世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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前回、ペロロンチーノ様回が変なところで終わってしまいましたが、時系列を合わせるために今回はウルベルト様回になります。
読み難くてすみません…(汗)
時系列としては、前回のペロロンチーノ様とエルフたちが会った夜の翌日になります。


第53話 支配の領域

 白を基調とした広い室内。中心には重厚で大きなテーブルが鎮座しており、その左右には向かい合うような形で豪奢な造りの一人掛けのソファーが複数置かれていた。

 細かい装飾が彫られた焦げ茶色の木の枠と、肌触りの良い布に綿を詰めたクッション。程よい硬さのクッションは座り心地が良く、帝国広しと言えどもこれほどの一級品はそうはないだろう。

 その一つに未だ年若い一人の男が優雅に腰かけていた。

 名を、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。鮮血帝とも称される、このバハルス帝国を治める皇帝である。

 また、彼の両隣には一人の老人と壮年の男がそれぞれ直立不動で立っていた。

 腰以上もある真っ白な髭が特徴的な老人は、このバハルス帝国が誇る大魔法使いであるフールーダ・パラダイン。そして漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏った金髪の男の方は帝国四騎士の一人である“雷光”バジウッド・ペシュメルだった。

 勿論この場にいるのはこの三人だけではない。彼らの後ろには更に六人の人間が控えるように並んで立っていた。

 四騎士のメンバーである“激風”ニンブル・アーク・デイル・アノックと“重爆”レイナース・ロックブルズと“不動”ナザミ・エネックの三人。そしてロウネ・ヴァミリネンを含む、ジルクニフが信頼を寄せる三人の秘書官たち。

 国の重役たちが一堂に会しているこの場にて、しかし彼らは仕事をしている訳でも会議をしている訳でもなかった。

 彼らはこの部屋である人物の来訪を待っていた。

 普通であれば、相手が余程の人物でない限り国の重役たちが事前に部屋に待機し相手側を待つことなどありえない。相手側が部屋に到着し、その報告を受けて漸く相手側が待つ部屋に赴いて対面するのが一般的な流れだった。これが玉座の間での公の謁見の場であればまた違うのだが、今回のこの場は決してそういった仰々しいものではない。

 故に、今回のこの光景は異例中の異例だった。

 

 

「――……陛下、“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル様がいらっしゃいました」

 

 のんびりと待ち人を待つ中、不意に扉の外からメイドの声が聞こえてくる。

 ジルクニフは一度扉へと視線を向けると、次には無言のままフールーダたちに目を移して目配せを送った。彼らもそれに応えるように小さく頷き、ジルクニフもそれに小さく頷き返す。

 顔をゆっくりと元に戻すと、一度大きく息を吸って扉の向こうへと声を発した。

 

「入ってもらってくれ」

 

 威厳の音を宿らせた声が力強く響き、扉の向こうへと入室の許可を与える。一拍後、扉は外側からゆっくりと開かれ、見慣れぬ衣装を身に纏った一人の褐色の美男子が姿を現した。

 噂に聞いてはいたものの、初めて目にしたその美貌に同じ男ながらも思わず一瞬気圧される。しかしすぐに我に返ると、ジルクニフは驚愕の表情が顔に出ないように気を付けながら室内へと足を踏み入れてくる男を注意深く見つめた。

 年の頃は二十代後半から三十代前半と言ったところか……。未だ若いながらも自分よりかは年上だろうと推測する。人間種で褐色の肌というのは帝国ではあまり見慣れず、また雪のように白い髪も非常に珍しい。切れ長の金色の瞳はひどく理知的でいて神秘的でもあり、『なるほど、この目に見つめられれば女性は誰しもが恋に落ちるだろう』と内心で何度も頷いた。身長は長身というほどではないが手足はスラッと長く、動きも少々大振りのきらいはあるが全体的には流れるような優雅さがあり、右掌を左胸に添えて片膝をついて頭を下げる動きには一切のブレがなく美しい。魔法詠唱者(マジックキャスター)であるためか全体的に細身ではあったが、それでも均整のとれた身体つきは不思議な衣装の上からでもはっきりと見てとれた。

 

「“サバト・レガロ”のリーダーを務めております、レオナール・グラン・ネーグルと申します。皇帝陛下がお呼びと伺い、本日拝謁に参りました」

「レオナール・グラン・ネーグル殿…、私の声に応え、よく来てくれた。さあ、顔を上げてそちらに座ってくれ」

 

 まずは顔を上げる許可を与え、対面の席に座るように促す。ジルクニフは友好的な態度を取りながらも、注意深く目の前の男の一挙手一投足を観察するように見つめた。

 先ほど聞いた声は確かに以前バジウッドの屋敷で聞いたものと同じもので、直接何度か対面したことのあるバジウッドたちの様子からしても、目の前の人物が確かにレオナール・グラン・ネーグル本人であると再確認する。

 見つめられているレオナールはと言えば下げていた頭を上げて素早く立ち上がると、そのまま一切の躊躇もなくジルクニフの目の前にあるソファーへと腰を下ろした。

 そのあまりに堂々とした姿と様子に、ジルクニフは内心で大いに感心した。いくら許可を出されたからといって、一国の王や重臣たちを目の前にしてここまで緊張の色を一切見せない者は初めてではないだろうか。

 例え絶大な権力を持った有数の大貴族であったとしても、または他国から来た王族であったとしても、一国の皇帝を前にすれば多少なりとも瞳や身体の動きから緊張や警戒の色を滲ませてしまうものだ。これはジルクニフが特別であるというよりかは、一国の主を前にすれば誰もが多少なりとも陥ってしまう一種の反射のようなものである。

 しかし目の前の男からはそういったものが一切見られなかった。

 まるで目の前にいるのが皇帝であると気が付いていないかのようだ。

 しかし、それは男がこの場にいる時点であり得ない。

 余程自身の感情を隠すことが上手いのか……、はたまた一国の皇帝など何でもない存在であるとでも思っているのか……。

 ジルクニフは今まで以上にこの目の前の男に対して興味が湧いてきた。

 

