世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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ほんのちょっとだけアダルティーな描写があります。
ご注意ください。


第3話 現状調査

 取り敢えず会議は終了して各自九階層にある自室へと引き上げたモモンガたち。

 ウルベルトも自室へ向かい、入った瞬間ビクッと足を止めた。

 

「お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様!」

 

 無人だと思っていた部屋に一人のメイドが立っており、明るい挨拶と共に深々と頭を下げてくる。

 長い金色の髪に、細いフレームの眼鏡。名前までは覚えていないが確かに見覚えがあり、その服装からも彼女が四十一人いる一般メイドの一人で間違いなかった。

 しかし彼女は一体こんなところで何をしているのだろうか。

 いや、メイドであるのだから大体の想像はつくのだろうけれど…。

 

「ウルベルト様、何なりとお申し付け下さい。誠心誠意、お仕えさせて頂きます!」

 

 眩しいまでの笑顔と共に、嬉々として言い募ってくる。

 ウルベルトはゆっくりと室内へと入りながら、内心で大きなため息をついた。

 階層守護者やプレアデスたちが動き出したのだから同じNPCである彼女たちが動き出しても何ら不思議ではないのだが、それを失念していた自分が嫌になる。

 というか、何でこの子はこんなにも意気込んで顔を輝かせているのだろうか。今まで気にもしていなかったが、今はもう深夜だぞ…。

 深夜勤務ほど嫌なものはないと思っているウルベルトにとって、彼女の反応は全くもって理解し難いものだった。

 しかし、何にせよこのままにしておくわけにもいかない。

 ウルベルトはなるべく自然な動作でメイドの元まで歩み寄ると、にっこりとした笑みを浮かべてみせた。

 

「ありがとう、君の熱意には期待しているよ。しかし、今日はもう遅い…。後は休むだけだから、君も今日は下がって休みたまえ」

 

 ウルベルトとしては至極当然のことを言ったつもりだ。口調や声のトーンだって、なるべく相手を威圧させないように精一杯気を遣った。

 しかし、にも拘らず、言葉を発した直後、目の前のメイドは一気に顔を蒼褪めさせた。大きな瞳がみるみるうちに潤みだし、細く華奢な全身がカタカタと震えだす。

 

「ウ、ウルベルト様…、私は何かお気に障ることを…!? も、申し訳ございません! どんな処罰も受けますので、どうか、どうか…っ!!」

 

(おーい! アルベドの再来か!?)

 

 必死に涙を堪えながら言い募ってくるメイドに、ウルベルトは心の中で悲鳴のような声を上げた。一気に逃げ出したい衝動にかられるが何とかグッと堪え、柔らかな笑みを張りつかせて落ち着かせるようにそっとメイドの細い肩へと手を触れる。

 瞬間、蒼褪めていたメイドの頬がホワッと朱に染まった。

 

「ああ、勘違いしないでほしい。君は何も悪くないとも。それでは、そうだな…、少し喉が渇いたから何か飲み物を用意してくれるかね?」

「は、はいっ!」

 

 途端にメイドの表情がぱあっと明るくなる。メイドは綺麗に一礼すると、足早に退室していった。

 さてはて何を持ってくるのやら…と思案しながら、ウルベルトは被っているシルクハットへと手をかけた。

 シルクハット、片仮面、グローブ、マント…と次々と装備している物を外していく。

 一先ず全てを近くのテーブルの上へと放ると、室内にある大きなクローゼットへと歩み寄った。クローゼットの扉を全開にし、半場身を乗り出して中をあさる。『何でこんなものが?』というものから『こんなもの持ってたか?』というようなものまでぎっしりと詰め込まれていたが、その中から一つのローブを引っ張り出した。

 黒に近い紺色のそのローブは遺産級(レガシー)アイテムで装備品としては何とも頼りない。しかし部屋で寛ぐためだけなら丁度良い代物でもあり、ウルベルトはメイドが戻ってくる前に素早く着込むと、神器級(ゴッズ)アイテムを放っているテーブルへと引き返した。

