世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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やっとパソコンが治ったので更新できました!
今回は意外と人気なのかもしれないソフィアちゃんの出番が多いです(笑)


第50話 それぞれの軸

「――……だから言ってるでしょ! 知らないって!」

 

 人気のない静寂の中、“歌う林檎亭”に女の怒号が響き渡る。

 レオナール・グラン・ネーグルの姿で二階から一階へと階段を下りていたウルベルトは、その突然の声に驚きと共に思わず足を止めた。無意識に後ろに付き従っているユリを振り返り、顔を見合わせる。しかしどんなにユリと見つめ合ったところで何も分かるはずがない。ウルベルトは内心首を傾げさせながらも顔を前へと戻すと、取り敢えずはと階段を下りきることにした。

 

 ナザリックで定例報告会議を終えた後、ウルベルトはユリを伴い、ワーカーとしての仕事に取り組むべく帝国の拠点である“歌う林檎亭”に来ていた。

 いつものように怪しまれないように借りていた二階の部屋に転移し、一階へと階段を下りていたのだが、一体何が起こっているのか……。

 ウルベルトは頭上に疑問符を浮かべながら階段を下りきると、目と足先を酒場兼食堂へと向けた。

 ガランとした人気のない室内。

 しかしウルベルトの視線の先には部屋のど真ん中で大小二つの人物が仁王立ちして顔を突き合わせていた。

 一人は紅色の長い髪を二つに結んだ華奢な半森妖精(ハーフエルフ)の女。もう一人は筋骨隆々の大柄な人間の男。

 二人は何かを言い争っているようで、女は怒りの形相で声高に捲し立て、男はぺこぺこと頭を下げていながらも薄ら寒いへらへらとした笑みを浮かべていた。

 二人とウルベルトたち以外、この場には誰もいない。

 “歌う林檎亭”は宿だけではなく酒場や食堂も営業しているため、通常朝と夜は多くの人で賑っている。また、この店は多くのワーカーも利用しており、帝国ではこの店がワーカーたちと依頼人との仲介の役目を担っていることも有名だった。そのためか、朝でも夜でもない昼の時刻は必然的に客足は緩やかになり、店側もそれに従って買い出しや仕込みなどを昼に行っていたのだが……。

 ウルベルトはマジマジと言い争う二人の人物を見やると、思わず小さく首を傾げさせた。

 勿論、客足が緩やかになるとはいえ、昼に来る客が全くゼロになると言う訳では決してない。いや、ゼロである日も勿論あるのだが、必ず昼は無人になるというわけではなかった。それを考えれば、もしかすれば彼らは客なのかもしれない。

 しかしそこまで考えた後、ふとウルベルトはハーフエルフの女の方にどこか見覚えがあることに気が付いた。はて、どこで見たのだったか……と未だ続いている二人の言い争いを遠目に見ながら考え込む。

 女の方は軽装ながらも皮鎧を中心とした武装をしており、その雰囲気からどうやら自分たちと同じくワーカーであるようだった。しかし男の方はと言えば、ワーカーにしては少々身に纏う雰囲気が荒々しく粗暴過ぎた。イメージとしてはワーカーや冒険者や傭兵ではなく、一昔前の現実世界(リアル)でいたという暴力団や極道のようである。つまり、裏世界のニオイがプンプン漂ってくるのだ。

 何故そんな輩と騒ぎなど起こしているのか……と思わず眉を潜めさせる。

 とはいえ、こちらが思わず悶々と考え込んでいる間に事は急展開を迎えていたようだった。

 ふと気が付けば、視線の先にいたのは二人ではなく三人に。増えたのは人間の若い男で、どうやらハーフエルフの女の仲間のようだった。

 一気に大柄な男の立場が弱くなり、若い男女に押されて少々タジタジになり始める。しかし男にも譲れないことがあるのだろう、ウルベルトからすれば感心するほどに往生際悪く食い下がっていた。

 男の話によると、どうやら男女のワーカー仲間の一人に用事があるらしい。しかしその仲間は今は不在のようで、それもあって騒動になっているようだった。

 一体どういう用事なのかと遠目に見ながら興味が湧いてくる。

 取り敢えず彼らの邪魔にならない場所に腰掛けて観察しようと決め、ウルベルトはできるだけ気配を消してそろそろと食堂内へと足を踏み入れていった。彼らの視界に入らないよう細心の注意を払いながら、手ごろな位置にあるテーブルと椅子を見定める。

