読み難かったら申し訳ありません…(汗)
また、今回の戦闘描写の中で一部ご都合主義的な描写がございます。
私的にどうしても描きたかった描写だったので我慢できずに描いてしまいましたが、ご都合主義が嫌いな方はご注意ください(土下座)
静寂が支配する室内に、不意に微かな声援や雄叫びの声が外から響いてくる。
聞く者に興味と好奇心を湧き上がらせるその音に、しかし室内にいる存在たちは一向に動く気配がなく、音の先に視線を向けることさえしなかった。
目に鮮やかな深紅の絨毯や豪奢な家具が置かれているこの部屋にいるのは二人の男と一体の異形。
いや、二人の男のうち一方は腰から白銀の長い尾を垂れさせているため、唯の人間ではないだろう。
朱色のスーツを着込んだ男は口角を笑みの形につり上げており、その意識は自身の傍らにある一人用のソファーに足を組んで腰かけている男にだけ向けられていた。
しかしソファーの男はそれに気が付いているのかいないのか、これといった反応を示すことなく、手元にある黒い大きな石を指先で弄りながらチラッと金色の瞳をこの部屋唯一の扉へと向けた。
「……そろそろ時間か……。デミウルゴス、用意はできているか?」
「はい、勿論でございます。ウルベルト様より御下賜頂きました品々は全ていつでも使えるように準備は整えておりますし、その内の一つは既に摂取させて頂いております」
「それは何より。お前の手助けが必要になるかは分からないが、対策はしておいて損はないからな。だが、くれぐれも頼んだこと以外のことはしないように。私の身に何かあったとしても、私の許可なしに動くことはないようにしたまえ」
「………畏まりました……」
念押しの言葉に、デミウルゴスは胸に片手を当てて深々と頭を垂れる。彼にしては珍しく返答するまでに時間がかかったが、命令の内容を思えばそれも仕方がないことだった。
ウルベルトの言葉は、要約すれば『自分の身に万が一のことがあったとしても何もするな』ということ。忠誠心厚く創造主のことを第一に考えている悪魔にとっては、その命令はとてつもなく受け入れ難いものだろう。今も恐らく、未だ頭を下げている悪魔の胸の内では忠誠心と苦悩が激しく鬩ぎあい渦を巻いているはずだ。しかしウルベルトはそれが分かっていながらも先ほどの言葉を撤回することも内容を変更することもしようとはしなかった。自分のことを心配してくれるのは嬉しいが、それによって物事がうまく進まないのであれば意味がない。
ここは心を鬼にしないとな……と自身に言い聞かせ、ウルベルトは自身の手の中にある黒い石へと再び目を戻した。
それから数分後、扉の前で外の様子を窺っていた
「御方様、何者かがこちらに近づいてきております」
「そうか、ご苦労。お前は私の影に潜んでいたまえ」
「はっ、畏まりました」
「デミウルゴス」
「はい、すぐ傍で待機しております」
ウルベルトの言葉に、扉を守っていたシャドウデーモンはすぐさま滑るようにウルベルトの影へと沈んでいき、デミウルゴスも自身の首元を探ってネックレスを装着する。
瞬間、ネックレスに宿る魔法が発動してデミウルゴスの姿が気配と共に掻き消え、それとほぼ同時に扉からノックの音が響いてきた。
「ネーグル様、お時間になりました。会場までおいで願います」
扉の外から聞こえてきた声は、この闘技場で働くスタッフのものだろう。
ウルベルトは組んでいた足を解いてソファーから立ち上がると、手に持つ石をアイテムボックスに放り込みながら扉へ歩み寄っていった。
ドアノブに手を伸ばし、しかし触れる前に扉が独りでにゆっくりと開かれる。
外にいる者がやった訳ではないそれは、恐らく姿を消しているデミウルゴスの仕業だろう。
ウルベルト以外には気付かれないように扉を開けたデミウルゴスの行動に内心苦笑を浮かべると、ウルベルトは何事もなかったかのように装いながら堂々とした足取りで扉を潜り抜けた。
「ネーグル様、ご案内いたしますのでついてきて下さい」
「ああ、よろしく頼む」
廊下に立っていたのはやはり闘技場のスタッフの男で、デミウルゴスの存在も扉が独りでに開いたことにも気が付かずに声をかけてくる。ウルベルトは気づかれなかったことに内心で安堵の息を吐きながら、実際には澄ました表情を浮かべて一つ頷いて返した。
既にこの闘技場では常連になりつつあるウルベルトにとって今更案内などは不要なのだが、これも男の大切な仕事の内の一つなのだろうから無碍に断っては可哀想だろう。先導するように歩き始めた男の背中を見やると、ウルベルトは内心小さく肩を竦めながらも大人しく男に従って歩を進め始めた。
窓が一切ないせいか、試合会場に向かうための廊下は非常に薄暗く、まるでトンネルのような様相をしている。
廊下を進むにつれ、徐々に大きくなっていく歓声の音。
前方の光も大きくなっていき、数分後にはウルベルトは外へと足を踏み出していた。
瞬間、自身を包み込む外の眩しい光と大歓声の嵐。ぐるっと視線を周囲に走らせれば、観客たちが腕を挙げたり手を振ったりしながら歓声や黄色い悲鳴を上げていた。
もはや“レオナール・グラン・ネーグル”としては見慣れた光景。
ウルベルトは軽く手を挙げることで観客たちに応えてやりながら、徐に視線を自身の周囲の地面へと移した。
いつもは平らに整備されているはずの黄土色の土の地面が、今は至る所が削り取られて凹凸が目立ち、所々に赤黒い液体が染み込んでいる。