 この装備品たちを一体どうしたものかと頭を悩ませる。

 ユグドラシルの時はアイテム・ボックスへと放り込んでいたのだが、果たしてこの変てこな世界でもアイテム・ボックスは使えるのだろうか。

 しかしそこまで考えて、ふとウルベルトははて?と無意識に小首を傾げた。

 よくよく思い返してみれば、そう言えば自分とモモンガは無意識に宝物殿でアイテム・ボックスを開けていなかっただろうか…。

 ウルベルトは空中へと視線をさ迷わせると、徐に宙へと手を差し伸ばした。宙に浮かんでいる箱をイメージし、その想像の中へと手を突っ込む。

 

「うおっ!?」

 

 瞬間、手が目に見えぬ空間の中へと埋まり、ウルベルトは思わず素っ頓狂な声を上げた。反射的に手を引き戻し、マジマジと宙に走った亀裂の中を覗き込む。中には見覚えのある液体が入った瓶やスクロールの束が乱雑しており、アイテム・ボックスも問題なく使えることにウルベルトは複雑な表情を浮かべた。

 アイテム・ボックスが使えることは便利で良かったが、本当にここはゲームとは違う世界なのだろうか?と疑問が浮かぶ。

 しかし今はそんな考えは端に追いやって、ウルベルトはテーブルの上の神器級(ゴッズ)アイテムを全てアイテム・ボックスの中へと放り込んだ。これでいつ何が起こったとしてもすぐに主武装に戻れる、とアイテム・ボックスの口を閉じながら安堵の息をつく。

 後はメイドが持ってきてくれるものを飲んで寝るだけだな、と今日一日のことを振り返りながら大きなため息を吐き出した。

 一度に多くのことがあり過ぎて精神的にひどく疲れたような気がする。

 しかしふと睡魔が全くないことに気が付いて、ウルベルトは反射的に部屋に備え付けられている豪奢な振り子時計へと目を向けた。

 時計の針は間違いなく深夜の三時を回っている。通常であれば寝ているどころか、もうすぐ起床する時間だ。これで一切眠くないとは一体どういうことなのか。興奮しすぎて眠れないという感じでもなく、ウルベルトは思わず時計を睨み付けながら考え込んだ。

 一番考えられる可能性は種族特性だ。

 自分のアバターである“ウルベルト・アレイン・オードル”の種族は悪魔であり、この種族の特性の一つに疲労といったバッドステータスの無効化がある。つまり、疲労をなくす睡眠という行為が不要だということだ。仮想が現実となるのなら、この肉体も本物として機能していてもおかしくはない。

 ウルベルトは自分の考えに一層顔を顰めさせると、徐に〈伝言(メッセージ)〉を発動させた。

 相手は少し前に別れたモモンガ。

 通常であればこんな時間に連絡を入れたりはしないのだが、自分の考えが正しければアンデッドであるモモンガもまた眠ってはいないはずだ。いや、彼の場合、自分と違って眠れない可能性の方が高い。

 自分の意識の一部がどこかに飛んでいくような感覚が襲い、数秒で何かと繋がった様な感覚へと変わった。

 

「………えっと、モモンガさん? 聞こえるか?」

『…あれ、ウルベルトさん? どうしました?』

 

 頭の中に響いてくるのは間違いなくモモンガの声。

 寝起き特有の響きもない少し驚いたような声音にウルベルトは心の中でそっと安堵の息をついた。自分の考えに自信を持ってはいたけれど、これで間違っていてモモンガを起こしてしまっていたらどうしようかと実は少しだけ心配だったのだ。しかしそれが杞憂に終わったようで取り敢えずは一安心だ。

 

「突然すみません。ちょっと気になることがありまして…」

『別に構いませんよ、寝てませんでしたし…。どうしました?』

「それだよ、モモンガさん」

『はい? …どれですか?』

「寝てないんじゃなくて、寝れないんじゃないか?」

『えぇっ、どうして分かったんですか!?』

 

 頭の中にモモンガの驚愕した声が響く。

 ウルベルトはフフッと笑い声を零しながら小さく肩をすくませた。

 

「簡単に言えば、“俺も同じだから”だな。恐らく種族特性で全く眠気が来ないんだ。アンデッドのモモンガさんも同じかと思って」

『実はそうなんですよ、全然眠れなくて…。仕方ないのでアイテムが使えるかどうか試してました』

「………相変わらず真面目だな。今そっちに行きますから、手伝いますよ」

『えっ、でも………』

 

 モモンガの戸惑ったような声が聞こえてくる。恐らく罪悪感でも感じているのだろう。

 悪魔という種族はアンデッドとは違い、睡眠は不要でも眠れない訳では決してない。モモンガとしては眠れるものなら眠った方が良いと考えているのかもしれない。しかしウルベルトからすれば、それはとても優しくも甘い考えだった。