 しかしいざ椅子に腰掛けようとしたその時、まるでそれを阻止するかのように不意に店の扉が外側から勢いよく開かれた。

 

 

「……あら、こんな店の真ん中で突っ立っているなんて、他の方々の邪魔になりますわよ」

 

 店内に足を踏み入れてすぐにそんな言葉を口にしたのは美しい少女。

 帝国で名の知れたノークラン商会の長の娘であり、今回はウルベルトの正式な依頼人である少女――ソフィア・ノークランである。

 突然の少女の登場とかけられた言葉に、言い争っていた三人は口を閉じて驚愕に目を見開かせた。三人ともが突然の闖入者に頭がついて来ていないようで、呆然とした表情を浮かべてソフィアを見つめている。

 しかし見つめられている本人は何のその、三人の視線には一切構う様子もなく、さっさと彼らから視線を外すとそのまま店内を見回し始めた。

 瞬間、ソフィアのつり目がちの大きな瞳とウルベルトの切れ長の瞳ががっちりとかち合う。

 途端に明るい笑みを浮かべるソフィアに、ウルベルトは傍観者でいる時間が終わったことを悟って内心で大きなため息を吐き出した。

 

「そこにおりましたのね! お久しぶりですわ、ネーグルさん」

 

 嬉々としたソフィアの言葉で漸くウルベルトの存在に気が付いたのか、未だ呆然としていた三人の男女が驚いたようにこちらを振り返ってくる。この場にいる全員の視線がこちらに向けられたことに、ウルベルトは今度こそ大きなため息を吐き出しながらゆっくりと足を踏み出した。後ろに付き従うユリを伴いながら、彼らの元へと歩み寄っていく。

 

「……お久しぶりです、ノークランさん。本日はご足労いただき感謝しますよ」

「いいえ、構いませんわ。そもそも依頼するのはわたくしの方なのですから。こちらから出向くのは当然のことですわ」

 

 どこまでが本気でどこまでが建前なのか……――恐らく完全に本気だと十分に考えられるが――とにかく一応礼として小さく頭を下げておく。しかしすぐさま頭を上げると、次にはウルベルトは無言のままこちらの様子を見つめている三人へと視線を向けた。

 

「……それで、これは一体何の騒ぎなのですか? 部外者である私が口を挟むべきではないことは分かっていますが、これ以上騒ぐようなら、こちらもそれ相応の処置を取らせて頂きますよ」

 

 さり気なく脅しを入れるウルベルトに、途端に三人の肩がビクッと跳ねる。中でも大柄の男は恐怖の色さえその顔に浮かべてウルベルトの何倍もある巨体を縮み込ませた。ソフィアの言葉から、既にウルベルトが何者であるのか正確に理解しているのだろう。『ワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル』という名と存在は、帝国では今やこれほどまでの影響力を持っていた。

 ウルベルトの言う通り、本来であれば他チームのいざこざに部外者が口を挟むなど御法度ともいえる行為である。しかしレオナールの人となりは帝国では既に広く知れ渡っており、もしこの場でウルベルトが何かしらの行動を取り、それによって何かしらの問題が生じて噂になったとしても、この場にいなかった者たちの殆どはレオナールの人となりを加味して『彼のことだから、きっと理由があったのだろう』と判断することだろう。そしてそれは、この場にいる全員が考え付けるものだった。騒ぎを起こしていた張本人たちにとっては非常に恐ろしい事態である。

 

「あっ、…あー、確かに他の方々にご迷惑をおかけする訳にはいきませんね! そ、それじゃあ、私はこの辺で失礼させて頂きます! ……フルトさんに“期限は来ている”とだけ伝えておいて下さい!」

 

 大柄の男は血相を変えると、次には慌てたように捲し立ててくる。余程ウルベルトが恐ろしいのか、一切ウルベルトには目を向けずに踵を返すと、まるで逃げるように足早に店を出ていった。あまりに素早い行動と変わり身の早さに、二人の男女は呆然と大柄の男の後ろ姿を見送る。ウルベルトは一度小さく肩を竦ませると、男が出ていった扉から視線を外して改めて二人の男女を見やった。

 