「“サバト・レガロ”の噂は私の耳にも届いている。とても強く、優秀だそうだな」

「恐れ入ります。皇帝陛下のお耳にまで我々の話が届いているとは、恐悦至極にございます」

「はははっ、そう畏まる必要はない。君たちのような者が帝都にいてくれるだけで、こちらとしてもとても心強い。これからも帝都の者たちの力になってやってほしい」

 

 ソファーに腰かけたまま無言で頭を下げてくるレオナールに、ジルクニフも無言のまま一つ頷くだけに留めた。

 しかし欲を言えば、ここで明確な言質を取ってしまいたかった。いや、更に欲を言うなら『帝都のためだけにその力を行使します』という契約書にサインしてほしかった。それだけ強者を国に留め置くというのは重要なことなのだ。

 強者が一人いるだけで他国からの警戒は強まり、それが侵略の抑止力になる。また、その者の力の恩恵を得ようと人が動き、人が動けば物も動いて更に国は豊かになっていく。

 しかも、何かと“サバト・レガロ”の情報を集めているバジウッドの話によると、彼らはただ強いだけではないらしい。レオナール・グラン・ネーグルという目の前の男と彼が率いる“サバト・レガロ”は、既に帝都の人々から絶大な人気と信頼を得ているようだった。

 それは彼らが闘技場で幾度も活躍していることや、多くの依頼をこなして多くの者を助けているからだけではない。その容姿の美しさと、何より誰に対しても分け隔てなく平等に振る舞う寛大さと礼儀正しさが多くの者を魅了しているようだった。

 つまり“サバト・レガロ”は強さだけではなく、人望や人を惹きつけるカリスマ性をも併せ持っているということだ。

 そんな存在が自分の下に来てくれたなら、どれほどの影響力があることか……。

 レオナール・グラン・ネーグルという目の前の男と彼が率いる“サバト・レガロ”の存在は、ジルクニフにとって既に喉から手が出るほどに欲しい存在となっていた。

 しかし何事もタイミングが大切だ。焦ればことを仕損じ、取り返しのつかないことになってしまうことは多々存在する。

 ジルクニフは強く湧き上がってくる欲を必死に抑え込むと、今は最優先事項に集中するべく気を引き締めさせた。まずはテーブルの上に乗せられているハンドベルを摘まみ上げ、軽く手首を振って音を鳴らす。すると一拍後、部屋の外に控えていたメイドたちがノックの音と共に現れ、一礼と共に中に入ってきた。

 彼女たちの手にはティーセットが載せられた銀のお盆が握られており、一糸乱れぬ動きでテーブルの元まで歩み寄ってくる。

 しかしいつもであれば少しのミスも起こさぬ彼女たちが、レオナールの姿を見た瞬間、その流れるような動きを一瞬微かに狂わせた。すぐにいつもの美しい所作には戻ったものの、それ故に一つの乱れはとても目立つ。

 一体どうしたのかと内心で訝しみ、しかしすぐにその原因がレオナールの美しい容姿であることを理解した。

 確かにこんな美男子はそうそういるものではなく、例え城に勤める身と言えども滅多にお目にかかれるものではない。加えて給仕をする際、必然的に何度もレオナールに身を近づけることになるため、彼女たちからしてみれば大いに心臓に悪いことだろう。彼女たちの気持ちも大いに分かるものの、しかしそれでもミスはミス。後でキツく言って聞かせねば……と心に誓うと、給仕を終えて下がっていくメイドたちを確認してから漸く口を開いた。

 

「さあ、まずは飲んでくれ。君の口に合えばいいのだが……」

「お気遣い、感謝します。それでは頂戴いたします」

 

 先ほどのメイドたちの動揺に気が付いているのかいないのか、レオナールは変わらぬ涼しい顔で一度頭を下げると、優雅な動作でティーカップに手を触れる。摘まむように持ち上げてカップに口づける様は気品があり、その姿は育ちの良い貴族の子息のような印象を受けた。ソーサーにカップを戻す際は少し音が出たものの、このくらいであれば許容範囲内だろう。

 ジルクニフも一口紅茶を飲んで喉を潤すと、カップをソーサーに戻してから漸く再び口を開いた。

 

「それで……、君を呼んだのは他でもない。リ・エスティーゼ王国の王都が悪魔の大群に襲撃されたことはこちらも把握している。その情報によると、君もその場にいたと聞いているのだが……」

「はい、間違いありません」

「……まず、何故帝国のワーカーである君が王国の王都にいたのか聞かせてくれないか?」

 

 ジルクニフは見た目には何でもない事のように振る舞ってはいたが、しかし内心ではひどく緊張していた。

 目の前の男はワーカーだ。国に属している訳ではなく、よって他国にいたとしても何ら問題にはならない。そして問題にならない以上、いくら皇帝からの問いかけであるとはいえ、この男にはそれに答える義理はない。答えない場合、『何か答えられない理由でもあるのか?』と問い詰めることも可能だが、しかしそれをした場合、男のこちらへの心証は著しく損なわれてしまう可能性があり、最悪この帝都から出て行ってしまうリスクすらあった。

 とはいえ、一国の皇帝であり少しでもあらゆる情報が欲しい身としては聞かないわけにもいかない。

 何とか穏便に進んでほしいと内心で願う中、まるでジルクニフの不安を笑い飛ばすかのように、レオナールはにこやかな笑みを浮かべてきた。

 

「ああ。……まぁ、疑問に思われるのも当然ですね。実は私の仲間の一人が王国の村にいるのですよ。ですので定期的に会いに行っているのです」

「仲間? 何故一緒に帝都にいないんだ?」

 

 予想外の返答に、思わず小さく首を傾げてしまう。

 もう一人“サバト・レガロ”のメンバーがいたことも驚きだが、何より一人だけずっと別行動をとっていることも疑問だった。

 ワーカーによってはそれぞれ依頼を区分して複数の依頼を同時に熟すチームもいないわけではない。しかしそれは多くのワーカーを抱えた大所帯チームが主に使う方法であり、“サバト・レガロ”の場合は謎のもう一人のメンバーを入れても総勢五名。大所帯と形容するには人数が少なすぎる上に、そもそも一人で依頼を熟すなど自殺行為も甚だしいように思われた。

