに、こちらに向かって来てくれてはいないだろうか?

 しかしいくら経ってもピニスンの耳には風と葉の音以外は聞こえてこない。

 彼女は小さく顔を俯かせると、思わず安堵と悲哀が入り混じったため息を小さく吐き出した。

 

(………約束して……くれたんだけどなぁ……。)

 

 未練がましく心の中で小さく呟く。

 彼女の脳裏に蘇るのは七人の人物。以前、それこそ何十回、何百回も太陽が昇った頃に出会った男たち。若い人間が三人に大きな人間が一人、年寄りの人間が一人、羽の生えたのが一人、ドワーフが一人。

 彼らは、この森に封印されている化け物が目覚めた時には必ずまたここに来て倒してくれると約束してくれていた。

 しかしいくら待っても彼らは来てくれない。今どこで何をしているのかも分からず、ピニスンは不安と恐怖にギュッと拳を強く握りしめた。

 しかしふと、昨日の出来事を思い出してピニスンは握り締めていた拳から自然と力を抜いた。

 昨日、とても久しぶりに闇妖精(ダークエルフ)の子供を見たのだ。

 彼女たちは双子なのかよく似ていて、何故か姉の方は男の格好をしていた。アウラとマーレと名乗った彼女たちに事情を説明して件の七人組を捜してくれるように頼んだのだけれど、果たして彼女たちは捜してくれているのだろうか……。

 思わず零れ出そうになった大きなため息に、しかし唐突に頭上から聞こえてきた聞き覚えのある声にピニスンは咄嗟にそれを呑み込んだ。

 

 

 

「こちらです、ペロロンチーノ様!」

 

 活発そうな高い声は、間違いなく昨日出会ったアウラと名乗ったダークエルフのもの。

 まさか本当に捜しに行ってくれていたのかと大きな期待と共に勢いよく顔を上げ、しかしその瞬間、ピニスンは大きく目を見開かせてビクッと身体を強張らせた。

 

「へぇ、彼女がアウラとマーレが言っていたドライアードか。……ふむ、なかなか悪くないな!」

「………そうでありんしょうか? 見るからにちんちくりんで、あまりに分不相応だと思いんす」

 

 ピニスンの目の前に降り立ったのは、彼女の予想通り昨日出会ったアウラというダークエルフ。しかしアウラは一人ではなく、黄金色の鳥人(バードマン)と人間のような美少女を一緒に連れていた。バードマンはピニスンを見た途端に興奮したように嬉々とした声を上げ、美少女の方は不満そうに小さく顔を顰めさせている。

 しかしピニスンは全く微動だにしなかった。いや、微動だに出来なかったと言うべきか……。

 彼女の頭の中には仲の良い木々や動物たちから最近聞いた情報がまるで警鐘のように何度も何度も繰り返し響いていた。

 今から少し前、太陽が何回か昇っては沈みを繰り返した頃。通常、特定の魔物や少しの動物しか生息していなかったはずのこの区域に、突如多くの魔物や動物たちが勢いよく雪崩れ込んできたのだ。

 ピニスンが暮らすこの区域は森の奥地に区分され、生息している魔物も力の強いモノが多い。そのため、今までは弱い魔物や動物たちは好き好んでこの区域にまで足を踏み入れることはなかった。しかし今は、そんなことを気にしている場合ではないとばかりに、次から次へと多くの魔物や動物たちが我先にと森の奥の奥まで足を踏み入れてきたのだ。

 当時のピニスンは何が起こったのか分からず、ただ呆然と彼らの様子を見つめるだけだった。そんな彼女に原因を教えてくれたのが、仲の良い木々や動物たちだった。

 彼らの話によると、突如とんでもなく強い魔物やモンスターを引きつれた黄金色のバードマンが現れ、森に棲むありとあらゆる魔物や動物たちを容赦なく狩っていっているのだと言う。一時的に彼らの魔の手から逃れられたとしても、バードマンたちは急速に縄張りを広げていっているらしく、こんな奥地にまで逃げざるを得なかったらしい。つまりは魔物や動物たちは、件のバードマンたちの方が奥地に棲む強力な魔物たちよりもずっと強くて恐ろしいと思っているようだった。

