世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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今回は久しぶりの悪魔親子でございます!
内容はとてつもなく不穏なのですが、書いていてすっごく楽しかったです(笑)


第38話 進み行く計画

 陽の光が優しく差し込むのは少し古めかしい室内。造りはしっかりしており、古めかしくも趣を感じさせる様相はそれなりの質の良さを感じさせる。

 ここはバハルス帝国帝都アーウィンタールにある“歌う林檎亭”の一室。

 自身の魔法で作り出した最上級の寝椅子(カウチ)に深く腰掛けながら、ウルベルトは手に持つ羊皮紙に目を落としていた。

 近くにおいてあるテーブルの上には、今彼が読んでいる羊皮紙が入っていた上質な封筒が無造作に放られている。

 その横にコトリとティーカップが置かれ、ウルベルトは羊皮紙に向けていた視線を外して傍らに立つユリを振り仰いだ。

 

「……あぁ、ありがとう、ユリ。ふむ、良い香りだ」

「ありがとうございます。……それは、ソフィア・ノークランからの依頼書でしょうか?」

 

 羊皮紙をテーブルの上に放り投げてティーカップを手に取るウルベルトに、ユリは頭を下げながらもチラッと羊皮紙に目を向ける。

 ウルベルトは香りを楽しみながら紅茶を一口飲み込むと、ほぅっと小さな息をついて羊皮紙へと改めて目を向けた。

 

「……ああ、ニグンが預かってきた闘技場の演目出場依頼の封書だよ。まったく、次から次へとよく依頼してくるものだ」

 

 ウルベルトはもう一口紅茶を飲みながら呆れたような表情を浮かべる。

 彼の言う通り、ソフィア・ノークランは一番初めの闘技場演目出場の依頼以降もちょくちょく同じような依頼を持ってきていた。

 今では他の興業主(プロモーター)からも演目出場の依頼が来るようになり、ウルベルトたち“サバト・レガロ”は闘技場のちょっとした常連になりつつあった。

 

「今回も依頼をお受けするのですか?」

「……いや、今回は少し迷っているのだよ」

 

 ウルベルトの意外な言葉に、ユリは思わず不思議そうな表情を小さく浮かべた。

 闘技場でエルヤー・ウズルスに勝利したことや帝国四騎士のバジウッド・ペシュメルとの繋がりが出来たことで、今や“サバト・レガロ”は人気ナンバーワンのワーカーチームになりつつある。依頼も山のように来ており、自分たちでなくとも対処可能な依頼に関しては幾つか他のワーカーチームに紹介という名の横流しをすることも多くなってきていた。しかし、闘技場の演目出場依頼だけは、ウルベルトは積極的に自分たちで引き受けていたのだ。だというのに、これは一体どうしたことだろう……と小首を傾げさせながら、ユリは寝椅子に深く身を預けて物憂げな表情で何事かを考え込んでいるウルベルトを見やる。

 そんな彼女の様子に気が付き、今までずっと他の依頼書の選別作業を行っていたニグンが作業の手を止めて小さな苦笑を浮かばせた。

 

「実は、今回の演目の相手はあの“武王”なのですよ」

「“武王”……。もしや、闘技場のあの“武王”ですか?」

「その“武王”ですな」

「……そう“武王”“武王”と連呼しないでもらえるか?」

 

 ユリとニグンの会話に、ウルベルトの気だるげな声が割り込んでくる。

 見ればウルベルトは若干不機嫌そうに顔を顰めさせており、ユリとニグンは思わずチラッと互いに視線を交差させた。

 ウルベルトがこの件に関して何故こんなにも気にかけているのかというと、それは“武王”という存在そのものにあった。

 “武王”とは、闘技場の頂点に君臨する者の称号であり、今の“武王”は八代目となる。当代の“武王”は歴代最強と言われており、その人気も絶大であるとか。

 しかしウルベルトが一番問題視しているのは、その“武王”が人間ではないという点だった。

 しかも森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)といった人間種ではなく、妖巨人(トロール)という亜人種である。

 いくら強さに惹かれる者が多いとはいえ、人間が支配する国の闘技場で人間ではないモノ……それも亜人種が絶大な人気を獲得するなど並大抵のことではない。それだけの努力や交流、或いはカリスマというようなものが、そのトロールにはあるのだろう。つまり、安っぽいアイドルや客寄せパンダのような広告塔ではないということだ。