「口を挟んでしまって、すみません。ですが、ここは大切な交流の場。できれば厄介ごとは無用に願いますよ」

「……あっ、い、いえ、こちらこそすみません。正直なところ、少し助かりました」

 

 ウルベルトに声をかけられ、男女は慌てた様子でこちらを振り返ってくる。見れば男の方にも見覚えがあり、やはり同じワーカーなのだろうと思い至った。名前は未だに思い出せないものの、確か最初の頃に接触したワーカーたちではなかっただろうか……。

 一部を赤く染めた男の短い金髪を見つめながら、ウルベルトは何とか思い出せないかと記憶を巡らせた。しかしどうにも思い出せず、内心焦りの表情を浮かべる。

 あちらから名乗ってくれないだろうか……と思わず内心で呟く中、まるでその願いが届いたかのように目の前の男が笑みと共に小さく頭を下げてきた。

 

「お久しぶりです、ネーグル殿。……と言っても、覚えていらっしゃらないかもしれませんが……。以前護衛依頼を遂行中にモンスターの大群に襲われ、あなた方に救って頂いた“フォーサイト”のヘッケラン・ターマイトです」

 

 ヘッケランが自身の名を口にした瞬間、芋づる式のように一気にその時の記憶や正確な名前が頭に蘇ってきた。

 

「ええ、勿論覚えていますよ。冒険者チーム“閃光の牙”と共に護衛依頼をされていましたよね。またお会いできて光栄ですよ」

 

 さり気なく『ちゃんと覚えていますよ』とアピールしながら頷けば、途端にヘッケランとハーフエルフの女が驚愕の表情を浮かべてくる。まさか覚えられているとは思っていなかったのだろう。驚愕の後には輝かんばかりの喜色をその顔に浮かべてきた。

 

「お、俺たちこそ覚えて頂いていて光栄です! “サバト・レガロ”の皆さんは今や帝国一のワーカーだと有名ですからね。正直、俺たちのことを覚えて頂けているとは思っていませんでした」

「いえいえ、そんなことはありませんよ。大切な同業者ですしね。それに、帝国一のワーカーと言われるには我々はまだまだだと思っています。何かあれば互いに協力し合いましょう」

「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 柔らかな笑みと共に右手を差し出すウルベルトに、ヘッケランも大きな声を上げながら勢いよくウルベルトの右手を握りしめる。

 二人が握手を交わす中、不意に扉が開き、今度は大小二つの人物が店内へと足を踏み入れてきた。

 扉から現れたのは三十代くらいの人間の男と、未だ幼い人間の少女。

 二人は店の真ん中で握手を交わしているウルベルトとヘッケランを見やると、ほぼ同時に驚愕の表情を浮かべて動きを止めた。

 

「……これは、一体……?」

「……あのレオナール・グラン・ネーグルとヘッケランが握手してる……」

 

「お帰りなさい、アルシェ、ロバー」

 

 棒立ちになりながら呆然と独り言を呟く二人に、ハーフエルフの女が声をかける。どうやら彼らもヘッケランと同じチームの仲間のようで、ウルベルトはヘッケランから手を離しながらそちらへと視線を向けた。ヘッケランもそれに気が付き、自身の仲間へと目を向ける。

 

「ネーグル殿、良ければ俺の仲間を紹介させて下さい。こっちのハーフエルフの女性が我がチームの副リーダーのイミーナです。そして彼が回復担当のロバーデイク・ゴルトロン。最後に、凄腕の天才魔法詠唱者(マジックキャスター)であるアルシェ・イーブ・リイル・フルトです!」

 

 恐らく彼は仲間を大切に思っているのだろう。彼らを紹介する顔や声には誇らしさがありありと滲んでおり、ウルベルトは思わず柔らかな笑みの形に金色の双眸を緩めさせた。

 

「これはこれは、非常にバランスのいい良いチームのようですね。それでは私の方も改めて紹介させて頂きましょうか。……とはいえ、今は一人しかいないのですが……、彼女は我がチームの前衛を務めるリーリエです」

 

 ウルベルトの言葉に応えるように、ユリが一歩前へと進み出て綺麗なお辞儀をして見せる。

 洗礼された動きにヘッケランたちが思わず感嘆の息を吐き出す中、ウルベルトはユリが頭を上げて再び下がるのを確認してから改めて口を開いた。

 

「もう一人レインという者もいるのですが、今は不在にしているのですよ。とはいえ、これから何かしら協力することや同じ依頼を受けることもあるでしょう。その際はよろしくお願いしますね」