 当時のピニスンは少々不安には思ったもののどこか他人事にも思えて、大変だな~という感想しか持たなかった。

 しかし、今目の前にある光景はどういう訳だろうか。

 木々や動物たちが言っていた容姿とまるっきり同じなバードマンが自分の目の前で邪悪な笑みを浮かべている。

 

(……あぁ…、……終わった……。)

 

 ピニスンは大きな恐怖と絶望を湧き上がらせ、同時に自身の終わりを悟った。

 恐らく自分も多くの魔物や動物たちと同じ運命を辿るのだろう。容赦なく囚われ、蹂躙され、そして殺されるに違いない。

 顔を蒼白にしたまま思わず諦めの歪な笑みを浮かべるピニスンに、目の前のバードマンは不思議そうに小首を傾げてきた。

 

「ん? どうしたんだ? 何だか急に死にそうな顔になってるけど……」

「気色悪い顔でありんすねぇ……。ペロロンチーノ様にそのような顔を見せるなんて、失礼でありんす。今すぐ首から上をスッキリさせてあげんしょうか?」

「こらこら、女の子に対して気色悪いなんて言っちゃ駄目だよ」

 

 ピニスンの前で黄金のバードマンと人間のような美少女が戯れるように言葉を交わしている。しかしピニスンはあまりの恐怖に言葉の内容までは頭に入ってこなかった。もういっそのこと早く楽にしてくれないかな……という気持ちすら湧いてきてしまう。

 ある意味現実逃避しようとするピニスンの思考に、しかし目の前のバードマンはそれすら許してくれないようだった。

 人間のような美少女に向けていた金色の仮面がこちらを向き、その奥の瞳と目が合った感覚が襲ってきた。

 

「……っと、自己紹介を忘れていたね。俺はペロロンチーノ。見ての通りバードマンだ。それでこっちがシャルティア。俺の……そのぉ、大切な女の子、かな……」

「ペ、ペロロンチーノ様……っ!!」

 

 どこか恥かしそうに忙しなく二対四枚の翼をモゾモゾと動かしながら言うバードマンに、途端にシャルティアと紹介された美少女が頬を紅潮させて歓喜の笑みと共に紅の瞳を潤ませる。何やら彼らの背後が一気に薔薇色に染まったような錯覚を覚える中、まるでそれを誤魔化すようにバードマンがワザとらしいまでの咳払いを零した。

 

「……ご、ごほんっ…! ……それで、えっと…、この子は覚えてるよな? 昨日、君に会ったって聞いたけど」

 

 バードマンが指し示すのはアウラと名乗ったダークエルフの少女。

 本人がいるため誤魔化しも効かず、ピニスンは意を決して一つ大きく頷いた。

 

「……た、確かに会ったよ。……で、でも……それで、君たちは何の用でこんなところに来たんだい……?」

 

 目の前のバードマンの様子から、どうやらすぐに殺されるわけではないと判断し、勇気を振り絞って何とか言葉を紡ぐ。

 美少女が不快気に顔を顰めさせるのに思わず身体をビクつかせる中、しかしバードマンは気が付いた様子もなく朗らかな笑みすら浮かべているようだった。

 

「ああ、君がアウラとマーレに話した“世界を滅ぼせる魔樹”とやらが気になってね。良ければ俺にも詳しい話を聞かせてくれないかな?」

 

 小首を傾げながら問いかけてくるバードマンに、ピニスンは内心で納得の声を上げた。

 確かに仲の良い木々や動物たちは、例のバードマンは森の生き物たちを捕らえては何処かに連れていくと言っていた。もしかしたら、このバードマンは魔樹も捕えようと思ってここまで来たのかもしれない。

 魔樹と目の前のバードマンの危険性を頭の中で天秤にかけ、少々どころか大きな不安を抱きながらも恐る恐る口を開いた。

 

「それは、構わないけど……。でも、一体何が知りたいんだい? 私の知っていることは、もう全部彼女たちに話してしまっているんだけど……」

「まず魔樹自体についてだな。名前からして植物系のモンスターだと思うんだけど、あってるかな?」

「う、うん、確かそのはずだよ。歪んだトレント……だったかな」

「アウラとマーレが、その魔樹が眠っているっていう場所に確認しに行ったらしいんだけど、何も発見できなかったようなんだ。それについて、何か知っているかな?」

「えっ、魔樹のところに行ったのかいっ!?」

 