 彼の“武王”が持つ人気は、信頼や尊敬といった類のものに等しいのではないかとウルベルトは分析していた。

 もしその分析が正しかった場合、ウルベルトたちが“武王”を倒してしまえばどうなるか……。戦い方や流れ如何によっては、これまで積み重ねてきた自分たちの評判等が一気に失墜しかねない。

 ウルベルトは一度大きなため息を吐き出すと、次には勢いよく寝椅子から立ち上がった。ユリやニグンからの視線を無視して、肩にかけているコートの裾を靡かせながら一直線に扉へと歩を進める。

 

「……少し辺りを散歩してくる。何かあれば連絡してくれたまえ」

「お供いたします」

「不要だ。お前たちはここで依頼書の選別をしていてくれ」

 

 同行を申し出てくるユリやニグンを有無を言わせずこの場に残し、ウルベルトはそのまま扉を開いて部屋を後にした。足早に階段を下り、一階の食堂へと足を踏み入れる。

 瞬間、食堂中から沸き上がる騒めきや黄色い悲鳴。

 現実世界での自分や本来の悪魔の姿であれば到底向けられないであろうそれらに内心辟易とさせられる。しかしそんな内心は一切見せることなく、ウルベルトは表面上は控えめな笑みを浮かべて応えてやりながら真っ直ぐに外へと続く扉へと歩み寄っていった。声をかけたそうにしている客やエルフの従業員たちには気づかぬフリをして、目前まで来た扉に手を掛けてそのまま外へと足を踏み出す。

 数秒間どこに行こうかと思案するために立ち止まり、次には北へと足先を向けた。迷いのない足取りで、堂々と多くの人混みをかき分けるように道を進む。

 帝都の人間たちも大分ウルベルトの容姿に慣れてきたのか、最初の頃のように人混みが真っ二つに割れることはなくなりつつある。しかし今度は、まるでその代わりだと言わんばかりに多くの人間たちが何とか話しかけようと群がろうとしてきて、ウルベルトはそれがひどく鬱陶しく感じられた。気づかれない程度にさり気なく呼びかけの声を躱し、笑顔でのみ応えてやりながらひたすら目的地へと足を動かし続ける。

 そして“歌う林檎亭”を出て十数分後。

 ウルベルトが到着したのは多くの人々が賑わう北市場だった。

 多くの露店が立ち並ぶこの場所は、マジックアイテムを中心に売り買いされる市場である。主に冒険者やワーカーたちが不要となったアイテムや道具などを売っている場所であり、そのため売り手は冒険者やワーカーたちが殆どで、また買い手も必然的に戦いを生業とする者たちが多くの割合を占めていた。そのため、ある意味帝都の中で一番治安が良い場所であるとも言える。勿論普通の商人が露店を開いている箇所もあるのだが、全体的に言えば割合はかなり少ないと言えるだろう。冒険者やワーカーたちが出している商品は中古品や不必要な魔法道具などであるため、値段はそれなりに安いものが多く、また掘り出し物もたまに混じっていたりするため、その物珍しさからウルベルトは殊の外この市場が気に入っていた。

 

 

「おっ、ネーグルさん! また来てくれたのかい?」

「ネーグルさん! こっちも見に来て下さいよ!」

「きゃー、ネーグル様よ!」

「おぉ、ネーグルさん! この間はお世話になりました!」

 

 市場に集っていた者たちがウルベルトの存在に気が付いて、途端に次々と声をかけてくる。それにウルベルトはどこまでも親身でいて丁寧に、親しみ良く全ての声に応えていった。

 

「お久しぶりです、オルコットさん」

「おや、また露店を出しているのですね。良い掘り出し物はありますか?」

「こんにちは、お嬢さん方。お会いできて光栄です」

「いえいえ。無事に依頼をこなされたようで何よりです」

 

 先ほどまでの食堂や道での対応とは雲泥の差。しかしウルベルトにとっては、これは当然の対応だった。

 彼らは冒険者でありワーカーであり、言うなればウルベルトの同業者たちである。通常ワーカーの常識では同業者はライバルであるのだが、ウルベルトはあまりそうは思ってはいなかった。

 確かに名指しの依頼が基本となるワーカーにとって、同業者という存在は依頼を奪うかもしれない油断ならない相手だろう。しかしそれと同時に、同じ道に精通している者同士でもあるのだ。強く太いパイプを持てば持つほど、利用価値は上がるとウルベルトは考えていた。