 使えるものは使えばいいのだ。対象が自分やペロロンチーノであればなおの事、いっそ辟易させるほど使えばいい。ギルド・マスターであるモモンガにはその権利があり、少々度が過ぎたとしても今更自分たちの仲がどうにかなるものでもない。

 

(…まぁ、それは相手がモモンガさんだからかもしれないが。)

 

 モモンガには伝わらないように心の中で呟きながら小さく苦笑を浮かべた。

 少なくとも、モモンガより前にリーダーを務めていたたっち・みーが相手だったら自分はこんなことすら思わなかったはずだ。さっさと〈伝言(メッセージ)〉を切って、気兼ねなく夢の世界へと旅立っただろう。

 これもモモンガさんの人徳だな…と笑みを深めながら、未だ戸惑っているであろうモモンガへと言葉をかけた。

 

「気にしないでくれ。確認しなくちゃならないことは多いし、時間も人手も足りないくらいだろう?」

『…そう、ですね……。分かりました、お願いできますか?』

「勿論だよ、モモンガさん。今からそっちに行こう」

 

 ウルベルトは一つ頷くと〈伝言(メッセージ)〉を切った。プツンッという軽い感覚と共に、繋がりが切れたのだと理解する。

 魔法を実際に体感することになろうとは不思議な経験だと思いながら、早速モモンガの部屋へと向かおうと踵を返した。

 しかし部屋を出る前にメイドが戻って来て、ウルベルトは思わず金色の瞳を瞬かせた。

 

「遅くなりまして誠に申し訳ありません。お好きなものを仰ってください」

 

 てっきり何か適当なものを選んで持ってくると思っていた。

 しかしそんなウルベルトの考えは大きく外れ、メイドが持ってきたのは大きなワゴン。ワゴンの上には色とりどりの多くのピッチャーが乗せられている。恐らくこの中から選んでくれと言いたいのだろう。

 どうしたものかと一瞬考え込み、しかしよく考えれば今から長い長い作業が待っているのだ。ワゴンごと持っていってちょっとした休憩時に飲めばいいのではないだろうか。

 すぐにそう判断すると、わざとらしいまでのすまなさそうな表情を浮かべて小首を傾げてみせた。

 

「ありがとう。だが申し訳ないが、これからモモンガさんのところに行くことになったのだよ」

「左様でございますか…」

「ああ、そうだ、君もおいで。飲み物はあっちで飲めばいいからワゴンごと運んで、君も作業を手伝っておくれ」

「は、はいっ!」

 

 メイドが幸せそうな笑みと共に元気よく一礼して頷いてくる。

 ウルベルトは満足げな笑みと共にポンッポンッとメイドの頭を軽く叩くように撫でると、扉の方へと足先を向けた。後ろではメイドが真っ赤に顔を染めていたのだが、幸か不幸かウルベルトは全く気が付いていない。

 ウルベルトはメイドとワゴンを後ろに引き連れる様な形でモモンガの部屋へと向かっていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 モモンガとウルベルトを中心に行われた確認作業は丸々三日という時間を有した。

 アイテム一つとっても収集癖のあるギルド・メンバーが揃っていたため量が尋常ではなく、ペロロンチーノはモモンガやウルベルトとは違って休息が必要不可欠だったため思うように作業が進まなかった。

 しかし一つ一つ細かく調べたおかげで判明したことも多くあった。

 一番重要なことは魔法も装備品もアイテムも使用するには問題ないということだ。未だ全てを調べきれていないため効果も全く同じなのかは未だ不明だが、使えるかどうか分かっただけでも死活問題からは解放された。

 次に装備アイテムについてだ。

 使えることは間違いないのだが、使えないことが明らかになったのだ。

 言葉だけ聞けば意味が分からないだろうが、ユグドラシルでは当たり前でも現実ではありえない事象が起こったのだ。

 例えばモモンガやウルベルトは純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるため、剣や槍などの武器を装備することはできない。しかし現実で武器を装備できないなどあり得ない話だ。ひょろい魔法詠唱者(マジックキャスター)が重装鎧を装備できないというのは分かるが、どんなに適性がなくても剣を持って振り回すくらいのことはできる。子供が木の棒を振り回すのと全く同じことだ。しかしモモンガとウルベルトはそれさえできなかった。武器を持つことはできる。しかしいざ振るおうとすると、何かに弾かれたように剣が手から跳ね飛んでしまうのだ。