 反射的にアウラの方へと振り返り、思わず悲鳴のような声を上げる。なんて恐ろしく危険なことをするんだ! と冷や汗が止まらなかった。

 

「魔樹は本当に世界を滅ぼせるほどの力を持っているんだぞ! 子供二人で行くなんて危ないじゃないかっ!!」

 

 しかしアウラ本人は苦笑を浮かばせて小さく肩を竦ませるだけ。何とも危機感のない様子に、ピニスンは苛立ちが込み上げてくるのを感じた。

 しかしそれを止めたのはバードマンだった。

 

「だけど、さっきも言ったように、肝心の魔樹が見つからなかったようなんだ。本当にあそこに眠っているのかな?」

「そうだよ! いないわけないじゃないか! 現に多くの植物たちが命を吸い取られて枯れていってしまっているんだ! あの子達の悲鳴が、ここまで聞こえてくるんだよっ!!」

 

 彼らへの恐怖も忘れて怒鳴りつけるように声を張り上げる。涙を浮かべた目でキッと睨み付ければ、バードマンは慌てた様子で両手を軽く挙げて降参のポーズをとった。

 

「わぁっ、ごめんごめん! そ、それじゃあ、君が案内してくれないかな? もしかしたらアウラとマーレが探した場所が間違っていたのかもしれないし……」

「……えっ、私が……?」

 

 ピニスンは思わず驚愕に目を見開かせた。まさかそのようなことを言われるとは思ってもみなかったのだ。

 しかしピニスンの心情など知らぬげに、バードマンは話を続けた。

 

「やっぱり実際に場所を知っている人がいてくれた方が間違わないだろうし、戦う時もすぐに対処できると思うんだ」

「……って、ちょっと待って! 今戦うって言った!? あの魔樹と戦うって言ったのかいっ!?」

 

 聞き捨てならない言葉に、ピニスンは再び声を上げていた。

 よくよく考えてみれば魔樹も大人しく捕まるわけがなく、魔樹を捕まえようとしている以上戦闘は避けられないのは当たり前だ。だというのに、ピニスンは本能的な恐怖から、無意識にその結論を考えないようにしていた。

 しかしここにきて突き付けられる現実。

 必死に止めるピニスンに、しかし腹立たしいことにバードマンはへらへらと呑気に笑っており、美少女やダークエルフの少女も余裕の表情を浮かべていた。

 

「いや~、君に心配してもらえるなんて嬉しいな~」

「そんなことを言っている場合じゃないだろ! 本当に分かっているのかい!? 相手は世界を滅ぼし尽すことのできる魔樹なんだよ!?」

「でも、どちらにしろ目覚めは近いんだろう? ここで俺たちが手を出しても出さなくても、あまり変わらないと思うけど」

「それは! ………そう、だけど……」

 

 バードマンからの思わぬ鋭い指摘に、ピニスンの勢いも徐々に沈んでいってしまう。最後には思い悩むように俯かせた顔を顰めさせるのに、バードマンはどこまでも気軽く提案の言葉を発してきた。

 

「どちらにしろ変わらないのなら、物は試しに俺たちに任せてみてもいいんじゃないかな?」

 

 ピニスンは俯かせていた顔を上げると、じっと目の前のバードマンを見つめた。

 考えてみれば、目の前のバードマンは多くの魔獣や獣たちに恐れられるほどの存在だ。もしかしたら魔樹を倒すことはできなくても、再び封印することはできるかもしれない。少なくとも、いつ来るかも分からない七人の男たちをただ待つよりかはマシなような気がした。

 

「……そう、だね。確かに君たちもそこそこ強そうだし……。任せてみても、良いかもね」

「よし、決まりだ! じゃあ、早速だけど案内を頼めるかな?」

「わ、分かったよ。でも、言っておくけど、私たちドライアードは自分の本体の木からは長時間離れることはできないからね!」

 

 言外に長時間付き合うことはできないと忠告するも、バードマンたちの態度は一切変わらない。

 更に苛立ちが込み上げる中、バードマンは徐にこちらへと手を差し伸ばしてきた。

 

「じゃあ、改めてよろしく」

「……こちらこそ、よろしく」

 

 黄金のガントレットに覆われたバードマンの大きな手と、ピニスンの小さな手が握手を交わす。

 