闘技場では同じ日に幾つもの試合が執り行われており、それは武王が出る試合の日も例外ではなかった。以前聞いた話によれば武王の試合の前には必ず冒険者とモンスターとの戦闘試合が行われるらしく、恐らく目の前の跡もその試合によってできたものなのだろう。試合の結果がどうだったのかは分からないものの、目の前の大量の血痕を見る限りでは相当な激戦が繰り広げられたのだろうことは容易に窺い知れた。
ウルベルトがぼんやりと血だまりを眺める中、不意に闘技場の進行役であろう男の声が闘技場中に響き渡ってきた。
「皆さま、大変長らくお待たせいたしました! この一番の大試合を、何とエル=ニクス皇帝陛下もご観戦されます。皆さま、上にある貴賓室をご覧ください!」
声に導かれて視線を上げれば、貴賓室と思われる場所に見覚えのある若い男がいつの間にか立っていた。
観客たちが再び歓声を上げる中、ジルクニフは柔らかな微笑を浮かべながら、その声に応えて軽く手を挙げている。
観客たちの中から更に黄色い声が至る所で上がるのを聞きながら、ウルベルトは目の前の光景にどこか不思議な感覚が湧き上がってくるのを感じていた。
観客たちの反応から、いかに彼らが皇帝を慕っているのかが分かる。しかしそれは、ウルベルトにとっては非常に不思議なことのように思えた。
ウルベルト自身、これまで皇帝が行ってきた改革を調べさせ、現在の行政の在り様を知り、実際に本人にも会って彼の男の人となりやものの考え方を知った今、皇帝が国民に慕われるのも当然のことだと思っている。
ちゃんと理解しているし、納得もしている。
しかしそれでも実際に皇帝が国民たちから尊敬され慕われている光景を視覚情報として見せられた今、やはりどうにも不思議な感覚を覚えてしまう自分を止めることができなかった。
今までのウルベルトの感覚からすれば、皇帝や貴族といった存在は
しかし、もしかしたら違うのかもしれない。
少なくともこの国の皇帝は、身勝手でも我儘でも欲深でも愚かでも甘ちゃんでもないのかもしれない。
情報でも知識でもなく、目の前の光景が……――何より
「――……ありがとうございました! さて、それでは皆さま、これより久方ぶりに武王の一戦が始まります。この度の挑戦者を紹介いたしましょう! 既に彼をご存知の方も多くいるでしょう。数か月前に闘技場に突如として現れた新星! 圧倒的な力を見せつけたワーカーチーム“サバト・レガロ”、そのリーダーを務める凄腕の魔法剣士、レオナール・グラン・ネーグルです!」
ウルベルトの思考そっちのけで、司会者の声がどんどん話しを進めていき、再び観客たちがウルベルトに向けて歓声を上げる。
ウルベルトは司会者の声が自分のことを“魔法剣士”と呼んだことで我に返ると、内心苦笑を浮かべながらも再び歓声に応えるべく軽く手を挙げた。
ウルベルトは今までこの闘技場では魔法よりもむしろ得物を使っての戦闘を行うことの方が圧倒的に多かった。そのためか、“レオナール・グラン・ネーグル”を闘技場でしか見たことのない帝国の殆どの者たちは“レオナール”のことを純粋な
ただ観客の中には戦闘を生業にしている者もいるだろうから、怪しまれないように気を付けなければならない。
闘技場で戦う際にはいつも思うことを今回も心の中で呟くと、再び聞こえてきた司会者の声にウルベルトは再び思考の渦から意識を引き戻した。
「皆さま! 北の入口より、武王の入場です!」
司会者の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで重い何かがゆっくりと動く音が聞こえてくる。
対面する北側の扉へ目を向ければ、ゆっくりと開かれる大きな扉から一体の亜人が姿を現した。
黄金色の
亜人の登場に、観客たちは再び大きな歓声を上げた。
しかし亜人はその歓声に応えるような素振りは一切見せず、ただ一心にこちらを真っ直ぐ見据えていた。
そんな亜人の態度に、しかしそれでも観客たちは一向に構う様子もなく満面の笑みと共に声援を送り続けている。
そんな彼らの様子に、なるほどやはり目の前の存在は亜人でありながらも人間の観客たちに随分と愛されているようだと判断する。
やはり当初の計画通りに進めた方が良さそうだな……と内心で結論付ける中、まるでそれを遮るかのように不意に視線の先の亜人から低い声が聞こえてきた。
「俺は武王と言われているウォートロール、ゴ・ギン」
「っ!! ……これはご丁寧にありがとうございます。私は“サバト・レガロ”というワーカーチームに属しております、レオナール・グラン・ネーグルと申します」
まさかあちらから声をかけてくるとは思わず、少々驚きながらもこちらも丁寧に自己紹介をする。胸に片手を添えて軽く頭を下げれば、強い視線が突き刺さってくるのを感じた。ゆっくりと顔を上げれば、ヒタッと視線がかち合ったことが感じ取れる。
まるで観察しているかのような熱視線に、ウルベルトは湧き上がってきた気まずさに思わず小さく身動ぎしそうになった。
「これより響く鐘の音が試合開始の合図です! さぁ、両者とも準備は良いでしょうか?」
司会者の声が問いかけのような言葉を発してくるが、別に本当に問いかけている訳ではないだろう。
ウルベルトは司会者の言葉を無視すると、武王からの視線に耐えながらベルトに挟んでおいた短剣の柄に軽く手を置いた。武王の方は手に持つ棍棒を構えることはしなかったが、それでも身に纏う気配が濃く鋭くなったのは感じ取れた。
「それでは、試合スタートです!!」
司会者の言葉とほぼ同時に大きな鐘の音が鳴り響く。