 これは一体どういうことなのかと眉間に皺が寄る。

 ユグドラシルの場合と同じだと分かったのは良いが、何とも疑問が残る問題である。

 後分かったことと言えば、自分たちの身体も種族設定に忠実だという点だろうか。

 例えばモモンガは身体がアンデッドになったことで睡眠や食欲といったあらゆる欲望がほぼなくなってしまっていた。知識欲などは普通にあるためあくまでも身体的な欲求のみだが、それでも今まで普通にあった欲がなくなって違和感や不満を覚えるだろうと思いきや、どうにもそんな感情も湧き起らない。まるでこれが普通なのだと、意識すらも塗り替えられたような、そんな感覚。唯の骸骨となってしまった身体にも不満はなく、自然と受け入れられていた。

 ウルベルトもまた、悪魔の特性通り睡眠や食欲というものがなくなってしまっていた。と言ってもウルベルトの場合はモモンガとは違い、眠れない訳でもないし飲食ができない訳でもない。ただ寝る行為や飲食する行為が不要になったという感覚に、小首を傾げるも不満や不愉快を感じることもなかった。モモンガと同じく、それが当たり前だと感じる感覚。

 本当に異形になってしまったのだな…と互いに苦笑を浮かばせた。

 因みにペロロンチーノは今も睡眠も食欲も普通にあるため、やはり変な異変なのではなく種族特性による変化なのだろうと三人は結論付けた。

 そんなこんなで部屋にこもりながら今日もまた作業に没頭しているモモンガとウルベルトであったのだが…。

 

 

 

「…ペロロンチーノさんはまだ起きてこないようだな」

 

 作業の手を止めてモモンガが扉へと視線を向ける。

 そろそろ起きてきても良い頃合いなのだが、一向に扉が開かれる気配がない。扉を開けてくるのは作業を手伝ってくれているセバスやメイドたち、進行状況を報告しに来たアルベドくらいだ。

 ウルベルトは小休憩にセバスが用意してくれた紅茶を傾けながら、気のない様子で肩をすくませた。

 

「ペロロンチーノさんは私たちとは違って睡眠が必要だからねぇ…。と言っても寝すぎなような気もするが」

「私たち三人の中だとウルベルトさんが一番いいポジションに思えるな」

 

 周りにセバスやアルベドがいるため、堅苦しい口調で言葉を交わす。

 欲がなくなり実行することもできなくなったモモンガや、欲もちゃんとあり実行しなければ死活問題になってしまうペロロンチーノ。

 モモンガの言う通り、欲はなくなっても実行しようと思えばできるウルベルトの種族特性はモモンガやペロロンチーノにとっては非常に魅力的なもののように思えた。

 

「睡眠欲と食欲は生物の三大欲求の内の二つだからね。モモンガさんは性欲は残っているのかね?」

「ごふっ!? …ちょっ、ウルベルトさん!?」

 

 ウルベルトからの赤裸々な質問に、何も飲んでいないというのに思わずむせそうになる。加えて報告後から部屋の隅に控えているアルベドがピクッと反応したように見えて少々気になる。しかしウルベルトはといえば全く動じることなくこちらの返答を待っているようで、モモンガはワザとらしくゴホンっと大きく咳ばらいをすると努めて冷静を装って仕方なく口を開いた。

 

「……まぁ、ひどく希薄にはなっているが」

「そうか。やはりユグドラシルでのアンデッドの種族特性通りだな…」

「ウルベルトさんはどうなんだ?」

 

 先ほどの仕返しに問いかけるも、ウルベルトは恥ずかしがることもなく紅茶を傾けるだけだった。

 

「私は多少残っているようだ。まぁ、悪魔だから当然と言えば当然なのだが…。ペロロンチーノは…、あれの行動を見る限りでは残っているようだね」

「…ペロロンチーノさんの場合は逆にひどくなったような気もするがな」

 

 この三日間のことを思い出してモモンガが小さなため息を零す。

 シャルティアやメイドたちを嬉々として愛でるペロロンチーノは今までにないほどに生き生きとしているように見えた。鳥人(バードマン)になったことで理性よりも本能が強くなってしまっているのかもしれない。