「はい、こちらこそよろしくお願いします!」

 

 変わらぬ元気な返事に、思わず笑い声が零れ出る。

 ウルベルトはヘッケランたちに軽く会釈すると、今まで大人しく彼らのやり取りを見守っていたソフィアへと顔を向けた。

 

「お待たせしてしまい申し訳ありません、ノークランさん」

「いいえ、構いませんわ。同業者の方々と親交を深めるのはとても大切なことですもの。……とはいえ、時間が少々押してしまっているのは事実ですわ。先方との約束の時間もありますし、外にわたくしが乗ってきた馬車がありますから、わたくしとの打ち合わせは馬車の中でいたしましょう」

「……分かりました。では、そのようにしましょう」

 

 ソフィアからの提案に、ウルベルトは大人しく頷いて返す。自然と身体を引いて道を開ける“フォーサイト”のメンバーに軽く礼を言うと、そのままソフィアとユリと共に“歌う林檎亭”の外へと歩を進めた。扉を潜り外に出てみれば、ソフィアの言っていた通り一台の立派な馬車がすぐ傍に鎮座している。馬車のすぐ横には馭者と思われる男が控えるように立っており、ウルベルトたちの存在に気が付くと恭しく頭を下げてきた。側まで歩み寄れば、当然のように男の手によって馬車の扉が開かれ、中へと促される。まず初めにソフィアが乗り込み、続いてウルベルトが、そして最後にユリが中へと入ったところで扉がゆっくりと閉められる。

 ウルベルトとユリがソフィアの向かい側に腰掛けた後、ウルベルトはざっと素早く中に視線を走らせた。

 流石はノークラン家が所有している物だと言うべきか、中は外側から見たイメージよりも広々としており、向かい合ったソフィアと膝が触れ合うこともない。椅子のクッションも絹が分厚く敷き詰められているのか程よい柔らかさと硬さを併せ持ち、長時間座っていても尻や腰が痛くならないように作られていた。内装も全体的に落ち着いたダークワイン色で、それだけでもこの馬車の所有者に好感が持てる物だった。

 

「良いわ。出してちょうだい」

 

 ソフィアが外へと声をかけ、その数十秒後に小さな揺れと共に馬車が動き始める。

 石畳を進んでいるとは思えないほど、感じ取れる揺れや衝撃は小さく、そして少ない。

 ウルベルトは車内に巡らせていた視線を目の前のソフィアへと向けると、早速打ち合わせを始めようと口を開きかけた。

 しかし目の前の彼女は珍しくも何やら深く考え込んでいるようで、ウルベルトは咄嗟に口を閉じて思わず小さく首を傾げさせた。

 

「……如何しましたか?」

 

 彼女の様子が気になり、短く問いかけの言葉を口にする。

 ソフィアは下に向けていた目をウルベルトへと向けると、未だ考え込むような素振りを見せながらもゆっくりと口を開いてきた。

 

「……先ほどの“歌う林檎亭”でのことですけれど、もしかしたら騒いでいた男は金貸しの者だったのかもしれませんわ」

「金貸し、ですか……?」

 

 “金貸し”とは、もっと分かり易い言葉に直すならば“借金取り”のことである。

 しかし何故ここで“金貸し”が出てくるのか……。

 思わず更に首を傾げさせるのに、ソフィアは少し難しそうに小さく眉間に皺を寄せた。

 

「あの男、フルトという方に用があったのだと仰られていたでしょう? 恐らく、あのアルシェという子に会おうとしていたのだと思いますわ」

「……ああ、確かにフルトだと名乗っていましたね」

 

 先ほどの自己紹介の時のことを思い出し、同意の言葉と共に一つ頷く。

 

「ええ。それで、彼女を見て思い出したのですけれど……。そのフルト家は、実はわたくしたちの間では結構有名な家なんですのよ」

 

 “有名”という言葉のわりに、ソフィアの浮かべている表情は何とも曖昧で複雑なものである。恐らく良い意味で“有名”なのではなく、悪い意味での“有名”なのだろう。

 

「ノークランさんたちの間で……ということは、商人たちの間で有名だということでしょうか。何がそんなに有名なのですか?」

 