 加えて、彼らは普段から命のやり取りをしているせいか基本的に義理堅い部分がある。勿論例外となる人物も中にはいるのだが、それでも殆どの者たちは良好な関係を築いても損にはならないだろう人物たちだった。更に言えば、さり気ない噂話から信憑性の高いものまでちょっとした情報収集もできるため、彼らと仲良くする行為はあながち不必要とも言えないのだ。

 ウルベルトは次々に掛けられる声に律儀に答えながら、彼らと連れ立つように露店を見て回り始めた。

 小さな傷や汚れの着いた防具や武器。少々古ぼけていながらも補助魔法が付加された装飾品。

 それらを何とはなしに眺める中、不意に見慣れぬ箱が視界に入ってきて、ウルベルトは自然とその箱の前で足を止めた。

 

「……ああ、あなたでしたか。これに目をつけるとは、流石はお目が高いですね」

「こんにちは、ロイゼンさん。今度はどんな珍品を仕入れたのですか?」

 

 ウルベルトの存在に気が付いて、比較的立派な露天の店主がにっこりとした営業スマイルを向けてくる。

 この男の名はイーレン・ロイゼン。普通の商人でありながらよく北市場に露店を出し、何故か冒険者やワーカーたちがあまり買いそうにない生活の中で使うようなマジックアイテムを売っている変わり者の男である。

 因みにウルベルトが初めてこの男に会ったのもこの北市場であり、その時は音に反応して独りでに踊る不可思議な花の人形を売っていた。

 

「また今回も妙な物を売っていますねぇ。なんですか、これは?」

「フフフッ、これは彼の有名な“口だけの賢者”が発案したものですよ。名付けて、こちらは『冷蔵庫』! そしてこちらは『扇風機』です!」

「……ほぅ……」

 

 イーレンの言葉を聞いた瞬間、ウルベルトの箱を見る目が小さく細められる。目の前ではイーレンがペラペラと箱について長々と解説しているのだが、しかしウルベルトは全く聞いてはいなかった。

 この世界では今まで見たことも聞いたこともない代物。しかしウルベルトはこれらの存在を知っていた。いや、正確に言えば同じような機能を持った物の存在を知っており、実際に使っていたと言った方が正しいだろうか。そしてそれはこの世界でもユグドラシルでもなく、現実世界(リアル)での話だった。

 

「………ロイゼンさん、この『冷蔵庫』と『扇風機』を一つずつ買いましょう」

「おおっ、流石はネーグル様! いつもありがとうございます!」

「あと、ついでと言っては何ですが、その“口だけの賢者”についてもう少し詳しく教えて頂けませんか?」

 

 商品が売れて上機嫌となる男に、ここで一番聞いておきたいことを聞いてみる。イーレンはウルベルトから代金を受け取りながら、上機嫌のまま“口だけの賢者”について語り始めた。

 彼の話によると、“口だけの賢者”とは200年ほど前にいた牛頭人(ミノタウロス)の事であるらしい。彼は様々なアイテムを発案し、しかしそれらの理論や作り方は分からず、作る能力もなかったらしい。つまり、例えば『入れた物を冷やせる道具があったら良いだろう』というアイデアは出せるが、ではどうすればそんな物が作れるのかといった理論の構築などが出来ないといった具合だろう。しかし戦士としての腕は超一流で、斧の一振りで竜巻を引き起こし、大地に突きたてれば地割れを引き起こしたとも言われているようだった。因みに彼は、ミノタウロスの社会では唯の食糧という認識でしかなかった人間を労働奴隷階級にまで引き上げたことでも有名であるらしかった。

 ウルベルトはイーレンの話に耳を傾けながら、内心では大きく顔を顰めさせていた。

 もし彼の話がすべて本当ならば、十中八九そのミノタウロスは自分たちと同じユグドラシルのプレイヤーだろう。しかし仮に本当に自分たちと同じプレイヤーだったとして、何故200年という大きな時差が生じているのかが全く分からなかった。

 もっと他に情報はないかと口を開きかける。

 しかし声を発するその前に、一つの大きな声によって音になる前に遮られた。

 

 

「おおっ、ネーグル殿! こんなところで会うとは奇遇だなっ!」

「っ!!?」

 

 聞こえてきたのは、聞き覚えのある低いドラ声。それに何とも嫌な予感がしながらも振り返れば、そこにいた人物にウルベルトはすぐさま振り返ったことを後悔した。

 人混みをかき分けるようにこちらに歩み寄ってくるのは強面の大男。身に纏う漆黒の全身鎧(フルプレート)は有名なもので、彼が何者であるのかを周りに如実に知らしめている。