 これまで聞いてきた情報や噂、そして何より目の前の男自身の様子からして、レオナール・グラン・ネーグルと言う男は思慮深く、判断能力が高く、何より同じチームのメンバーは元より同業者のワーカーたちにすら一定の思いやりを持っている人物であるとジルクニフは判断していた。どう考えても、このような軽率な行動を取るようにも、同じチームメンバーを危険に晒す判断を下すようにも思えなかった。

 そう思っているのはジルクニフだけではないようで、隣に控えているバジウッドも訝しげな表情を浮かべているのが気配で感じ取れた。

 しかし彼らの疑問はすぐにレオナール自身の口によって解かれることになった。

 少し抑揚の強い落ち着いた声音で語られたのは、“サバト・レガロ”が帝都に来る前に起こった出来事。

 男の話によると、彼らは帝都に向かう途中で王国の辺境の村が襲われている現場に居合わせたのだという。村を襲っていたのは、帝国の紋章が刻まれた鎧を身に纏った謎の騎士たち。“サバト・レガロ”はすぐに助けに入るも村は既に半壊しており、全滅は免れたものの人的被害も相当なもの。助けた村をそのまま放っておくこともできず、レオナールは急遽仲間の一人を復興の手助けのために村に残したのだという。

 要点をまとめた短い説明を聞き終わり、ジルクニフは湧き上がってくる不快感そのままに大きく眉間に皺を寄せた。

 

「王国の辺境の村を襲った帝国の騎士か……。私はそんなことを命じた覚えなどないし、脱走兵が出たと言う報告も、鎧が紛失したという報告も受けてはいない……」

「実は我々も、村を襲った騎士たちが本当に帝国の者たちだったのかと疑問に思っております。騎士たちが身に着けていた鎧には確かに帝国の紋章が刻まれていましたが、それ以外に騎士たちが帝国の者であるという証拠は一切出てきませんでした。……また、騎士の襲撃の後に王国戦士長と名乗る男が村に来たのですが、男の話によると他の辺境の村も同じような騎士たちに襲われていたようなのです」

「王国戦士長……、ガゼフ・ストロノーフか」

「はい。また、彼が村に来た直後、まるで彼を追いかけてきたかのように謎の信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団が現れました。これらから、恐らく村を襲った騎士たちは戦士長を誘き寄せる罠であった可能性が考えられます」

「信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団、か……。これは少し調べてみる必要がありそうだな。情報、感謝する」

 

 もしレオナールの話が本当なら、無断で帝国の名を借りた不届き者がいるということだ。これは一国の主として決して見過ごすわけにはいかない。

 ジルクニフは後ろに控えている秘書官の一人に目を向けると、目を向けられた男は心得たように頭を下げて足早に部屋を出ていった。

 扉の奥に消えていく後ろ姿を暫く見送った後、思わず小さく息をつく。

 

「……さて、話が逸れてしまったな。君が王国にいた理由は理解した。では、悪魔の襲撃にあった当時の王都について幾つか質問をさせてくれ」

「はい、畏まりました」

 

 何の躊躇いもなく頷いてくる男の様子に勇気づけられ、ジルクニフは悪魔たちによる王国王都の襲撃についてありとあらゆることを質問していった。

 

 王国王都に侵攻した悪魔たちを率いていたという“ヤルダバオト”と“御方”という悪魔は何者なのか。

 彼らが王国王都を襲った目的は何なのか。

 “ヤルダバオト”と“御方”という悪魔の強さの度合いはどのくらいか。

 王国の者たちはどうやって悪魔の大群を退けたのか。

 

 次々と放たれていく質問の数々に、レオナールはどこまでも落ち着いた様子で淀みなくそれに答えていった。

 

 “ヤルダバオト”なる悪魔についても“御方”なる悪魔についても、リ・エスティーゼ王国からは二体の悪魔についての文献や資料などが出てきたという情報は聞いていない。

 彼らが王都を襲撃した理由は、“八本指”に盗まれた自分たちの至宝を取り戻すためだったらしい。

 “ヤルダバオト”と“御方”なる悪魔の強さは未知数。“サバト・レガロ”全員で当たったとしても五分五分か、こちらが不利である可能性の方が高い。

 

 悪魔たちを退けた方法については、レオナールは王女ラナーが考えた“兵や冒険者たちの集団を弓矢に見立てた”作戦の内容を手短に、しかし出来るだけ詳しく説明してくれた。

 レオナールの口から語られる作戦内容と実際の戦場となった王都の様子を聞きながら、ジルクニフは王女ラナーの手腕と、それを支えた“漆黒の英雄”モモンと目の前の男の力、そして対峙した悪魔二体の強さに内心で舌を巻いていた。

 王女が考えた作戦はとても合理的かつ効果的なもので、敵を抑えながらもなるべく被害が出ないように考え抜かれた作戦だと分かるものだった。しかしその一方で、この作戦は実際に実行する者たちの力量によって勝率を大幅に左右するものでもあった。あの王女のことだ、恐らく冒険者や王国の兵士たち、何より“漆黒の英雄”モモンと目の前の男の力を緻密に計算した上でこの作戦を立案したのだろう。帝国の者でも、たったの数時間でここまでの作戦を立案できる者はそうはいない。

 やはり油断ならんな……と心の中で呟きながら、ジルクニフは新たに浮かんだ疑問を目の前の男に問いかけることにした。

 

「悪魔たちが言っていた至宝とは、一体どういった物なんだ?」

「見た目は拳大くらいの青緑色の宝玉です。王都の魔術師組合の組合長が言うには、どうやら何かを封じ込めている物のようですが、未だはっきりとしたことは分からないそうです。今は王都で厳重に保管されているようですが……」

 