 何とも難儀なことだとため息をつく中、今まで大人しく控えていたアルベドが徐にモモンガたちの元へと進み出てきた。

 

「モモンガ様、ウルベルト様、宜しければペロロンチーノ様を起こして参りましょうか?」

 

 可憐な唇から零れ出る声音も美しい顔に浮かぶ表情も、全てが清涼感のある柔らかいもの。

 しかし美しい金色の瞳だけがギラギラとぎらついているように見えるのは気のせいだろうか…。

 思わず言いよどむモモンガを余所に、何も気が付いていないのかウルベルトがティーカップを置きながらアルベドを見やった。

 

「あぁ、それならば頼めるかい? ペロロンチーノもアルベドに起こしてもらえるなら嬉しいだろうからね」

「ちょっ、ウルベルトさ…!?」

「はいっ、では行って参ります!!」

 

 慌てて止めようとするモモンガの声を遮る勢いでアルベドが意気込んで頭を下げてくる。

 そのまま脱兎の勢いで退室する彼女の背を見送り、モモンガは思わず頭を抱えた。

 ウルベルトはひらひらと手を振ってアルベドを見送りながら、モモンガの様子に小首を傾げる。

 

「どうかしたかい、モモンガさん?」

「………いや、大丈夫かと思ってな」

「? 起こしに行くくらい大丈夫でしょう」

「……………………」

 

 尚も不思議そうに首を傾げるウルベルトに、モモンガはただ黙り込むしかなかった。

 ある一つの一文が頭に浮かび、どうにも不安に感じてしまう。

 

 

 “因みにビッチである。”

 

 

 

「………本当に大丈夫か…?」

 

 

 どうしても不安が拭えず、モモンガは独り言のように小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方心配されているアルベドはと言えば、ギリギリ不敬にならない程度の速度で回廊を駆け抜けていた。

 すれ違うメイドたちの誰もが驚愕の表情を浮かべ、慌てて道を空けていく。

 アルベドは漸く目的の扉の前まで辿り着くと、乱れた服装を整えて上品な動作で扉をノックした。

 一拍後、扉が小さく開いて隙間からメイドが顔を覗かせる。アルベドの姿を見とめて小さく目を見開かせると、戸惑うように室内とアルベドを交互に見やった。

 

「ペロロンチーノ様はいらっしゃるかしら?」

「は、はい。ですが、ペロロンチーノ様はまだお休みになっておられます」

「ああ、やはりそうなのね。モモンガ様とウルベルト様の命でペロロンチーノ様をお迎えにきたのよ。入れてくれるかしら?」

 

 声音も浮かべている笑みも優しいものだというのに、妙な威圧感を醸し出している。

 アルベドの異様な迫力に一瞬躊躇するも、モモンガとウルベルトの命だと言われて引き留めることなどできはしない。メイドは大人しく脇に避けて道を開けると、そのまま深く一礼した。

 アルベドは笑みを深めさせながらメイドの前を通り過ぎ、部屋の中へと足を踏み入れる。

 部屋の中は部屋の主が未だ休んでいるためひどく薄暗い。しかしサキュバスであるアルベドには何の問題もなく、隣室となっている寝室へと足先を向けた。

 念のため控えめにノックをして小声で声をかけた後、扉を開けて室内へとその身を滑り込ませる。

 部屋の中にはキングサイズの寝台が鎮座しており、その上に大きなふくらみが横たわっているのが見えた。ふくらみが穏やかに上下していることから、間違いなく未だ寝入っていることが分かる。

 

「…あぁ、ペロロンチーノ様」

 

 そっと寝台に横たわっている人物を覗き込み、アルベドは思わず熱い吐息と共に心臓を高鳴らせた。白皙の肌が朱に染まり、金色の瞳が熱に甘く蕩ける。

 寝台には予想通り、ペロロンチーノが横たわり寝息を立てていた。

 顔には普段ずっとつけている兜が外されており、精悍な鷲のような素顔が晒されている。布団から覗く肩や胸が羽根に覆われていてもなお分かる逞しさを伝えてきて、野性的な男らしさにアルベドは一気に熱が急上昇するのを感じた。

 

(…あぁ、駄目よ、アルベド。早く起こしてさしあげなければ。でも、でも…。)

 