 男の突然の登場にウルベルトが思うことは『何故ここにいるんだ』という一言に尽きた。

 しかしそれをそのまま口に出せるはずもなく、ウルベルトは内心嫌々ながらも身体ごと男に向き直ると、にこやかな笑みを浮かべて軽く男に会釈した。

 

「……これはバジウッド・ペシュメル様。本当にここで会うとは奇遇ですね」

 

 ウルベルトの目の前まで来たのは帝国四騎士“雷光”のバジウッド・ペシュメル。

 突然の大物の登場に、俄かにこの場が騒めく。

 しかしバジウッドは気にした様子もなく、ただ親し気にウルベルトに話しかけてきた。

 

「おいおい、様付けなんてやめてくれって前に言っただろう! あんたと俺との仲じゃねぇか!」

 

 豪快に笑う男に、『一体どんな仲だ……』と声を大にして言ってやりたい。しかしそんなことを言えるはずもなく、ウルベルトはグッと堪えながら大人しく小さく頭を下げて短く礼の言葉を口にした。

 周りから羨望や尊敬の眼差しを向けられているのを感じる。

 しかしウルベルトにとっては苦虫を噛み潰したい思いだった。

 

「それで……、ペシュメル殿は何故こちらに?」

「ああ、唯の暇つぶしだ。城勤めってのは何かと窮屈なんでな」

「それはそれは、ご苦労様です」

 

 周りの好奇の目は一切無視して無難な会話を交わしていく。

 どこがゴールなのかも分からぬままとりとめのない会話を続ける中、不意にバジウッドの方が話題を変えてきた。

 

「――……そういえば、今度闘技場の“武王”と戦うらしいな。すごいじゃねぇか」

「……ありがとうございます。とはいえ、まだ承諾の返事はしていないのですが……、何故ペシュメル殿がそれをご存知なのでしょうか?」

「ああ、実はノークラン商会は帝城お抱えの商会の一つでな。偶然小耳に挟んだんだ」

 

 ウルベルトの質問に、バジウッドは何でもないことのように軽く答えてくる。

 彼の話によると、ノークラン商会は皇族御用達の商会の一つであるらしく、先日も帝城に登城したらしい。そこで偶然闘技場の話題が出て、その流れでウルベルトたち“サバト・レガロ”に“武王”との対戦を依頼したという話も出たらしかった。

 

「す、すごい……! すごいじゃないですか、ネーグルさん!」

「ワーカーから、あの“武王”に挑戦できる奴が現れるなんてな! もし本当に戦うなら、応援に行くぜ!」

「俺もです! 絶対に応援に行きます! 頑張ってください!」

 

 バジウッドとの会話を耳にし、周りにいた冒険者やワーカーたちが次々と声をかけてくる。本人そっちのけで盛り上がり始める周りに、ウルベルトは内心で大きなため息を吐き出した。

 ここを離れた方が良いかも知れない……と思考を巡らす。

 このままここにいては、あれよあれよという間に演目出場依頼を承諾させられかねない。未だ踏ん切りがつかない中で他人に流されるなど冗談ではなかった。本音を言えばもう少し市場を見て回りたかったのだが仕方がない。

 ウルベルトは一度小さく細く長い息を吐き出すと、ワザとらしく胸元からゆっくりと懐中時計を取り出して時間を確認する素振りを周りに見せた。

 

「……ああ、もうこんな時間でしたか! 申し訳ありません。これから少し用がありますので、私はこれで失礼させて頂きます」

「なんだ、どこか行くのか?」

「ええ、少々野暮用がありまして」

 

 見るからに残念そうな表情を浮かべるバジウッドや周りの面々に、しかしウルベルトは小さく頭を下げることでそれに応える。それでいて短い別れの言葉と共に踵を返すと、『冷蔵庫』と『扇風機』を片手ずつに抱え持って足早にこの場を立ち去った。取り敢えず人通りが少ない場所に行くべく路地裏へと足を踏み入れていく。

 昼間でも薄暗く感じられるところまで来ると、ウルベルトはやっと足を止めて大きな息をついた。持っていた『冷蔵庫』と『扇風機』を地面に下ろしながら、さて何処に行こうか……と思考を巡らす。