 ここに来て初めて言葉を濁すレオナールに、ジルクニフも小さく目を細めさせた。

 レオナールの言葉が本当であれば、王国は悪魔の強力な魔法具を手に入れたことになる。封じ込められているモノが何であれ、帝国にとって……、いや、王国以外の国にとって脅威になることは間違いなかった。

 

「その封じられているモノっていうのは何なんだ?」

「……王都の誰もが見当もつかないそうです。ですが、あの悪魔たちが必死に取り戻そうとした物です。それだけ価値のあるモノが封じ込められていることは想像に難くありません」

「……爺、何かを封じている物を手に入れた場合、すぐに封じられているモノを出し入れしたり、使役したりすることはできるのか?」

 

 バジウッドが封じられているモノについて質問し、それにレオナールが小さく首を傾げる中、ジルクニフは隣に立つフールーダを見上げて問いを投げかけた。

 封じられているモノが何であるかも重要だが、今の段階ではそれよりもまずはそれを操れるかの有無の方が重要なポイントだ。

 危機感を募らせた問いかけに、問われた老人は自慢の長い髭を梳くように撫でながら小さく首を振ってきた。

 

「それは難しいでしょうな。まず第一に、封じている力の解除方法はアイテムによって違っております。また、力を解除して封じられているモノを自由にできたとしても、それでそのモノを自由自在に操れるかはまた別問題なのです。そのアイテムを持っていれば問答無用で操れる場合もあれば、アイテム自体はただの封じる力しか持たず、封じられているモノを操るためにはまた別の条件が必要な場合もあります」

「今回のアイテムがどちらであるかは……」

「分かりかねますな」

「封じている力の解除方法が分かったという情報は王国からは聞いていませんので、取り敢えず今はまだ操る以前の問題かと」

「……ふむ……」

 

 付け加えるように言われたレオナールの言葉に、ジルクニフは顎に手を添えて小さく顔を俯かせた。

 レオナールの言葉が本当ならば、確かに今はそれほど危機感を募らせる必要はないのかもしれない。

 しかしそれは難題を後回しにしているだけに過ぎないことをジルクニフは理解していた。また、難題をいつまでも後回しにしていて良いことなど何もなく、逆に状況は悪くなるばかりであることもジルクニフは分かっていた。今明確な解決策が考え付かなくとも何かしらの対策は講じていく必要がある。

 忙しなく王国について思考を巡らせる中、一方でジルクニフはそっと気づかれないように目の前のレオナールへと目を向けた。王国への対処策を考えている思考を頭の隅に寄せ、再びカップを手に取り喉を潤している男への思考を脳内に巡らせる。

 どこまでも優雅で堂々とした男の様子を見つめながら、内心で男への対応方法を間違えたかもしれないと微かに眉を顰めさせた。

 ジルクニフは常々、頭が切れて口も回り、普段から言葉を巧みに使う人間は大きく別けて二つのタイプに分類されると考えていた。

 一つは言葉での駆け引きを楽しむタイプ。

 そしてもう一つは、警戒心が非常に強いタイプである。

 ジルクニフ自身はどちらかというと前者の駆け引きを楽しむタイプだ。バジウッドの屋敷で聞いた会話の印象や噂などから、レオナールも恐らくは自分と同じタイプだろうと推測していた。

 しかし実際に顔を突き合わせて言葉を交わしていく内に、もしかしたらこの目の前の男はむしろ後者のタイプなのではないかと思い始めていた。

 レオナールの顔には常に優雅な微笑が浮かんでおり、口も絶えず柔らかな弧を描いて端がつり上がっている。しかしよくよく観察してみれば、モノクル越しの金色の瞳には冷たい光が宿っており、絶えずじっとこちらを観察しているように見えた。駆け引きを楽しむタイプも相手を観察することは多々あれど、しかしここまで一挙手一投足まで観察するように見ることはあまりない。これはむしろ、警戒心が強いタイプの典型的な視線の動きだ。であれば、彼を自分の元に引き入れるためには、今後の彼への対応方法は警戒心が強いタイプへの対応方法に変えた方が良いのかもしれない。

 しかし、実を言えばジルクニフの判断は半分当たりで半分外れだった。

 レオナールに扮するウルベルトが、駆け引きを楽しむタイプであるという最初の判断は当たりである。しかしウルベルトは敵になり得る存在や王侯貴族といった上流階級の富裕層に対してだけは警戒心を強く持つタイプでもあった。

 また、今回ウルベルトが観察するようにジルクニフの一挙手一投足を見ていたのは、何も警戒しているからだけではない。

 貧困層生まれ貧困層育ちであるウルベルトは、富裕層向けの立ち居振る舞いやマナーに関しては知識も経験も非常に乏しかった。そのため、少しでも目の前の皇帝からその所作を盗み学べないものかとジルクニフの行動を注意深く観察していたのだ。

 しかし如何に頭が切れるジルクニフと言えども、ウルベルトが観察してくる本当の理由を推し量ることはできなかった。

 果たして、ジルクニフは少し勘違いをした状態で今後のレオナールへの対応方法を見直そうと思考をこねくり回していた。

 

「いや~。しかし、そんなおっかない悪魔を追っ払っちまうとは流石だな。どうだい、あんたも“四騎士”に入らないか? あんたやあんたのお仲間なら大歓迎だぜ」

「それは光栄なことではありますが、我々のような何処の者かも分からぬ怪しげな者が国の軍部に所属しては返って迷惑になるでしょう。お気持ちだけ受け取らせて頂きます」

「別に気にすることはないんだぜ? 俺だって真っ当な生き方なんてしてこなかった人間だしな。例え周りが何か言ってこようが、俺がどうとでもしてやるさ」

「それは頼もしいですね。ですが私は、ワーカーであるからこそできることもあるのだと思っているのですよ。もし今後我々の力が必要となった時には、どうかワーカーの“サバト・レガロ”として力にならせて下さい」

 

 しつこく粘るバジウッドもさることながら、しかし相対する男も相当なもの。爽やかな笑みを浮かべ、口調も穏やかで思慮深い。しかしのらりくらりと躱す手腕は相当なもので、バジウッドでは些か力不足が否めない状態だった。