 悪い意味で有名なのであれば、財布の口が堅いとかクレーマーで有名なのだろうか……と考えを巡らせながら問いかける。

 ソフィアは一瞬躊躇するような素振りを見せた後、次にはどこか不安そうな表情を浮かべながらウルベルトを上目遣いに見つめてきた。

 

「……その、これから話すことはできれば内密にして頂きたいのですけれど、実は今のフルト家のご主人……あの子の父親は金遣いが荒いことで有名ですの。もともとは古くから続く名門の貴族でしたけれど、今の皇帝陛下の大改革によって没落し、今や見る影もありませんわ」

「ほう……。それなのに、金遣いが荒いのですか?」

「ええ。本来ならば普通の生活をするだけでも苦労するはずですのに……。他の商人たちの話では、金貸しから金を借りてまで贅沢な生活を今も続けているようで……。それも金貸しに返済する資金は全て娘であるあの子に任せきりにしているとか……」

「………つまり、娘にはワーカーという危ない仕事をさせて返済までさせているというのに、本人は家でのうのうと優雅な生活を送っていると?」

「そういうことになりますわね……」

「……………………」

 

 ソフィアの口からもたらされた情報に、ウルベルトは思わず小さく金色の瞳を細めさせた。

 無能な貴族というだけでも気に入らないというのに、娘に全てを押し付けているという事実に非常に胸糞悪くなる。

 ソフィアも同じことを考えているのか、こめかみに手を添えながら深くため息をつき、やれやれとばかりに小さく頭を振っていた。

 

「……はぁ、これではあまりにもあの子が不憫でなりませんわ。これ以上はフルト家に不要な物を勧めたりしないよう、ノークランの名で商人たちに言い渡した方が良いかもしれませんわね」

「おや、宜しいのですか? 言い方は悪いですが、折角の金づるだったのでしょう?」

 

 思わず意外そうな表情を浮かべた後、次には少し揶揄うような言葉を投げかける。

 どこか悪戯気な笑みを浮かべるウルベルトに、ソフィアは一瞬キョトンとした後、すぐに不満そうな……それでいて少し拗ねたような表情を浮かべてきた。

 

「まぁ、意地悪な方! 心配して頂かなくても、ノークラン商会も他の商人たちも、顧客が一人いなくなったところで立ち行かなくなるほど脆弱ではありませんわ!」

 

 ぷりぷりと頬を膨らませて怒る様は非常に子供っぽく、どこか可愛らしい。知らず柔らかな笑みを浮かべるウルベルトに、ソフィアは初めて見た表情に一瞬で顔を真っ赤に染めた後、次には誤魔化すようにワザとらしく咳払いを零した。

 

「そ、それに……、品物を売っても喜んで頂けないのなら、それは意味のないことですわ。買って下さった方だけでなく、そのご家族も満足させてこそ意味がありますもの」

「そうですか……」

 

 自信満々に胸を張って満面の笑みを浮かべるソフィアに、ウルベルトも柔らかな笑みを浮かべる。

 正直に言って、ウルベルトはソフィアをいい意味で見直していた。今までは上流階級のお嬢様という身分と“歌う林檎亭”で初めて会った時の印象からソフィアのことを軽視していたのだが、今回のことでソフィアに対する見方や印象が大きく変わった。

 なるほど、人を束ねるだけの器ではあるかもしれない、と……。

 非常に上から目線で偉そうな思考ではあるものの、それでもウルベルトがソフィアを多少なりとも認めたという事実は、もしこの場にモモンガやペロロンチーノがいたなら非常に驚き、意外に思うほど珍しいことだった。

 ソフィア自身も自分に対して初めて向けられた柔らかな笑みに、歓喜に目を輝かせて非常に嬉しそうに頬を染めながら笑みを浮かべる。しかしソフィアはすぐにだらしなく緩んでいる自分の顔を自覚すると、慌てたように笑みを引っ込めて未だ顔を真っ赤に染め上げながらも再び誤魔化すために何度か咳払いを零した。

 

「こ、この話はここまでにしましょう。今はこれからについて打ち合わせる方が先決ですわ」

「そうですね。……確か、これから会う方はオスクという商人の方でしたね」

「ええ、我がノークラン商会と肩を並べられるほどの大商人ですわ。わたくしと同じく闘技場の興行主(プロモーター)でもあり、武王を個人的に所有している人物ですわ。武王との試合を行いたい場合は、彼の許可を得ねばなりません」