 未だ“歌う林檎亭”に戻る気分ではなく、とはいえ帝都をぶらぶらしても騒がしくなるだけのような気がした。

 どこかいい場所はないか、或いは何かすべきことはないかと考え込む。

 腕を組んで小さく唸り声を上げる中、不意にある考えが頭に浮かび上がってきてウルベルトはフッと閉じていた瞼を開いた。

 頭に思い浮かんだのは、アイテムの作製方法解明に奮闘しているであろうデミウルゴスの姿。

 思えばデミウルゴスへの担当をペロロンチーノから引き継いでから、今まで一度も様子を見に行ったことがなかった。今手元にある『冷蔵庫』や『扇風機』は、実は今後のアイテム作製に何か参考になるかもしれないと思い、デミウルゴスのために買ったものなのだ。これらを手土産に、少し様子を見に行っても良いかもしれない。

 ウルベルトは一人小さく頷くと、次にはデミウルゴスへと〈伝言(メッセージ)〉を発動させた。

 

『これは、ウルベルト様! 何かご用命でしょうか?』

『ああ、忙しいところにすまないな、デミウルゴス』

『何を仰られます! 私はウルベルト様のシモベでございます。どうぞ何なりとお命じ下さい』

『あ、ありがとう……。……ゴホンッ、それで早速なんだが…。急で悪いが、ちょっと時間が出来たものでね。お前が管理しているアイテム作製及び実験研究の施設を見に行きたいと思ったのだよ。今からそちらに行きたいのだが、構わないかね?』

 

 テンション高く嬉々として応じてくるデミウルゴスに思わず少々ひきながらも、気を取り直して思い浮かんだ提案を問いかける。

 瞬間、〈伝言(メッセージ)〉越しにデミウルゴスの息を呑むような音が聞こえたような気がしたが、恐らく気のせいだろう。

 その証拠に、デミウルゴスはすぐに落ち着いた声音で言葉を返してきた。

 

『………畏まりました、すぐに場を整えさせて頂きます。迎えのモノも手配させて頂きますので、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?』

『ああ、構わないよ。私はそちらに来たことも見たこともないから〈転移門(ゲート)〉を繋げられないからね。……帝都の場所は分かるな? その正門にいるから、隠密行動のできるシモベを手配してくれ』

『はっ、畏まりました』

 

 デミウルゴスからの返事を確認し、〈伝言(メッセージ)〉を切って足元に置いておいた『冷蔵庫』と『扇風機』に手を伸ばす。空間にアイテムボックスを開いてそれらを中に放り込むと、身軽になった身体で意気揚々と正門へと足先を向けた。

 デミウルゴスであればあまりこちらを待たせるようなことはしないだろうが、それでもゆっくりと正門に向かう時間くらいはあるだろう。

 ウルベルトはなるべく誰にも会わないように路地裏からは出ないまま、少々回り道になりながらも正門へと向かっていった。

 薄暗い闇の中、しかしウルベルトは臆することなく堂々とした足取りで進んでいく。

 数十分後、漸く正門に辿り着いたウルベルトだったが、しかし路地裏からは出ることなく手前で立ち止まった。

 さて、どうするか……と少し考え込む。

 このまま出ていっても良いのだが、そうなると正門にいる人々がまた騒がしくするだろう。とはいえ透明化で正門に近づいたとして、迎えに来るデミウルゴスの配下が透明化看破の能力を持っていなければすれ違いになってしまう可能性があった。

 ウルベルトは暫く人通りの多い正門を見つめた後、一つ息をついて意を決すると、透明化はせずにそのまま出ることにした。

 路地裏から出て二、三歩正門へと歩み寄れば、それだけでウルベルトの存在に気が付いた者たちが次々とざわめきを起こし始める。しかしウルベルトはそれらを完全に無視すると、既に顔見知りとなっている正門に立つ兵にだけ軽く挨拶をすると帝都の外へと足を踏み出していった。

 暫く普通に街道を歩き、しかし徐に街道脇にある茂みへと足先を向けて茂みの奥へと身を潜めるように入り込む。周りを見回して誰にも見られていないことを確認すると、そこで漸くウルベルトは一息つくように息を吐き出した。

 

 

『――……ウルベルト様』

「っ!!」

 

 突如、どこからともなく響いてきた声。

 思わずビクッと肩が跳ね、出そうになった声を慌てて喉の奥へと呑み込む。

 声の正体は十中八九デミウルゴスの配下の悪魔であり、つまりは自分の配下だろう。悪魔の支配者(オルクス)の誇りにかけて、肩をビクつかせて悲鳴を上げる様な無様な姿を晒すわけにはいかなかった。