 何故かは分からないが、レオナールはどうやら組織に所属するということ自体があまり好きではないらしい。このままでは彼らを傘下に引き入れるのは非常に難しいだろう。ならば今は土台を強くすることに集中した方が得策である。

 ジルクニフは少し考え込むと、頭に浮かんだ話題を口に乗せた。

 

「……そういえば、今度闘技場の武王と試合をするらしいな。自信のほどはどうだ?」

 

 傍から見ればバジウッドと談笑しているだけにしか見えないレオナールの金色の瞳がジルクニフへと向けられる。

 レオナールは小さく首を傾げた後、淡い苦笑をその端整な顔に浮かばせた。

 

「どうでしょうか……。残念ながら私はまだ武王を直接見たことがありませんので、その質問にはお答えできかねます」

「ふむ、勝利の確信もないのに武王との試合を引き受けたのか? 君は確信を持たない限りは動かないタイプかと思っていたのだが……」

「そうですね、普通の依頼であればそうするかと思います。しかし今回の依頼は闘技場の出場依頼。“勝つ”ことよりも、どれだけの“パフォーマンス”が出来るかの方が重要ではないかと」

「ほう……。なるほど、面白い考え方だ」

 

 どこか意味深な言葉に、ジルクニフはレオナールという存在だけでなく、武王との試合についても非常に興味が湧いてきた。

 レオナールという男の強さを実際にこの目で見てみたいという欲は元々あった。しかし今はそれよりも、“パフォーマンス”を重要視すると言うレオナールの試合を見てみたいという気持ちの方が強くなっていた。

 

「よし! 当日は私も闘技場に見に行こう!」

「陛下!?」

 

 突然の言葉に、後ろからロウネの驚愕した声が聞こえてくる。しかしジルクニフは先ほどの言葉を撤回するつもりはなかった。

 情報を集めさせて報告を聞くのも大切なことだが、何事もこの目で見ることができるのであれば実際に見る方が一番だ。実際に見ることができれば、戦い方や身のこなしからその人物の人となりや思考回路、考え方を読み解くことができる。特に闘技場という場は命をかける場であるため、よりその者の本性が浮き彫りになりやすい。

 実際にその場に赴き、より正確にレオナールという男を見定める。

 レオナール及び“サバト・レガロ”を手に入れるためには、それが重要であるとジルクニフは判断していた。

 

「おっ、そりゃあ良い。俺も連れて行ってくださいよ、陛下」

「良いですね。では私もお供します」

 

 ジルクニフに追随するようにバジウッドやニンブルも賛同してくる。それにジルクニフは応えるように頷いてやりながら、チラッとレオナールへと視線を向けた。

 果たして端整な顔に浮かんでいるのは歓喜か憤怒か焦燥か、それとも何か別の感情か……。

 しかしそこにあったのは、ジルクニフの期待に反して仮面のように何一つ変わらぬ涼やかな微笑のみだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 穏やかな夜の闇に包まれた帝都・アーウィンタール。

 多くの者が寝静まり灯りも消えていく中、中心部に聳え立つ皇城だけは未だ爛々と多くの明かりを灯していた。

 その内の一つである明かりの中。フールーダは一人自室で何をするともなく椅子に深く腰掛けていた。

 その手には何も握られてはいない。

 いつもであれば各地から集めた貴重な魔導書を読んでいるところなのだが、しかし今は何もせずにただじっと静かに椅子に腰かけていた。

 ジジッ……と蝋燭の火が小さな音をたてる。

 フールーダが蝋燭に目を向けたその時、不意に何の前触れもなく小さなノック音が扉から響いてきた。

 一拍後、返事を待つことなく扉が独りでに開かれる。

 扉はすぐさま元のように閉じると、次の瞬間、どこからともなく一組の男女が扉の前に姿を現した。

 フールーダは椅子から立ち上がると、まるで歓迎するように男女に向けて軽く両腕を広げた。

 

「ようこそ、ロックブルズ殿。それから、レオナール・グラン・ネーグル殿」

 

 親しみを込めて男女の名前をそれぞれ口に乗せる。フールーダの言葉通り、扉の前に立っていたのはレイナースとレオナールの二人だった。

 レイナースはいつもと変わらぬ無表情を浮かべており、レオナールもまた昼間に会った時と同様の涼やかな笑みを浮かべている。

 しかし、何故そもそも既に皇城を去ったはずのレオナールがレイナースと共にここにいるのか。

 それは事前に仕組まれたことであり、レイナースを通じたレオナールからの要請であり、フールーダがそれを許可したためだった。

 

「さあ、まずはこちらに」

 

 フールーダは二人を部屋の奥へと招き入れ、椅子に座るように促す。それでいて自身は先ほどまで腰かけていた椅子に再び深く腰を下ろすと、二人も漸くそれにつられるようにして対面の位置に置かれた椅子にそれぞれ腰かけた。

 レイナースは普段と同じようにピシッと背筋を伸ばして浅く椅子に腰かけている。

 しかしレオナールは昼間に会った時とは打って変わり、深く椅子に腰かけて長い足を優雅に組んでいた。

 無礼にも思えるその態度に、しかしフールーダは何も言おうとはしなかった。

 フールーダの中の男に対する評価は、ジルクニフと同じく“非常に頭が良く、決して愚かではない”というものだった。その評価が正しければ、今のこの態度も恐らく何らかの意味があるのだろう。

 尊大な態度に隠された意味を見極めようと注視しながら、しかし表情はどこまでも穏やかに取り繕ってフールーダは慎重に口を開いた。

 

「……さて、それでわざわざこの私に何の用ですかな? それも内密に会いたいとは些か穏やかではないようだが……」

 