観客たちが歓声を上げる中、しかし武王は未だ棍棒を構えることはせずに、ただじっとウルベルトを見つめ続けていた。ウルベルトもまた、武王に動く気配がないことを察してそのままその場で静かに佇む。通常ならば場を盛り上げるためにも相手の様子に構わず動くことが多いのだが、今回ばかりはウルベルト自身も武王の行動に興味があった。
「………ふむ、やはり何も感じないな……」
「……?」
不意に微かに聞こえてきた声。
まるで独り言のようなそれに、ウルベルトは思わず小さく首を傾げた。
「何が感じられないのですか?」
「……お前からは一切強者としての気配が感じ取れない。いや、そもそも存在自体が希薄であるように思える」
「ああ、なるほど……」
武王が何を言いたいのか漸く理解して一つ頷く。
つまり、ウルベルトの気配が思っていたよりも感じ取れず怪訝にでも思っているのだろう。もしかしたら事前にオスクからこちらの情報をある程度聞かされているのかもしれない。
「あなたが私の気配を感じ辛くなっているのは、そうなるように私が細工をしているからです。別にそれ以外の効果はありませんので心配は不要ですよ」
「何故そのようなことをする? 俺はお前の本当の力を知りたい。その細工とやらを解除することはできないのか?」
「勿論できますよ。しかし、理由の説明も解除をするつもりも今のところはありませんね。……もし私に勝てたなら、どちらも叶えて差し上げますよ」
「そうか……。では、勝たせてもらおう……!!」
瞬間、突然目の前に迫りきた巨体。いつの間にか距離を詰められて振り上げられていた棍棒に、ウルベルトは内心で舌打ちしながらも咄嗟に片足を半歩後ろに下げて身体を横向きにした。
大きな回避行動は間に合わないと咄嗟に判断しての行動だったが、それはどうやら正解だったようだ。
間髪をいれずに全身に大きな風圧を感じ、それと同時に襲い来た地響きのような衝撃と共にウルベルトは今度こそ強く地面を蹴って大きな回避行動を取った。
まるでその後を追うかのように先ほどまでいた場所を大きな土煙が覆い、空中を舞う。
追撃の気配は何故かなく、ウルベルトはさり気なく強く地面を踏み締めながらじっと朦々と立ち込める土煙を凝視した。
視界を遮る茶色は緩やかな風と共に徐々に霧散されていき、そこから武王の姿がゆっくりと露わになる。
武王は未だ棍棒を振り下ろしたままの姿勢を保っており、土煙が完全になくなったのを確認してから漸く構えを解いた。
「……ふむ、速さは申し分ない。判断能力も高いようだな」
まるでこちらを試しているかのような言葉に、ウルベルトは思わずクイッと片眉をつり上げた。
こちらを挑発しているのか、それとも何も意図していない唯の感想か……。
プライドが高い者であれば不快に思い怒り狂うかもしれない言葉。ウルベルト自身は不快に思うことはなかったが、思わずマジマジと観察するように武王を見つめた。
随分と注意深いんだな……と内心で呟く。
この世界の住人は割と情報に対する意識が低い者が多い印象があったため、武王のこちらを推し量ろうとしている言動にある種の懐かしさと新鮮さを感じた。
同時に、無意識的に相手を侮っていた自分自身にウルベルトは心の中で猛省した。
いくら本来のレベルに大きな差があるとはいえ、相手はこの闘技場の頂点に位置する“武王”の名を持つ存在なのだ。
加えて今この場にいるウルベルトは完全な状態とは言い難く、幾つもの制限に縛られていた。
魔法は第6位階以上のものは使えないし、身に着けている装備は全て
ウルベルトは自身に活を入れて気を引き締めると、気づかれない程度に構えを取りながら注意深く武王を見据えた。
武王は棍棒を握る手に力を込めながら、今回の対戦相手である男を兜のスリットから見つめていた。
褐色の肌と白い髪と金色の瞳という、帝国では見ることのない色素を持った人間種の男。司会者は男を“魔法剣士”と言っていたが、それにしては手足の長いスラッとした身体は武王にかかれば簡単に折れてしまいそうなほど細く薄い。“魔法剣士”ではなく純粋な
しかしそうは思いながらも、武王はやはり内心では小さく首を傾げていた。
確かに見た目は純粋な
オスクから聞かされたのは、これまで目の前の男がこの闘技場で積み重ねてきた実績の数々とその内容。
新人の剣闘士や冒険者やワーカーたちが参加することの多い対モンスターとの集団戦闘試合に始まり、チーム対チームのトーナメント制試合。そこから一気に名を上げていき、今ではありとあらゆる闘技場の試合に引っ張りだこになっているらしい。
闘技場の試合で見られる男の戦闘方法は、魔法と得物を使っての前衛戦闘。比率としては得物を使っての戦闘の方が多くを占めているらしい。
武王はこれまでこの男の戦いを見たことはなかったが、先ほどの回避行動の一つをとっても、それ相応の戦士としての技量があるのだろうことは窺い知れる。どちらにしろ油断できない相手だ、と武王は兜の中で口の両端を大きくつり上げた。
そもそも亜人である武王が何故こんな人間の国にいるのかというと、それは武者修行中に偶然オスクと出会い声をかけられたからだった。
そして何故今もなお帝国に留まり、ここで戦い続けているのかというと、それは多くの強者と戦って強くなりたいからだった。
全ては己が強くなるために。強者と戦うために。
武王にとってはそれだけが喜びであり、それこそが自分の生きる全てだった。
だからこそ、今目の前に立つ男の存在がとても興味深く思えた。