「……そういえば、ピニスンちゃんって例えば本体の木を根こそぎ移動させたら、そこに移住することになるのかな?」

「えっ、まぁ……そうなるけど……」

「じゃあ、もし魔樹がどうにもできなかったら、ピニスンちゃんの本体の木を安全な場所に移動させてあげるね」

「それは………ありがとう……」

 

 握手して早々、本当にこのバードマンに託しても大丈夫なんだろうか……と不安になってきてしまった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ピニスンの案内により到着したのは、森の奥だとは思えないほどに荒れ果てた場所だった。草は一本も生えておらず、所々に立っている木は全て枯れ果ててしまっている。

 ペロロンチーノは暫く目の前の光景を見つめると、次には感心したようなため息を零した。

 

「……荒れ果ててるとは聞いていたけど、これはすごいな」

「ほんに、ある意味見事でありんすねぇ」

「そんな悠長なことを言っている場合じゃないよ! 本当に大変なんだよ!?」

 

 すぐ横でドライアードの少女がわぁわぁ騒いでいる。しかしどうにも何の気配も捉えることが出来ず、ペロロンチーノは思わず小さく首を傾げさせた。

 ペロロンチーノは職業レベルを弓兵(アーチャー)中心に取得し配分しているが、一方でレベルは低いものの野伏(レンジャー)の職業も取得していた。そのため、他の者よりも感覚は鋭い方だと自負していたのだが……。

 仮面の奥で知らず顔を顰めさせながら、ペロロンチーノは傍らに控えるアウラを見下ろした。

 

「アウラ、何か感じるか?」

「……申し訳ありません、ペロロンチーノ様。やはり何も感じ取れません」

 

 困惑の表情を浮かべて首を横に振るアウラに、ペロロンチーノは思わず低く唸り声を上げた。

 これでは対処どころか、調べることすらままならない。

 どうしようか……と思考を巡らせ、ペロロンチーノは改めてピニスンへと目を向けた。

 

「……ピニスンちゃん。確か魔樹って、目覚めが近いんだったよな?」

「……え? そ、そうだよ。いつ目覚めるかは分からないけど、その日が近いってことは確実だよ」

 

 困惑しながらも頷くドライアードに、ペロロンチーノは暫く考え込んだ後に覚悟を決めた。アイテムボックスからゲイ・ボウを取り出しながらアウラを見やる。

 

「アウラ、ターゲティングを広範囲に使ってみてくれるかな?」

「ターゲティングを、ですか……? しかし、あれはヘイトを集めてしまいますが……」

「ああ、それで大丈夫だよ。むしろそれが狙いだから」

「……なるほど。ヘイトを集めることでワザと目覚めさせ、あちら側から姿を現させる作戦でありんすね? 流石はペロロンチーノ様でありんす!」

「ありがとう、シャルティア」

 

 嬉々とした声を上げるシャルティアに、ペロロンチーノも笑みを浮かべてそれに答える。アウラも納得の笑みを浮かべて大きく頷くと、次の瞬間には荒野を中心に広範囲でターゲティングを発動させた。

 傍らでは“ワザと目覚めさせる”という言葉に反応したドライアードの少女が騒いでいたが、ここは敢えて無視をする。

 相手が本当に世界を滅ぼせるほどの力を持っていた場合、こちらよりも格上の確率の方が圧倒的に高い。場合によってはシャルティアたちを連れてひたすら逃げることも想定し、ペロロンチーノは何かしらの反応が返ってくるのを待った。

 一秒、二秒とゆっくりと時が過ぎていく。

 そして丁度一分を数えた瞬間、それは起こった。

 突如森全体を襲う激しい地響き。揺れる地面に体勢を崩すこともなく警戒し続けるペロロンチーノたちの視線の先に、それ(・・)は突如姿を現した。

 荒れ地の中心に走る、深く大きな割れ目。まるでかき分けるように長く太い何かが地面の土塊を削り、這い出るように大きな影が頭上に向かって伸びていった。

 ペロロンチーノたちの目の前に現れたのは一本の大樹。正に化け物という言葉が相応しい木の魔物だった。

 体長は凡そ100メートル。肌はでこぼことした茶色で、目や口だと思われる大きな空洞が合計三つ空いている。300メートルは軽く超える枝のような触手が六本生えており、頭頂部分には何やら緑色の植物が生えているようだった。

 

「……あー、これは中々にすごいな」

 