 気付かれないように小さく細い息をついて、改めて周りの気配を探る。

 瞬間、すぐ側の木の影から覚えのある気配を感じてウルベルトはそちらへと視線を向けた。

 

「………影の悪魔(シャドウデーモン)か……」

『はっ、お迎えに上がりました』

 

 ウルベルトの声に、シャドウデーモンが木の影から姿を現して跪いて頭を下げてくる。

 ウルベルトは鷹揚に頷いて見せると、シャドウデーモンはすぐさま立ち上がって一つの巻物(スクロール)を取り出した。徐に巻物(スクロール)を宙へと放り投げ、瞬間、空間に闇の扉が出現する。

 再度跪いて頭を下げてくるシャドウデーモンに、ウルベルトは一欠けらの疑いもなく悪魔の前を通り過ぎて闇の扉の中へと足を踏み入れていった。

 視界が漆黒の闇に染まり、次には一気に光を溢れさせる。

 一拍後にウルベルトが足を踏み入れたのは、大きく開けたなだらかな草原のような丘陵だった。

 

 

「ようこそおいで下さいました、ウルベルト・アレイン・オードル様!」

 

 ウルベルトがこの地に足を踏み入れたとほぼ同時に、嬉々とした声が出迎えてくる。見ればそこには拷問の悪魔(トーチャー)やペストマスクの道化師を後ろに従えた朱色の悪魔が、長い銀色の尾を揺らめかせながら満面の笑みで跪いていた。

 彼らの背後には見慣れぬ多くの天幕が立ち並び、周りには簡易的な木の柵が張り巡らされている。

 一見、どこにでもあるような田舎の牧場のような光景が目前に広がっていた。

 

「出迎えご苦労。急に来てしまってすまなかったね、デミウルゴス」

「とんでもございません! ウルベルト様のご来訪は何よりの栄誉にございます。この地で働くシモベたちもウルベルト様のお姿を一目でも拝見できる機会を得られ、感謝に咽び泣いておりましょう」

「そ、そうか……。あー、そう…だな……、お前たちがそれほどまでに喜んでくれるのなら、私も嬉しいよ」

 

 身を乗り出して勢いよく言い募ってくる悪魔に、やはり少々ひいてしまう。しかしここでそんな態度をとってしまえば彼らが大きな勘違いをしてしまうことは明白であり、ウルベルトは内心四苦八苦しながらも何とか穏やかな態度を取り繕った。

 尚も感謝の言葉を述べようとする悪魔を何とか制し、取り敢えずはと立ち上がらせる。傍らに来るようデミウルゴスを手招くと、そのまま施設の案内と説明を頼んだ。

 

「まずはこちらが巻物(スクロール)の作業用天幕でございます。どうぞご覧ください、ウルベルト様」

 

 デミウルゴスが妙に深い笑みを浮かべながら一番手前の天幕へと促してくる。

 ウルベルトは内心では疑問に首を傾げさせながらも、しかし顔には一切出さずに鷹揚に頷いてトーチャーが捲り上げてくれた布を潜って天幕の中へと足を踏み入れた。

 瞬間、鼻に突き刺さる血生臭い香りと鼓膜を震わせる悲鳴のような音。チラッと周りに視線を走らせれば天幕の布には所々赤黒いシミがこびりついており、天幕の中の空気も心なしか重たく湿り気を帯びているような気がした。

 耳に聞こえてきた金切り声と相俟って、ウルベルトはデミウルゴスの笑みの理由を正確に理解した。

 

「ここは主にどの作業を行っている天幕だ?」

「皮剥ぎ作業から洗浄作業までを主に行っている天幕となっております。その後の鞣し作業はまた別の天幕で行っております」

「なるほど……。因みに、防音の方はどうなっている? 皮を剥ぐ際に悲鳴が外に漏れては大変だろう? それとも麻酔でもかけてやっているのか?」

 

 まさかそんなはずはあるまい、という声音で問いかければ、案の定デミウルゴスは柔らかな笑みと共に首を横に振ってきた。

 

「はい、トーチャーは〈大治癒(ヒール)〉で素材(・・)が死なぬよう管理する役目も任せておりますので、それ以外の魔力消費は必要ないと判断しております。防音の問題に関しましては、〈静寂(サイレンス)〉をこの天幕全体に施しておりますので問題ございません」