見た目は全く強そうではなく、実際に強者の気配は全く感じ取れない。しかしそうである一方で、武王の中にある戦士としての勘が『目の前の存在は決して油断ならない相手である』と絶えず囁き続けているのだ。
これほど面白く興味深い存在には今まで一度も会ったことがなかった。
(……これは久しぶりに楽しめそうだな。)
武王は久しぶりに感じる高揚感に身体を熱くさせながら、ゆっくりと右手に持つ棍棒を持ち上げて切っ先を目の前の男へと向けた。
しかし男の表情は全く変わらない。怯むわけでも闘志を燃やすわけでもなく、変わらぬ微かな笑みを宿したような無表情を浮かべている。
武王は地面を強く踏み締めると、タイミングを計って唐突に強く地面を蹴った。先ほどと同じ一直線の突進に、しかしその速度は先ほどのものよりも更に速い。
とはいえ今度は相手も予想していたのだろう、男はまるで踊るように優雅な動きでヒラッと横に飛び退いてみせた。
しかしその動きは武王とて予想済み。
男が回避の動きを見せたと同時に棍棒に向けていた力を少しだけ緩め、振り下ろすと同時に横斜め上方向に力を込めた。両腕に負荷がかかり筋肉が軋んだような音を鳴らすも無視し、武王は逃げた男を追いかけて棍棒を振り下ろすと共に横薙ぎに振り払った。
金属がぶつかり合う軋んだ衝撃音と、棍棒から伝わる強い手応え。
棍棒を振り抜いた状態で視線を素早く男に向け、視界に飛び込んできた光景に武王は兜の中で思わず大きく目を見開いた。
武王の攻撃は確実に男を捕らえて容赦なく吹き飛ばしていた。しかしこれはどういうことか、吹き飛ばされたはずの男は地面を転がることもなく、ただ手に持つ短剣を構えた姿勢でしっかりと地面を両足で踏み締めていた。男の両足から数メートルにかけて擦れたような跡が二本地面に刻まれている。恐らく男は短剣で棍棒を受け止め、そのまま地面を踏みしめながらも数メートルの距離をスライドしたのだろう。
一見何の違和感もないように思える行動と光景。
しかし武王が驚いているのは男が受けたであろうダメージのあまりの小ささだった。
ゆっくりと構えを解いて短剣を下ろす男にはどこも怪我をした様子はなく、大したダメージも受けていないようだった。
武王にはそれこそが異様に見えた。
普通に考えて、これほど細身の男が武王の攻撃をまともに受けて、大きく吹き飛ぶことも地面を転がることもなく平気で突っ立っていること自体が信じられない事だった。
向こうもそれなりに腕が立つのだろう、真正面から攻撃を受けてはいないのかもしれない。受け身だけでなく、ちょっとした受け流しもしていたのかもしれない。
しかしもしそうであったとしても、やはりこの程度で済んでいることが武王にはどうしても信じられなかった。
一体何をしたのかと男を凝視する中、不意に男の身体が小さく揺れ動いたかと思った瞬間、男が突然強く地面を蹴ってこちらに突進してきた。
「っ!!」
予想外の男の動きに、思わず一瞬虚を突かれる。
しかし武王はすぐさま意識を引き戻すと、既に目と鼻の先にまで迫っている男に再び棍棒を振り上げた。
(……想定以上に動きが速い。だが、捉えられないほどではない……!!)
振り下ろす先にあるのは男の頭部。
完璧なタイミングに必中を確信した瞬間、しかし武王は再び驚愕に目を見開くことになった。
棍棒が頭部を襲う直前、突然横に捻られた男の身体。踏み出す足の位置と身体の軸を微妙にずらすことで最小限の動きで武王の攻撃をスレスレで避けた男は、そのままの勢いで武王に短剣を突き付けた。
男が狙うのは鎧の隙間……と見せかけて、刃が目の前に迫る。
兜のスリットを狙う男に、武王は棍棒を持っていない手を男に伸ばしてその身体を捕らえようとした。
瞬間、チッと小さく聞こえてきた舌打ちの音。
恐らく男が出したであろうその音に、しかし武王は構うことなく左腕全てで抱き込むように男を拘束すると、そのまま締め上げようと腕に力を込めた。
「っ!!?」
しかしその瞬間、不意に視界が一気に青白く染め上がる。同時に感じる焼けつくような熱さに、武王は兜の中で大きく目を見開いた。
遠くから観客の驚いたような悲鳴が聞こえてくる。
武王は反射的に男の身体に回していた左手で男の肩を掴むと、そのまま前方――男にとっては後方――へ勢いよく投げ飛ばした。
男は投げ飛ばされることも想定していたのか、難なく空中で体勢を立て直して地面に着地する。
未だ感じる熱に息を荒げながら改めて男を見やれば、男の細身の身体の至る所に青白い炎が小さく揺らめいていた。
しかし男は熱がる素振りも見せずに平然としている。数秒後、炎はまるで何事もなかったかのように跡形もなく空気に溶けるように消えていく。
武王は自分にとって致命傷となる炎が消えたことに取り敢えず小さく息をつくと、次には男に向けていた視線を自身の身体へと移した。
未だ痛いほどの熱を感じている自身の身体を見下ろせば、身に纏っている鎧の胸から腹にかけてが真っ黒に焼け焦げているのが視界に飛び込んでくる。魔法が宿った武具であるにも拘らず未だ感じられる熱に、武王は一度棍棒を地面に放り投げると兜と鎧を素早く脱ぎ捨てた。ガシャンっと大きな音と共に地面に落とされた鎧は、衝撃に負けたのか黒く変色した部分がベコッと大きく凹んだ。
「おやおや、熱かったですか? どうやらその鎧では防ぎきれなかったようですね」
優雅に立ったまま男が軽い口調で声をかけてくる。
男の言葉通り、武王の胸から腹にかけての皮膚は赤黒く変色しており、場所によっては酷く爛れてケロイド状になっている部分もあった。