 頭上に伸びる巨大な姿を見上げ、ペロロンチーノは思わず呆けた声を零す。ピニスンは怯えた様に声もなく震えており、シャルティアはすぐさまペロロンチーノの前に立って身構え、アウラはペロロンチーノの傍らで特殊技術(スキル)を発動させた。

 ペロロンチーノは注意深くゆっくりとゲイ・ボウを握る手に力を込め、しかし不意に周りの木々からザワッとした多くの気配が襲ってきて大きく目を見開かせた。慌てて背後の森を振り返れば、何やら騒がしい気配が勢いよく蠢きながら徐々に遠ざかっていく。

 

「………アウラ……?」

「……どうやら周りの森に潜んでいた獣や魔獣たちが、魔樹の出現に驚いて逃げているようです」

「獣に魔獣? そんなのいた?」

「そこら中にいたでしょうが! ちょっとシャルティア、少しは周りに気を配りなさいよ!」

 

 シャルティアが怪訝な表情を浮かべ、それにアウラが顔を顰めさせて声を荒げる。

 どこか騒がしくも微笑ましい二人の様子に気が緩みそうになりながら、しかしペロロンチーノは再び気を引き締めさせるために小さく咳払いを零した。

 

「……ゴホンッ……、まぁ、獣や魔獣たちは放っておいても大丈夫だろう。それよりもアウラ、魔樹についてはどうだ?」

「………どうやら三色違いのようです。レベルは80から85。体力のみが特化していて測定外です」

「体力だけが測定外? レイドボス?」

 

 アウラの言葉に小さく顔を顰めさせながら、改めて目の前の巨木の化け物へと視線を向ける。

 ペロロンチーノたちの目の前で、魔樹は枯れた木を巨大な触手で引っこ抜いては口だと思われる空洞へと運んでいた。バリバリという劈くような乾いた激しい音が鳴り響き、ギザギザとした空洞がまるで咀嚼しているかのように動いて枯れ木を自身の内部へと取り込んでいる。

 どうやら全くこちらに意識を向けていないようで、ペロロンチーノは完全に警戒を解かないまでも側にいるシャルティアとアウラへと声をかけた。

 

「……さて、取り敢えず魔樹は見つけた訳だが…。こうなってしまったら対処するしかないだろう。レベルは高くても85らしいし、ここにいる三人だけでもどうとでもできるだろう」

「ペロロンチーノ様、どうか私にお命じ下さいませ。あのような下等な生物、ペロロンチーノ様の御手を煩わすほどではございません。私一人で十分でありんす!」

 

 すぐさま傅いて頭を下げながらシャルティアが立候補してくる。ペロロンチーノは暫くシャルティアを見つめた後、再びチラッと魔樹へと目を向けた。

 魔樹は今もなお枯れ木を引っこ抜いては粗食を繰り返している。知性なく本能に任せたような行動に、ペロロンチーノは魔樹とシャルティアを交互に見つめながら思考を巡らせた。

 確かに普通に考えれば100レベルで階層守護者最強の戦闘力を持つシャルティアであれば、魔樹に勝つことは容易だろう。しかし、何事にも例外や想定外なことは存在する。種族や職業での相性によってはレベル差があっても敗北する可能性はあるし、取得している魔法や特殊技術(スキル)、装備やアイテムや戦術でも幾らでも戦況は変化してしまうのだ。焦る必要は決してないが、油断し過ぎるのも不味かった。

 

「………よし、前衛はシャルティアに任せよう」

「ありがとうございます、ペロロンチーノ様!」

「俺とアウラは後方からシャルティアを援護する。良いな、アウラ?」

「はい、ペロロンチーノ様!」

 

 シャルティアは歓喜の笑みと共に再び頭を下げ、アウラも自信満々な笑みと共に大きく頷いてくる。ペロロンチーノも頷き返すと、次には手に持つゲイ・ボウを鋭く構えた。瞬間、何もなかった空間に青白く光る矢が何処からともなく出現する。