「ふむ、そうか。……では、取り敢えずは素材(・・)は足りていると考えて良いのかな?」

「それが……、中には治癒を拒む個体も多くおりまして……。質の更なる向上に向けて幾つもの実験も行っておりますので、出来れば更なる調達をご許可頂ければと……」

「なるほど……。それに素材(・・)が多ければ多いほど、生産量も増えるしな……」

「正に、仰る通りでございます」

 

 ウルベルトの独り言のような言葉に、デミウルゴスが大げさなまでに大きく頷いてくる。

 彼らの言う“素材”とは、ウルベルトやモモンガやペロロンチーノが捕らえてきた人間たちのことである。

 元・陽光聖典のメンバーやペロロンチーノとシャルティアが捕えた“死を撒く剣団”という賊に成り果てた傭兵集団の人間たち。加えて、今ではモモンガやウルベルトが冒険者やワーカーの仕事で捕えた賊やエルヤー・ウズルスなども新たに仲間入りをしていた。総数約70人弱といったところだが、今後のことを考えればまだまだ少ないと言えるだろう。

 ウルベルトは天幕の奥へと足を踏み入れながら、至る所で繰り広げられている皮剥ぎ作業を興味深げに見つめていた。

 天幕の中はいくつもの布で区切られており、小さな部屋が幾つも連なっているような造りになっている。拘束具付きの大きな台座と作業台が全ての部屋に完備されており、悪魔たちが働く職場としては非常に良い環境であると言えるだろう。その証拠に、皮剥ぎを執行している悪魔たちも心なしか活き活きとしているように見える。

 複数の悲鳴をBGMに悪魔たちの作業を眺める中、不意に皮を剥がされていた人間の男の一人と目が合った。切れ長な双眸を驚愕と恐怖に大きく見開かせ、悲鳴を上げるのも忘れて呆然とこちらを見つめている。

 男の視線と表情の意味が分からず思わず小首を傾げる中、他の人間たちもウルベルトたちの存在に気が付いたようだった。デミウルゴスたちの姿に小さく悲鳴を上げ、ウルベルトの姿に途端に哀願の表情を浮かべてくる。

 

「……あ…あぁ……、た、たすけ、て……くれ……。たすけ……」

「たの、む……、も……う、いや……だ……。……いや……」

 

「………至高の御方に哀願するとは身の程知らずが……。『今すぐ口を閉じ、額付いて動くな』」

 

 瞬間、デミウルゴスの〈支配の呪言〉が発動し、この場にいる全ての人間が自分たちが乗っている台座の上で額付いて動かなくなる。

 デミウルゴスは未だ不機嫌そうな表情を浮かべたまま、ウルベルトに向き直って深々と頭を下げてきた。

 

「家畜の躾もできておらず、大変申し訳ございません、ウルベルト様」

「いや、それは構わないのだが……。そもそも何故彼らは私に助けを求めたのだろうねぇ?」

「それは……、恐れながら今のウルベルト様のお姿を見て、人間(同種)と勘違いをしたのではないかと……」

「ああ、なるほど」

 

 デミウルゴスの言葉に、ウルベルトは納得して一つ頷いた。

 確かにウルベルトは未だ人化の魔法を解いてはおらず、見た目は人間そのものとなっている。これでは勘違いされても仕方がないことだろう。

 ウルベルトは小さく肩を竦めると、次には人化を解いて本来の山羊頭の悪魔の姿へと戻った。

 モノクルで飾られた金色の瞳を細めさせ、残虐にも慈愛にも感じられる深い笑みを浮かばせる。

 

「いらぬ勘違いをさせて、無用な希望を抱かせてしまったか……。彼らには可哀想なことをしてしまったねぇ」

「何を仰られます! このような下等な者どもにウルベルト様が慈悲をかけられる必要などございません! 元より、至高の御方々に身を捧げられる栄誉を賜りながらもそれを理解できず、あまつさえ慈悲を乞うなどと、身の程知らずも甚だしい……」

「フフッ、ありがとう、デミウルゴス。だが、折角素材として手に入った大切な資源なのだから、不敬だからと言って殺してはならないよ。最後の最後まで大切に使ってあげなくてはね」

「あぁ、何と慈悲深く、お優しいのでしょう。全てはウルベルト様の仰せのままに」

 