 忠実なシモベとしての忠誠心と、サキュバスとしての欲望が激しくせめぎ合う。

 無意識にそっと肩に手を伸ばし顔を近づけた。

 手に感じられる羽根の柔らかさと筋肉の力強さ、視界一杯に広がる男らしい主の顔にもう辛抱たまらない状態だ。

 

(そ、そうよ、ペロロンチーノ様は欲望に忠実な御方。少し刺激的なお目覚めの方が喜んで下さるはず…。)

 

 まるで言い訳の様に自分に言い聞かせ、更に顔を近づけていく。

 もう少しで柔らかな唇が嘴に触れる、その瞬間…。

 

 

 

「…なっ、何をしているの、アルベドォ――――っ!!!?」

 

「っ!?」

「ふぁっ!?」

 

 突然背後から聞こえてきた金切り声。

 驚愕に反射的に身を起こすアルベドの下で、今まで眠っていたペロロンチーノも一気に目を覚ました。

 未だ寝ぼけている目で周りを見回し、すぐ側に立っているアルベドを見つけ、続いて扉の所で肩を怒らせているシャルティアを見つける。

 

「…えーと、何が…」

「ペロロンチーノ様から離れろや、ゴラアァッ!!」

 

 ペロロンチーノの声を遮ってシャルティアの怒声が響き渡る。それとほぼ同時に華奢な身体が鉄砲玉の様に勢いよく突進してきた。

 アルベドは咄嗟に迎え撃とうと身構えるが、その前に背後のペロロンチーノに腕を引っ張られる。

 ペロロンチーノはアルベドを寝台の上に転がすと、突っ込んできたシャルティアをその身で受け止めた。

 

「うぐっ!?」

「「ペ、ペロロンチーノ様っ!?」

 

 あまりの衝撃に思わず呻き声を上げる中、すぐさま傍らと腕の中から悲鳴のような声が聞こえてくる。

 ペロロンチーノは腕から抜け出そうとするシャルティアを咄嗟に抱きしめると、身を起こして縋ってくるアルベドに何とか笑みを浮かべてみせた。

 

「ペロロンチーノ様、ご無事ですか!?」

「…あ、ああ、大丈夫だよ。ちょっとびっくりしたけど…」

「ペロロンチーノ様…、も、申し訳ありません!」

「シャルティア…、そんな顔しないでくれよ。俺は大丈夫だから」

 

 腕の中で泣きそうになっているシャルティアに、小さな頭を撫でてやりながら笑みを深めさせる。しかしシャルティアの表情は晴れず、ペロロンチーノは笑みを苦笑に変えると、彼女を抱きしめたまま一気に寝台から立ち上がった。ズキッと鈍痛が走り抜けるもそれを無視し、彼女を抱き上げた状態でくるくると回って見せる。

 

「ほら、大丈夫だろ、シャルティア!」

「ペ、ペロロンチーノ様…!!」

「このくらいじゃあ俺はどうもならないよ。俺を誰だと思ってる。俺は“爆撃の翼王”だぞ」

 

 胸を張って自信満々に笑いかければ、シャルティアは漸く頬を染めてはにかむような笑みと共に頷いてくる。ペロロンチーノも一つ頷いてシャルティアを地面へと下ろすと、いつの間にか寝台から抜け出していたアルベドへと目を向けた。

 

「それで、何かあったのか?」

「はい、モモンガ様とウルベルト様より申し付かり、お迎えに上がりました」

「あー、寝すぎちゃったか…。それで起こしに来てくれたんだな。ありがとう、アルベド」

 

 ペロロンチーノはにっこりと笑みを浮かべた後、背筋を伸ばすように翼を大きく広げた。バサッと一度大きく羽ばたかせると、柔らかく空気を抱きしめるように翼を折りたたむ。

 

「それで、モモンガさんとウルベルトさんは今日もモモンガさんの部屋かな?」

「はい」

「そっか、じゃあ早く行かないとな。…折角だからシャルティアもおいで」

「えっ、良いんでありんすか!?」

「朝の挨拶に来てくれたってことは、状況が落ち着いたんだろう? すぐに別れるのも寂しいし、一緒においで」

「はいっ!」

 

 シャルティアが嬉しそうな明るい笑みを浮かべて頷いてくる。ペロロンチーノも嬉しそうに笑みを浮かべると、すぐそこに置いていた鎧を慣れた手つきで身に纏った。翼を小さく動かして具合を確かめ、アルベドとシャルティアを引き連れて寝室を後にする。