 ペロロンチーノは矢を上空へと向けて勢いよく放ち、それが戦闘開始の合図となった。

 勢いよく地を蹴り魔樹へと突っ込んでいくシャルティアと、放たれた頭上で幾つも分裂して雨のように降り注ぐ矢。突然の矢の雨に襲われて悲鳴のような咆哮を上げる魔樹に、シャルティアは手にスポイトランスを出現させて迷いなく突撃していった。未だ降り注ぐ矢の真っただ中に突撃しているというのに、その勢いは一切落ちることなく、ほんの少しの躊躇もありはしない。ペロロンチーノの矢を受けるならば本望と思っているのか、それともペロロンチーノの矢が自身を傷つける筈がないと信じきっているのか。どちらにせよ、シャルティアは矢一本触れることなく無事に魔樹の元まで辿り着くと、スポイトランスを目の前の木肌へと勢いよく突き刺した。100メートルもある巨体が大きく揺らぎ、シャルティアの攻撃に押されて後退る。

 

「〈影縫いの矢〉!」

 

 瞬間、アウラから特殊技術(スキル)が発動。後退った勢いのままシャルティアから距離を取ろうとしていた魔樹の動きがピタッと止まる。

 シャルティアはそれを見逃さず、そのまま追撃して魔樹へと勢いよく肉薄した。

 木肌に大きな穴を開けて奥へと沈むスポイトランスと、再び上がる悲鳴のような咆哮。

 しかし流石は体力だけが測定外と言うべきか、シャルティアの攻撃を二度受けても未だ余力を残しているようである。

 ペロロンチーノとアウラも更なる攻撃を加えようと身構える中、不意にピタッとアウラの動きが止まった。どうしたのかとアウラに目をやり、こめかみに指先を当てている姿が目に入る。どうやら誰かから〈伝言(メッセージ)〉が来ているようで、ペロロンチーノは注意深く魔樹とシャルティアの戦闘を見つめながら、アウラへと耳を傾けた。

 

「ウルベルト様! どうかなさいましたか? 何か御用でしょうか?」

 

 アウラが少し慌てた様子で対応している。

 彼女の言葉から察するに、どうやら〈伝言(メッセージ)〉の相手はウルベルトのようだった。

 

「――……えぇっと、ですね……。ペロロンチーノ様と調査していたザイトルクワエなる魔樹なのですが、調査している間に目覚めてしまいまして……」

 

 アウラが少し気まずそうにチラッと魔樹を見やる。

 

「それが、魔樹が眠っていた場所に予想以上に多くの獣や魔獣がおりまして……。魔樹が目覚めたことで、それらの獣や魔獣たちが一気に森の外の方角へと逃げて行ってしまったんです。ペロロンチーノ様から、何の影響もないだろうから放っておくように言われたので、私も放っておいたのですが……。――………えっと、……私は見たことがありません。見た目は木のお化けみたいで、体長は凡そ100メートルほど。技のような触手が六本生えています。特殊技術(スキル)で判定したところ、レベルは80から85。体力のみが測定外でした。………はい、畏まりました!」

 

 暫く話し、最後には元気な返事と共に〈伝言(メッセージ)〉を切る。

 こちらに駆け戻ってくるアウラに、ペロロンチーノはチラッと彼女へと視線を移した。

 

「〈伝言(メッセージ)〉はウルベルトさんから?」

「はい! 魔樹をサンプルとして欲しいから、出来たら生け捕りにしてほしいとのことでした!」

「………えー……」

 

 アウラから伝えられたウルベルトからの言葉に、ペロロンチーノは思わず呆けたような声を零した。仮面の奥の眼も半目になり、そのまま魔樹へと視線を向ける。視線の先には既にアウラの特殊技術(スキル)が解けた魔樹が何とかシャルティアに抵抗して触手を振り上げていた。長く太い枝のような触手がシャルティアを吹き飛ばそうと動き、シャルティアもそれに応戦している。

 二人の戦闘を見つめながら、ペロロンチーノは一つ大きなため息を吐き出した。

 ペロロンチーノの心の中にあるのは唯一つ。こんなでっかいのを捕まえて、ナザリックにどうやって持って帰るんだよ……、の一言に尽きた。

 魔樹はガルガンチュアよりも遥かにでかい。幾ら広大に造られているナザリックの階層とはいえ、果たして魔樹を運び込めるのかペロロンチーノは些か不安だった。かといって外で捕獲しておくにしても、レベルや巨大さも相俟って中々に労力がかかると思われる。

 う~んと小さく唸り声を上げ、ペロロンチーノは取り敢えずシャルティアを呼び戻すことにした。その際、追撃するであろう魔樹に対してアウラに牽制させることも忘れない。

 ペロロンチーノはこちらに無事に戻って来たシャルティアを迎え入れると、先ほど入ったウルベルトからの〈伝言(メッセージ)〉の内容を話して聞かせた。

 