 

 真剣な表情を浮かべながら説明するソフィアに、ウルベルトは小さく頷きながらも内心では面倒臭さを感じていた。

 本来であれば、人のモノを借りるのだから許可を求めるのは当然のことだろう。ウルベルトとてその理屈は理解しており、当然だとも思っている。しかし、今回の武王との試合自体を少々どころか半分以上面倒臭いと考えているウルベルトにとっては、この工程すらひどく面倒臭く感じられた。とはいえ、一度受けた依頼を放り出すわけにもいかない。

 ウルベルトは出そうになったため息を寸でのところで呑み込むと、気分を変えるように少しだけ話題の矛先を変えることにした。

 

「そのオスクという方はどういった方なのですか?」

「そうですわね……。非常にやり手であることは間違いありませんわ。後は“戦い”というものがとても好きな方なんですの」

「つまり、好戦的……ということでしょうか?」

「いえ、彼自身は戦う術など全く持ち合わせておりませんわ。何と言えば宜しいかしら……。彼は“戦い”というもの自体を好んでおりますのよ。戦いを制する強者を、強者を形作るその肉体を、そして使われる武器や防具を……。だからこそ闘技場の興行主(プロモーター)でもあるのです。それに彼の屋敷には、これまで集めた多くの珍しい武器や防具が飾られております。きっと驚きますわよ」

 

 ふふっと小さな笑い声を零すソフィアに、ウルベルトは少しオスクという人物に興味を抱きながら『それは楽しみですね』とだけ答えた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 “歌う林檎亭”を出て20分ほど。

 漸く動きを止めた馬車に気が付いて、ウルベルトとソフィアは語らっていた口を閉ざした。自然と扉へと目を向ければ、それに反応したかのように扉が外側から開かれる。

 目的地に着いたことを知らせる馭者に、まずはウルベルトとユリが馬車の外へと出た。続いてソフィアも馬車から出ようとする中、ウルベルトがサッとソフィアへと片手を差し出す。

 ソフィアは驚いたように一瞬動きを止めてウルベルトの手と顔を交互に見やると、次にはサッと頬を赤らめながらもゆっくりと差し出されているウルベルトの手に自身の手を添えるように置いた。ウルベルトの手を支えに、優雅な身のこなしで馬車から地面へと降り立つ。

 

「あ、ありがとうございます」

「いえ、構いませんよ」

 

 ウルベルトとしては“ワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル”ならばするであろう行動をしただけである。言うなればロールプレイをしただけであり、ウルベルトはすぐにソフィアから目を離すと周りの景色や目の前に佇む屋敷へと目を向けた。

 ここは高級住宅街であるらしく、目の前にある屋敷は数多ある立派な屋敷の中でも特に大きく豪奢なものだった。目の前には大きな門があり、敷地内と外を強固に遮断している。

 門の前には一人の執事然とした細い男と一人のメイドが立っており、男は穏やかな表情を浮かべながらじっとウルベルトたちを見つめていた。

 

「お待ちしておりました、ソフィア・ノークラン様。そちらがレオナール・グラン・ネーグル様とリーリエ様でいらっしゃいますね?」

「ご無沙汰しておりますわ。オスクはいらっしゃるかしら?」

「はい、主人は既にお待ちでいらっしゃいます。ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」

 

 ソフィアの言葉に頷き、男はウルベルトたちを促すようにこちらに背を向ける。無言のメイドを引き連れて屋敷内へと歩いていくのに、ウルベルトたちもその背を追うようにして敷地内へと足を踏み入れた。

 門を潜り、扉を抜け、長い廊下をゆっくりと歩く。

 廊下の壁にはいかにも商人の屋敷らしく幾つもの絵画が飾られていたが、しかしウルベルトはそれに一切目を向けず、ただじっと目の前で背を向けて歩いているメイドを見つめていた。

 しかしその理由は決してペロロンチーノのような浮ついたものではない。

 ウルベルトが釘付けになっているのは、彼女の頭に生えている長い獣の耳だった。どう見ても兎耳。まるで第一位階魔法の〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉を発動させているようである。しかし先ほど門で見たメイドの顔が、その魔法を使用している可能性を否定していた。

 彼女の顔をマジマジと見ることはできなかったものの、それでもどういった顔つきをしていたかくらいは見ることが出来ていた。今は見ることが出来ないメイドの顔は動物的な可愛らしい顔つきをしており、お世辞にも『どこからどう見ても人間』とは言えないものだった。