恐らく青白い炎が鎧の防御を崩してそのままダメージを与えたか、或いは熱せられた鎧によって皮膚が焼かれてしまったのだろう。
いくらトロールの治癒能力がズバ抜けて高いとはいえ、炎や酸で傷ついたものまでは治らない。
武王は自身の腹部に向けていた視線をゆっくりと男に戻すと、兜を取り去ったことで露わになった双眸を小さく細めた。
「……一体何をした? お前は本当に魔法剣士なのか?」
「残念ですが、それらの質問にはお答えしかねますね。あなたのご想像にお任せしますよ」
どこまでも煙に巻くような言葉と態度に、流石の武王も些か苛立ちが湧き上がってくる。しかし武王はすぐさま深呼吸をして乱れた自身の感情を意識して落ち着かせた。
ここで感情を乱れさせては相手の思う壺だ。感情の乱れは戦いの動きにも乱れを生じさせ、それは隙を生み、小さな隙は命取りになる。
相手が目の前の男であれば、それは尚更だ。
武王はもう一度深呼吸をすると、地面に投げていた棍棒を再び手に取った。四方から観客のものであろう心配そうな……或いは不安そうな視線が突き刺さってくるのを全身で感じる。しかし武王はいつものようにそれらの視線を無視すると、感じる痛みをも無視して掴んだ棍棒を構え直した。男もまた、まるでこちらに応じるように手に持つ短剣を構えてくる。
武王と男は暫く睨み合った後、最初に動いたのは武王の方だった。
真正面から突撃する武王に、男もまた真っ向からそれを迎え撃つ。
頭上から振り下ろされる棍棒に応じるのは横向きに構えられた短剣の刃。二つの得物は噛み合った瞬間に鋭い音と共に火花を散らすと、次には斜めに傾けられた短剣の刃によって棍棒の方が男を避けて少しズレた地面へと振り下ろされていった。
それは見事な受け流しであり、しかし一瞬でも打ち合ったことで男にはそれ相応の衝撃をもたらしたはずだ。受け止めた得物が短剣であったこともあり、もしかしたら短剣を持つ右手は衝撃によって痺れているかもしれない。ここは息つく暇を与えるべきではないと反射的に判断すると、武王はその勢いのままに連撃に移った。
間をおかず繰り出す攻撃は、その分大振りすることができず一つの攻撃力は小さくなる。振り回している得物がそれなりの重量を持つ棍棒であるため、こちらの腕や手にかかる負担もそれ相応のものになっていた。しかし少しでも間を与えれば目の前の男が何をするか分からない。
武王自身も意識をしていない中で、先ほど自身を焼いた炎が必要以上に男への警戒心を強めていた。
武王の激しい猛攻に、男はちょこまかと動きながら短剣を駆使してその攻撃を避け、或いは受け流している。
二人が繰り広げる激しい戦いに観客たちは大いに盛り上がり、武王や男の名をそれぞれ叫んでは拳を突き出していた。
『武王、これは激しい攻撃だぁっ!! ネーグルは防戦一方!! これは武王がこのまま押し勝ってしまうのかぁっ!!?』
意識の端に司会者の声が不意に滑り込んでくる。武王は今もなお攻撃の手を緩めないながらも、司会者の言葉に大きな違和感を膨れ上がらせていた。
確かに目の前の男は防戦一方に見える。必死に立ち回ってはいるが、こちらを攻撃する素振りすら見せずに防ぐので精いっぱいになっている様だった。
しかし武王にとってはそれが違和感に思えて仕方がなかった。
始めの時に男が見せた動きは、まるでこちらの動きを最初から把握しているかのような――最小限の動きで最大限の効力を発揮するようなものだった。
しかし今の男の動きにはそういったものが全く感じ取れない。
こちらの動きを先読みするわけでもなく、積極的に攻撃しようという素振りさえ見せない。かといってこちらを観察するような思惑が感じられることもなく、まるで敢えて自身を不利な状況に持っていこうとしているかのようだった。
侮られている……。
不意に頭に過ったその考えに、武王は急激に大きな苛立ちが込み上げてきた。
この男は自分を侮っている。自身の力の気配を隠し、手札も隠し、今もなお本気を出すことなく偽りの戦闘を繰り広げている。
戦いを何より重んじる武王にとって、それは何よりの侮辱であり屈辱だった。
武王は攻撃手段を連撃の小さなものから大きなものへと変えて棍棒を振り抜くと、その攻撃を受けて小さくよろめいた男を鋭く睨み付けた。
「貴様っ、本気でたたか……!!」
『――……今すぐその口を閉じろ』
「っ!!?」
怒りのままに声を上げようとした瞬間、突然すぐ耳元で聞こえてきた声に武王は驚愕に大きく目を見開いた。
耳元で囁いてきた声は聞き覚えの無い男のもの。
姿が見えないどころか気配も感じられない声の正体を探して、武王は反射的に周りに視線を走らせようとした。
しかし……――
『妙な動きをするな。そのまま何事もなかったように戦い続けろ』
「っ!!」
再び耳元から聞こえてきた声。
瞬間、武王の視界は対峙している男のみを映し、身体は独りでに動き始めた。まるでこれまでの戦いの動きをなぞるように腕は勝手に棍棒を振るい、足も勝手に大きく地面を踏みしめて男を攻撃し続けている。
声を上げることも視線を外すこともできず、まるで操り人形になってしまったかのような自身の状態に、武王は思わずパニックに陥りそうになった。
しかしその時、目の前の男の顔に小さな笑みが浮かんだのが視界に飛び込んできた。
すぐにその笑みは消え失せたが、武王は本能的な勘でこの状態が男の仕組んだことなのだと理解した。
(――……謀られた……っ!!)