「――……でも、流石にあの大きさの魔物を長期間捕獲しておくにはリスクが高いから、代わりにできる限りの戦闘記録をとろうと思う」

「戦闘記録……で、ありんすか?」

「そう。どういった特殊技術(スキル)を持っているのか、どういった特徴を持っているのか。そういったのを記録しておこうと思うんだ。基本的に俺が囮になるから、シャルティアは俺の補助。アウラは特殊技術(スキル)も使って情報を収集し、記録していってくれ」

「畏まりんした」

「畏まりました、ペロロンチーノ様!」

 

 ペロロンチーノの決定に、シャルティアもアウラも反抗することなく従順に従う。もう一人の主であるウルベルトの意に添えないことに対して不甲斐なさを感じはしたが、今は目の前の主であるペロロンチーノの命令に従うのが最優先だった。背後ではピニスンが何やら騒いでいたが、そんなことを気にすることなどない。

 この場にアウラとピニスンを残し、ペロロンチーノはシャルティアと共に魔樹へと突撃していった。

 ペロロンチーノが攻撃を回避しながら頭上から矢を放って魔樹を翻弄し、シャルティアが地上から補助に動く。

 魔樹は触手による攻撃だけでなく、どうやら種のようなものを飛ばす攻撃手段も持ち合わせているようだった。加えて周りの植物を捕食することで体力を回復することができるらしい。

 暫く翻弄と戦闘を繰り返し、魔樹のデータを取っていく。

 そして、そろそろ情報収集に見切りをつけようと思ったその時、それ(・・)は起こった。

 グワッと口の空洞が大きく開いたかと思うと、魂が震えるほどの咆哮が森中に響き渡る。

 何事かとペロロンチーノとシャルティアが警戒のために魔樹から距離を置き、その瞬間、周囲の地面から小さな亀裂が複数箇所で走った。

 一拍後、亀裂の奥から姿を現したのはミニチュアの魔樹たち。

 尤も、ミニチュアとはいっても体長は五メートルほどもあり、六本の触手も50メートルはありそうである。

 まるで子供か何かのようにうぞうぞと触手を蠢かせながら魔樹の元へと移動していくミニチュアたちに、ペロロンチーノは地上にいたシャルティアを回収してアウラの元へと一時離脱した。この世の終わりだとばかりに顔を蒼褪めさせているピニスンを尻目に、ペロロンチーノはシャルティアを地面へと下ろしながらアウラへと声をかけた。

 

「……アウラ、あのミニチュアが何か分かるか?」

「少々お待ちを……。………恐らく、先ほどまで戦っていた魔樹の分裂体だと思われます。レベルは50から55。ステータスは全て魔樹よりも低く、体力も測定内に収まっています」

「………ふむ……」

 

 ペロロンチーノはアウラの言葉に耳を傾けながら魔樹たちの様子をじっと窺った。

 分裂体たちはまるで本体である魔樹を守ろうとするかのように、魔樹の周りへと集まってうねうねと触手を蠢かせている。

 ペロロンチーノは少しの間魔樹たちを見つめると、次にはシャルティアとアウラを振り返って新たな命令を口にした。

 

「……よし、あれらをまとめて始末する。但し、分裂体は一体だけサンプルとして捕獲してナザリックに連れて帰ろう。アウラ、あそこにいる分裂体の中から一体を捕獲して、その後、他に分裂体が隠れ潜んでいないか周辺を探ってくれ。シャルティアは俺と共に魔樹と残りの分裂体を殲滅する」

「「はっ!」」

 

 シャルティアとアウラは跪いて頭を下げると、次にはほぼ同時に行動を開始した。

 二人同時に魔樹や分裂体の元へと突っ込み、まずはサンプルとして連れ帰る個体を選び取って素早く捕獲する。その後、アウラは周辺を探るためにこの場を離脱し、シャルティアは残りを殲滅しにかかった。