 フールーダの言葉通り、この対面はいわゆる密会というものだった。

 そのため、この場にはフールーダとレイナースとレオナールの三人しかいない。また、二人がフールーダの元を訪れることもフールーダ以外は誰も知らなかった。

 レオナールが何故秘密裏に接触を図ってきたのか、その理由はフールーダにも分からない。

 何かの勧誘か、裏切りの脅しか、後ろ暗い何かの取引か……。幾つか予想をたてることはできるものの、どれもが予想の範疇を出ない。

 とはいえ、どちらにしろフールーダにとってはあまり興味のないことだった。勧誘にしろ脅しにしろ取引にしろ、フールーダはそのどれをも請け負うつもりはなかったし、何かあったとしても自分だけで対処できると絶対的な自信を持っていた。

 ならば何故そもそもこんな密会の要請に応じたのかというと、それはこの目の前の男に興味があったからに他ならなかった。

 

「……まずは、私の要請に応じてくれたことに感謝しましょう」

「いやいや、礼には及びませんぞ。私も少々貴殿に興味があっただけなのでな。……とはいえ、少々がっかりもしているが」

「ほう、それは何故です?」

「秘密裏に会いたいと言われた時点で、ある程度貴殿の目的は推測できる。勧誘か、裏切りの要請か、はたまた何かしらの取引か……。貴殿がどこの手の者かは分からぬが、重要なのは貴殿が私にとってそれだけの価値があるかどうかだ」

 

 注意深く様子を窺いながら、強気に言葉を返す。

 レイナースがレオナールからの言葉を伝え、そして今もこの場に共にいるということは、レイナースは既にレオナールと手を組んでいるのだろう。そして手を組んでいるのならば、レオナールは彼女からフールーダについてのある程度の情報を聞いている筈だ。ならば、レオナールが取引材料として出すのは十中八九魔法に関する何かだろう。

 ふと、過去に幾度もあった他国や怪しげな勢力から持ちかけられた取引や脅しの数々を思い出す。

 彼らは珍しい魔法具や魔導書を取引材料に、フールーダにあらゆることを持ちかけてきた。しかし長い時を生きるフールーダにとって、価値を見出せるほどの希少な魔法具や魔導書は一つもありはしなかった。これまで持ちかけられた品々は数知れず、しかしそのどれもがフールーダの琴線には触れず、そしてフールーダはそれら全てを強気に対処し、退けてきた。

 この目の前の男も、フールーダを納得させるほどの価値ある提案ができるとは到底思えなかった。

 が、しかし……。

 

「……ほう、面白いことを言う」

「っ!!?」

 

 瞬間、目の前の男の空気が一気に変わった。

 

「勘違いをしているようだから一つ教えてやろう。重要なのは私の価値ではない。お前の存在が私にとって価値があるかどうかが重要なのだ」

 

 投げられた言葉と向けられた微笑に、思わず喉が生唾を呑み込む。そのあまりの変わりように、フールーダは驚愕に目を見開いていた。

 目の前の男は、姿形も何も変わってはいない。変わったのは口調と立ち居振る舞いと顔に浮かべている笑みの種類くらいだ。

 だというのに、それだけでこんなにも雰囲気や印象がカラッと変わってしまうものなのか。

 まるで別人だと思いながら、しかし一方でフールーダは『なるほど…』と内心で納得もしていた。

 なるほど、この目の前の姿こそがこの男の本当の姿だったのか、と……。

 優雅で美しく、礼儀正しく思慮深い。誰に対しても平等に対応する寛容さと潔癖さを持ち、それでいて困っている者がいれば決して見捨てぬ慈悲深さをも持っている。

 それが帝都に住む者のレオナール・グラン・ネーグルという男に対する認識だった。

 しかし今目の前にいる男はどうだ。

 その様は尊大にして驕慢。優雅さや美しさは変わらないものの、今はそれら全てに高慢な色が宿っている。

 しかし、フールーダは男の豹変に驚愕はしたものの、何故か苛立ちなどは全く感じることはなかった。

 その姿が非常にしっくりきて、とても自然に見えるからというのも理由の一つかもしれない。まるで男がこのような態度を取るのは当たり前であるかのような、そんな感覚。何より、フールーダはその高慢な態度に威厳のようなものすら感じていた。実力と経験に裏打ちされた振る舞い、とでも言うべきか……。

 知らず呆然と魅入っていたフールーダに、レオナールは更に妖しげに口の両端を吊り上げた。

 

「……だが、勘違いをしてしまうのも仕方がないことか……。このくらいは許してやらねばな。お前に知る機会を与えてやろう」

 

 何を…という言葉は声にならなかった。フールーダが言葉を発するその前に、レオナールは徐に自身の右手へと左手を伸ばし、無造作に身に着けていた黒革手袋を右手から外した。

 現れたのは細く長い褐色の手指。

 人の手の形をしたそれは、しかし長く伸ばされた爪は何故か闇色の黒に染められていた。世の若い女たちがしているような化粧の類ではない。それらは間違いなく本来の色であり、闇色の爪が実際に指から生えているようだった。

 しかし、驚くのはそれだけではない。

 現れた褐色の手には一つとして同じ物はない数多の指輪が全ての指に填められていた。その内の一つ、中指に填められている指輪をレオナールが無造作に引き抜いて外す。

 瞬間、フールーダの視界は眩い光の放流に覆われた。

 

「――……な、…あっ……!!?」

 

 フールーダは何が起こっているのか訳が分からなかった。

 まるで突然巨大な嵐の中に身を投げ出したかのような強い衝撃。閃光に意識を殴られ、一瞬意識が飛んだような気がした。実際には何かがフールーダの身を襲ったわけではなかったが、その身に宿る“生まれながらの異能(タレント)”が彼にそれだけの衝撃の感覚を与えていた。

 フールーダの持つ“生まれながらの異能(タレント)”は、“魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)の使用できる位階をオーラとして見ることができる”というもの。

 そして今感じ取っている感覚の発生源は、目の前に座るレオナール・グラン・ネーグルだった。

 彼の男を取り巻くように巨大にして強大なオーラが放出されて渦を巻き、荒々しく吹き荒んでいる。

 圧倒的な威圧感と眩耀に、フールーダは知らず冷や汗を溢れさせて全身をびっしょりと濡らしていた。

 

「……なっ、…な、なんという……っ」

 