 デミウルゴスが感極まったような声を上げ、その場に跪いて深々と頭を下げてくる。彼の後ろではトーチャーたちも同じように傅いており、大げさな彼らの反応にウルベルトは内心で苦笑を浮かばせた。

 このままここにいては作業の邪魔になるだろうとウルベルトはデミウルゴスたちを立ち上がらせて次へと促す。

 デミウルゴスは素早く立ち上がって一つ礼をとると、天幕の出口へと移動しながら次の場所へとウルベルトを案内した。

 皮の鞣し作業を行っている天幕や、人間たちの食糧を調理している天幕。畜舎用の小振りな天幕。その他にも、更なる良質な皮への実験研究や交配実験を行っている天幕にも案内された。

 因みに少し離れた場所にも小さな天幕が一つだけ建てられているのだが、そこでは少し前にデミウルゴスの元に送られた薬師のリイジー・バレアレとンフィーレア・バレアレの両名が大人しく従順にポーション作製の研究に没頭していた。彼らの傍らには複数の男淫魔(インキュバス)女淫魔(サキュバス)たちが常在しており、付きっ切りで彼らのサポートや世話を焼いている。すっかり彼らの虜となり、言われるがままになっている様はもはや完璧な操り人形のよう。身も心も悪魔となったウルベルトですら彼らの成れの果てを目にした瞬間、無言で天幕の布を閉ざしたほどだった。

 何はともあれ、同時進行で数多くの仕事をこなしているデミウルゴスや悪魔たちの働きぶりに、ウルベルトは心の底から感心させられた。また、素材用の人間をもっとほしいと言うデミウルゴスの言葉にも大いに納得させられる。

 確かにこのような状況では、人間が何人いても足りないだろう。

 ウルベルトは長く豊かな顎鬚を片手で弄びながら、何か良い案はないだろうかと思考を巡らせた。

 今の状況と今後を考えれば、これらの問題は早期に解決した方が良いに決まっているのだ。

 さて、どうしたものか……と思考をこねくり回し、ふとある考えが頭を過ってウルベルトは顎鬚に絡ませていた指の動きを止めた。ウルベルトが何事かを考え込んでいると察して大人しく黙っていたデミウルゴスへと金色の瞳を向ける。

 

「………デミウルゴス、確かこの辺りには多くの亜人共の縄張りがあり、その奥には人間の国があると言っていたな?」

 

 以前、定例報告会議でデミウルゴスやモモンガが言っていた情報を思い出しながら、傍らに立つ悪魔へと問いかける。

 

「はい。ここを縄張りとしていた豚鬼(オーク)共の他に、恐らくは十種類以上の亜人種が生息していると思われます。また、南には広大な森が広がり、東側にはスレイン法国が、そして西側にはローブル聖王国と呼ばれる人間の国がございます」

「なるほど。この辺りの亜人たちに対しては、この地を縄張りにしていたオーク共以外にはまだ手を出していないのだったな……」

「はい」

 

 まずは情報を整理するため、デミウルゴスに質問しながらこれまでの経緯や現状を確認していく。それでいて先ほど思いついた考えも頭の中で整理すると、顎鬚を弄ぶ指の動きを再開させながら小さく目を細めさせた。

 

「………デミウルゴス。お前には魔王の存在を創り出す任務も与えていたな」

「はい」

「では……、まずは魔王として、このアベリオン丘陵に棲む亜人共を全て支配下におけ。その後、その亜人共を使って丘陵近くに住まう人間の村や通りがかった人間たちを襲わせ、貢物として献上させろ」

「なるほど……。人間側にはあくまでも亜人共の仕業だと思い込ませるのですね」

「そういうことだ。尤も、痕跡を残さないことが大前提だがね。もし捜索の手が伸びたとしても、疑われるのは亜人共のみという二重の備えだとでも思っておきたまえ。……一応、今度の定例報告会議でモモンガさんたちにも相談するつもりだが、いつ許可が出ても良いようにすぐに動けるように準備だけはしておけ」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスがうっそりと深い笑みを浮かべ、深々と頭を下げてくる。

 ウルベルトはそれを横目に見つめながら、魔王用の装備を早めに完成させないとな……と呑気に考えるのだった。

 

 




*今回の捏造ポイント
・男淫魔《インキュバス》;
女淫魔《サキュバス》の男バージョン。
原作にはサキュバスしか出ておらずインキュバスは出てきていないのですが、『サキュバスがいるならインキュバスもいるだろ!』てことで、今回ちょこっとだけ出しました。

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