 隣室ではメイドが深く一礼して控えており、ペロロンチーノはメイドにも挨拶の声を掛けながらついでに寝室のベッドメイキングを頼んだ。元気よく返事をするメイドの声を背で聞きながら、一直線にモモンガの部屋へと向かう。

 回廊を足早に歩き、目的の扉をノックもなしに開ければ見慣れた二つの背が目に飛び込んできた。二人で何かを見ているのか、こちらの存在にも気が付いていないようだ。

 ペロロンチーノは小首を傾げると、扉の近くに控えているセバスに気が付いて彼を見やった。

 

「おはよう、セバス」

「おはようございます、ペロロンチーノ様」

「悪いけど、この部屋に俺の朝食を持ってきてくれないか?」

「畏まりました、すぐにお持ち致します」

 

 セバスが綺麗に一礼し、すぐさま退室していく。

 ペロロンチーノは執事の背を見送ると、次にはずっと気になっていたモモンガとウルベルトを振り返り、彼らの元へと歩み寄っていった。

 

「どうかしたんですか?」

「…あぁ、ペロロンチーノさん、おはようございます」

「モモンガさんと遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)で外の様子を見ていたんだが………」

 

 ウルベルトが困惑の表情を浮かべて途中で黙り込む。彼にしては珍しいその様子に更に首を傾げながら、ペロロンチーノは彼らの視線の先へと目を向けた。

 彼らの目の前には直径一メートルほどの大きな鏡。

 指定したポイントを映し出す情報系アイテムであるそれは、鏡面にモモンガたちの姿ではなく外の景色を映し出していた。

 しかしその景色は自然の情景などでは決してなかった。

 映し出されていたのは一つの小さな村。

 森と麦畑が広がる一見穏やかな村のように見えるが、しかし村人だと思われる多くの人々が村中を走り回っていた。

 いや、走り回っているのは村人だけではない。

 全身鎧(フルプレート)で武装した騎士風の集団が剣を片手に村人たちを追い回していた。

 舞い散る血飛沫と、無音の叫びと共に倒れ込む村人たち。

 それは間違いなく殺戮の光景。

 寝起き早々に見た血生臭い光景に、ペロロンチーノは自然と顔を顰めさせた。

 

「…なんですか、これ」

「偶然見つけましてね。どうやら南西に十キロほどの地点らしいのだけれど…」

 

 再び言葉を途切らせて金色の瞳を細めさせるウルベルトに、ペロロンチーノはモモンガとウルベルトの表情を窺った後、あぁ…と内心で納得の声を上げた。

 二人の顔に浮かんでいたのは冷淡と困惑。

 冷淡は一方的な暴力の光景に対して、そして困惑はそんなどこまでも冷めている自分の感情に対してだろう。

 何故そこまで分かるのかと言えば、ペロロンチーノ自身もそうだからだ。

 自分たちは少し前まではただの人間だったというのに、目の前の残虐非道な光景に対して何も感じることがなかった。怒りもなければ悲しみもない。まるでB級映画のワンシーンや獣同士の争いを眺めているような、そんな感覚。

 

「それで…、どうするんですか?」

「どうするも何も…。助けたいのかね?」

「いや、俺は別に…」

「…それに相手が本当に騎士だった場合、奴らは何らかの組織に所属しているということだ。面倒事に巻き込まれたくはないしな」

「そうだな」

「そうですね…」

 

 モモンガの言葉にウルベルトとペロロンチーノがほぼ同時に頷く。

 モモンガの指の動きに応えて村の至る所を映し出す鏡を改めて見やり、ペロロンチーノはハッと目を見開かせた。

 

「ちょっ、くそっ! 今すぐ助けに行きましょう!!」

「はぁ? お前、何言って…」

「モモンガさん、早く! 早く〈転移門(ゲート)〉を出して下さい!!」

 

 突然先ほどとは全く真逆のことを言いだしたペロロンチーノに、モモンガとウルベルトが怪訝そうな表情を浮かべる。

 ペロロンチーノは一向に動こうとしない二人にグシャグシャと頭をかきまわすと、鏡が映し出している光景をビシッと指さした。

 