 声が詰まって正しい言葉を発することができない。全身が震え、鼓動も不規則に脈打って酷く息苦しい。気が付けば温かい雫が両目から溢れ出し、頬を伝って零れ落ちていた。

 しかしフールーダ自身はそれに全く気が付かなかった。

 彼の意識は全て目の前の男に向けられており、他のことは全て意識の外へと追いやられていた。

 これまで二百余年生きてきて一度として感じたことのないほどの巨大なオーラ。それは自分など足元にも及ばない。

 正に神話の領域と言っても過言ではない遥か高みの光景だった。

 

「これは…、これは……第九…、いや、第十位階……。いや、それも違う! これはもっと高みの……!! おおっ、神よ……!!」

 

 フールーダは気が付けば頽れるようにして椅子の上から地面へと転げ落ちていた。地面に両膝をつき、腰を丸めて両手と額をも地面に擦りつけて平伏する。

 未だ頭では理解が追いついていない。しかし彼の心が……何より魂そのものがフールーダ自身に必死に訴えかけていた。

 今目の前にいる存在は、遥か高み……神の領域にして至高の領域に立つ絶対者であるのだと……――

 フールーダは平伏の体勢はそのままに顔だけを上げて目の前に座る男を見上げた。金色の瞳がじっとこちらを見下ろしているのに、フールーダは更に大量の涙を両目から溢れさせた。

 

「先ほどまでの愚かな私をどうかお許しください。……炯然の君、いと絶対なる御方…!」

「……………………」

「私はこれまで魔法を司ると言う小神を信仰して参りましたが、もはやその信仰心は今この時に消え去りました。あなた様こそが絶対なる神! 我が目の前に降臨なされた!!」

 

 フールーダはそこで一度言葉を切ると、再び深く頭を下げて額を地面に擦りつけた。

 

「どうか、どうか愚かだった私をお許しください! 何卒! 何卒!!」

「……良かろう。お前の全てを許そう、フールーダ・パラダイン」

「おおっ、ありがとうございます! ありがとうございます! 我が神よ、どうか、どうか伏してお願い致します! 私にあなた様の教えをお与えください! 私は魔法の深淵を覗きたいのです!!」

「フールーダ・パラダイン、お前は忘れてしまっているようだな。先ほど、私は言ったはずだぞ。“重要なのはお前が私にとって価値があるかどうか”だと。……お前は私に自身の価値を示せるか?」

 

 神に等しき男からの問いかけに、フールーダは一瞬言葉を詰まらせた。

 果たして己よりも遥か高みにいる存在にとって自分は価値があるのか……。

 それはフールーダ自身にも分からなかった。

 しかし、かといってここで諦めるわけにはいかない。二百年以上も待ち望み、漸く得られた願いが叶うかもしれないチャンスなのだ。願いを叶えるためならばどんなことをもする覚悟だった。

 

「絶対なる神であるあなた様に、私がお役に立てるかどうかは分かりません。……ですが、あなた様が望まれるのであれば私は何でもする覚悟です! 私の持つものは全て……そう、この命すらも差し出しましょう! 生贄を欲するのであれば相応しい贄を捧げましょう!」

 

 必死だった。一歩間違えれば破滅を呼ぶ事態であることは分かっていたが、それでもフールーダは立ち止まることも躊躇うことすらしなかった。

 フールーダの中に今あるのは飢餓にも似た渇望と、それを上回るほどの狂気じみた歓喜。

 恐らくこれからどれだけの時が流れようとも、フールーダは今この時の自分の行動を悔いることはないだろう。

 

「全て! そう、私の全てを御身に捧げます! 深淵の主! いと深き御方!!」

 

 額をゴリゴリと地面に擦りつけ、深く深く平伏する。

 短くも長くも感じられる静寂の中、微動だにしないフールーダの上に唐突にレオナールの涼やかな声がかけられた。

 

「……ふむ、そこまで言うのであれば良いだろう。お前に私のために働く機会を与えてやる。もし役に立ったなら、お前の願いを叶えてやろう」

「おおっ! ありがとうございます!!」

 

 フールーダは湧き上がる歓喜のままに声を上げ、湧き上がってくる激情を抑えるように地面についている手に力を込めた。

 本当ならば感謝と崇拝の念を伝えるために、その足に接吻をしたかった。

 しかし己のような者が神たる存在に触れることなど恐れ多く思え、また未だ絶えず感じられる大いなる力の放流に気圧されている部分もあった。

 レオナールはそんなフールーダの様子に気が付いているのかいないのか、変わらぬ微笑を浮かべたまま小さく首を傾げてきた。

 

「安心するが良い、私は約束は守る。だが、全てはお前の働き次第であることを忘れるな」

「ははぁっ!!」

「それから、お前の影に私の使い魔を潜ませる。今後については、この使い魔を使って知らせるから、そのつもりでいるように」

「畏まりましたぁっ!!」

 

 漸く伏していた顔を上げて上半身も起き上がらせれば、その瞬間、レオナールの影から黒い何かが地面を走り、そのままフールーダの影へと消えていく。それが何であるのかはフールーダには分からなかったが、しかしそれが先ほどレオナールが言った使い魔であることだけは理解できた。

 しかしフールーダの中には焦りも恐れもありはしない。

 むしろ目の前の神と自分とを繋ぐ確かなものを得たような気がして、フールーダは満面の笑みと共に再び深く平伏するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前で起こったことが理解できなかった。

 分かったのは、フールーダが完全にレオナールに服従したことのみ。

 信じられない出来事に、しかしレイナースはその理由が理解できるような気がした。

 レオナールが指輪を外した瞬間感じられた、恐怖を感じるほどに膨れ上がった濃厚な気配。まるでドラゴンを目の前にしたような、圧倒的な存在感と威圧感。気を抜けばレイナースもまたフールーダと同じように椅子の上から崩れ落ちていたかもしれない。

 隣に座っている男はとんでもない存在だったのではないかと遅まきながら気づかされる。

 そしてフールーダが呆然と呟いたある言葉。

 