一体どうやったのかは分からない。しかし、今の自身の状態を作り出したのは間違いなく目の前の男なのだろう。
そう確信した瞬間、武王の中で気が狂うほどの屈辱感が湧き上がってきた。
しかしどんなに抗おうとしても身体は全くいうことを聞かない。
武王は只々屈辱に歯を食いしばりながら、独りでに動く身体を制御することもできずにレオナールとの戦闘を続けていた。
「――……いやぁ、壮絶ですな。本当に二人とも強い。……いや、武王は亜人だから“一人と一体”って表現した方が良いか?」
「何を呑気なことを言っているんですか。ですが……本当に凄まじい戦いですね。唯の試合とは思えません」
すぐ傍らに控えているバジウッドとニンブルが観戦しながら言葉を交わしている。彼らの会話を意識の端で聞きながら、ジルクニフは一人と一体の試合を注意深く観察するように見つめていた。
確かに目の前の戦いは凄まじいものがあり、素人目から見ても見事で目を奪われるほどの迫力があった。
「だが、私は戦いの専門家ではないから詳しい部分はやはり分からないな……。バジウッド、実際彼らはどのくらい強いんだ? お前たちであれば勝てそうか?」
「いやいや、勘弁して下さいよ、陛下。俺たちじゃ、どちらか一方でも相手するのは難しい。尻尾撒いて逃げるのが吉ですよ。まっ、逃げられればの話ですがね」
「そんなに差があるのか?」
ジルクニフとしては、自身の部下がどちらにも太刀打ちできないというのは少し悔しく感じてしまう。
何より、そこまでバジウッドたちと実力差があるとは驚きだった。
「特に武王はウォートロールですからね。あの治癒能力は侮れません」
「戦士としての腕も相当だしな。……だが、こりゃあ……」
ニンブルの言葉に頷いていたバジウッドが、試合中の一人と一体を見やり小さく首を傾げる。
厳めしいその顔には怪訝の色が小さく浮かんでおり、ジルクニフはバジウッドの様子に首を傾げた。
「どうした? 何か気になることでもあったか?」
「いや……、気のせいかもしれないんですがね……。最初と今とでネーグルの動きが微妙に違うように感じたんですよ」
「動きが違う?」
バジウッドの意外な言葉に、ジルクニフは言葉を鸚鵡返ししながら反射的に目を試合中のレオナールに向けた。未だ武王の攻撃を防ぎ続けている男を見やり、バジウッドが言った言葉について考える。
しかしいくら男の動きを見て考えても、バジウッドの言う“動きが違う”という言葉に賛同するような感覚は欠片もつかめなかった。
「……今は苦戦しているようだから、それで動きが違うように感じたのではないか?」
「う~ん、そうですかね……。いや、やっぱり少し違うような……」
何ともバジウッドらしくない、歯切れの悪い口調。
ジルクニフは再び小さく首を傾げると、改めて男と亜人へ目を向けた。
その時……――
「「「っ!!?」」」
ジルクニフだけでなくこの場にいる全員が大きく息を呑み、観客たちから悲鳴のような声が上がる。
まるでジルクニフが目を向けるのを待っていたかのように、膠着状態だった試合が一気に動いて決着を見せた。
ジルクニフや観客たちの視線の先にいるのは武王とレオナール。棍棒を片手に仁王立ちしている武王の目の前で、レオナールは小さく肩で息をしながら片膝を地面についていた。レオナールの手には刃が折れた短剣が握られており、少し離れた場所には折れた短剣の刃が深々と地面に突き刺さっている。
武王は持っている棍棒の先をレオナールに向けており、それは正に強者であり、この場の勝者の姿だった。
「…っ…! ……俺こそが武王! 俺こそが最強だっ!!」
レオナールに棍棒を突き付けたまま、武王が声高に自身の勝利と強さを宣言する。
瞬間、闘技場中を包み込む静寂。まるでこの場にいる誰もが目の前の光景や武王の言葉に魅了されたように黙り込み、一拍後、まるで爆発するかのように闘技場中に観客たちの大歓声が響き渡った。
武王の勝利を喜ぶ者、レオナールの敗北を嘆く者、一人と一体の激戦を称える者。観客の反応はそれぞれだ。しかし何より、この場にいる観客たちは今回の試合に見るからに興奮し、魅了されている様だった。
ジルクニフは観客たちの姿を見まわし、そこでふと皇城でレオナールが言っていた言葉を思い出していた。
彼は今回の武王との試合について確かこんな事を言っていたはずだ……。
「………なるほど、これこそが“パフォーマンス”ということか」
「陛下?」
不意のジルクニフの呟きに、バジウッドとニンブルが不思議そうな表情を向けてくる。
ジルクニフは座っている椅子の背もたれに深く背中を預けると、肘掛に右肘をたてて右手の甲に顎を乗せた。
「ネーグルが城に来て武王との試合について話していた時、『闘技場の試合は“勝つ”ことよりも、どれだけの“パフォーマンス”が出来るかが重要だ』と言っていたことを覚えているか?」
「……ああ、確かにそんなこと言ってたな」
「陛下、それはつまり……?」
「ああ、恐らくネーグルはわざと負けたのだろう。この試合を大いに盛り上げるために立ち回って最高のパフォーマンスをしたわけだ。バジウッドがネーグルの動きに違和感を覚えたのもそれが原因だろう」
ジルクニフの予想に、バジウッドもニンブルも揃って驚愕の表情を浮かべる。ニンブルの方はその上に困惑の色も浮かべて小さく首を傾げた。
「しかし……何故わざと負ける必要が?」