「見て下さい! 幼気な少女を飢えた野郎が追いかけてるでしょう!!」

「飢えたって…」

「あいつら、絶対あの娘たちを襲うつもりですよ、エロ同人誌みたいに! そんなおいし…いやいや、非道なことを許せるわけがないでしょう! 全くもってうらやま…じゃなくて、けしからんっ!!」

「…おい、全然本音が隠せてねぇぞ」

 

 一人盛り上がっているペロロンチーノに、モモンガとウルベルトの冷めた視線が突き刺さる。しかしペロロンチーノはどこ吹く風、早く早くと二人を促して急き立ててくる。見知らぬ少女を気にかけているような口ぶりにシャルティアがピクッと反応したことにも気が付いていない。

 そんなどうしようもない様子に、モモンガははぁっと大きなため息を吐き出した。

 

「…少し落ち着け、ペロロンチーノ。まだ外の人間の力も分かっていないのだぞ。それに先ほども言った通り、騎士どものバックの組織に目をつけられる可能性もある」

「それに、この殺戮にも彼らなりの理由があるのかもしれない。病気、犯罪、見せしめ、戦争…我々が手を出すメリットも義理もないのではないかね?」

 

 モモンガとウルベルトの鋭すぎる指摘に、ペロロンチーノがグッと黙り込む。

 しかしここで諦めるほど物わかりの良い男でも、何も言えずに終わるような往生際の良い男でもない。

 ペロロンチーノは頭をフル回転させると、二人の言った言葉を整理して必死に反撃に出た。

 

「でも、遅かれ早かれ外界とは接触しなくちゃいけないんでしょう? 自分たちの力がこの世界でどれだけ通用するのか、この機を利用すべきです。それに騎士の方は兎も角として、少なくとも村人の方は助ければ何かしら情報を貰える確率は高い」

「「……………………」」

 

 モモンガとウルベルトは黙り込むと、無言のまま顔を見合わせた。

 自分たちの懸念は間違ってはいないだろうが、しかしペロロンチーノの言葉も一理あった。

 戦闘能力の調査は別の機会でもできるかもしれないが、情報となるとそう何度も良い機会が来るとは限らない。

 二人はほぼ同時に大きなため息をつくと、モモンガはアルベドを振り返り、ウルベルトはアイテムボックスから主装備を取り出し始めた。

 

「…アルベド、ナザリックの警戒レベルを最大限引き上げろ。それと、念のためこの村に隠密能力に長けるか、透明化の特殊能力を持つ者を複数送り込め」

「畏まりました。それでは御方々の警護は私と…」

「いや、お前たちはナザリックに残れ。この村で騎士が暴れているということは、ナザリック近郊まで別の騎士が来ている可能性もある」

「そ、そんな!!」

「ですが、至高の御身を危険に晒すなどっ!!」

 

 モモンガの言葉にアルベドとシャルティアが見るからに慌て始める。しかしモモンガは考えを変えるつもりはなく、ウルベルトとペロロンチーノも何も言わなかった。

 大体警護をつけるとなると少なくとも一人に一人ずつ付けなくてはならなくなる。そうなれば一気に大所帯となってしまい、逆に村人たちにすら警戒心を持たれる可能性があった。

 モモンガとてもし一人であればアルベドの言に従って警護を付けただろう。しかしここにはモモンガだけではなくウルベルトもペロロンチーノもいるのだ。もし敵わないと分かればすぐさま逃げるつもりだし、心強い仲間がいる現状で更に連れを増やす気はモモンガにはなかった。

 

「アルベド、シャルティア、心配は無用だ。それに、主を信じて待つのも忠義だよ」

「ウ、ウルベルト様…」

「し、しかし…」

「ナザリックを頼むぞ」

「モモンガさん、早く!!」

 

 未だ騒ぎ立てるペロロンチーノの隣で、アルベドとシャルティアを言いくるめながらモモンガが〈転移門(ゲート)〉を唱える。

 瞬時に現れる闇の入り口。

 ペロロンチーノがすぐさま闇の中に駆け込んでいく中、もう一度アルベドとシャルティアに言い含めると、モモンガとウルベルトも闇の中へと入って行った。

 

 




当小説のウルベルト様はモモンガ様ほどではないですが天然タラシです。

アルベドさんは今のところモモンガ様、ウルベルト様、ペロロンチーノ様三人を平等に愛しておられます(笑)
ペロロンチーノ様との描写が多いのは単に彼が三人の中で一番欲望に忠実だからです。

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