 恐らく彼女は人間ではなくラビット・マンという種族なのだろう。

 となれば、武王しかりこのメイドしかり、どうやらこの屋敷の主であるオスクは人間以外の種族に対してこれといった嫌悪もマイナスイメージも全く持っていないようだった。

 ウルベルトは断然オスクへの興味が強くなり、これからについて少し楽しくなってきていた。

 

「旦那様、お客様がお見えになりました」

 

 ウルベルトが内心ウキウキとしている中、目的の部屋に着いたのだろう、執事が足を止めて目の前の扉へとノックと共に声をかける。

 一拍後に扉から入るよう返答の声が返り、執事は扉を開きながら脇によると、ウルベルトたちへ中に入るよう促した。

 

「お邪魔しますわ」

「失礼します」

 

 ソフィアを先頭にウルベルトたちは案内された部屋の中へと入って行く。

 室内は多くの武器や防具が所狭しに飾られており、まるで武器や防具の博物館と化していた。しかもよく見れば、飾られている武器も防具も全てが傷やへこみを少なからず刻んでおり、使い込まれている様子に唯の飾られるためだけの物ではないことが窺える。

 ウルベルトは興味津々とばかりに室内を見回すと、不意に部屋の中心に立っていた男と目が合った。恰幅が良く頭髪が非常に薄くなっているその男は、ふくよかな顔に満面の笑みを浮かべてウルベルトたちへと軽く両手を広げてきた。

 

「ようこそおいで下さいました、ノークラン嬢。そして“サバト・レガロ”の皆さん! 歓迎いたしますよ」

 

 恐らくこの男がこの屋敷の主であるオスクなのだろう。ウルベルトたちにソファーを勧めた後、自身も飛び出した丸い腹を小さく揺らしながら向かい合うような形で一人用のソファーへと腰掛けた。ここまで案内してきた者とは別の従者が部屋に入り、紅茶の入ったカップと茶菓子を乗せた皿をテーブルに並べていく。最後に一礼と共に出ていくのに、まるでそれが合図であったかのようにオスクが笑みに歪められている口を開いてきた。

 

「“サバト・レガロ”のお二方とは初対面ですな。初めまして、しがない商人のオスクと申します」

「初めまして。私は“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルと申します。こちらは私の仲間のリーリエです。あなたが凄腕の商人であることはノークランさんから聞いております。お会いできて光栄ですよ」

 

 営業スマイルで笑いかけてくる相手に、ウルベルトも負けじと綺麗な営業スマイルで返してやる。現実世界(リアル)にいた頃は非常に苦手だったはずなのに、いやに板についてきたものだ……と内心で呟きながら、目の前のオスクの視線がソフィアへと向けられるのをじっと見つめた。

 

「それで……、本日我が家にお越し頂いたのは如何なるご用件でございましょうか?」

「あら、白々しくお惚けにならないで下さいまし。手紙で伝えていたでしょう。武王の件ですわ」

「ええ、ええ、勿論覚えておりますとも。ですが、少々信じられなかったものですから。あなたは武王があまりお好きでなかったのでは?」

「武王が嫌いなのではありませんわ。どちらかというと、あなたが好きになれないだけです」

「おや、これは手厳しい」

 

 オスクの疑問の言葉に、ソフィアは大きく顔を顰めさせる。オスクを嫌っているというのは本当なのだろう、苦虫を何十匹もまとめて噛み潰したような表情を浮かべていた。

 

「ですが、わたくしはあなたの商人としての手腕も闘技場の演目に対する熱意も十分に認めておりますわ。ええ、ええ、いつもお父様を困らせるあなたであっても、きちんと認めておりますとも。だからこそ、本日はノークラン商会のソフィア・ノークランとしてではなく、あなたと同じ一人の興行主(プロモーター)として演目の依頼に伺ったのですわ」

 

 途中苦々しい嫌味のような言葉は入っていたものの、それでも胸を張って堂々と言ってのけるソフィアの姿は非常に凛々しく美しい。この場にいる全ての者に唯の甘ったれた貴族令嬢ではないということを知らしめるかのような姿に、オスクは少しだけ営業用の笑みから自然な笑みへと表情を変化させた。

 