「それは私にも分からない。だが、少なくともネーグルが勝っていたら、この目の前の光景はまた違ったものになっていたはずだ。……どうやら、思っていたよりもあの男は策士のようだな」
皇城で会った時の男の姿を思い出しながら、ジルクニフは面白そうに笑みを深める。
その鋭い双眸は真っ直ぐにレオナールだけに向けられていた。
無事に武王との試合を終えたウルベルトは、未だ〈完全不可知化〉を解いていないデミウルゴスを引き連れて試合前に使っていた控室に戻っていた。
控室に置いていた荷物を手に取り、さっさと帰ろうと踵を返す。
しかしその前に扉の外側からノックの音が聞こえてきて、ウルベルトは思わず歩き出そうとしていた足を止めた。一体誰だ? と訝しみながらも、持っていた荷物を下ろして扉の外へ声をかけた。
「……どうぞ」
ウルベルトの声から一拍後、扉が外側から開かれて一人の老人が姿を現す。
突然の意外な人物の登場に、ウルベルトは思わず小さく金色の双眸を見開いて小さく首を傾げた。
「……おやおや、まさかこんなところに来られるとは。一体どういった御用……」
「おおっ! 我が神よ!! やはりここにおられましたかっ!!」
「おいやめろそのテンション……!!」
折角レオナールとしての丁寧な口調で話しかけようとしていたのに、こちらの言葉を遮って大声を上げ始めたフールーダに、ウルベルトは思わず素の口調で静止していた。問答無用でその腕を掴んで部屋の中に引きずり込むと、そのまま素早く扉を閉める。一度深く顔を俯かせて大きな息を吐き出すと、ウルベルトは徐に顔を上げて改めて老人を振り返った。
「……あんな誰の目や耳があるかも分からない場所で大声を上げるとは、一体どういうつもりだ?」
「ああっ、申し訳ありません、我が神よ! 無事にお会いできたことでついつい気が高ぶってしまいまして……!!」
「………その自分でもセーブできないテンションをどうにかしたまえ」
悪びれもしないフールーダの様子に頭が痛くなってくる。ウルベルトはもう一度ため息を吐くと、よろよろと部屋の奥へと進んで一人用のソファーにどさっと倒れ込むように腰かけた。
フールーダの予期せぬ突然の登場に今日一日の疲れが一気に身体に圧し掛かってきたような気がする。
眉間に皺を寄せて思わずこめかみに指先を添わせるウルベルトに、フールーダは静かに歩み寄って目の前の地面に両膝をついて膝立ちのような体勢になった。
「我が神の雄姿を見ようと馳せ参じたのですが、まさかお負けになるとは……。何故本気を出されなかったのですか? あなた様の力を持ってすれば、あのような亜人に勝つなど造作もないことでしたでしょうに……」
「なんだ、見ていたのか。……そういえば皇帝も見に来ていたな。一緒に観戦していたのか?」
「いえ、ジルと行動を共にしては我が神とこのようにお話しする機会は持てないと思いましたので、密かに一般の観客席から観戦しておりました」
「なるほど……」
胸を張って言ってくる老人の姿に、何故か大きな脱力感が湧き上がってくる。
ウルベルトは力なく頷くと、次には先ほどの老人の言葉を思い出して小さな笑みを浮かべた。
「私がわざわざ負けたのがそんなに不思議かね?」
「誰が我が神の敗北を予想できましょうや。今回の試合では見事武王を倒す姿を想像しておりましたが……」
「まぁ、実際、勝とうと思えば勝てたのだがね……。だが、武王に勝ってしまえば次は私が新たな武王として祀り上げられてしまうかもしれないだろう? 私は闘技場の武王など御免なのさ。それに、武王は亜人でありながら帝国の者たちに人気がある。……武王を倒して万が一私の評判が落ちてしまっても困る。ここは微妙なラインで私が負けるのが一番無難なのさ」
「微妙なライン、ですか……。なるほど、それ故のこの度のあの短剣だったのですか」
ウルベルトの説明に思い当たることがあったのだろう、フールーダは納得したように頷くと、次にはウルベルトのベルトに差されている折れた短剣に目を向けた。
「我が神の持ち物にしては随分と貧相な短剣をお使いになると思っておりましたが……。なるほど、確かに普通に負けるよりも“使用した得物が折れての敗北”の方が宜しいでしょうな」
「ふふっ、貧相か……。これでも王国の王都でそれなりの価格で売っていた短剣なのだがね。……まぁ、私の持つ多数ある得物の中でも一番貧相ではあるが……」
フールーダの評価に小さく笑いながら、ウルベルトはベルトから折れた短剣を抜き取って目線まで掲げ持った。
ちょうど中程で見事に刃が折れてしまっているこの短剣は、この試合のためにわざわざ王国の王都で買って用意した物だった。ナザリックやユグドラシルの基準で考えれば確かに“貧相”意外の何物でもない代物ではあったが、この世界の基準で言えば“そこそこ”或いは“それなり”の代物ではあるはずだ。それをこの世界の住人であるフールーダが“貧相”だと評価することが少し可笑しかった。
「……ああ、そうだ。お前に頼みたいことがあったのだった。……フールーダ、これを」
そこでふと、フールーダに命じようと思っていたことを思い出し、ウルベルトは隠すことなく空中にアイテムボックスを開いて中から一枚の羊皮紙と一枚の封筒を取り出した。
フールーダから驚愕に息を呑む音が聞こえてきたが、自分のことを神と崇める彼の前であれば、むしろこのくらいのアピールくらいはした方が良いだろう。
ウルベルトは緊張に小刻みに震えているフールーダの手に羊皮紙と封筒を渡すと、足を組みながら柔らかな笑みを浮かべてみせた。