 ペロロンチーノもピニスンを守るように彼女の前に仁王立ちしながら、ゲイ・ボウを再び頭上へと構える。

 魔樹と分裂体が一カ所に固まっていることに内心で安堵の息をつきながら、紅蓮の光を宿す矢を何十本も勢いよく解き放った。

 特殊技術(スキル)〈鳥の籠・炎〉。

 魔樹と分裂体を取り囲むようにして紅蓮の矢が円を描いて地面へと突き刺さっていく。分裂体たちと戦闘を繰り広げていたシャルティアが矢の存在に気が付き、目の前に迫っていた分裂体を勢いよく吹き飛ばした後にすぐに踵を返した。

 シャルティアが円の外へと離脱するのと、放たれた最後の矢が地面に突き立ったのはほぼ同時。

 瞬間、円を描く何十本もの矢に沿うように紅蓮の炎が燃えたち、内側が業火渦巻く火の海と化した。円の中にいた魔樹や分裂体は紅蓮の炎に燃え、まるで悶え苦しむように大絶叫を上げる。

 そこに飛び込んでいくのは、スポイトランスを右手に持ち、清浄投擲槍を左手に持ったシャルティア。

 未だに炎が燃え立っているのも構わず、邪魔な分裂体をスポイトランスで薙ぎ払うと同時に清浄投擲槍を魔樹へと勢いよく投擲した。

 ペロロンチーノもシャルティアの攻撃に合わせて爆撃用の矢を放つ。

 シャルティアの清浄投擲槍とペロロンチーノの矢が競うように魔樹へと飛んでいき、苦痛の絶叫を上げ続けている口の空洞へと吸い込まれていった。

 瞬間、魔樹の内部から溢れ出す青白い光。

 まるで内部で青白い太陽が生まれたかのように魔樹の身体を内部から破壊し、多くの空洞から溢れ出して世界すらも埋め尽くした。

 静寂の中に広がる光の放流と衝撃波。いや、静寂と感じたのはあまりの爆音に鼓膜が麻痺したせい。それは全身に感じられるビリビリとした衝撃と、完全に音を失った世界が証明していた。

 しかし、そうなっているのはこの場ではピニスンのみ。

 ペロロンチーノもシャルティアもアウラも一切問題はなく、ペロロンチーノとシャルティアはただ見事に消し炭となった魔樹や分裂体たちの成れの果てを見つめていた。シャルティアが戻ってくるのを待ち、不意にアウラから〈伝言(メッセージ)〉が飛んできたことに気が付く。

 

『……アウラ、どうした?』

『周辺を捜索しましたが、他の分裂体はいないようです。捕獲した分裂体はいかがしましょうか?』

『そうか……。取り敢えず捕獲した分裂体はナザリックの第六階層に運んでくれ。俺とシャルティアもピニスンと話してからすぐにナザリックに帰還する』

『畏まりました!』

 

 アウラの元気な返事を聞いてから〈伝言(メッセージ)〉を切る。

 丁度こちらに戻ってきたシャルティアを迎え入れ、背後のピニスンを振り返る。

 青白い顔に呆然とした表情を浮かべるピニスンを見つめ、ペロロンチーノはできるだけ柔らかな笑みを浮かべ、優しい声音で彼女へと話しかけた。

 

「無事に魔樹も倒せたことだし、これでもう安心だな」

「……………………」

「それで……、一つ提案があるんだけど」

 

 小首を傾げながら嬉々として話し出すペロロンチーノ。彼からすればあくまでも穏便に話を進めているつもりなのだが、ピニスンの心境は全く真逆なものとなっていた。

 世界を滅ぼせるほどの力を持っているはずの魔樹をたった二人で倒してしまったという事実。そして何より、植物系モンスターにはあまり効果がないはずの弓矢という武器で倒してしまったというのがピニスンに強い衝撃を与えていた。

 そんな信じられないほどの強さを持つ存在に“提案”されては、恐ろしくて拒否なんてできようはずもない。

 

「――……てもらいたいんだけど。どうかな?」

 

 どこまでも優しい声音が逆に恐怖を湧き上がらせてくる。

 ペロロンチーノの思いなど露知らず、ピニスンはペロロンチーノからの“提案”に力なく頷いた。

 

 




*今回の捏造ポイント
・ザイトルクワエの分裂体;
レベルは50から55。体長は5メートルで、見た目は魔樹のミニチュア。本体である魔樹が眠りについた後、時折暴れる触手を使って自分の周辺や森のあちこちに種を撒き、それが成長した存在。更に植物の栄養分を吸収して成長しレベルが上がれば、第二のザイトルクワエとなる……かも……。

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