「なるほど、ノークラン嬢の仰りたいことは分かりました。……では、武王と戦われるのはあなた方ですかな?」

 

 オスクのつぶらでいて小さな目が再びこちらに向けられる。どこか観察するようなその視線に、ウルベルトは伸ばしていた背筋を更にスゥッと真っ直ぐに伸ばした。顔の笑みは消さないまま、真剣な色を帯びた金色の瞳を真っ直ぐにオスクへと向ける。

 

「そうですね。詳しく言えば、私が(・・)お相手しようと思っております」

 

 ウルベルトの言葉に、オスクは笑みを引っ込めて小さく首を傾げさせた。可愛らしくもない動作をするオスクの顔には『意味が分かりません』とはっきりと書かれている。

 暫くマジマジとウルベルトを見つめ、次にはウルベルトの隣に座るソフィアへと目を向けた。しかしソフィアは素知らぬ様子で紅茶を飲んだり茶菓子を摘まんだりしており、オスクは諦めて再びウルベルトへと視線を戻した。

 

「……すみません。もう一度確認させて頂きたいのですが、武王と戦われるのはどなたですか?」

「私です」

「……………………」

 

 再び静寂が室内に立ち込める。

 オスクは暫くマジマジとウルベルトを見つめると、どうしても納得しかねるといった表情を浮かべて更に大きく首を傾げさせた。

 

「………何度も確認して申し訳ありませんが……、もしやあなた御一人で武王と勝負すると仰られているのですかな?」

「ええ。武王もチームではなく一人なのでしょう? であるならば、こちらも一人で一対一で勝負するのが筋だと思いませんか?」

 

 非常に当たり前のことを言っているかのような口ぶりに、オスクは小さな目をぱちくりと瞬かせた。

 何度も言うようだが、全く可愛らしくない。

 ウルベルトが思わず内心で顔を顰めさせる中、不意にオスクが勢いよく笑い始めた。あまりに突然のことに、ウルベルトもソフィアも驚愕に大きく目を見開かせる。何の前触れもなく笑い始める様に、もしや気が触れたのかと疑いそうになる。

 

「ふははははっ、正気ですか! 武王は人間ではなくモンスターであり、恐らく歴代“武王”の中でも最強の男ですぞ? それを唯の人間が一人で立ち向かって勝てるなどと……」

 

 途中で言葉は切られたものの、オスクは自信満々な様子でゆるゆると首を横に振って見せる。どうやら勝つことなど不可能だと言いたいらしい。あまりに不遜な態度にソフィアが思わず不満そうな表情を浮かべる中、しかしウルベルトは一切表情を変えることはなかった。まぁ、普通はそう思うだろうな……と内心で頷くだけである。

 しかしここで引いてチームで戦うことになっては非常にマズいことになる。

 ウルベルトは顔に浮かべている柔らかな笑みはそのままに、ワザとらしく首を傾げてみせた。

 

「ふふっ、とても自信がおありなのですね。ですが私としても、自信がなければこのようなことは言いませんよ。……オスク殿は闘技場で我が“サバト・レガロ”の試合を見たことはありますか?」

「ええ、何度も拝見しましたよ。非常に素晴らしいものだった! しかし、武王は今まであなた方が相手にしてきた者たちとは全く違うのです。正に別格の強さ! 貴方も相当な強さを持っているとお見受けしますが、御一人で武王に立ち向かうなど無謀としか言えません」

「あら、あまりにも傲慢な物言いですわね。わたくしはネーグルさんの力を非常に高く評価しておりますわ。……あなたの武王に匹敵するかもしれないと思うほどに」

「おや、そこまで仰るとは珍しいですな」

 

 すかさず舌戦に参戦してきたソフィアに、オスクは面白そうな笑みを浮かべてソフィアを見やる。小さな目でソフィアとウルベルトを何度か交互に見やると、最後には何かを納得したように一つ大きく頷いた。

 

「……なるほど、これは私とノークラン嬢との勝負でもあるようですな。……分かりました、良いでしょう。武王とネーグル殿の試合を組みましょう」

 

 大きく頷いて承諾するオスクの顔にはどこまでも楽しそうな笑みが浮かんでいる。

 その笑みが本物なのか仮面であるのかはウルベルトの目には判断することが出来なかったが、それでもウルベルトは一切構うことなく、ただ一言礼を言って小さく頭を下げた。

 

 


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