「その羊皮紙に書かれていることを実行せよ。見事役目を果たせたなら、褒美として私の手持ちの魔導書の一つをお前に貸し与えてやろう。因みに、その羊皮紙は内容を確認した後は速やかに燃やすようにな。……あと、その封筒はロックブルズに渡しておいてくれたまえ」
「……はっ、…ははぁっ、畏まりましたぁっ!!」
羊皮紙と封筒を両手で掲げ持って深々と平伏するフールーダに、ウルベルトは一つ頷いてソファーから立ち上がった。荷物を肩に担ぐように持ち、平伏している老人の横をさっさと通り過ぎて扉まで歩み寄る。
しかし扉の前まで来たところで、ウルベルトはふと足を止めた。
「………フールーダ、……お前から見て、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスとはどんな人物だ?」
「……は…、ジルですか……?」
一切振り返らずに唐突に発した問いかけに、背後から困惑したようなフールーダの声が聞こえてくる。
数十秒の間重苦しい静寂が流れ、不意にフールーダの息を吸い込む音が微かに聞こえてきた。
「……ジルは、私にとって可愛い孫のような存在です。歴代の皇帝の中でも特に賢く良い子に育ちました。恐らくあの子以上に、今の皇帝の存在意義を明確に理解し、未来の帝国のために何が必要で何が重要なのかを見据えることができる者はいないでしょう」
「なるほど。……今後の帝国のために……いや、帝国に生きる者にとってジルクニフは必要な存在か?」
「少なくとも、帝国の多くの者がジルを慕い、忠誠を誓っております」
フールーダはウルベルトが何を聞きたかったのか正確に理解して答えた訳ではないだろう。しかしウルベルトにとってはその言葉だけで十分だった。
「良く分かった。……今回命じたことについては、達成できたら自分の影に向かって報告しろ。そうすれば、その報告は私の耳に届く」
「はっ、畏まりました」
ウルベルトは最後までフールーダを振り返ることなく言い放つと、再び足を動かして扉へと近づいた。
瞬間、間髪をいれずに〈完全不可知化〉をしているデミウルゴスによって扉が開き、ウルベルトはそのまま扉を潜り抜ける。
人の姿のない廊下を歩きながら、ウルベルトは今後について忙しなく思考を巡らせていた。
◇◆◇◆◇◆
深い闇が支配する深夜。
武王は身の内に煮え滾る熱を燻らせながら、ただひたすらに静かに“それ”を待っていた。
今日行われた屈辱的な試合。
これまでにないほどの怒りを湧き上がらせた武王は、しかし試合後も怒りに任せて暴れるようなことはしなかった。
それは偏に、試合中に聞こえてきた謎の声が発した言葉が原因だった。
『抗うな。レオナール・グラン・ネーグルと本気の戦いをしたいのなら、夜の闇が支配する刻限まで大人しく待つことだ。もし大人しくしていなければ、二度とレオナール・グラン・ネーグルと戦う機会は得られないだろう』
耳元で囁いてきた声は確かに武王にそう言ってきた。ならばどんなに激しい怒りが己の身を焼こうとも、その言葉に従うことを武王は選んだ。
武王はオスクに与えられた自分の部屋の中で、ただひたすらに訪れるであろう何かの異変を待ち続けた。
それから数刻後……――
そろそろ大人しく待っているのも限界が来そうになっていたその時、不意に視界の端が黒く塗り潰されたことに気が付いて、武王は反射的にそちらへと目を向けた。
視線の先にあったのは何の変哲もない部屋の壁。
しかしよくよく見れば、窓から差し込まれる月明りからの影に紛れるようにして、不自然な楕円形の闇が静かに浮かび上がっていた。
今まで見たことのない異変の出現に、しかし武王は動揺することなく座っていた椅子から立ち上がった。すぐ側に立て掛けていた棍棒を手に取り、迷うことなく楕円形の闇へ歩み寄る。
武王は一度闇の前で足を止めると、次には意を決して闇の中へと足を踏み入れた。
一拍後、闇を潜り抜けた先にあった光景に武王は思わず驚愕に大きく目を見開いた。
気が付けば、自分が立っているのは建物の中でも帝都の街中でもない。そこは深く草木が生い茂る、見覚えのない森の奥地だった。
先ほど潜り抜けた楕円形の闇は既にどこにも見当たらず、数十メートル先には多種多様の多くの亜人たちがまるで武王を取り囲むようにして立っていた。
あまりにも予想外の事態に、流石の武王も焦りを感じ始める。
無意識に逃げ道を探すように周りに視線を走らせる中、不意に唯一見覚えのある存在が視界に飛び込んできた。
「ようこそ、ゴ・ギン。帝国が誇る歴代最強の武王」
まるで武王が気が付くのを待っていたかのように、朗らかにかけられる男の声。
武王の視線の先に立っていたのは、柔らかな満面の笑みを浮かべたレオナール・グラン・ネーグルだった。
未だにフールーダやバジウッドの口調が迷子状態です……(汗)
毎度のことながら、違和感などありましたら申し訳ありません……orz
*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈蒼炎のベール〉;
第五位階の炎魔法。蒼炎を纏い、接触する対象に炎のダメージを与える。
・“だまし薬”;
摂取しておくと、何かの行動によって効果をなくすアイテムや魔法に対してその行動を取っても一回のみ誤魔化して効果を持続することができる。
今回はデミウルゴスが〈完全不可知化〉の状態で、〈支配の呪言〉を使う度に摂取していた。