『これは……第九…、いや、第十位階……。いや、それも違う! これはもっと高みの……!!』

 

 正に神だと歓喜の声を上げるフールーダの声を意識の端で聞きながら、レイナースは思わず小さく顔を歪ませた。

 レオナールと手を組むと決めた日に言われた言葉を思い出す。

 この男は確かに自分に言ったのだ、『第五位階魔法まで使うことはできますよ』と……。

 しかし蓋を開けてみればどうだ。

 第五位階魔法どころではない。フールーダの言葉が正しければ、それ以上の……神話でしか聞いたことのない神の領域の力すら使えるということになる。

 『騙された』という思いが強く胸に湧き上がってくる。

 しかし一方で、希望のような感情もまた同時に強く湧き上がってきていた。

 神の力を持つのであれば、本当に自分のこの呪い(・・・・)を消せるかもしれない。本当に、自分の願いを叶えてくれるかもしれない。

 この男が何者なのかは分からない。いや、これだけの力を持っているのだ、逆に人間であるとは考え難いだろう。しかしレイナースはもはや、レオナールが人間であろうがなかろうがどちらでも良かった。

 重要なのは彼が自分との約束を果たしてくれるかどうかだけ。それ以外はどうでも良いとさえ思えた。

 そこでふと、自身の顔の呪いをレオナールに見せた時のことを思い出す。

 彼は自分の醜い顔を見ても表情一つ変えず、当たり前のように溢れ出る膿を拭ってすらみせた。柔らかな微笑を浮かべ、あろうことかこんな自分を『美しい』とまで言ってきた。

 あの時はあまりのことにひどく混乱して訳が分からなくなっていたが、しかし今思えばあの時の自分は確かに感じていたのだ。

 泣き出してしまいそうなほどの大きな歓喜を。そしてこんな自分をも受け入れてもられたという大きな安堵を。まるで全てが許されたような気すら感じていた。

 レイナースは再び滲み始めた腹立たしい膿の存在を感じながら、改めて横に座るレオナールへと目を向けた。

 その横顔に浮かんでいるのは絶対者としての威厳と、他者を魅了せんと浮かべられた柔らかな微笑。

 鳥肌が立つほどの圧倒的な威圧感は未だ絶えず感じられるものの、レイナースは最初とはまた違う感情を胸に湧き上がらせていた。

 嗚呼、なんて強く、偉大で、そして美しいのか…と……。

 人間、亜人、異形など、種族問わず強大な力にどうしようもなく魅了される者がいることは、レイナースも話には聞いたことがある。今まではそんなものだろうか…と少し不思議に思ってはいたけれど、もしかしたら今の自分の状態がそうであるのかもしれないとふと思う。

 恐ろしいまでの力の波動が自分を包み込み、まるで守られているかのようで安心感すら湧き上がってくる。

 思わず震える吐息をそっと吐き出す中、不意にこちらに向けられた金色の瞳にレイナースは思わず呼吸を止めた。

 

「この度のこと、よくやってくれた。約束通り、お前の願いを叶えてやろう」

「っ!!」

「とはいえ、お前の顔の呪いを解くためにはそれ相応の準備が必要だ。どうかもう少しだけ待っていてほしい。準備が整い次第、すぐにお前に知らせよう」

「……あっ…、は、はい! ありがとうございます!」

 

 気が付けば椅子から勢いよく降り、地面に片膝をついて深く頭を下げていた。

 胸に湧き上がってくるのは大きな歓喜。そしてレイナース自身も気づかない内に芽吹いていた、男に対する思慕と敬愛の念だった。

 久しく感じることのなかった胸の高鳴りに、今まさに自覚した男への感情とも相俟って無性に恥ずかしくなってくる。

 羞恥のあまり顔を上げられないレイナースの前で、フールーダが『是非呪いを解く場には自分も同席させてほしい』とレオナールに願い出ていたが、レイナースはそのやり取りを聞きながらも頭を下げた状態で必死に自身を落ち着かせようと試みていた。レオナールに気づかれないように注意しながら何度も深呼吸を繰り返す。

 そして漸く心臓の鼓動が落ち着き始めた頃、まるでそのタイミングを見計らったかのようにレオナールに声をかけられた。

 反射的に顔を上げれば、そこには楕円の闇を背にしたレオナールの姿。

 思わず呆然となる中、レオナールはその端整な顔に深い笑みを浮かべてきた。

 

「今夜はこのくらいにしておこう。また連絡を入れる。……くれぐれも、余計な企みをして私の期待を裏切るな」

「「はっ!!」」

 

 打てば響くようなレイナースとフールーダの返事に、レオナールは満足したのか満面の笑みを浮かべたまま楕円の闇の中へと消えていく。

 レイナースは空気に溶けるように消えていく闇を見つめながら、最後に言われた言葉について思いを馳せた。

 レオナールの言った『余計な企み』というのは、自分たちの繋がりを他者に漏らすなどといった裏切り行為のことを言っているのだろう。裏切りを牽制するその言葉に、しかしそれは余計な心配であるとレイナースは思っていた。フールーダは自分の目から見てもすっかりレオナールに心酔しているようだし、自分もレオナールを裏切るつもりは欠片もない。

 願わくば、もっと自分のことを信用してほしい……と非常に自分らしくないことを思う。

 レイナースは零れ落ちそうになっている膿に気が付いて胸元から取り出したハンカチを押し当てながら、どうすれば少しでもレオナールに近づくことができるだろうかとぼんやりと思いを巡らせていた。

 

 




フールーダが感じ取ったウルベルト様のオーラは、ウルベルト様が『ワールドディザスター』であることや超位魔法以上の威力を持つ〈大災厄〉が使えることを考慮して、原作のアインズ様のオーラよりも巨大で強大であるという設定にしています。
そのため、原作のアインズ様の時よりもフールーダは気圧されてしまっている感じにしております。
そして、ヒロイン候補の一人であるレイナースさんは、ここで一気にヒロイン力(恋心)がフィィーバァァァーっ!!!
レイナースさんの心情を書くのがすっごく楽しかったです(笑)

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